第五十三話:写真館!

 今日も田中先輩と連れ立って、お昼前に螢静堂を訪れた。

 先輩は毎朝隊士さんたちを引き連れて二刻ほど訓練をしているので、お見舞いの時間はいつもこのくらいになりそうだ。


「そうだ、雨京さんが来たらこれを渡しておいてくれる?」


 私は懐から三通の文を取り出して、かすみさんに手渡した。

 中岡隊長が書いたもの、長岡さんが書いたもの、そして私が書いたものの三種だ。

 どれもいずみ屋の絵のことについて記してある。


「分かった、渡しておくね」


 かすみさんは三束の文を受け取って、それを脇の文机の上に置いた。

 まだ布団から出ることはできないので、すぐに手が届く場所まで机が寄せられているようだ。


「雨京さんとはここに来る時間が合わなくなっちゃったから、とりあえず文でやりとりをしようと思って」


「そう。兄さまも、お昼に時間がとれそうな日は美湖ちゃんに会える時刻に来てくれるって言っていたわ」


「ほんと!? それじゃ、また会える日を楽しみにしてますって伝えておいてね!」


「ええ……美湖ちゃん、毎日顔を見せてくれて本当にありがとう」


 そう言ってかすみさんは小さく頭を下げた。

 ふわりと優しい表情だ。まるでお使いから帰ってきた私を迎えてくれる時のような。

 数日前まではもっと、おどおどとして不安げだったけれど、少しずつ普段と変わらない反応を返してくれるようになってきた。


「ずっと隣にいてあげられなくてごめんね。かすみさんがどこにいたって、毎日会いにいくからね」


「ありがとう。怪我が治ったら、また二人でお出かけしようね」


「うん! それじゃ、写真を撮りにいこう! 雨京さんも一緒に!」


「そういえば約束していたものね。私も写真を撮るのは初めてだから、とっても楽しみ」


 私がうきうきと写真の話をはじめたのを見て、かすみさんもつられるように笑ってくれた。

 雨京さんは古風な人だから、写真のことは知っていてもまだ撮ったことはないだろう。

 三人が写る最初の一枚になるのであれば、写場も慎重に選ばなきゃいけないな。事前にいろいろと調べておこうっと。



 それからむた兄やゆきちゃんに軽く挨拶を済ませたあと、居間でくつろいでいた田中先輩に声をかけ、私たちは螢静堂をあとにした。


 その帰り道。

 盗まれた絵を探して絵草紙屋や小間物屋を何軒かあたってみたものの、どこも取り扱いは流行りの役者絵なんかが多く、肉筆画自体が貴重なものだった。

 残念ながら有力な情報は何一つ得られずじまいだ。

 画商との交渉は雨京さんに任せることになったし、実際のところ私にできることは少ない。


 目ぼしい店はないかと周囲に気を配りながら歩いていると、見覚えのある看板が視界に飛び込んできた。

 私は思わず足を止めて、先輩の袖口を引っ張る。


「先輩、待ってください! 少しだけここに寄らせてくださいっ!」


 立ち止まった先輩は脇に立つ店舗を見上げて、わずかに顔をしかめた。


「写場じゃねぇか……オレと撮りてぇんならお断りだぜ?」


「違いますよぉ。先輩の写真を拾ったとき、このお店で話をきいたので一言ご挨拶に」


「そういやあれを撮ったのはこの店だったなァ。んじゃ、入るか」


「はいっ!」


 いまいち乗り気ではなさそうな先輩の手をひいて、のれんをくぐる。

 あの陽気なお兄さんは元気にしているかなぁ?



