第18話 追いつけない背中。認めたくない弟。

兄に顔を合わせるのは確かに一か月半ぶりだった。


俺が引っ越しをするとき、兄もその作業を手伝ってくれた。


両親の考えていることはよくわからなかったが、快く送り出してくれたので何も言う事はなかった。むしろ、何から何まで感謝している。「子供の面倒を、親が見るのは当たり前なんだから、たっくんはありがとうって言ってくれればいいんだよ」母はそう言い、父も首肯し同意を示してくれていた。


 どうでもいいが、母は俺のことを小さい時からたっくんと呼び、それが電波し保育園から一緒だった同学年にはいまだに俺のことをたっくんと呼ぶやつもいる。そういうやつとは中学の時も多少なり会話をしたが、三年になるとほとんどが顔見知り程度の関係へと変わっていった。


 閑話休題。


 そんな親の教育のおかげで、多少卑屈になった根性以外は無事健康に育ち、こうして高校に通っているのだが。俺の兄「山野一樹」は俺以上の曲者として育った。


両親は、俺のことを変わり者と称し、その代表例のように知人に話題の種として提供するが、そんな曲者から見て、兄はどちらかといえば気狂いの部類に入ると思う。


母も父もきっと認めないだろう。一樹はいい子だと、とてもまともな子だというだろう。


 しかし、一緒に暮らし、長年、たいていの兄弟がそうするように、幼い時分兄の真似をして育った俺にはよくわかる。兄はたぶん、ほかにはいない部類の人間なのだ。


 右を向けと言われ、左を向くようなひねくれ者や、やれと言われたことをやらず、仕事を増やす愚か者とも違う。どこまで行っても正解にたどり着かないこの問いに、俺の中で一つの解が見つかったのは兄が大学を卒業し、実家暮らしに戻った頃のことだった。


 それまで国立の大学に通うと言って都内に一人暮らしをしていた兄が、四年ぶりに出戻りしてきた。その際、「学士だけじゃ物足りないから博士もとって来た」そう言って卒業証書とともに修了証書を放り投げて俺に渡した。何をしたらこんな数の筒が手に入るのだろうと感心したが、中には大学の免状が一枚ずつ入っていた。通っていたはずの大学とは別の大学の免状に、兄の名が入っているものも数枚あり、正直に恐怖した。


鳥肌が立つとか、背筋が凍るとか、そういうレベルの話ではなく、体の機能が生存のために一瞬止まった。それくらいの衝撃だったし、それくらいに俺は兄に恐怖した。


 たった四年の間に、この兄は人が四年かけてやることを十五通りはしたのだと証明するものが今自分の手の中にあった、


自分にはこんなことは絶対にできないと悟ったし、何よりこんな男の弟などと名乗るのはおこがましくさえ感じた。


 これらを総じて俺は兄のことを、人類に名を遺した博学たちと同列のものだと位置づけることで、自分の存在のちっぽけさを紛らわせた。


 兄が卒業し、帰って来た時、俺は素直に「おめでとう」ということが出来なかった。


 そんなことは、この兄にしてみれば全くおめでたいことじゃなくて、きっと生きていれば通り抜ける一過程でしかなくて……。


 そう思うと両親の発する言葉の数々が何故か虚しく思えて。


居た堪れなくなって、笑いながら酒を飲みかわす兄と両親をおいて自室へ引き上げるほかなかった。





 この男の存在が、俺を実家から遠ざける要因になったことは考えるまでもないだろう。


 右を向けと言われれば、全体の左側に花火を打ち上げ視線がそちらを向くように促すような、そんな奇想天外が、自分の近くにいることに耐えられる人間がどれほどいよう。


 兄は就職活動をボイコットし、大学で学んだ知識をフル活用して個人で何でも屋なる奇妙極まる職業を始めた。大学に就職しろという声はいくつもあり、実際実家にも教授と名乗る人物が説得にきていたが、両親は兄に判断を丸投げ、もとい放任、じゃなくて委ねていたので取りつく島もないと言う風に追い返されていた。


「俺の脳みそで思いつけることならほかの人間の脳みそでも思いつけるよ。それが来年か、十年後か、はたまた百年後かはわからないけどな。誰にでもできることをやっても詰まんないだろう? 俺だけが思いついて、俺にしかできない事をやらなきゃ、人生は短いんだ、やりたいことだけやって生きてもまだやり足りないだろうな。太一も自分の好きなように生きろよ、学問を極めたっていい、俺には性に合わなかったがお前はそういうの好きそうだもんな。スポーツで世界を獲ったっていい、俺には面白さがわからんが、お前は何でもできるからな。創作者になるのだって楽しいぞ、俺には才能がなかったが、お前は絵も描けたよな。それに…」


 そこで言葉が切れて、兄は苦笑いをしていた。


 何故、兄は大学に教授としてはいらないのかと質問した時の回答だった。


 兄は俺を過大評価している節があった。


 テストの度、兄は机にかじりついて勉強していた。俺は平均点を維持し続けたが家でも学校でも、授業以外に勉強してこなかった。


 兄は運動が苦手だった。というか、球技が苦手だった。長距離や短距離の早さは兄には及ばなかったが、球技に関しては、兄はボールに嫌われていた。


 創作、何をもって才能がないと言ったのか、風景画や人物画、模写や写実といった絵画の世界でならば、兄は十分に食べていける腕を持っている。それくらいの賞を俺がもらった。


兄の昔書いた絵を、授業の一環で書かされるはずの作品展に出展し、話が点々と転がりドでかい美術館に飾られた。そこで偉い人の目に留まったらしく、さらにでかい美術館に飾られ、却って来た絵はとてつもなく豪華な額縁に入れられ学校に飾られた。俺の名前で。


 そのことを話したとき、兄は大笑いして、


「俺の絵はそんなにすごいのか」と感心していた。


 兄に出来ないことはない。


 弟として保障しよう。


 こんな兄の弟に生まれてしまったことは、不幸でしかないと思う。


 この年になれば他人に比べられることはないが、どうしても自分から見比べてしまう。兄さんはこの年にはあれをやった。兄さんならもっとうまくやった。兄さんなら、兄さんなら…と。


 子供のころ、そんな人物に憧れた俺の目はとても鋭かった。そんなふうにお茶らけなければやってられない。


 今対面して、なんとなく、またこの人はすごくなったのだと分かった。


 どこまでも先に行ってしまう。


 追いすがっている人間を、歯牙にもかけず、先に先に。


 目では到底負えない速度で、歩いていては絶対に追いつけない速さで、ゴールの見えない階段を駆け上がっていく。


 俺はその光景を、見て、蹲る。


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