第九章 まだ、六日目・デスマーチの靴音(一)
三日後、部屋にゴンゴンという電子音が鳴り響いた。
「珍しい来客か。開いていますよ」
ドアが開いた。茶色の毛並みをし、小さな耳を立てた兎が、緑色の作業着を着て立っていた。
「あれ、秀吉。直に来てくれたのか。電話でよかったのに。情報課からだと、ここまで少し距離があるだろう」
「ええ、まあ。ここに来たのは、上の部屋で惑星開発課の村上課長から『コンピュータが起動しなくなったから早く来い』との呼び出しがありましてね。その、ついでです」
「それで村上課長のほうは片付いたの」
「ええ、コンセントからプラグが抜けていただけです」
「大変だね」
秀吉は半笑いを浮かべた。
「いや、偉い人の呼び出しって、大抵こういうもんですよ。偉い人ほど、大したことがないのに、急ぎで呼ぶんです。情報課の連中は皆わかっていますから、新人の俺が行かされるんですよ」
「嫌なことと汚れた水は下に流れる、って言うからな」
秀吉も思い当たることがあるのか、相槌を打つ。
「ですよねー」
二人は同時に深々と溜息をついた。
正宗は空いたイスを秀吉に勧めた。
「それで、電子情報生命体のほうは、どうだった」
「拝見させて頂ましたけど、大変よくできたと思います。他の情報課の人に聞いても『すげえな』と言っていました。正直、俺も大手の企業でも、ここまでは作れないと思います」
やはり出来はいいのか。行けるのか。正宗がそう思ったとき、秀吉が付け加えた。
「ですけど、正宗先輩が気にしていた箇所は、難しいと思います」
「やっぱり、難しいのか」
なら、諦めて方向転換か。
「はい。おそらく、できる可能性は三割くらいかと。まあ、一年くらい期間があれば完成する可能性が七割までは行くと思いますが」
うっわ。また、迷うような数字が出た。可能性が一割以下なら、撤退だし。五割まで行くなら賭けてもいい。が、こちらの迷いを読んだように、中間の数字が出た。
秀吉の意見が三割なら、おそらく他の奴に可能性を聞いても、四割から二割の間で回答が返ってくる気がする。それに、時間を掛ければ、できそうという判定も、撤退を大いに躊躇わせる。
といっても、迷いに引きずられると、ズルズルと行って失敗しそうだ。正宗は自問した。
「どうする、俺?」
正宗は迷いながら秀吉に聞いた。
「お前なら、やる? それとも、やらない」
「俺ならですか。俺なら成功に賭けますよ」
そうか、そうするか。俺も打って出るか。
秀吉はキリリとした顔で、またしても付け加えた。
「それで、ダメなら。俺、潔く会社を辞めて、コンピュータ関係の会社に再就職します」
正宗は心の中で叫んだ。
「だから、俺にはそれができないんだよー。後ろは底が見えない崖なんだよ。闇なんだよ。後方がある立場で、意見を言わないでくれよー」
秀吉の言うことは正しい。しょせん秀吉は秀吉。正宗ではないのだ。
結局、正宗は秀吉に相談することで余計に迷っただけだった。
秀吉が帰った後も、正宗は一人じーっと部屋で考えていた。
「失敗を認め、損失を抑えるか」
今なら、評価は下がるが、社内には残れるだろう。また下積み時代に逆戻りだが、社内には残れるし、それなら、まだ我慢できる。
「博打に出て、大穴を狙うか?」
成功すれば実績に残る。されど、失敗すれば、もう社内には残れないだろう。もし残れたとしても、冷笑と軽蔑とイビリが雨霰と降り注ぐ境遇に耐えられる自信は全然ない。
コンコンという聞き慣れた電子音がした。ドアが開いて、ヒトノツラを着た源五郎が紙袋を片手に、ズカズカと部屋に入ってきた。
源五郎は変換された可愛らしい声で開口一番に言い放つ。
「何でえ。いるなら、返事くらいしろや。その短い首を括っているかと思ったぞ」
「いくら何でも、それはないよ、ただ――」
そこで正宗は言葉をいったん切り、手で自分の首を切る仕草をした。
「もっとも、首が飛ぶかもしれないがな」
源五郎はヒトノツラを脱いで体を自由にし、大きな手で紙袋から野菜サラダのラベルがついた缶をガラガラと取り出した。断りもなく部屋の冷蔵庫に入れ始める。
「ウチの部署に送られてきたお歳暮だ。いっぱい部屋に余っていたから。ここに置いとくぜ。まあ、不味くないから、試してみろや」
