夕暮れの中、階段で

第44話 光を見ない少年は、闇に気が付くこともない。



 久々に部室に来た。

 夏休みのはじめ、七月の終わりである。部室に来るまでの道程で人に出くわすことはなく、静かさの中で俺はあの日のことを思い出そうとしていた。

 三週間前のあの日、つまりは初めて先輩のお見舞いに行った日。 

 俺は情けなくも驚きのあまり記憶がなかったので、一緒に行っていた由利亜先輩と花街先生に話を聞いたのだが、

「まさかあんなにも盲腸が酷くなるなんてね~」

「ほっとくとああなるのね…」

 など、どうやら意外にも由利亜先輩も普通に心配しているようで、そんなことにも驚きつつ、あの日のことは俺がぼーっとしている以外におかしいところは何もなかったと説明された。

 おかしいところの話など、聞いてはいなかったのだけれど。

 おかしいといえば、あの日の俺ほどにおかしいものもなかっただろう、それは確かに自分の失態だった。

 その四日後にお見舞いに行ったときにはすっかり管はとれていて、もうすぐ退院できるんですかと聞くと、

「うん! 早く学校に行かなきゃ授業勉強どんどん遅れちゃうよ~」

 すっかり笑顔な先輩は、元気そうな表情とは裏腹に入院着でベットの上から動いたりはしなかった。


「暑い……」

 太陽が中天に差し掛かる時間帯、最高気温になるには少し早いが暑さを実感するにはもう十分に暑い。

部室には冷房がある、しかし俺はそれをつけずにいつもの椅子に座り、冷蔵庫から一本飲み物を取り出して額にあてて涼をとる。

 俺一人しかいない部室は静けさが充満し、なんとなく居心地が悪い。

「帰ろうかな」

 ぽつりと呟いてもひとり。

 外から運動部の掛け声が聞こえてくる。

「この暑いのによくやるなあ」

 先輩が部屋からいなくなり、部室からも消えて三週間。夏は盛りを迎え、人は笑い踊り、先輩はまだベットの上で。



 コンコンと扉が叩かれる。

「どうぞ」

 部屋主として居座っている俺が応える。

 扉を開けて入ってきたのは花街先生。約束していた人物なので、特に驚きもない。

「こんにちは。…暑いね」

 入ってくるなり部室の暑さを訴えられた。「あっ」と声が出る。自分が冷房のスイッチを入れていないことを思い出す。

 机の上に乱雑に置かれたリモコンでエアコンに指示を出す。

 持っていた飲み物は、机の上で残り半分になりながら水滴を垂らして机を濡らしていた。

「窓も開けないでこんなに暑いところで何してるのよ」

 こんなところに来たのは先生に呼ばれたからなのだが、あまり言うと先生に悪いので、

「ぼーっとしてました」と笑っておいた。

「熱中症になるから気をつけなきゃだめよ?」

 熱中症で思い出す。

「ですね。球技大会の騒ぎでこの学校での熱中症はだいぶ大ごとに取り上げられそうですし」

 さすがに倒れた人数が多すぎたようで、ニュースにもなった。自分の学校が全国放送にのるというのは若干興奮するものがあった。

「あー…ごめんねえ…」

 言われてそういえばあの時も俺は学校のために尽力したなと思った、俺えらい。じゃなくて教師陣に妙に感謝されたことと謝罪されたことを思い出し、くわえて、今回呼び出された理由を思い出す。

「ま、まああの時のことはもう終わったことですよ」

 俺の目の前の席に向かい合わせで座り花街先生は、何とも言えない微妙な顔で俺のことを見て、首を痛々しく傾げながら「今回もぉ…」とかすれていく声でうったえてくる。

「とりあえず、話は聞きましょう。それでどうにかなるとは思ってませんけどね」

「うん。だけどお願い、階段から突き落とされた子のためにも力を貸して?」

 今回ばかりは根が深い。まさかの事件に巻き込まれるようだった。


「放課後のある時間帯にかけて、階段をひとりで降りている子が狙われて突き落とされてるんだって。職員室で止められている人数は確認できているだけでも十二人。誰かが悪意を持ってやっているのは明らかなの。」

「悪意なんて大袈裟じゃないですか? 勝手にひとりで転んでるのに誰かに落とされたって騒いでるだけかもしれませんよ?」

「一人で勝手にこけた子が、病院のベットの上で誰かに落とされたんだっていうと思う?」

「思いますね。恥ずかしいじゃないですか、何もないところでこけるって」

「んん……」

「ここですか、十二人だか零人だかが転げ落ちたのって」

 部室を出て、事件現場だか事故現場だかに来ている。冷房をつけて涼み始めた途端こんな暑いところに出ているのだからまったくエコじゃない。

「そう。ここなんだけど、ちょっと暗いでしょ? だから山野君が言ったように自分でこけたんじゃないかって意見が多々あるの。でもなんとなく違う気がして、こうして山野君に手伝ってもらおうと思ったの」

「思っちゃったんですか…」

 これじゃあ一企業の社長職に熱中している兄と、どちらが何でも屋かわからない。俺はいつからそんな社会不適合な職をはじめてしまったのだろう。前回は保健師の真似事をし今回は刑事の真似事か。教師の真似事もしたことがあったな。家庭教師ならなんとでもなるが、刑事になどあったこともない、などと思っていると。

「どうかな。何かわかりそう?」

 俺に過去を見る能力があるとでも思っているのだろうか、

「いやいや、これだけじゃあ何とも言えませんよ。学校の階段なんてどこもこんなでしょ?」

「え…」

 花街先生は黙ってしまう。

 あたりを見回しながら思う。

この先生に、階段から突き落とされたなんて言う過去があるのなら、たかだか十二人のうちの一人が二日入院した程度の軽傷のことでこうも大事にしたがるのはわからなくもない。

 だがまあ、そうは思うが巻き込まないでほしいとも思っていて、自分の甘さを実感する。

 まあ、何かをしているときのほうが考えることが減っていいというのもあって、今回のお誘いを受けたわけなのだが、とはいえどう説得するか。

俺の中では、この事件は単なる個人の事故で片が付いている。

 ではなぜ俺はそれを事故と断定したのか、その理由を考えればいいのか。

「先生、その十二人のプロフィールと事故、事件の順番教えてもらえますか?」

 キョロキョロさせていた視線を花街先生に向けると、

「うん、もちろん!」

 今にも泣きだしそうだった顔が、満面の笑みに染まった。黙っていたのが嘘のように饒舌にしゃべりだす。

 俺はこの時切実に思った。

(あ、俺って巨乳好きなんだ……)


 自分の調教度合いが残酷なまでに進んでいることに気づき、絶望に打ちひしがれることもできないまま、花街先生からもたらされる。事故を引き起こした自業自得な生徒たちの名前と慎重、体重、性別、血液型、住所、果ては持病まで。基本的には聞き漏らすことなくインプットしたが、まだ組み立てることはできていない。

 これはパズルだ。

 花街先生の納得という枠の中に、ぴったりと当てはまるようにピースをはめていかなければならない。

 そして俺にはもう一つ、考えることがあった。

 花街先生の過去。階段に何か恨みでもあるかのようなこの執着の理由。考えるだけなら、まあタダだ。

 この時の俺はまだ、タダより怖いものはないという格言を、馬鹿にしていたのかも知れない。なんて未来予知ができたなら、俺もそうそうこんな事件に巻き込まれてはいない。

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