不老不死にサヨウナラ

人間は必ず死ぬ。おそらく、成人した人間ならば、殆どが承知の事だろう。私は人間である。これも、当たり前の事。人間の両親から生まれたのなら、必然的に人間であるだろう。


では、人は必ず死ぬ、という結論は、果たして当たり前の事なのだろうか?論理的には、そうなのだろう。しかし、それは人間の見える視野内での経験から導き出した、一種の経験則であるとか、推論に過ぎないのだ。……暴論だろうか?


しかし俺は、そんな当たり前の常識を、反証出来る存在だった。簡潔に言うならば、不老不死。まあ、これもあくまで推論の話。やがては俺も老いるかもしれない。死ぬかもしれない。ただ、現状の話をさせてもらえば、俺は不老不死だった。両親は、歳を重ねて、腰が曲がり、耳が遠くなっていくような、普通の人間だった。ならば、俺も、人間ではないだろうか。しかし世間の意見は違ったようだ。イレギュラーは、弾かれる。当たり前の話だ。人間社会には、秩序というものがある。俺は、人間として扱われなかった。ただし、随分と歳を重ねてから。




若いうちは、ごくごく普通の人間だった。普通の人生を送りたい、という夢を持っていて、嬉しい事にそれは暫くの間叶った。また幸運な事に、心の底から愛する人を見つけ、結婚し、多くはない給料で、慎ましやかに、それでも幸せに暮らしていた。


生まれてから40年。妻が病気で死んだ。元々身体の弱い妻だった。俺は悲しみ、彼女の事を今でも引きずっている。それほどに、素敵な人だった。


生まれてから50年。同じ年頃の同僚の、苦労話についていけなくなった。最近病気がちだの、白髪が増えただの、髪が薄くなっただの、そんなとりとめもない笑い話だ。どれも俺にはピンとこなかった。俺は何十年前と変わらぬ姿を維持しており、病気一つ経験しなかった。お前は良いよなあ、とか、どんな健康な生活送ってるんだ、今度教えてくれ、と言われた。教えるような事など何もしていないのに。


生まれてから60年。依然、病気一つ無い健康体。だんだん、周囲の目が変わってきた。そりゃあ、60の男が、まるで20代のような容姿でいるのだ。変じゃないか、と思うのも無理はない。歳をとっているのに、見た目が若い人を知っていたので、今まで深刻に考えていなかったが、ここら辺りから自分に違和感を持ち始める。


生まれてから70年。会社を辞めた。特に老化による疲労とかは無かったが、周囲の好奇なのか、疑惑なのか分からない瞳に耐えきれなくなった。それからは、引っ越して、なるべく人目のつかないような暮らしを送った。


生まれてから90年。テレビの取材が来た。話題になると面倒そうなので、断っておいた。下火のテレビが盛り上がる、最高のネタなのに、とディレクターさんは残念そうだった。長らくまともに人と関わっていないせいか、少し話をしただけで、まともな人だと思いこんだ。後に起こる事を考えれば、無警戒、と言う他ない。


生まれてから91年。挨拶くらいしかしないような間柄の人から、俺がテレビに出ている事を知った。そんな話は聞いていないが、俺に気づかれないように、遠くから撮影でもしていたのだろうか。人を安易に信頼すべきでは無かったかも、と今更悔やんだ。


生まれてから92年。20代の男性の姿そのものの老人が物珍しいのだろう、テレビに映って以降、よく人がカメラを持って家に来るようになった。なんだか生活全てを監視されてる気分だが、まあこんな事も長くは続くまい、と静観するようにした。


生まれてから100年。珍しい物見たさに家に来ていた人間は居なくなったが、代わりに役所から人が来た。いや、以前からも良く調査のような事をしに、役人から話を聞かれていたのだが。年齢と外見が一致していないので、役所としても難儀なものだと思う。役人に、来て欲しい場所があると言われた。一度は断ったのだが、少し脅迫じみた事を言われ、渋々付いていく。


生まれてから101年。着いた場所は、まるで研究施設だった。そこで、身体の隅々まで調査された。注射も刺された。白衣を着た科学者らしき人が、書類を見て唸っていた。ありえない、と呟いていた。


生まれてから102年。俺の身体は、まるで博物館の展示品のように、様々な人種の人達に調べられた。ひとしきり調べた後は、皆一様に首を捻っていた。食事は美味いし、外の空気も吸えるし、娯楽も充実しているのだが、まるでモルモットみたいだと思い、解放して欲しいと頼んでみたが、通らなかった。


生まれてから106年。外の世界の様子は分からない。鏡を見るが、一向に老けている様子が無い。普段面倒を見てくれる人が、日を重ねる度に、白髪が増えていく。今日はどれくらい増えたのかな、なんて数えるのが、ここの生活での楽しみになってしまっていた。


生まれてから111年。ようやく解放された。しかし施設を離れる時、あなたはおそらく、人間という区分では扱われないでしょう、と言われた。どういう事かと聞くと、あなたを人間とすると、我々の常識という足場が崩壊する、分かって下さいと頭を下げられた。


生まれてから112年。時折施設の人がやって来て、俺の身体の検査をした後、食料や物資を渡してくれる。見知った顔もやって来たが、また一層老けていた。


生まれてから120年。これまで食料を送ってくれていた施設から、我々は経済的に危機であり、もう支援は送れない、と言われた。どうしたものか、と悩んでいると、後日別の研究施設の人間が来るとの事である。