「もう、業者からお歳暮が贈られてくる時期か」
惑星開発部となると、業者からの付け届けが届くことは多々ある。ある程度の大きさの部屋だと、金額にして正宗の給料の一ヶ月にもなるほどだ。
だが、正宗の部屋に届くものといえば、誰が読んでいるのかわからない『時空論』という学術誌や『恒星録』といった機関紙、福利厚生用の体感映画の割引券の申込書等のしょうもない回覧と『来い来い屋』のカレンダーだけである。
正宗は源五郎に感謝した。
「ありがたく貰っておくよ」
源五郎は爪で器用に野菜缶を開けた。すると、缶は平べったく潰れ、皿とフォークに変わり、皿の上にグリーンサラダが現れた。源五郎は野菜缶の一つを正宗に差し出した。
「ここんとこ毎日、工場から出荷される合成食品の弁当しか食べてないだろ。ちゃんと生の野菜を摂れ」
正宗は新鮮な野菜を久々に摂り、まとまった食物繊維を胃に送り込んでいった。
「毎日じゃないさ、週に五日だよ」
「それに、休日も働いているだろ?」
「いや、それは少し落ち着いた。今は週に一日は休んでいる」
休んでいるといっても、ずっと横になっているだけである。前はそれでも、朝になって起きればスッキリ目覚め、リフレッシュしたのを体感した。
だが、最近は寝ていても目が覚めることもしばしばで、疲れも抜けなかった。
正宗は考えた末、源五郎に正直な気持ちを打ち明けた。
「今、考えている問題が一つあるんだ。失敗を確定させて傷の少ないうちに撤退するか、賭けに出るか。お前ならどうする?」
源五郎は即座に言い返す。
「そうなる前に手を打つな」
正宗は苦笑いせずにはいられなかった。
「俺もそうしたかったが、今回はやること、考えること、全て外れる」
「そいつはどうしてだ?」
「七穂のせいだな。俺の考えと根本的に違う。俺が『こうでなければならない』って思っていても、七穂は全く違うことを考えている」
源五郎はサラダを食べ終わると、皿とフォークをダストシュートに放り投げた。
「だろうな。だがな、それでも俺たちは、あの七穂お嬢ちゃんの言う注文を聞かなきゃならない。そういう仕事だ。もっと七穂お嬢ちゃんのことをちゃんと考えてやれば、ここまで痛手にはならなかったんじゃないかな?」
源五郎が痛いことを言う。だが、今にして思えば、源五郎の言う指摘は当たっている。正宗は野菜を突きながら、
「そうかもしれないな。相手は創造者といえども、子供。惑星開発は、こっちがプロ。話なんか聞くものか、という驕りがなかったとは言えない」
「本当にそう思っているのか?」
「半分くらいは」
「なら、いっそ七穂お嬢ちゃんに全面的に任せたらどうだ?」
源五郎の提案は考えもしなかった選択肢だった。
「おいおい、そう簡単に行くか。俺の人生も懸かっているんだぞ」
源五郎は溜息をつくように息を軽く吐いた。
「なるほど、確かに半分くらいしか理解していないな。だが、お前は結論を出せずにいるだろ? だったら、判断を仰げよ」
正宗は少しムキになった。
「創造者だからといって、正しい判断ができるとは限らないだろ」
「じゃあ、お前は正しい判断ができるのか?」
そう突っ込まれると、今に至った現状を見る限り「できる」とは言えなかった。
「参ったな」
「何、今に始まったことじゃないさ。それに、お前だけがぶつかる悩みでもない。惑星開発事業部のチーフ以上は、多かれ少なかれ悩む局面さ」
源五郎ならではの言葉だった。源五郎は正宗を諭すように言葉を続けた。
「それで、お前はどうする? 自分の力を信じるか。自分の創造者を見る目を信じるか」
正宗は自分に問う。
(自分はどうしたいのか、か?)と――。
「そうだな。あとは自分自身を説得できるかどうか、だ。どちらにしろ、納得して実行しないと、成功するものも成功しないぞ」
正宗は源五郎と話していてわかった。自分は悩むのに疲れていたのだと。正宗は決断した。
「よし、決めた。七穂には電子情報生命体を見せて、現在は欠陥があるが、このままこの星を開発する方向で話を持っていく。それで反対されたら、諦める」
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