「いらっしゃいませ」


 店内に足を踏み入れると、迎えてくれたのは例のお兄さんではなく商人風の壮年男性だった。

 以前来た時と比べて、いくらか店の中がすっきりと片付いているように見える。


「こんにちは、以前ここで働くお兄さんにお世話になった者です。お兄さんは今いらっしゃいますか?」


「兄さん……? ひょっとして、弟子のことですやろか」


「お弟子さん……ということは、あなたがご店主さんなのでしょうか?」


「ええ、店主の堀与兵衛と申します」


 堀さんは丁寧に頭を下げて挨拶してくれる。

 私と先輩もそれに合わせてお辞儀を返した。


「ところで、今日はそのお弟子さんは……?」


「弟子は数日前にここを出ていきましてな。今は東山のほうで開業しとるようですわ」


「か、開業ですか!? 詳しい場所を教えてくださいっ!」


 しばらく来ない間に、こちらも随分と状況が変わってしまったようだ。

 あのお兄さん、何かと慣れた様子だったもんな。もうお店を持てるほどの腕なんだ。すごいなぁ。


 ――誰もが当たり前に今まで通りの場所にいてくれるわけではないのだと、改めて気づかされる。

 それぞれが日々目まぐるしく動いているんだな。

 私だってここ数日で生活は一変したし、住む場所も変わった。

 お兄さんの新しい門出のお祝いに、これからお店を訪ねてみよう。


 店主さんは嫌な顔ひとつせずに、詳しい場所を地図つきで教えてくれた。

 私は何度も頭を下げてお礼を言い、いつか写真を撮りに来ますと約束して店を出るのだった。


 そうして地図を頼りにふたたび歩き出す。

 場所は矢生一派の本拠地があった森からそう離れてはいない。

 あのあたりは大きなお寺さんが多く、閑静な通りが続いている印象だ。お客さんは呼び込めているかな?


「……高台寺の近くかァ」


 祇園さんの南楼門を抜けたところで、きょろきょろと周囲を見回しながら居心地悪そうに田中先輩が肩をすくめる。


「もう少し下ったところですよ。たしかに、高台寺も近いですね。いい場所だと思います」


「まぁ、そうだな。目立つトコにあるならそれなりに人も入るだろうぜ」


 少し歩けば花街もあり、いろいろな人が流れてきそうな場所だけど、細い通りに入ってしまえば静かなものだ。

 地図に目を落とすと、お兄さんの写場は少し大通りからはずれて入りくんだ場所にあるようだ。



 迷いそうになりながらも更に東南へと進んでいけば、ようやくそれらしい建物にたどり着いた。

 即席で作られたような看板が、傾きかけた家屋の壁に無造作に立て掛けられている。

 庭だけはそれなりに広いようだけど、吹けば飛びそうな木造平屋のそれは、一見して廃屋にしか見えない。

 本当にここで商売が成り立つのか。いや、そもそも人が住める場所なのか。


「英傑写真館……熱き志のもと戦う男たちに栄光の杯を。今ならなんと三人撮りまで、一人撮りの値で承ります! 同志と並んで後世に写真を残しましょう……だってよ」


 看板の文字を読み上げながら、軽く吹き出しそうにニヤニヤしている田中先輩。

 何やら長々と宣伝文句が書かれているなぁとは思っていたけど、そんな内容だったのか。

 お兄さん、志士びいきなのかな。


「とりあえず、中に入ってみましょうか」


 表面が剥がれ落ちそうになっている年季の入った木戸を開けて、戸口から店内を覗きこんでみる。真っ暗でよく見えないなぁ。


「だれかいねぇっすかー?」


 ずかずかと中に上がり込んで先輩が声を張り上げる。

 すると、部屋の隅でガタンと何かが倒れる音がした。

 そうしてすぐさま闇の中から人影が立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。


「お客さんかい!? いらっしゃい!」


 外からの光に照らされて影の全貌があきらかになった。

 間違いなく例のお兄さんだ。


「お兄さん、私、天野美湖です。覚えていますか?」


「……ああっ! 覚えてる、覚えてるよぉ! 美湖ちゃん!! あのあと、いずみ屋が燃えたって聞いて心配してたんだよ。無事だったんだね!」


 あちこち煤よごれて、髪の毛に蜘蛛の巣が張り付いたなんともみすぼらしい様相のお兄さんは、私の顔を見るなりぱっと目を輝かせて手を叩いた。

 掃除でもしていたのかな?


