広告代理店情報統制科
世鍔 黒葉@万年遅筆
広告代理店情報統制科
その日も私は仕事帰りの電車の中、わざわざ携帯端末でニュース番組を視聴していた。注目の話題はもちろん、あの不祥事だ。
VTRの後、三日月型のデスクを囲んだ出演者たちが、いかにも訳知り顔で議論を交わす。
私は口を手で押さえなければならなかった。
だって、そうだろう。その出演者たちは、昨日のワイドショーとは同じ話題を話しながら、全く逆の主張を並べているのだから。
かの不正会計が公表されてから一週間、そしてあの大臣が問題発言をしてから三日。あの文書は政権に何ら関係の無い無所属議員を示すものになっていたし、あの問題発言はそれを批判する至極真っ当な言葉ということになっていた。
私は自分の口がにやけていないことを確認し、口元から手を放した。
仕事終わりにテレビのワイドショーをチェックするのは、恐らく私と同じ職種の人間ならば等しく罹る職業病なのだろう。
私の仕事は、広告を作ることだ。より正確に云うのならば、スポンサーから上がってきた広告を検閲と称してそれとなく改変し、もう一つの目的のために利用することだ。
周りの人間を見てみるといい。私のように携帯端末を使っている人物はいない。今や時代は携帯端末ではなく、液晶コンタクトレンズを使ったAR端末のものだ。
視界いっぱいに表示されるAR端末は、私の仕事と極めて相性が良い。私が手掛ける広告は視聴者の無意識に作用し、特定の事象への認識を少しずつ改変していくものだからだ。
だからあのキャスターは昨日の自分との発言の矛盾に気が付くことができないし、それを視聴する人間も間違いを認識できない。
この肝は生活と密着していることだ。繰り返し放送される映像は視聴者の無意識に強く作用する上、それを悟らせない。今やAR端末は決済や身分証代わりになっているから、ARを切って生活している人などほとんど見かけなくなった。
そういえば一昨年亡くなった父は、ARは人を馬鹿にしてしまうとか言っていたか。確かに作業機械でもなんでも、液晶コンタクトレンズに投影される映像のお蔭で、私たちは説明書を読まずにその指示に従って簡単に操作できるようになった。
その弊害か、紙媒体の小説や新書の売り上げは以前にも増して壊滅的になってきているという。このご時世では珍しく自宅に豪華な書斎を持っていた父は、そのことをよく嘆いていた。今でも私が携帯端末を使っているのは、その父が原因なのかもしれない。
そのお蔭で私はこの仕事に就くことができたのだから、なんとも因果なものだ。携帯端末のちっぽけな画面では、私の手がける広告で無意識に働きかけることなどできない。要はミイラ取りがミイラにならないための方策だ。
ワイドショーを見ているうち、いつのまにか自宅近くの駅に付いていたので、私は慌ててホームへと降りようとする。
大柄な男がぶつかってきたのは、その時だった。互いの前方不注意は思った以上に衝突の衝撃を生み出し、私は手に持っていた携帯端末を落としてしまう。
ああ、これをマーフィーの法則と呼ぶべきか。私の携帯端末は決して広くは無い電車とホームの間へと滑り込み、見えなくなった。
私は男に食って掛かった。
「何をする! スマホを落としてしまったぞ!」
男は怪訝そうに私を見た。
「スマホとは何だ? それにぶつかってきたのはあんたのほうだろう?」
なんということだ。この男はそもそも携帯端末を知らないのだ。
「知らないのか! 二十年前には人口の九割も普及していた携帯端末だ。タッチパネルを使った」
「タッチパネルとは、今時古風な」
男の不思議がるような言葉に、私はカッになった。
「何を云う! 指先だけで操作できるこれは画期的なデバイスだぞ!」
「AR端末なら指先を使う必要もないが……」
いよいよムキになった私は、手を振り上げようとして、集まってきた駅員に取り押さえられた。
事務室まで連れられた私は、駅員に落し物の要求をした。
「ホームにスマホを落としたんだ。取ってきてくれないか?」
「ホームに落し物はありませんでした」
「なんだって、私は確かに落としたぞ」
私は落とした携帯端末の型番と電話番号を言った。駅員は自前のAR端末でそれを検索すると、小さく首を振った。
「その機種は五年前にサービスを終了しています」
「そんなはずはない。私はさっきまでそれでテレビを視聴していた」
私のこの言葉に、三人いた駅員は顔を見合わせた。
「念のため、荷物を改めさせてもらいます」
「やめろ! 何をする!」
私は抵抗したが、二人に取り押さえられては為す術もない。
やがて、私の鞄を探っていた駅員がペン状の何かを取り出した。
「これはあなたのものですね?」
それは近年急速に普及した、AR端末の本体だった。どうしてこんなものが私の鞄に。
「違う、私のものではない」
私が否定すると、駅員はやや高圧的に言った。
「なら、その手に持っているものは何です?」
私は反射的に自分の手の平を確認した。そこには、私が確かに落としたはずの携帯端末が収まっていた。
「私のスマホだ」
駅員はため息を吐いた。
「どうしてもスマホを手放さない人への処置です。AR端末で映し出しているんですよ。まったく、今月スマホを落としたのはあなたで七人目だ」
私は思わず拳を握った。
握れてしまった。
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