森の住人

第1話 病める人

 ドルイドはそれを見ては再び溜息を突いた。今さら後悔しても仕方ないが、メアリならばそれくらいやってのけることがどうして想像できなかったのだろう。もう少し彼女のそわそわした様子や何か興奮気味にフィリック夫人と話している姿に注意を向けていれば気づかないはずはなかったのに。





それは土曜日の、つまり昨日の出来事だった。ドルイドがいつも金曜日は屋敷を留守にすることはここの人間は誰もが知っていて、メアリはその隙をついたのだ。そうして土曜日にドルイドが屋敷に戻ると居間が様変わりしていた。いや、はたから見ればそれほどの変化はなかったのかもしれない。

しかしここ10年間の生活で言えばそれは劇的な変化と言えた。ドルイドが戻って居間に入ると、それはすぐに目に飛び込んで来た。不覚にも一瞬目を奪われてしまったがすぐにいつもの冷静さを取り戻すと踵を返して居間を出た。メアリを見つけたらすぐに片づけるように言わなければならない。

暖炉の火に照らされてきらきらと輝くもみの木クリスマスツリーは間違いなくこの屋敷には不釣り合いと言えた。





結局屋敷の主人であるドルイドの意向は無視された。そしてついに明日はクリスマスと差し迫る中、撤去できなかったクリスマスツリーを見てはドルイドは溜息を突いた。そんな妹についにメアリは口を開く。


「リースやツリーを見て溜息をつく人なんて初めて見たわ。

明日はクリスマスですもの。これくらいの飾りは許してもらわないと。

私、毎年クリスマスの飾りくらいはしているだろうと思っていたのよ。

だからジェイクに尋ねたの。

もうクリスマスは近づいているのにどうして準備をしないのって。

そうしたら彼ったら、ドルイド様はそういったことは一切なさりません、って言うじゃない。私驚いてしまって言葉も出なかったわ。

どうして私たちがクリスマスを祝わない理由があって?」


ドルイドは眉間にそっと指をあてて俯く。


「ちゃんとお祈りはしているわ。クリスマスの飾りなんて最近の流行じゃないの。私はその日の本来の意義は理解しているわ。」

「最近と言ったって私たちが生まれた時にはこうやってお祝いしていたじゃないの。でもよかったわ。こんなこともあろうかと思ってたくさんオーナメントを持ってきておいて。」


メアリから何度か聞く、こんなこともあろうかと、というセリフはドルイドを何度も恐怖におとしいれる。いつだってそれはドルイドの安寧あんねいを乱すのだ。


「もみの木はどこから持って来たの。」


ドルイドは冷たく尋ねる。


「あらフィリック夫人にお願いしたら旦那さんがすぐに持ってきてくれたわ。

いつも所帯を持たれたお子さんたちのために何本か森から切り出すそうよ。

そのうちの1本をもらったというわけ。」


フィリック氏は確かベンバリー男爵には森の木をり出す許可は得ているはずだ。勝手にメアリが森から引っこ抜いてきたわけではないようだと内心安堵する。まぁそんなことがあればジェイクが止めるだろうが。

そんなドルイドの心配もよそにメアリはクリスマスツリーの傍をうろうろと歩いて1人で興奮している。


「七面鳥も手に入ったし、ミートパイも用意するわ。クリスマスプディングは毎年フィリック夫人が持ってきて下さるそうね。

今年も約束してくれたから大丈夫よ!

