第二章 二日目・星を動かす者(二)
源五郎は宇宙行脚の旅に出た元部下の机の椅子を引くと、可愛らしい声で、本体とは似つかわしくない口調で話しかけてきた。
「初仕事のほうはどうだよ、正宗?」
正宗は仕事の手を休め、部屋の隅にある鉢植えの木になった豆をもいだ。豆はもいでも、明日になれば、また実る。
これは惑星開発における時間の流れを操作する技術が応用されていた。時間の流れの操作は、惑星開発時には百万年の経過観察をするといったことがザラにあるので、惑星開発公社設立時の段階ですでに導入されていた。
今では、ご家庭用にすらなっている。同様に、遺伝子操作による進化の促進も、必要性から開発されていた。
おかげで、今では鉢の下のダイヤルを変更すると、植物自体の進化や交配が猛スピードで起きるので、広大な農地で豆の木を品種改良したりせず、次に実る豆の味を変えられる。
正宗はもぎたての豆を円柱形の機械に入れながら、愚痴った。
「先輩の下でチラチラ創造者を見てきたが、あいつは最悪だよ」
源五郎は、格好とは似つかわしくない仕草で、椅子に腰を下ろした。まるで山賊の頭目のような貫禄のある座り方だ。
「素晴らしい上司なんて、せいぜい良くて二割くらいなもんよ」
「それが、聞いてくれよ。今度の奴、いきなりロボットの星を創るって言うんだ。そんなの、聞いたことねえよ。まあ、実際やろうとしても、法務部の審査でストップが懸かるだろうがな」
円柱系の機械の下にガラスのボトルを置いてボタンを押すと、湯気が立ち、緑色の抹茶のような液体が溜まっていく。しかし、辺りには甘い薫りが漂っていた。
正宗は空中で両手を軽く一振りした。すると、正宗の両手に透明なお椀が出現した。正宗はガラスのボトルを取り出し、豆から入れた抹茶色の液体を入れた。透明な椀は外側に熱を伝えないので、曇らない。
正宗は源五郎の前に椀を置いた。
「お、サンキュウ」
すると、ルクレールの背中を割って突如リアルな熊の手が現れた。
次いで、どうやったらその中に入れるんだ、というような、顔に爪傷のある恐ろしい大きな月の輪熊が中から姿を現した。
これが、可憐な少女ルクレールの中身である源五郎の、本当の姿だ。
源五郎は、まさしくリアルな熊の風貌なので、他者に威圧感を与える。そのため本来の姿は創造者には見せないように、創造者の同世代の同性の姿をしている。
他の案内係の人員も、正体が見た目に優しくない奴が多い。そこで、案内係は創造者と似たような外観になれる皮を被っているのだ。
皮は正式名称が宇宙圧縮パーテション対応超微細次元変換スーツ。正式名称が決まってからも、長すぎて正式名称でほとんど呼ばれないスーツで、今は通称〝ヒトノツラ〟と呼ばれている。
ヒトノツラは着用している最中は、人間そっくりに見える。ヒトノツラには名前がついており、源五郎の着ているのはルクレール、他にもルノーやソミュア等と命名されたのもあった。
ヒトノツラは手にすると質感があるが、重さはない。ヒトノツラの見掛けは皮のような物質だが、正体は別の空間、小さな宇宙である。
ヒトノツラは別の宇宙の一定体積だけを区切って使用している。そのため、熊の源五郎の巨体でも、少女のような大きさに収納できるのだ。
入ってしまえば、外観は七穂と同じくらいで、女の子にしか見えないので、親近感が湧く。そのため、ヒトノツラは、案内係が創造者と接遇する時には着用が義務付けられていた。
ヒトノツラはタワー内部にある休憩室や、創造者が普段は立ち入らないオフィスでは外しても良い内規になっていた。が、案内係はそれ以外の場所で外すことは内規で禁止されていた。
ヒトノツラを脱いだ源五郎を見て正宗は意見を述べる。
「あれ? また体が大きくなったんじゃないか?」
源五郎は低く強面男の声で返す
「うん。そうか」
低く太い声が源五郎の生の声だ。ヒトノツラには内側に音声変換機能が仕込んであるので、声は可愛らしく聞こえる。まさに、源五郎はヒトノツラを被った猛獣なのである。
正宗は上半身が脱がれた、ヒトノツラを見ながら感想を口にする。
「それにしても、最初は違和感があったけど、もう馴染んできたな」
源五郎は首を回しながら答える。
「最初、これを着ろと言われた時は、オイオイと思ったよ。だけど、全知全能の社長の作った物に、ケチはつけられまい」