「はい! それで、写真の落とし主さんとも会えました」


 と、先輩に寄り添うようにしてその顔を見上げれば、彼は少し照れ臭そうに頭を掻きながらはにかんでみせた。


「いやー、撮ってもらってすぐ落とすなんて我ながら情けねぇ話なんすけど。無事に手元に返ってきたんで一応報告に」


「そりゃあ良かった! お兄さん、写真の仕上がりが不服そうだったから、もしかしたら捨てちまったんじゃないかって!」


「とんでもねぇ! 仲間と撮った記念の一枚なんすから、んなことしねぇっすよ」


「そうかい? まぁ、とにかく初めてのお客さんだ! 上がって上がって」


 私たちの背を押して土間から上がるように促すと、お兄さんは行灯に火を灯して部屋の中央に置いた。

 室内には物も少なく広々としているものの、畳なんかは相当古いもののようでがさがさとした足ざわりだ。

 天井を見上げれば何やら大穴が補修された跡があり、あちこちに蜘蛛の巣がはっている。


 室内に光が射し込まないのは、格子の窓に中から板を打ち付けているからだった。

 なぜわざわざこんなことをしているんだろう。おかげで風通しも悪く、店内はじめじめといやな湿気で満たされている。


「看板は出てたけど、もしかしてまだ店開けてねぇんすか?」


 予想外に廃れきった店内の様子に苦笑して肩をすくめながら、先輩が尋ねた。


「あー、やっぱそう見える? バリバリの営業中なんだけどねぇ。まだ店内が片付いてなくてさ」


「古い建物みたいですからね……長らく人が住んでなかったような」


「いや、去年までは薬屋の後家さんが住んでたそうだよ。そのあとなかなか借り手が見つからなくてここまで荒れちまったみたいだけど」


「へぇ。でも、いい場所に店借できて良かったですね! ちょっと奥まったところですけど、表の通りに出ればお客さんも呼び込めそうですし」


 建物が極端に古ぼけていることを抜きにすれば、店内も広いし、庭つきだし、なかなかいいと思う。

 きちんと掃除してお客さんを迎える体勢を整えていけば、お店として生まれ変わってくれるだろう。


「そうだね、まずは掃除を頑張らないと。数日やってやっとこさ庭と土間まわりが片付いたとこだよ」


「庭から片付けたってことは、ここも外で撮るんすか? 堀さんのとこも庭に写場があったっけ」


 先輩が勝手口のほうへ視線を送る。

 写真って、外で撮ったりもできるんだ。


「そうそう、どこもだいたい野外写場だよ。写真を撮るには光を集めなきゃいけないからさ、お天道様の下が都合がいいわけよ」


「へぇぇ! 面白いですねぇ。それじゃ、夜は撮れないんですか?」


「うん、夜は厳しい。曇りの日もあんまり好ましくはないね」


「なるほどぉ。一度撮っているところを見てみたいなぁ」


「興味あるんだったら、いいよ。お客さんが来たら少し手伝ってもらえるかい?」


「はいっ! 喜んで!!」


 やったぁと目を輝かせて拳を握る私を見て、お兄さんはニッと歯を見せて笑ってくれた。

 先輩も私に付き合ってくれるようで、まずは片付けをしようと袖をまくって立ち上がる。


「手伝ってくれるのかい、お兄さん」


「コイツが興味津々みたいなんで、オレも力貸しますよ」


「ありがとよーっ! あとで必ず礼はするからね!」


 あぐらをかいた状態で勢いよく膝をたたくお兄さんは、思わぬ助っ人の登場に上機嫌だ。

 手伝っているうちに写真のことを勉強できそうだし、しばらくここに通うのも悪くないな。



