魔術書セドリの受難

戮藤イツル

序章

序章


 本屋で同じ本に手を伸ばして、指が触れ合ったら…それは…


 戦争の序曲。


 * * * * *


 商店街の本屋で見つけた一冊の本。私は引き寄せられる様にその本に手を伸ばした。

 同時に触れる誰かの指先。

 氷の様冷たい指に、私はそっと相手を見遣った。

 視線がぶつかる。

 冷たい、射る様な青い瞳。

 ーーこの人は。


 私は本を引き抜き、外へと走った。本を開き、本屋を振り返る。男はもうそこに立っていた。

 本に目を走らせ、みみずののたくった様な文字を詠唱する。こんな高位の『魔術書』、渡すわけにはいかない。

 自分の魔術書を手にした男と、私は真っ向から対峙した。


「姉ちゃん!万引きかい!」


 本屋のおっさんのだみ声が響き渡る。私の詠唱を邪魔するな、これでも今ピンチやねんぞ。


「黙れ」


 本屋の入口に陣取っている男が、そう言って短く何かを唱えた。途端、おっさんは意識が飛んで乗り出していたレジに頭から倒れ込んだ。うわ、痛そ…。でもそれどころじゃないんだった。

 詠唱を終えた瞬間、晴れた空に稲妻が走る。それが私の目の前に落雷し、ヒトの形を取り始めた。


『我を呼び出したのは汝か、娘』

「そうだよ!今一大事!あの怪しい奴、やっつけて!」

『我を呼んだと言う事はそれ相応の代償は覚悟してのことだな?怪しい奴とは…』

「ほう…魔術文字が読めるとは…」

『げ』

「どうしたの?」


 完全に稲妻を纏うヒトの形を取った精霊が、私にそう問いかける。そんなの見りゃ解るだろ!こちとら鬼気迫ってんの!早く撃退しろ!代償なんて知るか!バナナでもくれてやるわ!そう思いながら叫ぶと、精霊は面倒臭そうに男の方を振り向き、そのまま静止した。げ、とか聞こえたけど。何?


『な、な、汝…いや、貴方様は…!』

「雷の精霊・ゲルフォルト。貴様の魔術書だったか。魔術書はどうも見分けが付きにくい。貴様に今、用は無い。消えろ」

『は、はい!』

「はぁ!?「はい!」じゃねーわよ、くそ精霊!あんたを呼び出したのは私だぞ!働け、バナナやるから!」

『バナナなど誰が要るか!我はこの方の従精霊だ!』

「なんだってー!?」

「そう言う事だ、女。万策尽きたな」

「くそ、これ写本だったのか…原本はあんたが持ってるってわけね」

「その通り」

『貴様、言うに事欠いてこの方にあんたとは!今すぐ謝罪…』

「俺は貴様に消えろと行ったはずだが?」

『あ、はい!嫁が大根買って来いと言って居たので大根だけ買って行ってよろしいですか!?』

「好きにしろ。とりあえず消えればいい」

「精霊、尻に敷かれすぎだろ」

『うるさい!あ!あのスーパー安売りしてる!』


 ヒトの形をしただけの雷の塊…ゲルフォルトとか呼ばれていた精霊はくその役にも立たないどころか、目の前の不審人物の従精霊だった。つまり原本である魔術書を握られて契約している精霊だった。ほんと、くその役にも立たない。それどころかついでに買い物してくって。まぁ、珍しいことじゃないけど、威厳も何も無いな、この精霊。そのままゲルフォルトは商店街のスーパーへと駆けこんで行った。なんてこった、男の言う通り万策尽きたわ。

 精霊を呼べるって事は高位の魔術書に違いは無いのだろうけど、原本で無いものに興味も無い。私は男に向かって両手を上げた。


「じゃあ、降参。あんたもセドリ?」

「セドリ?」

「私は魔術書専門のセドリ、舞塚美月まいつかみつき。こんな二束三文にもならない魔術書は要らないから、欲しいならあげる」

「貴様の名に興味は無いが、そのセドリと言うのはなんなんだ」

「は?やっぱりあんた、セドリじゃないのね」


 じゃあ、何者なのか。まぁ、魔術書を出したって事は魔術書を探して旅してる魔術師だろうけど。私はその言葉を飲み込んだ。大根精霊のせいで緊迫感も消えた中、男はてくてくと私の方へ近付いてきた。


「でかっ」

「貴様が小さいだけだ」


 どこからどう見ても日本人の風体じゃない。銀色の髪を細くうなじで結った、青い瞳の外国人。しゅっとしたイケメンなんだけど、その顔に表情と言うものは一切無かった。近付いてくる男を見上げているうちに思わず感想が漏れる。デカい。なんてデカいんだ。ゆうに百九十を超えている。


「確かに私は小さい。でも百五十はある」

「日本人は小さいが、貴様は余計に小さく見える。それに貧相だ」

「貧相は余計だ!ただこの歳にしては発育が遅いだけだ!これから巨乳にもなるし背も伸びる!」

「貴様は幾つだ」

「十九」

「それは、有り得ない展望だな」

「夢を見させろ!くそ魔術師!」


 確かに私は身長は低いし、胸は小さいし、痩せてるし、貧相かも知れない。それを面と向かって言うとかデリカシーが無いのか、この外国人の魔術師は。私は負け犬のごとく叫ぶと、男に写本を叩きつけてその場を走り去った。

 なんだかすごく嫌な予感がする。この街で魔術師に会う事は少なくないけれど、あの男の視線は覚えていた。冷たい、氷の様な視線。触れた瞬間声を上げそうになるほど冷たかった指先。死体の様に青白い肌。


「気持ち悪っ」


 胸元で掌を包んで私はそう叫んでいた。


 一方、残された男は写本を手にその場に佇んでいた。ぺらぺらとページを捲り、内容を確認する。


「…特に目新しい情報は無しか。精密な写本ではあるが、特に役には立たんな」


 小さく呟くと、本屋の中に戻りレジカウンターに沈んでいる店主の隣にその本を置いた。それからまた店を後にする。


『あ』

「…貴様、まだ居たのか」

『いえ、すみません、大根だけ買おうと思ったら卵も安かったもので』

「それで?なんだその何か訴えかけている目は」

『いえ…卵、おひとりさま1パックまでなんですよね…』

「まさか、貴様はこの俺に」

『すみません!後ろに立っていて下さるだけでいいんで!子供の弁当に卵めっちゃ使うんですよ!』

「…立っているだけでいいんだな?」

『そうです!』

「仕方ない…行くぞ」

『ありがとうございますぅぅ!』

「その代わり」

『何でしょう?』

「先程のあの女。後で居場所を突き止めて来い」

『ええー…今日夕食当番…』

「帰るとするか」

『解りました!マイロード!お任せください!』

「最初から従っておけばいいのだ、大根精霊が」


 大根精霊って酷くないですか!?黄色味を帯びた精霊と長身の魔術師は、そのままスーパーの中へと消えて行った。

 女…美月はまだ知らない。この男に出会ってしまったが最後、今まで通りの生活を送れる訳が無いのだと…



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