「だよなー。デザインもルクレールという名前も、社長がお決めになったものだしな。俺たち底辺から見れば、宇宙の上のお方だ。それに、粛清されたかないよなー」
「粛清は噂だがな」
社内では社長に逆らう者は、宇宙情報研究局に送られ、宇宙創造時に出た光を時間を越えて集めに行かされるとか、一向に成果が上がらない不均一宇宙の壁に対する突破実験を延々と何万年もやらされる、という噂がある。
正宗は源五郎の言葉に一緒に笑った。だが、頭のどこかでは、噂を信じていた。社長はそれだけ絶対の存在で、崇める対象なのだ。何しろ全知全能なのだ。
「あ、お前のところのロボットの星の話だけど、法務部の審査でOKが出たぞ」
正宗は物凄く驚いた。
「えー、あの保守的な法務部がか? 生命の前に機械があるような星だぞ。今までに例を見ない開発プランにOKを出したのか?」
宇宙開発公社には正宗が所属する惑星開発事業部の他にも、お金の管理する財務部、惑星開発が法令や規則に触れないように審査する法務部がある。
法務部は中でも惑星開発の最終的な許認可申請を持っており、力が強く創造者が惑星を作っても、ここがOKを出さないと、最終的には星を売りに出すことができない。
そのため、法務部がクレームを付けてくると、正宗たちは、
「すいません、法務部がOK出さないんですよ。どうか一つ、ここをこう変更してください」と惑星が完成しないことをチラつかせ、創造者にプラン変更を迫ったりするのだ。
法務部では禁止規則の他に点数制を敷いており、惑星開発点数表によって細かく点数をつける。
この採点が、どれか一項目でもゼロを割り込むと不受理となり、売りに出せない。それゆえ、点数は大事だ。
だが、点数表は公表されているものの、やたら細かすぎるので、例外規則も多く、専門にやっている法務部でなければ全然わからない。
正宗たち惑星開発事業部の人間は大雑把にしか把握していないので、思わぬところで点数不足で引っ掛かって慌てる場面が、しばしば起きる。修正は後になるほど難しいので、わかった時点で創造者を説得する。
逆に言えば創造者が「こうしたい」と言い、法務部が「OK」を出せば、正宗にはもう計画は止められないのである。
「おいおい、ロボットの星だぜ。当然、規則だらけの法務部だ。決まりのどこかに引っ掛かるはずだろうー。何かの間違いだろ? そんな星、どうやって売れっていうんだ?」
源五郎はご愁傷様とでも言いたげな顔をする。
「あそこは、知っての通り、規則に合っているか、そうでないかを判断するだけだ。惑星が売れようが売れまいが、関係ない。プロジェクトの責任はお前にある。だから、売れなければ、お前が責任を被る」
正宗の仕事は創造者の仕事の補佐であり、惑星開発の管理である。
惑星が完成すると売りに出す。売れた際の儲けが正宗の成績になる。売れなければ、ダメ社員の烙印を捺される。
正宗たち社員にとっては創造者といっても、期間限定の腰掛け程度の上司であり、責任はない。しかし、正宗はプロジェクトの責任を全て自分が被らねばならないのだ。
源五郎は椀の中の液体をすすりながら、目を細め、村の長老のように厳かに説教した。
「こういう言葉を知っているか? 『権限がある者に責任なく、権限ないところに責任あり』惑星開発事業に伝わる掟だ」
「いや、知らない」
「そうか、まあ、つまり、その、何だ。お前だけじゃない、ってことだ」
何人ものチーフを苦しめた組織の掟が、ついに自分にも降りかかったのだ。まさに、自分だけは大丈夫と思っていたが、ゴルフ場の木陰で雨宿りして雷に撃たれたも同然だ。
「理不尽だー」
「そう言ったのは、お前だけじゃない。同じ目に遭った先輩は、そう訴えたらしい」
「そうなのか? それで?」
「法務部は『でも、規則だから』と抗議を退けた」
正宗は何の解決にならないとわかっていても、騒がずにはいられなかった。
「災厄だ。あの女の掛けた呪いだ、呪詛だ。そいつが、俺をロックオンしているー」
これは非常に拙いのでは? 正宗は落ち込む自分の心をさらけ出し、源五郎に尋ねた。
源五郎ならいいアドバイスがあって救ってくれるのでは? 他力本願といえば他力本願だが、自分には名案はない。
「なあ、どうしたらいいと思う?」
