継目

新開ゆうき

第1話

サルラ大陸の西側にロパという港街があった。港は常に活気に溢れ、街の市場には様々な露店が並び、住民や観光客で賑わっていた。


イヴは中年の主婦だった。彼女の息子は既に成人し数年前に遠く離れた都市部へと移り住んでいた。息子が家を出た後は漁師の夫と二人で暮らしていた。イヴは最近までずっと家事手伝いの仕事をしていた。しかし、年齢からなのか精神的からなのか以前のように仕事ができなくなり、辞めた。イヴは老いと共に何かが変化していくのを感じていた。夫への気持ちはとうの昔に冷めていた。彼がどこかで遊んでいようと、気にもならなかった。夫婦の間に会話はほとんどなく、二人でいても、一人でいるのとなんら変わらなかった。


貧しい訳でもなく、不幸でもなかった。でも幸せでもなかった。このまま現状を保ち続ければ、生活で困ることはないだろう。ただそれが不安だった。変わることのない毎日とその後の未来を考えないようにしていた。でも、時折それらが頭から離れなくなるときがあった。頭から無理に離すとそこにはただ虚しさが残った。


陽光は容赦なく降り注いでいた。イヴは市場に来ていた。人混みをかき分け、夕食の材料の買い出しに来ていた。途中、小物品を扱う露店に立ち寄った。そこで、イヴは好みの手鏡を手に取った。慎重に鏡面を気にしながら扱ったが、一瞬、映る自身の顔が視界に入った。すると、イヴはすぐにそれを元へ戻した。


「イヴさん、こんにちは!」

明るく耳当たりの良い声だった。市場の数ある露店の中にワルターと言う青年が1人で切り盛りする八百屋があった。彼はとても感じが良くいつも笑顔でいた。いつも立ち寄ると彼と若干の会話をする。それがイヴの楽しみだった。ワルターはイヴの息子と同じような年齢だった。彼は15歳の時、両親を事故で亡くしていた。そして両親の商売を継いだ。彼は悲しさや辛さを一切他人に見せない。イヴは彼の強さが好きだった。そして、彼と短い時間でも会話すると、その強さを分けてもらえるような気がしていた。


「疲れた顔をしていますね、何かあったのですか?」


ワルターは心配そうな眼差しでイヴに聞いた。イヴはそんなことはないとすぐに微笑んだ。しかし、ワルターは未だにイヴを心配そうに見つめていた。彼は荷袋に野菜を詰め始めた。その過程でイヴは彼の腕を見た。日に焼けた筋肉質な腕には血管が浮き上がっていた。荷袋を受け取ると礼を言い露店を離れた。


イヴは自宅の方角へと人混みの中を進んでいた。突然そう遠くない所から女の悲鳴が辺りに響いた。そして、人々の流れが変わった。それはどよめきとなり、何かとても恐ろしいことが起きているとイヴは感じた。イヴは逃げ回る人々の中に1体のミノタウロスを見た。それは大きな斧を手に立っていた。斧は血に染まり、切れ端からは新鮮な赤い液体がぽたぽたと落ちていた。ミノタウロスの周りには血溜りがありそのすぐ近くで数人が倒れ込んでいた。ミノタウロスは咆哮をあげた。それは何かに絶望しているようだった。ミノタウロスは視界に映る人々に無差別に斧を振るい始めた。ミノタウロスの斧は軽々と人々の腕や首、胴体を切断した。逃げ遅れた犠牲者に悲鳴を残す暇はなかった。イヴはその場に立ち尽くし、その光景をじっと見ていた。その場から逃げるということを忘れていた。逃げる理由が見つからなかった。ミノタウロスはイヴを視界に入れると、突進するように斧を振り上げ迫った。イヴはようやく身に迫る危険を感じた。もう逃げるには遅すぎた。イヴは覚悟したように諦めた。


迫り来るミノタウロスは全身の力を急に奪われたかのように突然その場に倒れ込んだ。そして、ロパの衛兵達が駆けつけた。衛兵達には魔術師が同行していた。ミノタウロスは彼らの魔術によって動作出来なくなっていた。静かに停止したミノタウロスの目からは悔しさと殺気が感じられた。そして、ミノタウロスら衛兵達に架車に縛られどこかへ連れられていった。イヴは少し遅れて安堵した。


その後、衛兵たちは遺体の回収と清掃作業を開始した。イヴは野次馬の中に紛れ、その工程を観察していた。辺りを染める血、切断された腕や頭や胴体、足。それらが視界に入ると、未知の何かが体の奥底から沸き上がるのを感じた。それは不快なものではなかった。


「血や切断されたものがそんなに気になりますか」突然隣から男の声がした。その声に感情はなかった。私に聞いているの?

イヴは隣をみた。黒髪の外套を纏った男がいた。歳は30代後半くらいだろうか。顎に髭があり、両目の色が違った。右目は青色、左目は黒色だった。肌はまるで死人のような青白さだった。イヴは否定しようとしたが言葉に詰まった。それは男が真実を言っていたからだった。

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