光の部屋

山桜桃凜

Room of Lights

 望んでいるものが与えられる人生が確かにそこにはあり、それゆえに賢く生きることができないから人生は不自由だ。


 光の部屋に入れられたことをぼくは覚えていない。覚えていないにも関わらず、光の部屋に入れられたということは、ぼくにとって現実以上に確かなこととして響く。現実にとって過去が曖昧であるように、ぼくにとっては、事実より現在が曖昧だ。光の部屋は自分が望んでもいないものが与えられる場所であり、それを手に入れた後にようやくぼくはこれがぼくの本当に望んでいたものなのだと気付く。ぼくはそういう形式を通して自分がどういう人間なのかを自覚している。光の部屋の中にいるのはぼくだけで、これはつまり、ぼく以外の人間がいるということになる。ぼく以外の人間がいるということは、ぼくが居るということであり、つまりぼくしかいないということになる。

 光の部屋はそういう場所だ。

 

 光の部屋は名乗らない。光の部屋はぼくに光の部屋と呼ばれることによって光の部屋となるのだが、それは結局、ぼくがそういう風に呼ぶ事を望んだということだし、光の部屋はもちろんそれをわかっている。でもぼくが光の部屋を光の部屋と呼ぼうと思った訳では全然なく、自分の考えていることは、光の部屋の考えていないことなのだとも気付く。

 フロイトのことを考えるのは嫌いだし、光の部屋はぼくが思っているとわかっていないことを与えるのではない。光の部屋にとってぼくは対象でしかなく、またぼくにとっては光の部屋も外側だということをぼくは知っている。ぼくが意識的に望んだことが全て与えられる場所があったとしたらそこは光の部屋ではなく、そこが地獄のように感じられるのは、ぼくが光の部屋にいるからかもしれないし、それとも光の部屋がぼくの望んでいることを知っているからなのかもしれない。


 ともかく、ユートピアで人が羊を食うように、ぼくは光の部屋の中で自分の欲望に食べられながら生きている。初めから光の部屋がぼく自身であったみたいな軽薄な結末は光の部屋には存在しないし、ぼくの知らないことが光の部屋の中で起こることもある。羊を焼きながらここがユートピアであることに気づいたりする。


 虹がある。

ぼくはこれまでに虹を望んだことは一度もないし、光の部屋はぼくに虹を教えようとはしなかった。ただ、ぼくは、虹というものがあるということは知っていたし、それを思い浮かべることだってもちろん可能だ。虹はぼくにとっては事実であり、世界のあらゆる場所のうちの一点を探れば、それは確かに存在している。ぼくは光の部屋の中にいるのだから、世界とは隔絶しているというように考えていたが、光の部屋の外というものが無意味であるのと同じように、光の部屋の中のことは光の部屋の外にとっては無意味だというだけで、ぼくは世界がぼくを望まないことも同様にわかっていた。ぼくが知りたかったのは、虹がない、ということはぼくにとってどんな意味を持つのかということだった。光の部屋は虹があるということを主張する部屋の中では最も激しいものの部類だし、ぼくだって敢えてそれに逆らおうとはしなかった。


 扉に向かって、扉は光の部屋においては無意味だと、ぼくはぼく自身にとってぼくの役割が無意味であることを知らせるのと同じように発音したのだった。ぼくの部屋の定義の中に扉は含まれていなかったから。あるいは光の部屋の部屋の定義の外に。当然のことながら光の部屋は扉を一つ持っていた。


 天井に。


 余りにも長いこと佇んでいたせいか忘れてしまったのは座り方で、ましてや首を曲げる必要なんてもう感じないんだった。結論はそろそろ出たかと問われれば、そんなものはいらないよと答えるような。詩編。ぼくはこの文字列を光の部屋が望んでいることを知っている、ぼくが書き出すものは光の部屋の望むものであり、光の部屋が作り出すものはぼくが望んでいるものなのだった。


 アイバン・サザランドがどんなことをいったのだったか、ぼくにはもう遠い夢のようで、きっとそれから何億秒もたって、プランク長さはこれ以上精密に知ることはできないんだよと言われたことを思い出してみたりする。言葉を持つ人は光の部屋の扉を開けてぼくに話しかけるけれど、光の部屋は、ぼくの望まないことを作り出そうとはしないのだった。この中に一度落ちてしまったなら、梯子を一から作るほかないように、ぼくにとって天井の扉は入口であっても出口ではなかった。

 扉を開いた人は、地面に届くまでに無かったことになる。それは明確にぼくが望んでいることで、光の部屋はそれを教えてくれようとする。光の部屋はぼくの望むものを作り出すことはできるけれど、ぼくの望まないことを消すことはできない、できるはずがないけれど、扉を開いて飛び込んできた人は地面につくまでに無かったことになる。それともそんな超自然的な現象はなく、ただ地面に届くということ、そのことがなかったことになるだけなのかもしれない。


 光の部屋がどれだけ広いのかはぼくにはわからないけれど、壁に血がついていたっておかしくはないし、人間が押しつぶされてくっついていたりするかもしれない。ぼくにとってここは光の部屋でしかなく、そうして光の部屋が光っているのは、ぼくが見ようとすることを無意味にするためだと、気付いたときには、扉から飛び込んでくる人はもういなくなっていたのだった。


 光の部屋が光の部屋と呼ばれるのは、光の部屋が光っているからで、光の部屋はぼくの望んだものを作り出す。ディストピアで羊が人を食うように、光の部屋はぼくにとって望まれないもので出来ている。


 それはつまり、虹みたいなものなのだろうと思っている。確かそのようなことを、ずっと前に聞いた気がするのだ。


 光の部屋は汚い場所で、汚いので、光の部屋は自分自身のことを見ないために光っている、と。

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光の部屋 山桜桃凜 @linth

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