「俺に聞くなよ。答があるなら、皆、知っているって」
「確かにそうだけど、何かないのか? 裏道とか、抜け道とか」
源五郎は黙って首を振った。
直後にピーと、プリンターが印刷終了を教えてくれた。
正宗は、まだ暖かい印刷終了したてのプランBを掴むと、シュレッダーに叩き込んだ。正宗は十ラウンドを戦ったボクサーのように、がっくり自分の椅子に座った。
源五郎は正宗を哀れむように見て、
「なあ、正宗。お前には悪い知らせなんだが」
これ以上の悪い知らせ。もうどうでもいい。
「あのお嬢ちゃん、何かしでかすぞ」
もう充分やられた。これ以上いったい何をやらかすんだ。これ以上は止めて欲しい。というか、惑星を作る気があるのか疑いたくなる。
「これ以上そもそも何がある?」
「お前、初日にけっこう待たされただろう?」
「ああ、そういえば、来るのが遅かったな。四十五分以上の遅刻だったが、何かトラブルでもあったのか?」
「いや、説明は普通に終わった。その時お嬢ちゃん、しばらく考えてから俺から紙を借りて、不思議な文字やら絵やらをドンドン書きこんでいった。そうかと思えば、あれやこれや、宇宙とは何か、次元の在り方とはどうか、とか訊かれてな。質問攻めに遭った」
七穂はおかしな奴だとは思ったが、俺以外に対してもそうなのか?
「まあ、初めて来たやつなら、混乱もするだろう」
「まだ続きがある。そのあと、七穂お嬢ちゃんは塞ぎ込むように考えて、俺が言葉を掛けても気にしなくなってな。その後、少し間を置いて、急に狂ったように笑い出した」
七穂は普通じゃないとは思ったが。ひょっとして、宇宙の電波を一身に集めている、ヤバ目な奴なのか? 正宗は不安になった。
「おいおい、そんなの創造者にして大丈夫なのか?」
「さあ、上が決めたことだからな。それ、七穂お嬢ちゃん、笑いが止まったかと思うと、静かに黙って薄ら笑いを浮かべた。と思ったら、急にハイテンションになって、お前のところに行った。あれは天才的ないしは狂人的に、何か明確なビジョンを閃いた感じだぞ」
七穂の異常行動には、この際、目を瞑ろう。本人にしかわからないことはある。もしかしたら、宇宙開発公社の呼び出しに応じて不均一の壁を越えた時に、精神情報にわけのわからない情報が混入して召還酔いを起こしていたのかもしれない。
明確なビジョン、まあ、それもいい。だが、作ることが目的で事業をやられると、その行き着く先は見えている。光すら出てこられないブラックホールの中心にあるという、物理法則が通用しない特異点下のような暗さが待っているのだ。
正宗は背中に暗黒物質がズンと乗った気がした。
「天才……には見えなかったな」
だとすると、狂人なのだろうか。他人なら別にいい。されど、七穂は建前上は上司なのだ。こうなると、選考時に人事部が実行する精神チエックが正常に行われたことを期待するのみ。
精神チエックは、創造者が呼ばれる時に惑星開発に不適格な精神が含まれてないかをチエックしている。
詳細は部外秘なので、正宗は詳しく知らない。が、時折「よく、こんなの創造者に選んだな」と思える〝電波系知的生命体〟が来ることが、経験則として知られている。噂では精神チエックは実はザルで、人事の上層部と納入業者が癒着しているとの噂もある。
源五郎は正宗の言葉を受けて椅子に深く腰掛けた。
「天才には見えないか。どうだろうな、見かけはお嬢ちゃんだが、話した感じでは、知識はそれ以上のものがある。もしかすると、本当の姿は、もっと違うんじゃねえか」
正宗は捻り鉢巻を外し、指でくるくる回しながら、ボヤいた。
「何だか、いよいよ気が重くなってきたな」
源五郎は再び可憐な少女のようなヒトノツラを被りながら立ち上がる。
「じゃあ、言うことは言ったから、またな。まあ、こちらでも、お嬢ちゃんと会ったら、それとなく探り入れておくから」
源五郎は手を挙げて部屋から出て行った。後には将来を憂える正宗が、ぽつんと部屋に取り残された。
「やれやれだな。これ以上に事が酷くならなきゃいいが……」
正宗は気晴らしに椅子を回して窓の外を見た。窓の外には、正宗の運命を暗示するような竜巻が砂塵を巻き上げて舞っていた。
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