第7話 マクシムにて(2019/12/29改稿)
予定通り2人はトニーの操る馬車に揺られ、2月3日の土曜日の早朝に出発した。
「ねぇやっぱり馬車があると便利だと思わない?快適に遠くまでいけるもの。」
一度追い出されかけたメアリだが、レイモンドのおかげで首の皮一枚繋がったことと、昨日一日で気持ちもすっかり回復したらしく再びめげずにドルイドに話しかけていた。
しかしドルイドはまともに取り合うつもりはなかった。彼女を追い出すと決めたからには、これ以上の馴れ合いは不要である。
そうしてメアリを邪険に扱っていると、彼女も口数を減らしいつの間にか眠りについてしまった。
それもそのはずで、エイミの話によるとドルイドが出かけてから戻ってくるまでずっと荷造りをしていたらしい。屋敷を出る準備かとも思ったがどうやらそうではないようで自分の衣装をすべて出して、ロンドンで何を着るかを一日中悩んでいたらしい。行先はあの社交会館であるから、もしかすれば舞踏会に出る機会もあるかと思っているようだ。
馬鹿らしいとも思ったが、眠りにつく彼女を見て一笑にふせない点もあった。
というのもレイモンドが教えてくれたことだが、彼女はドルイドが目覚めぬ間ほとんど寝ずの番で傍についていてくれたという。それを考えると疲れがたまっているのは仕方のないことだった。
ドルイドは安らかに眠るメアリから視線を反らし、窓の外を眺めて溜息をついた。
マクシムには予定通りお昼前には到着した。
馬車から降りて建物を見上げると、何度かこの会館の前を通過していたことを思い出した。だがドルイドには縁のない場所だったので気にしたことがなかったのだ。
フランス風の優美な白亜の建物は、他の追随を許さない風格を持ち合わせていた。
このどこかに例の幽霊がいるのかもしれない。ドルイドは建物全体を見渡し、さっそく気配を探ろうとする。だがここで突然彼女を呼ぶ声があった。
「ドリーかい?」
ドルイドは声につられて顔を向けると、少し驚きの表情を浮かべた紳士が立っていた。
「カーライル…」
間違いがなかったことがわかり紳士は安堵の表情を浮かべる。まさかこんなところで会うとはドルイドも思っていなかったので驚いてしまった。仕立ての良いオーバーコートを着込んだ彼は帽子の
近づくと帽子の影からは茶目っ気のある緑の瞳が微笑んでいるのがわかった。年齢としては確かドルイドと同じくらいかそれより少し上だった気がするが彼のきらきらと光る瞳が彼に生気を与え、若々しく見せていた。
「久しぶりだね、ドリー。元気そうで何よりだ。今日はシティーまでお出かけかい。」
「まさか。仕事の関係でこちらに来ているの。」
相変らずの調子で答えるドルイドの言葉に、カーライルの目が見開かれた。
「そうなのかい。相変わらず忙しくしているようだね。」
ドルイドは曖昧な笑みを浮かべる。あまり仕事について詮索されたくないドルイドは彼に質問で返した。
「あなたこそどうしてここに?
あなたの屋敷は確かウェストエンドにあったと思うけれど。」
「私も仕事みたいなものさ。」
カーライルも軽く答える。ここで馬車から降りたメアリーが追いついて来た。
「私の姉のメアリーよ。」
ドルイドが紹介するとカーライルも笑みを浮かべて挨拶をした。
「初めまして、メアリー嬢。
私はカーライル・ディギンズ。
以前、妹さんにお世話になった者です。
ドルイド嬢にこんな美しい姉君がおられるとは思いませんでした。」
メアリは少し驚いたようだがすぐに愛想のいい笑みを浮かべる。
「ごきげんよう、ミスターディギンズ。
では以前の妹のお客様かしら?」
「そのようなものです。」
カーライルは朗らかに笑った。
メアリは物問いたげにドルイドを見たが、何も答えずに受け流すことにする。
「ここに用があるのかい?」
カーライルはマクシムを見上げた。
「ええ。今到着したところなの。約束があるからもう行かなければ。」
「それは呼び止めて悪かったね。お仕事の成功を祈っているよ。何か困ったことがあれば私でよければ力になる。遠慮なく言ってくれ。」
「ありがとう。お言葉だけ頂いておくわ。
お父上にもよろしくお伝え願えるかしら?」
ドルイドの言葉にカーライルは苦い笑みを浮かべ、もちろんだ、と言ってその場を去って行った。
カーライルの後ろ姿を見送り、ドルイドがマクシムに向かって歩き始めたところでメアリはすかさず尋ねた。
「彼は誰なの?」
「自分で言い当ててたじゃないの。
以前の客よ。」
「彼はそうとは言っていなかったわ。しかも客にしては親し気だったじゃない。」
食い下がる気だと感じたドルイドは仕方なく彼について説明することにした。
「正確には彼の父親が私の客だったの。
彼はどうしても父親の後は継ぎたくないと言って放蕩息子を演じて行方をくらましていたのよ。私の仕事は彼を見つけることだった。」
「後を継ぐって、家業?それとも爵位?」
メアリは彼のいで立ちを思い出して尋ねた。少なくとも紳士階級に見えた彼は貴族なのかもしれないと思ったからだ。
「両方よ。彼はブロムトン子爵の長子で、聞いたことないかしら?
