第二章 二日目・星を動かす者(三)
それから日数が経ち、再び七穂が訪れる日が来た。
正宗は源五郎から七穂についての情報を聞かされた不安から立ち直った。黒い毛並みをツヤツヤにして『プランC=マリン・ワンダーランド』と書かれた束を携えて七穂を待っていた。
あれから正宗は、ある作戦を立てた。
相手は少女だ(たぶん)。綺麗な海を見せてリゾート気分で泳がせて(泳げるだろう)殺風景なこの景色を見せる。そうすれば、きっと海を飾りたくなる(魚が嫌いでなければ)。そこで話を練り上げたプランCを見せれば、きっと心が動くに違いない。
海を見ればエメラルド・グリーンにキラキラと輝いていた。もちろん、できたての海がエメラルド・グリーンなわけはない。
正宗は自分の裁量で経費を少しばかり使った。経費の使い道は、海底から発電所の電気を使い、微弱な電流の変化で海底の鉱物質な土を発光させて色を変える仕掛けを施したのだ。
正宗はドキドキして待っていた。七穂の到着時刻になると、地面からエレベーターが姿を現した。
現れたエレベーターの扉は、三方向に別れるように開いた。中から白手袋に銀色のスーツ姿で、栗色の髪を左右に縛った七穂が姿を現した。
(今度は特撮かよ。しかも宇宙モノだよ。ダメだ、ロボ帝国の意志が硬くなっている……)
正宗の手の中で、プランCの紙束がクシャッと音を立てた。
七穂は笑顔で挨拶した。
「おはよう。じゃなくて、こんばんは、でいいのかな、クロさん?」
「どちらでも。それより、七穂さん。今日はせっかく海ができたのですから、少し泳ぎませんか」
七穂は、できたてのエメラルド・グリーンの海を見て答える。
「えー。やだよ。水が緑で、安い入浴剤が入ったお風呂みたいだよー」
安い風呂。予想だにしなかった答に、正宗は慌てた。
すぐに、腹巻に黒い手を突っ込んでリモコンを取り出し、操作した。
海面がエメラルド・グリーンからマリンブルーに変化した。
「これならどうでしょう? 綺麗でしょう。何なら、夕焼けのように染めることもできますよ、まさに、リゾート気分!」
七穂は毒々しい着色料入りの飲料を敬遠するかのように、ひらひらと手を横に振った。
「いいよ。何だか、深夜番組で紹介しているホテルのお風呂みたいだから、いや」
正宗は心の中で叫んだ。
「良い子は早く寝ろ。いや、もう寝るな。そして、二度と来るな」
こうして、一つの投資が一瞬で海の肥やしとなったのを、正宗は確信した。
だが、まだ、労力の結晶であるプランCがある。正宗はそれを手にして尋ねる。
「あの、七穂さん。あれから色々と考えて見たのですけど、プランを少し変更しませんか?」
ところが七穂は即座に訊き返してきた。
「ああ、ロボットの国、OKだった?」
「ダメでした」
そう言えたら、どんなに楽なことか。しかし、嘘をつくことは懲戒処分の対象になるので、それは言えない。
「OK。出ました」
「ああ、よかった。じゃあ、ロボット工場の注文はお願いね。それで、クロさんのプランって、どういうの? ちょっと見せて」
厚い雲の中から、初めて光明が見えた。
正宗はすぐにプランCを拡げて七穂に見せながら、プレゼンテーションを開始した。
「あのですね、今度のプランでは、発電所の電力を効率的に使い、緑化を――」
プレゼンを始める正宗を七穂は制した。
「チョッと待ってね、先に読むから」
七穂は銀色のスーツに包まれた手で、正宗から資料を受け取った。
七穂は目をカッと見開き、速読術の達人のようにパラパラと目を通していった。やがて最後のページに来ると、プランCを閉じた。
七穂は正宗にプランCを渡し、哀れむような目で宣告した。
「良くできていて、素晴らしいと思うわ。でも、残念だけど、方向性が違うから。また別の機会にしましょう」
(おいおい、三分で没かよ)
正宗は、それでもプレゼンを続けようとした。
「あ、でも、まだ説明が」
七穂は可愛らしい丸顔を少し曇らせる。
「クロさん。これはもう終わったことだから、囚われずに先に進もうね」
社内的な打ち切りの合図だった。
正宗に差した光明は、呆気なく分厚い雨雲の中に埋もれていった。正宗は二週間も掛けて作ったプランCと、七穂に浴びせたい言葉を、そっと腹巻の中にしまった。
正宗は大人として営業スマイルを浮かべ、仕事に取り掛かる。