 それから、すぐさま手分けして店内の掃除にとりかかった。

 先輩は屋根に登って瓦が飛んだ部分の修繕を。

 私とお兄さんは、部屋の片付けと拭き掃除を。


 ひとまずは、お客さんの対応をする土間つづきの一室から雑巾がけをする。

 窓枠や戸棚なんかは一拭きで雑巾が真っ黒になるほどに埃がたまっていたし、畳も清潔ではないようで、何度か繰り返し同じ場所を拭いてやっと汚れが落ちてくれた。

 できれば畳ごと替えたいくらいだけど、それはお店が繁盛してからかな。

 

 お兄さんは器材を揃えるためにほとんど持ち金のすべてをつぎ込んでしまったそうで、今の懐事情は私と同程度なのだと話してくれた。

 そろそろ仕事を受けなければ、食べていけなくなるらしい。切実だ。



「……よっし、だいぶ綺麗になった! 奥の部屋は初日に掃除したから、これであらかた終いだよ」


 そう言って大きく伸びをしたお兄さんは、仕上げにと格子窓に打ち付けてあった板を外す。

土間側と通りに沿った壁際の二ヶ所から光が射し込んで、室内はほっとする明るさになった。かすかに髪を撫でていく風が心地いい。


「見違えましたね。これでお客さんも入りやすくなったと思いますよ」


「だね! よっし、屋根はどうなったかな? 見に行ってみよう」


 つい先ほどまで頭上でトンカンと休みなく音がしていたから、一通りはできているんじゃないかと思うけど、どうだろう。



 勝手口から庭のほうへ出てみると、先輩はすでに梯子から下りていた。

 仕事を終えて一息ついているのかと思いきや、何やら近所の子供たちに囲まれて言い合いになっているようだった。


「兄ちゃん、幽霊屋敷で肝試しかー?」


「祟り殺されるでー!」


 きゃっきゃと囃し立てる少年たちに首を傾げていた先輩のもとへ、私たちが駆けつける。

 冷やかし混じりの笑みを向ける彼らに真っ先に声をかけたのは、お兄さんだ。


「キミたち、変な噂流されると困るんだよ! ここは幽霊屋敷じゃない! 何日も住んでるけどなーんにも出やしないよ!」


「ほんならもう、憑かれとるんやー!」


「やーい!幽霊オヤジー!!」


 愉快そうに笑いながら走り去る少年たち。

 確かにこのお店は古ぼけて怖い印象だけど、だからと言って幽霊屋敷はひどすぎる。

 掃除の甲斐あっていくらか店内も明るく見えるようになった。

 今後人の出入りが増えればお金をかけて修繕もできるだろうし、ますますよくなっていくはずだ。


「あのガキども、好き勝手言いやがって……たしかに出そうではあるけどよォ」


 出鼻を挫かれるようないわれなき中傷に、私たちは困惑していた。

 気まずい空気を押し流すように先輩が声をあげると、お兄さんはなんとも言えない表情で小さく息を漏らした。


「まぁ、ここで前の住人が殺されたらしいから噂が立つのは仕方ないんだけどね」


「えっ!?」


 私と先輩の声が重なった。

 今、耳を疑うような発言が飛び出したような……。


「ここに住んでた後家さんが、いい仲だった若い男に斬られたんだってさ。痴情のもつれだとかなんとか……で、怨みから毎夜化けて出るって言われてる」


「……よくそんなヤバそうな場所を借りたもんだぜ」


「ひいぃぃ……」


 今の今まで掃除していた部屋で、そんな凄惨な事件が起きていたなんて。

 そういえば謎の黒い染みがあちこちに飛んでいたような……!