ディギンズー族を。
私たちの同胞よ。」
メアリはいろいろ驚いてしまって思わず彼が去った方向に目をやる。
「ブロムトン子爵!ディギンズ一族!
彼も魔法使いなの?」
「ええ、そうよ。」
メアリはもっといろいろ尋ねたいと思ったが、時間切れとなってしまった。
ドルイドたちの到着を知ったモレル氏が会館から飛び出すように出て来たからだ。
館内に通されると、明日に行われる舞踏会の準備で従業員たちが
ドルイドはそんな彼らとは少し距離を置いて建物の内観を観察した。壁にはルネサンスから印象派まで様々な絵画が飾られていたが、それもコレクションのように敷き詰めるのではなく間隔を置いて飾られ、この会館を引き立てる装飾品として一役買っている。ドルイドはモレル氏の審美眼を好ましく思った。
そしてついに目的のボールルームへと到着すると、メアリは感嘆の声を上げる。
天井は驚くほど高く優美で、つるされた豪華なシャンデリアにはまだ灯りは入れられていないが、それでも窓から入る日の光に照らされてキラキラと輝いていた。
柱や壁も細部まで装飾が施され、その壮麗さは見る者を圧巻させる。
また古い建物のはずなのにしっかりとメンテナンスが行き届いていて、モレル氏がこの会館をいかに大事に思っているかが伝わってくる。メアリも興奮を抑えられないようにため息交じりにドルイドに呟いた。
「なんて素敵なの。こんなところで踊れたら夢のようでしょうね。」
モレル氏は誇らしげに彼らに言った。
「建物自体は私の祖父の時代に建てられたものですが、しっかりと今の流行りを察知して取り入れるようにしているんですよ。
シャンデリアも今売れっ子のデザイナーに依頼したものが届いたばかりでして。
私の祖父はもともとフランス出身ですが一念発起してイギリスに移住してこの会館を建てたのです。私の母はイギリス人ですが、父が誇りを持って私にフランス系の名前を付けてくれました。」
この名前のおかげで感情表現が豊かでも周囲からは責められませんでした、と茶目っ気たっぷりに言葉を添える。
「素敵だと思いますわ。」
メアリは笑顔で答えた。ドルイドはひとつ咳払いをして尋ねる。
「このホールが例の場所ですか。」
モレル氏はさっと色を無くす。ドルイドはそれを哀れに思ったが仕事なのだから仕方がない。
「はい…そうです。ちょうどあのあたりで…私は気づいたのです。」
モレル氏はホールの中心から少しそれたところを指さした。
「どうぞ連れて行って下さい。」
ドルイドが手を差し出すと、モレル氏は少し戸惑いを見せてから彼女の手をとり、ダンスホールの中央へと彼女を
「確かこの辺りです…」
そう言ってモレル氏が手を放すと、ドルイドは全体をゆっくりと見渡した。意識を建物全体に広げ、気配を探していく。
「あれは何をしているのですか?」
メアリの傍に戻ったモレル氏が尋ねる。
「おそらく、そのダンサーを探しているのだと思いますわ。」
「なんと!」
モレル氏は驚いてドルイドを凝視する。珍しいものを拝んでいるのだというように片時も目を離さず興味津々でドルイドを観察している。
「そんな簡単に見つかるものなのですかね?」
モレル氏がメアリに尋ねた。
「さぁ…私からは何とも…。」
しばらくして彼女がこちらに戻っくると、モレル氏が期待の目でドルイドを見つめたが、彼女は首を横に振った。
「その紳士は今はここにはいませんわ。」
一気に沈んだ空気が立ち込める。メアリは沈黙を払うように口を開いた。
「館の記憶は探ったの…?」
「ここの記憶は膨大過ぎるの。だから私はそれを見る感覚は閉じているのよ。開けば私は発狂するかもしれないわ。」
それはいけないわ、とメアリは自分の提案を恥じた。ドルイドはモレル氏に視線を戻して尋ねた。
「お話できる場所はあるかしら。いくつか相談したいことがありますの。」
モレル氏は何度も頷き、どうぞこちらへ、と皆を誘った。
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