ああ明日が楽しみね!」


そう言ってメアリは笑顔をこちらに向けてくる。ドルイドは無言を貫いた。するとメアリは見る間に肩を落とした。


「怒っているのね。」

「怒っていないわ。」

「いいえ、怒っているじゃないの。

でもねドリー、聞いてちょうだい。

ここにはこういったものは必要よ。

フィリック夫人もエイミもトニーだって喜んで手伝ってくれたわ。」


本当はジェイクも手伝ってくれたが、ここでは言うまいとメアリは名前を出さなかった。メアリの言葉にドルイドは顔をあげる。


「そういえば姉さん、トニーのことだけれど、クリスマスが終えたら彼にはここを出て行ってもらうわよ。」


メアリはぎくりとして困惑気味に口を開く。


「トニーのことを黙っていたことは謝るわ。」


トニーが昔から本家に仕えていた者のせがれであることを黙っていた件だ。

ドルイドの意思に反して本家から2人もの人間を招き入れていたことになる。


「トニーは何も悪いことはしないわ。を知らないもの。

ここへ来たのは本当に御者ぎょしゃの仕事を務めるためよ。彼が本家に情報を流したりすることはないわ。」


ドルイドは鋭くメアリを睨む。


「もちろん私もよ。」


ドルイドは目を閉じて溜息をついた。


「姉さん、私はその件は心配していないわ。私はいつだって彼が不都合なことを話さないようにできるもの。ただここの生活に彼は必要ないというだけよ。」


さすがにクリスマス前日に追い出すのは気が引けた。せめて先週に戻せばよかったと思うが、ジェイクが楽し気に彼と仕事をする姿を見ているとその決断ができなかったのだ。

ジェイクも昔馴染みの息子とは共通の話題も多かろうと思えた。

それでもいつかは帰ってもらわなければならない。ここでは馬車を必要とする生活はしていないし、御者への賃金など払えないのだ。もし本家が払ってくれていたとしても、馬車や馬の維持費のこともある。

そしてメアリにああは言っていても、やはりドルイドは本家に近しい者をこれ以上ここに置いておきたくなかった。


ドルイドはゆっくりと顔を上げてクリスマスツリーを見る。

たくさんの美しいオーナメント。

温もりのある木製のかわいらしい人形やガラス製の天使たちが暖炉の火に照らされている。それを見ているとドルイドはここがどこなのか忘れてしまいそうになるが、それは許されいことなのだ。


「……ここにいる者は不幸になるわ…」


ドルイドの言葉にメアリはわずかに目を見開いた。


「ドリー…」


メアリがそっとドルイドに近づいたところで突然大きな物音がした。それは何か重いものが階段をずり落ちたような音だった。

はじかれたようにドルイドは玄関ホールに駆け出す。メアリもすぐに後を追った。


「ジェイク!!」


階段のたもとに横たわるジェイクを見てドルイドは叫んだ。彼の傍に駆け寄り、彼の乱れた前髪をかきあげて彼の名を呼ぶ。


「ジェイク!ジェイク!ああ…起きてジェイク!」


ジェイクがせき込んだ。ドルイドは息があることを確認すると、次は急いで外傷がないかを調べた。そして次の瞬間には玄関の扉に向かって駆け出していた。


「グェンダル!!」


扉を開けた瞬間にドルイドは叫んだ。

その声を聞いてメアリは屋敷の中が何かに圧迫されるような、うねるような気配を感じた。何が起こっているのかわからず狼狽するメアリをよそに、ドルイドは再びジェイクのもとに駆け戻って、呼吸や脈、頭を確認する。


「ジェイク…目を覚まして…私がわかる?

ジェイク…!」


ジェイクは朦朧もうろうとする意識の中、何とか、お嬢様…と呟いた。その声は弱々しく、喘鳴ぜんめいを伴うものだった。


「レイモンドさんを呼んだ方がいい…?」


メアリは何とかそれだけを言葉にする。


「もう呼んだわ。」


ドルイドはジェイクから目を離さずに答える。メアリがその言葉に目を見開くと、玄関扉が勢いよく開いた。


「ジェイクはどこだ。」


息を切らしたレイモンドが現れた。


「ここよ。恐らく意識が遠のいて階段から滑り落ちたみたいだわ。怪我はしていないようだけれど、熱が高いの。呼吸もおかしいわ。」


ドルイドの説明を聞きながら、レイモンドの身体を確認していく。


「とりあえずベッドに運ぼう。

ドリー、部屋を整えてくれ。メアリーさんは私の鞄を持ってきて下さい。」


そう言ってレイモンドはジェイクを横抱きに抱え上げた。いくらジェイクが細身だとは言え、大の男を軽々と抱え上げるレイモンドにメアリは驚いた。おそらくここへも走って来たのだろうが、レイモンドへの屋敷は普通に歩けば20分はかかる。

それを事が起こってものの数分でたどり着いたのだから彼の身体能力が想像できた。

ドルイドは先んじて階段をのぼっていく。

メアリはいつの間にか足元にあった黒い大きな革製の鞄を抱えた。

おそらく医療器具が入っているのだろう。

ずっしりとしたその重みが、はじめてメアリにことの重大さを伝えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る