 思わず足がすくんで、震えながら先輩の背後に身を隠す。


「平気平気! なんともないから! 化けて出たら思いきり灯りを当てて一枚撮ってやるよ! かかってこいってんだ!」


 青ざめる私たちをよそに、お兄さんはカラカラと笑い飛ばしながら大股で店の中へと戻っていく。

 恐ろしい事情を知らされて再びそこに足を踏み入れるのを躊躇していると、先輩がそっと私の背を叩いて歩きだした。


「あの調子なら大丈夫そうだ。店やるからにはビビってちゃしょうがねぇしな、オレらも明るくいこうぜ」


「……は、はい」


 言われてみれば、そうだ。

 せっかく開業したわけだから、過ぎたことに頭を悩ませていても仕方がない。

 ご近所さんたちに幽霊屋敷扱いされ続けるのはちょっと問題だけど、お店が繁盛すればそんな噂も次第に薄まっていくだろう。

 何はともあれ、これからが大切だ。




 店内に戻ると、格子窓から人通りの少ない通りを見渡しながら、お兄さんがため息をついていた。


「客がぜんっぜん来ない……」


 ここは細い路地を入ったところにあるから、お店の前を通るのはご近所さんがほとんどのようだ。

 みなさんかなり足早に、できる限りこちらに目を合わせないようにしながら逃げるように通過していく。

 中には、窓からのぞくお兄さんの顔をみて絶叫しながら逃走する人なんかもいる。

 幽霊屋敷としてますます名を上げてしまいそうだ。


「大通りに出て呼び込みをしてみたらどうでしょうか?」


「うん、明日からそれもやるつもりさ。今日はもうじき日暮れだしねぇ」


 たしかに、うっすらと空が色づきはじめている。陽が落ちるまでにそう時間はかからないだろう。


「んじゃ、明日からが本番っすねぇ。英傑が押し寄せてくれりゃいいんすけど……」


「ここは京だよ、やたらと志の高い浪人がわんさか集まる都さ! きっとすぐにつかまるよ!」


 お兄さんは拳を握って力説する。

 それを見て、ふと疑問に思っていた事柄が口をついて出た。


「あの、どうして英傑写真館なんですか? もしかしてお兄さん、志士びいき……とか?」


「そりゃあ贔屓にもするさ、志士さん方はお得意様だからね! まだまだ写真を怖がる人が多いからさ、すすんで自分の姿を残そうとのれんをくぐってくれる人たちを写真屋は有り難がってるわけよ!」


