2 先制攻撃
賢司は、一度だけ、大きく深呼吸した。
海神は緩慢な動きで少しずつこちらにやってくる。
その頭は確かに上を向いている。賢司達の存在に、はっきり気付いているのだ。
海神の後ろにもなにかが見えた。
海神が、なにか白っぽいものを引きずっているのだ。
その正体を見きわめようとして、思わずバルコニーから落ちそうになり慌てて下がった。
もう一度身を乗り出す必要はなかった。
海神はそれをぐいと引っ張って、明かりの元に引き出した。
賢司達にはっきりと見せたがっているようだった。
それが、妙子だと知ると、賢司は喉がきゅうと絞まるのを感じた。妙子の身体は、白と赤のきれいなコントラストを描いていた。
由里がしがみついてきた。
彼女も震えていたが、それは恐怖ではなく怒りのこもった震えだった。
「賢司君あいつを殺して!」
あの由里が、そう叫んだ。
賢司は歯を食いしばった。
由里の叫び声がかまいたちになって身体を引き裂いたように、鋭く痛かった。
復讐にとらわれる心を否定した由里が、こんなに感情をあらわにしたことはいままでなかったと賢司は思った。
海神が神様だろうとなんだろうと。
邪魔をされて怒ったのだろうとなんだろうと。
賢司達がこんな悲劇に巻きこまれる道理なんてものはどこにも存在しないはずだったのだ。
賢司達である必要が、いったいどこにあったというのか。
賢司は鉄になった。生き物と生き物が生死をかけて戦う。そこに、理由はない。生きるためには殺すしかない。
賢司は、素早くしゃがんで石を拾うと、海神を睨んだ。
なんだかわからないが、かっかと苛立った。憤りが頭中を渦巻いた。
気が付くと賢司は、自分でも意味のわからない言葉を口からほとばしらせながら、投石していた。
石は外れ、海神の手前に落ちた。海神が反応して、さっと動き始める。
すぐに次の石を拾い、振りかぶって投げた。
今度は海神のどこかにあたった。べちゃっという音がして、そう確信した。
さらに石を何個も掴み、次々に投げた。
手加減はしなかった。
腕がちぎれるぐらいに力をふり絞って投げ続けた。
いっぺんにいくつも投げたときもあった。
漬物石のようにでかい石は両手で掴んで吠えながら投げた。
多くの石は外れたが、確実に命中したものも少なくないようだった。
海神が次第に奇妙な声を発するようになってきた。
呼吸音のようなしゅうしゅういう音だ。
しゅうしゅう言いながら海神はまだ近づいてきた。
四つん這いになって、さあっと加速した。
バルコニーの下に潜られ、海神の姿が見えなくなった。
だが玄関が開いた音はしなかったから、海神は、賢司達の真下辺りの玄関口を徘徊しているのだろうか。
第一手はうまくいったはずだ。
これからだ。
これからが本番だ。
海神に致命傷か、身動きの出来なくなるような傷を負わせるには、家の中に引きこまなければならない。
辺りは不気味に静まっていた。火の燃えるパチパチという音と、賢司の荒い息遣いだけが聞こえた。海神の呼吸音もどこかにいってしまった。
「海神の奴、どうした? この真下にでもいるか? なにも聞こえなくなった。いなくなったのか?」
「油断しないで、賢司君! 敵はモンスターなのよ?」
賢司はうなずいた。
床から手製の槍を拾い上げて、注意深く構えた。
そして、海神の行方を探るために、バルコニーの端から少し身を乗り出して、下を覗きこんだ。
正面に、海神の顔があった。
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