第36話 策略の間
アイアンが口を開いた。
「私は自分の心の全てを理解しているわけではない。もちろん他者から認められたいと思っているし、手に入れることで得られる利権にも興味がある。
だが私の“望み”の第一義としてあるのは、巻物に書かれた内容だ。
皆も感じているだろうが、我々魔法使いは衰退の一歩を辿っている。時代は迷信や魔法、目に見えない力から目に見える力、立証できる力へと価値を移していっている。
我々もその事実に向き合う必要があると思うのだ。私はそういった意味であの巻物を欲している。あれは我々魔法使いが科学に向き合った証拠なのだよ。
あそこに我々の生きる道が記されていると思うのだ。あれを研究し、我々の生きる道を模索したい。これで答えになっているだろうか?
ペルソンヌ殿。」
ペルソンヌは丁寧にお辞儀した。
「十分でございます。」
ペルソンヌの言葉に重なるように、乾いた笑いが漏れた。皆が声の方を振り返ると、どうやら笑ったのはイランガのようだった。苦笑を漏らすイランガは呆れたように言った。
「魔法使いの種の保存か。
そんな大義は、最後に叶えられるのだ。
お前に我々の将来を憂いてもらう必要はない。そんなことを考えられるのは、毎日の暮らしが保証された者だけだ。富める者よ。
お前の戯言は、崇高ではあるが、目の前の現実から
イランガはペルソンヌに向き合った。
「ペルソンヌ殿。
私は、それを使って戦いに勝利したい。その巻物の力と、付随する影響力でもって我が土地を解放したいと考えている。」
誰もがイランガに視線を向けた。
「お前、ケープの…」
警戒の色を滲ませ、呟いたのはジェフだった。ふん、と鼻を鳴らしイランガは冷たく言い放った。
「安心したまえ、私はイギリス側だ。
今のところはな。」
カーライルは我が国が抱える大きな問題を目の当たりにした気がした。ケープはアフリカ大陸南端の我が国の植民地だが、あそこは資源獲得のために何度も周辺とやりあっている。つい数ヶ月前にブール人(オランダ系)の国と開戦し、現在も交戦中だ。
ブール人の国は黒人奴隷解放に反対姿勢を示していたが、それもあって彼はイギリス側についているのかもしれない。だが彼らアフリカの人間からすれば、イギリス人もブール人もどちらも外から来た簒奪者に過ぎない。
カーライルは軍隊に志願したことは無いが、間違いなくイランガは欧州の醜い争いに引き摺り回されていることは想像できた。
「ペルソンヌ殿、これでよろしいか?」
「十分でございます。」
「私も同じようなものだよ。」
アルバートが落ち着いた口調で告げた。
「私はアイルランドの人間でね。」
彼の言葉に、一同が息を呑んだ。カーライルは突然、彼の人相に既視感を覚えたが誰かまではわからなかった。どこで会ったのか思い出せないのだ。だがおそらく政界の人間だと思えた。彼が本当にアイルランドの人間だと言うならばイランガではないが、その
アイルランドの問題は根深く、たびたび我が国からの独立を試みているが、その悲願は今も果たされていない。あそこはケープよりも古く、因縁のあるイギリスの植民地と言ってよかった。
カーライルは思わずため息を漏らしそうになった。まさかここまでの思惑を持って、人が集まるとは思っていなかったのだ。
最初の望みの方が、よっぽど素朴で理解しやすかったと思う。
「私の望みは理解して頂けただろうか?」
「十分でございます、アルバート様。」
残りはカーライルと隣に座るベネディクトだった。ベネディクトは手を挙げ、ただ一言告げる。
「私には助けたい人がいるのだ。」
皆がベネディクトを見つめた。そのような者がいてもおかしくはないだろう。あれはあらゆる病を治す霊薬なのだ。
ペルソンヌはじっと彼を見つめ、そのようですね、と呟いた。
ついにカーライルの番が回ってきた。
カーライル自身はゲイリー同様、巻物になど微塵も興味は無く、ここへ来た目的は父を呪った犯人を見つけることにあった。しかしこれをペルソンヌにペラペラ言い当てられては犯人の警戒しか生まれず、見つかるものも見つからない。どうにかカーライルの思惑を彼から隠そうと考えていたが、ついに時間切れが来たようだ。
カーライルは口を開いた。
「私は正直、巻物自体に興味がない…」
カーライルは口を噤んだ。
突然黙り込んだ彼に周囲の注目が集まるが、カーライル自身はそれどころではなかった。彼らの反応から見ると、それが聞こえたのはカーライルだけのようだ。
つまりドリーたちの身に何かがあったに違いない。どくどくと心臓が脈を打ち、嫌な汗が噴き出る。
「カール…顔色が悪いわ。
あなた、大丈夫なの…?」
フェイスの言葉にも反応できず、カーライルはただ耳の奥の声に集中した。
カーライルの頭には、エレクトラの名を叫ぶ女性の声が響いていた
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