生まれてから121年。ろくなもんじゃない。新しい研究施設は最悪だ。カメラを飲み込まされて、しんどい思いをしても、まともな娯楽一つありゃしない。また、調査の仕方が乱暴だ。人体への配慮がまるで無い。俺が人間じゃないからだろうか。


生まれてから……ええと、何年だっけ。そうだ、125年くらいだ。最近似たような光景、似たような事ばかり。退屈というのは辛い。長く我慢していたが、そろそろ限界になって、俺は脱走を試みた。これまで一度も面倒事を起こしていない模範生だったからか、警戒が薄く、すんなり成功した。


生まれてから130年くらい。脱走した後は、山奥で暮らした。開拓が進み、身を隠せるような深い森なども殆ど無かったが、なんとか見つけてそこに住んだ。以前そういう生活をした事があるからか、そこまで不便を感じなかった。


生まれてから150年。もはや年月を数える事だけが、人と関わりを持たない俺の、唯一の楽しみと言っても良かった。空は濁って、星は見えない。動物達も、あまり見かけなくなった。その時、まるで花火のような、いや花火と呼ぶにはあまりに暴力的な、赤い光を空に見た。光はやがて、どこか地上に降り注いだ。


生まれてから152年。どうやらあの光は兵器だったようだ。山から見える街並みに、人影など一つも無い。まるで、地球上に俺一人しかいないように感じた。


生まれてから155年。自殺を考え始める。しかし、すんでの所で恐怖を感じ、ついぞ実行に移せなかった。


生まれてから168年。何か大きな光が、空へ向かって飛んで行った。ロケットか何かだろうか。正体を突き止める気力も無かった。


生まれてから170年。ついに、誰もいなさそうだったので、街に降りてみた。空っぽのコンビニで、本を読んでみた。所々読めない漢字があり、ついに老いが来たのかな、と少し嬉しくなった。新聞には、外交のややこしい問題だの、戦争がどうのだの、色々書かれていたが、代わり映えしない日常から、いきなり情報が乱れ混んで来たので、頭が痛くなってしまった。


生まれてから171年。それから街に住み始めた。水道も、電気も無いので、中々骨が折れるが、それでも今までの生活よりかは便利に感じた。偉大かな、文明の利器。


生まれてから179年。インターネット社会の発展からか、本があまり出回っていないのか、情報を仕入れるのが大変だ。暇つぶしにはなった。


生まれてから180年。一人の女性に出会った。まさか人が居ると思っておらず、お互いに驚きの叫び声を上げた。それから夢でも見ているのだろうか、と互いに落ち着かない様子で、話をした。彼女からは、色々な事を聞いた。彼女は現在30歳。全人類は、度重なった戦争、地球に接近している隕石などにより、ロケットに乗り込み、新たな船出を決意したと言う。ではなぜ彼女が此処にいるのかと言えば、ロケットに乗船する事を拒否したらしい。彼女は、人が嫌いだった。何度も人に裏切られ、そんな人間と共に生きるならば地球と共に滅びたい、とは彼女の談だ。良い選択をした、とも言っていた。

それから俺の事を話した。現在180歳の不老不死であり、研究施設から脱走し、人と関わらなかったため、戦争の事もロケットの事も知らなかったのだ、と正直に話したのだが、彼女には嘘が下手ですね、と笑われた。

俺は、自分が不老不死ではないか、と疑いを持った時から、なるべく世間から離れて生きてきた。だから、彼女とは案外話が合った。こんな人は初めてかも、と彼女は楽しそうに言ってくれた。彼女は、妻に似ていた。


生まれてから200年。彼女に、老いが目立つようになった。何度も聞き返すようになり、食事も喉を通りにくくなっている。あいも変わらず、俺の姿はまるで変わらないし、身体はピンピンしている。もしかして、不老不死は本当の話なんですか?と彼女が嬉しそうに聞いてきたので、もちろん、と笑って返した。


生まれてから203年。彼女が死んだ。一度病気にかかると、もう治せない。医者など、いやしない。彼女は一言、ありがとう、最後に会ったのが、あなたのような人で良かったと言うと、亡くなった。俺も、ありがとう、と言った。何度も、何度も。彼女が、もう動かなくなってからも。彼女との日々は幸せだった。心が揺れ動いて涙を流したのは、一体何年ぶりだろうか。


生まれてから……さあ、もう何年になるかな。彼女が死んでから、年を数えるのを止めてしまった。地球に接近しているという隕石。来るなら早く来てほしいものだ、と思った。


やがて、一等星ですら姿を隠すような、濁ってくすんだ空に、星が見えた。眩しく輝くその星は、美しく煌めいて、こちらに向かって来る。何もかもをも吹き飛ばす、隕石だろう。轟音が、全てを揺らす。死が、近づいて来る。怖かった。怖いと同時に、安堵した。これで、終わりだ。全てが、終わる。ふう、と息を吐き、俺は寝転んで空を見上げた。星の光が、上空全てを包んだ。俺は目を閉じる。夢を見よう。幸せな夢を。妻と共に過ごす夢。誰も居ない地球で出会った彼女と、笑い合う夢。色鮮やかな情景を思い浮かべながら、俺は眠った。人は、夢を見る。ある時は不安を映し、ある時は、明るい世界を描き出す。俺は生まれて初めて、瞳を閉じて夢を見た。

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