「まず、発電所ですが、設置が済んで、いつでも発電可能です。山の表面の細かいところは整備しておきましたし、海に水も張っておきました。海ができあがりましたので、今日からそこに生物を発生させることが可能です」
七穂は元気良く声を上げた。
「段々、この星の未来が見えてきたわ。行くぞー」
(もう、好きにしたらいい)
正宗は半分投げやりに思い、七穂の前に惑星造成用の星球儀を出した。
すると七穂は正宗の目の前でキラキラと光るマリンブルーの海をいきなり沈めた。 正確には海の海抜を下げ、その上を地表で覆ったのだ。
正宗はビックリして、七穂の前に飛び出した。
「ちょっと、七穂さん! 海が、海が消えましたよ」
七穂は当然という顔で答える。
「うん、海は地表の下に作るの」
地下に海を作るだって? そんなの、聞いたことないぞ。
「いや、でも、海に太陽の光が注がないと、生物が育ちませんし、生物を購入して放しても、大部分が育たないですよ」
「だから、ロボットの国にするんだってば。生物は後でいいの。それにもし、バイオ燃料が必要で、それを生産するプランクトンぐらいなら、大丈夫。発電所と、さっきクロさんが作った、海底から照らすライトがあるでしょ」
投資は無駄ではなかった。後ろ向きに有効だった。リゾートライトはバイオ燃料の作成用光源として、今後は生きるらしい。
けれども、自分がプランクトンでも、きっと陽の光が欲しいと思う。まあ、それでも生物は生かしてもらえるらしいのが救いだ。
生物がいないと星の価格は激減する。それに比べれば、まだ地下に海があるだけいいか。
「もう、ロボの星に賭けるか」
という危うい気持ちが浮かんだ。が、正宗は急いで頭を振った。
「ダメだ。社運を懸けて社長が趣味のものに資本を投入する時、会社なら末期症状だ。その先にある俺の未来は、職安に続く長い列だ」
正宗は心の中に湧いた危険な誘惑を、懸命に振り払った。
正宗の目先で七穂が目を瞑って巨大化した。七穂が銀色のスーツで、低重力での移動をするかのように、ピョンピョンと跳んで、凄い勢いで海を地表で覆っていった。
七穂は実に楽しげで、喜んでいる。
正宗には七穂の姿は、まさに羽虫の羽を無邪気に引き千切って喜ぶ子供か、破滅を呼ぶ天使に見えた。
行き着く先には破壊された近未来都市のような自分の暗惨たる未来が、蜃気楼のように見えた気がした。
正宗は心の中で叫んだ。
「いや、俺は違う。俺はそんな潰れていく下っ端とは違うんだ」
正宗はグッと拳を握り締めた。
「あ、でも、このセリフって、ダメになる奴らの常套句じゃん……」
正宗は大きく頭を振り乱し、自分に言い聞かせた。
「そんなことはない。俺だけは、俺だけは、大丈夫だ。絶対に潰れないぞー。何としても、断固あの上司を説得し、プロジェクトを修正し、生き残るぞー」
正宗が決意を固めるなか、七穂は海を地表で覆い尽くすと、元気よく宣言した。
「よし、もっと丈夫な作りにしましょう」
七穂は今度は地表を、草木も生えぬ、甲殻類の甲羅のように硬いものに変え始めた。
地質の変化自体は、正宗にとって苦々しく思いはしたが、まだ耐えられた。
だが、次の七穂の言葉は、どうにも耐えられなかった。
「これぐらい硬ければ、広い宇宙を旅しても大丈夫よねー」
正宗は思わず叫んだ。
「何ですーとー?」
今ここで作っているのは紛れもない惑星である。惑星は宇宙を旅などしない。正確には、こうしている間にも、銀河自体は高速で移動しているのだが。
いやいや、それはさておき、惑星が太陽の周りを回る軌道を自由に変更すれば、地表の温度は大変なことになる。そうなれば、原始的な菌類といえども地表には残らない。
正宗は灰色の翼を広げ、七穂の顔の前に立ち塞がった。
「七穂さん。私たちが創っているのは、惑星です。彗星じゃありません。そんな、宇宙に向かって羽ばたかなくていいんです」
「いやだなー、クロさん、この星は彗星じゃなくて、丸ごと宇宙船にするの」
惑星という不動産を動かす? それは正宗にとっては、コペルニクス的な発展だった。まだ、乾物屋が人造人間を作るほうが衝撃は少ない。
だが、恐ろしいことに、七穂の白いホワンとした丸顔には、微塵のジョークの気配も感じられなかった。
「ちょっと、七穂さん。貴女は最初に私の話を聞いてくれましたか? 貴女は、惑星を創造するんです。惑星ですよ、惑星」
七穂は丸い頬を緩ませ、ニコリと無邪気に笑った。
「でもほら、宇宙船地球号って言うでしょ。これは、その進化形よ」
正宗は大声を上げて抗議した。