「へぇ……志士さんは写真好きが多いんですか」


 思わず先輩の顔を見る。

 本人は写真嫌いだと言い張っているけれど、これまでに何度か撮ったことはあるらしいから、彼にとって写真が身近なものであるのは確かなようだ。


「まぁな。言われてみりゃ、故郷に送るためとかでほとがらを撮るヤツは多いわ。オレは撮っても送んねぇけど」


「脱藩しちゃうと、もう故郷に戻るのは難しいんですよね。だったらご家族は喜ぶと思いますよ」


「いや、写りがアレじゃ喜ばねぇだろ。ちょっと見ねえうちに不細工になったもんだって嘆かれるぜ」


 先輩、よっぽど気にしているんだな。

 今だって写真の話をしながら、みるみる生気を抜かれたような表情になっていく。


「そんなに気に入らないもんかね? ちなみに、師匠の店で撮る前にはどこで撮ったんだい?」


 不可解そうに腕を組んで唸りながらお兄さんが尋ねる。

 この様子からすると、先輩ほど写真の出来に不満を漏らすお客さんは少ないのかな。


「京以外では、長崎で撮ったっすね」


「な……長崎ぃ!? お兄さん、長崎に行ったことあるのかい!?」


 畳の上でくつろぎきっていたお兄さんが跳ね起きて、先輩の肩をがくがくと揺さぶっている。

 鼻息が荒い。すごい興奮っぷりだ。


「ん? ああ、何度か行きましたよ。オレが撮ってもらった店は、上野さんって人がやってるとこで……」


「上野!? もしや上野彦馬先生!?」


「そうっす。なんだ、知ってんのかぁ」


「上野先生は言わずと知れた写真の第一人者だよ!! 写真師を志す人間がその名を知らないはずないさ! 羨ましいッ!! 先生に撮っていただいたなんて!」


 お兄さんの語気が次第に熱狂的なものに変わっていく。

 師匠を差し置いて、長崎の写真師さんをとんでもなく信奉しているようだ。

 上野さんって一体どんな人なんだろう……。


「上野さんって他藩でも有名なんすねぇ。まぁでも、長崎で撮ってもオレの写りはひどかったっすよ」


「なんだって!? 今度その写真見せとくれよ! 人に送ったりしてないんだったら手元にあるんだろ?」


「あるのはあるけど、気に入ってねぇからなァ……」


「見せてくれたら、とびきり色っぽい美女の半脱ぎ写真を焼いてあげよう」


「おっしゃ、近々持ってきますよ」


 先輩はキリリとした表情で、もったいぶったように頷いてみせる。

 交渉成立……。

 お兄さんってそんな写真も撮ってたんだ。

 コロッと懐柔されてしまう先輩も先輩だけど、お兄さんのやり口もなかなか巧妙だ。

 男の人ってこういうとこ分かりやすいなぁ、もう。


「ちなみに半脱ぎってどんなっすか……?」


 わくわくと跳ねる気持ちを抑えられない様子で、先輩は身を乗り出す。


「島原のオネエチャンをおだてすかして、際どいやつを何枚か撮らせてもらったのさ。あちこちモロに見えてるやつもあってねぇ……秘蔵のお宝だけど、特別に一枚だけ分けてあげるよ」


「そりゃスゲェ……! 写真がありゃもう春画なんざ廃れちまうなァ」


「おうともさ。やっぱ実物の破壊力にゃかなわないよ」


 ニヤニヤと鼻の下をのばしていやらしい話をする二人はそれはもう楽しそうで、間に入っていける隙はない。

 もういっそ英傑写真館じゃなくて、お色気写真館にしてしまえばいいのに。




「……よし、そんじゃ今日のところは店じまいってことで! お茶淹れるからちょいとくつろいでってよ」


 無言で二人を見つめる私の視線を気まずく感じたのか、お兄さんは腰をあげて土間のほうへお湯を沸かしにいった。

 長居をしてしまって大丈夫かと先輩に尋ねると、今日のところは問題ないだろうという答えがかえってきたので、もう少しだけここに留まることにした。


 出されたお茶をすすりながらお煎餅を片手に、なんでもない世話話に花を咲かせる。

 お兄さんは底抜けに明るく気配りもできて、商売人としてはいかにも成功しそうな人柄だ。

 男の人にしては細身で顔立ちも綺麗だから、まるで女形のような華がある。


「お兄さんって、役者さんみたいですよね。写真に撮ったら絵になりそうです」


「ん、そうかい? ありがとよ。美湖ちゃんだって可愛いからきっと絵になるよ」


「えへへ、ありがとうございます。そうだと嬉しいな」


 田中先輩みたいに普段より元気のない顔に写ってしまったら少し残念だけど。

 それでも初めて撮る一枚には期待がふくらんでしまう。



「……つーか、さっきから気になってたんだがよぉ」


 私とお兄さんの会話に割って入った先輩は、何か腑に落ちない様子でお皿の上のあられを握りこんで口の中に放りこんだ。


「何ですか?」


 小首を傾げて彼のほうへと向き直る。

 先輩はボリボリと音を立ててあられを噛み砕いたあと、それをお茶で流し込んでふたたび口をひらいた。


「お兄さんお兄さんっつってっけど、写真屋さんって女じゃねぇの?」


「……え? ……ええっ!?」


 女!?