「進化しすぎです! いや、進化じゃありません。トカゲはトカゲ、進化しても、ドラゴンにはならないんですってば」
七穂は思いついたように、子供っぽく目を輝かせた。
「あ、でも、バトルをすれば?」
「戦争をする気ですか」
「偉い武士さんも言っていました」
七穂は、そこで時代劇口調に変わった。
「人生とは戦いの連続なりと申すではござらぬか」
「そんなことだから、武士は滅んだんですじゃー」
星に生物がいなければ価値は下がる。とはいえ、そこに生物がいても、争いを好んで殺し合う者の星ならば、不良債権のような惑星である。価値はマイナスでしかない。
そんな代物を作ったら、社内的には、ただでは済まない。
現に意図しなくても、結果として戦争で生き物が死に絶えたこの星を前に作ったチーフは、閑職へと配置転換され、涙ながらに辞表を書いた。
正宗はさらに大声で抗議した。
「ダメです。それだけはダメです。ラブ&ピースです」
七穂は笑顔で手袋をした手をパタパタと振る。
「もう、わかっていますよ。戦争なんてしませんよー」
正宗は本当に七穂がわかっているのかを、心底から疑った。
「わかっていただければ、いいんですが……」
七穂は元気よく、教育番組のお姉さんのように、ハキハキと話を進めた。
「というわけで、クロさん。工場と一緒に惑星に取り付ける推進装置を購入してください」
正宗は叫びたかった。
「何が『というわけで』だ。話、全然わかっとらんじゃないか。もう少し空気を読んで話を進めろよ。ここは中止だろう?」
正宗がどう思おうと、状況は変わらない。正宗には道理はあっても、権限はない。
「え、いや、その戦争はしないのですよね?」
「はい、戦争はしませんよー。でも、設計思想は、惑星戦艦なのでーす」
戦争しないのに、戦艦って言っているぞ。
「あの七穂さん、今、ひょっとして、戦艦って言いましたよね?」
七穂はスマイルのまま、元気良く言い切った。
「はい」
「それは戦争の道具ではないですか」
七穂はウンウンと頷く。
「クロさん。軍備は軍隊に該当しないと、偉い学者さんも言っています。最新鋭の軍備は、いくら持っていても問題ないのです」
正宗は辛うじて自分で動揺を抑えた。だが、どうしても口調は早口になった。
「じゃあ、武装は必要ないでしょう」
「大理石のキッチンというものがあります。キッチンの機能としては、大理石である必要は全然ないのですが、やはり大理石が販売のポイントになるんです」
キッチン感覚で惑星規模の巨大戦艦を建造する気か。大艦巨砲主義もいいところだ。
「でも、戦艦だけはダメです」
「じゃあ、宇宙船の線で行きましょう」
「できれば、その、そちらのほうも……」
それに関して七穂は少し怒ったように睨んだ。
「クロさん、こっちも戦艦から船に譲歩しました。そっちも譲ってください」
「お前がブチ上げた〝トンでもプラン〟だろ。譲歩も何もあったもんじゃない」
とはいえ、正宗の立場上そうは言えない。言えないが、押し切られたくもない。これより後ろは間違いなく危険水域だ。正宗はどうにか説得を続けようとした。
「いや、その、そもそも、これは惑星ですし……」
「クロさん。これは決定ですから。もう、腹を括ってください」
(その調子で言っていたら、腹じゃなく首を括ることになりかねんわ)
だが、七穂に決定と言われると、他の星に影響する戦争兵器と違い、正宗一人では決定を覆すのは難しい。
流石に惑星の宇宙船化は、今度こそ法務部が停めるだろう。そうなれば、それを梃子に七穂を動かすか。
「わかりました。じゃあ、可能かどうか、明日には回答いたします」
正宗は法務部の頭の固さを信じながらも、半ば嫌な予感を覚えた。
(惑星開発点数表上、不確定起動は大きなマイナス要因だ。これは引っ掛かる。そう、大丈夫。大丈夫? 大丈夫だよな? 頼むから、大丈夫であってくれ)
正宗は弱気な自分に、念仏のように唱えて言い聞かせた。
「どうせ、許可なぞ下りはしまい。どうせ、許可なぞ下りはしまい。どうせ、許可なぞ下りはしまい」
いくら何でも宇宙開発公社の惑星開発事業部が、惑星規模の宇宙船など作って良いわけがない。
正宗は自分に言い聞かせながら、銀色スーツに身を包んだ七穂が行う惑星の装甲化を、黙って見守っていた。
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