 だってお兄さんはどう見ても男物の着物を着ているし、本人だって男扱いされて当然のように振る舞っている。

 言葉をなくして彼のほうを見れば、一瞬きょとんとしてまばたきを繰り返したあと、盛大に笑いだした。


「あっはっは!! なぁんだ、バレてたかぁ!」


「……ええっ!? ということは、本当に女の人なんですか?」


「そうさ! 黙っててゴメンよ美湖ちゃん。女だてらに職人やってるとナメられちまうからさ、こうして形だけでも男になりすましてんのよ」


「そ、そんなぁ……ずっと男の人だと思ってましたよぉ」


 あまりの衝撃に全身の力が抜ける。

 男ではないと暴露された今でも、目の前のこの人は顔立ちの整ったお兄さんにしか見えない。

 このキリリとした目鼻立ちは、男らしく化粧を施しているからなのだろうか。


「やっぱりなァ。男から見りゃ体つきと立ち振舞いですぐ分かるぜ」


 納得したように軽く膝を打って、先輩が口角を上げる。

 ……そっか、見る人が見ればすぐに分かる変装なんだ。見破れなかった自分が少し恥ずかしい。


「中にはニブくて気づかない男もいるけどねぇ。お兄さんは観察力があるってことさ」


「……ああ、紹介が遅れて悪いんすけどオレ、田中っす。田中顕助(たなかけんすけ)いつまでもお兄さん呼びじゃ落ち着かねぇから」


 先輩、ケンスケっていう名前だったんだ。

 隊長も長岡さんもケンって呼んでるから、ずっと『田中ケン』さんだと思ってた……本人には黙っておこう。


「顕助くんね!ちなみにお歳は?」


「二十五っす」


「若いね!あたしは二十七。年下だからケンちゃんでいっか」


「い、いいっすけど……写真屋さんの名前は?」


「あたしは紫乃(シノ)ってんだ。よろしくね、二人とも!」


 上機嫌に豪快な笑みを見せながら、シノさんは私たちの肩を両手で叩く。

 名前を聞けば確かに女の人だ。

 けれど相手が誰であれ一歩も引かずに胸を張って対応する姿は、一人の職人として立派なものだと思う。

 この人なら多少荒くれた志士を相手にしてもうまく立ち回っていけそうだ。

 なんだかカッコイイな。


「こちらこそよろしくお願いします、シノさん! またお店を手伝いにきますね!」


「うんうん、いつでもおいで! 待ってるからね」


「次来る時は長崎で撮ったほとがらを持ってきますよ」


「楽しみにしてるよ! ついでに、写真を撮りたがってる志士仲間がいたらウチを紹介してね! 安くしとくからさ」


 先輩の肩をバンバンと叩きながら、シノさんは朗らかに笑ってみせる。

 陸援隊のみなさんに声をかければ、何人かは興味を持ってくれる気がするな。

 私もできるだけ知り合いに宣伝してみよう。




 そうこうして、私と先輩は写真館をあとにした。

 シノさんは私たちが通りを曲がりきるまで手を振ってくれていた。

 途中で「祟りやー!」と叫びながら路地を走り抜ける少年たちとすれ違ったけれど、シノさんの反論は聞こえてこなかった。


 紅から紫へと塗り重ねられた秋の夕暮れに見惚れる暇もなく、先輩はすぐさま屯所までの走り込みを開始した。

 ひたすら北へ北へと凄まじい距離をひた走る。

 途中で大通りに差し掛かると歩を緩めて休憩し、人通りがまばらになればまたすぐに速度を上げて疾走した。

 

 そうして屯所の門をくぐった瞬間に、私はその場にへたり込むのだった。

 今日もよく走った……。

 まだ始めたばかりだけど、長距離を走ることに対しての心構えはいくらかできてきた気がする。

 とはいえまだまだ体が追いついてくれないから、動悸はなかなかおさまらず疲労は限界に達している。

 早く部屋で寝転がりたい……。


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