第三十四話:陸援隊


「――それで、話とは?」


 中岡さんが一呼吸おいて、静かにそう切り出した。


「えっと、まずは昨日の夜のことを聞いてください……」


 そうして私は、順を追って昨夜の出来事について語りはじめた。

 りくが屋敷に侵入して、離れを爆破したこと。

 やえさんが傷つけられたこと。

 それによって神楽木家周辺はますます警戒を強め、その物々しい雰囲気から、かぐら屋の経営にも影響がでるであろうこと。

 そして、奉行所から聞いた盗賊団の件。

 思い付くかぎりのことを、あらいざらい話した。


「りくは、私の命を狙っています。どこにいようと追いかけて殺すと宣言しました。実際昨夜は神楽木家に侵入して、私の命を奪うつもりで部屋ごと爆破したわけですし」


「あの娘、そこまで……よく無事だったな、天野」


「はい。あと少し気づくのが遅ければ、どうなっていたか分かりません」


 私がそこまで話すと、中岡さんたち三人はそれぞれ難しい顔をして黙り込んだ。

 ……無理もない。

 死闘をくぐり抜けて、矢生たちとのいさかいに蹴りをつけたばかりのこの人たちに、本当ならこんな話はしたくない。

 これは解決したはずの問題に、ふたたび火をつけるような行為だ。


「まぁ、オレたちだってこのまま終わるとは思ってねぇし、報復もあり得ると覚悟はしてたがよ、まさか天野を狙いに行くとはなァ」


「りくは、むしろ私だけを狙っています。なんだか相当恨まれているみたいで……」


「つうか、誰なんだよそいつは。いたか? あの場に女なんてよ」


 田中さんは釈然としない様子で眉間にしわを寄せる。

 となりに座る大橋さんも同じくそう思っているようで、小さく首をかしげてみせた。


「ケンも大橋くんもあの場にいなかったからな。だが、確かに女の姿はあった。相手をしたのは俺と天野だ」


「なるほど……それで、天野さんが恨みを買ったわけですか」


 中岡さんの言葉に納得したように頷きながらも、大橋さんはこちらを気にかけてわずかに眉を寄せた。


「そうなんです。それで、こんないつ襲われるか分からない状況で神楽木家にいたら、雨京さんたちに迷惑をかけてしまいそうだと思って……」


「それで、俺たちには何ができると?」



「――ですから、その……しばらく、ここに置いていただけませんか!」


 ぎゅっと目をつむり、思いきって頭を下げる。

 ……返事が怖い。

 この人たちを頼るしかないと思ってここに来たけれど、頭を縦にふってくれる保証はないからだ。


 ――少しの沈黙のあと。

 最初に口を開いたのは、この部屋で顔をつきあわせていた六人とは全く別の人物だった。



「ハイ採用ー! いいよ、決まり。ここに住んでよし!」


 勢いよく障子を開けて、パチパチと手を叩きながら姿を見せたのその人は……


「香川さんっ!」


 そう、田中さんたちと共にここの隊を取り仕切っているという、幹部の香川さんだ。


「隊長さんよー、俺抜きでこういう話進めんでくれよ」


「すまんな、お前はいつもこの時分寝ているだろう」


「なんか、ゴチャゴチャ話し声が聞こえてきたから起きたよ」


 あくびをしながら部屋のすみに積んである座布団をつかむと、香川さんはそれを大橋さんのとなりに敷いて腰をおろした。

 それにしてもよく眠る人だなぁ。この間ここを訪ねた時も始終あくびをかみ殺していたっけ。


「いつもは起こしても起きねぇくせに、珍しいじゃねぇか」


「まー、女の声が聞こえたからねぇ。そりゃ起きるよ」


「うえ……うぜぇ」


 田中さんは思いきり顔をしかめて香川さんから視線をはずす。

 ふと雨京さんのほうを見ると、彼もまた田中さんと同じように露骨に眉をひそめていた。


 ……まずい。

 そういえば雨京さんは、女にだらしない感じの人を毛嫌いしているんだった。


「な、隊長さんよ。わざわざ頭下げにきてくれてるわけだし、あずかってやってもいいんじゃないの?」


 香川さんはそう言って、中岡さんのほうへ視線を流す。

 一体どんな返事がかえってくるのか……。

 私はめまいがするほどに胸を高鳴らせながら、ぐっと背筋を正した。


「あの夜の戦いで、天野をこちら側に巻き込んでしまうという懸念はあった。そのことを理解した上で同行を許したわけだからな……ここは責任をとるべきだろう」


「中岡さん……!」


 思わずぱっと顔をほころばせて、小さく身を乗り出す。

 否定の言葉が返ってくることも覚悟していたけれど、よかった! 少なくとも追い返されるような結末にはならずに済みそうだ。


「そうは思うが……ここで生活することが必ずしも安全につながるとは、言い切れない」


「そんなことないですよ! ここの人たちだって矢生たちに狙われているかもしれませんけど……でも大人数で、みなさん腕がたちますし!」


 私は、たどたどしくつっかえながらも中岡さんの意見を否定する。

 ここより安心できる場所なんて、他には思い浮かばない。

 この隊は戦える武器を持った集団だから、相手もそうそう敷地内に忍び込もうとは思わないはずだ。

 なにより一度矢生一派を叩いて、この人たちは勝ちを得ている。

 敵の襲撃を受けたとしても、はねのけるだけの力をもっているんだ。


「そういう意味じゃない。簡潔に言えば、さらに敵が増える危険性があるということだ」


「え!? そ、それってどういうことですか……?」


「おそらく神楽木殿は、そのあたりについて話を聞きにいらしたのでしょう。ここが、どういった場所かという事を」


 一人あわてふためく私から一旦視線を外し、中岡さんは雨京さんに向かって語りかける。

 今まで静かに話を聞いていた雨京さんは、その言葉にしっかりとうなずいてみせた。


「仰る通り、いくつかお聞きしたいことはございます」


「そうでしょう。まず言っておきますと、我々としてはこの子を預かることに問題はない……つまり、あとの判断は、あなたにお任せすることになります。質問にはすべてお答えしますので、それをもって最終的なご判断を」


「承知しました――ではまず、ここはどういった集団であるかをお聞きかせ願いたい。貴殿は隊長と呼ばれているようですが……」


 向かい合って座る中岡さんと雨京さんは、互いに鋭い視線を交わしながら言葉のやりとりをはじめる。

 そこに、周りが口出しできるような隙はない。


「ここは、陸援隊(りくえんたい)という土佐の外郭組織です。在京の脱藩浪士を集め、訓練し、有事の際の兵とすることを目的としております。私はその隊長で、こちらに座る三人は幹部です」


「土佐藩に属していると? 脱藩は重罪でしょう。浪士殿たちは、藩から追われる立場なのでは?」


 雨京さんは、考えこむように腕を組んで小さく唸る。

 藩からお仕事をもらっているという話は長岡さんから聞いた。

 だけど、雨京さんが言うように深く考えたりはしなかったな。

 遊学や認められた旅ならともかく、黙って藩を出た人たちは、見つからないように逃れながら生きていかなければならないと聞いたことがある。


「私は、脱藩の罪を赦免されております。以降は藩とのつながりも深まり、こうして一隊を任せられる運びになりました」


「赦免……? 赦されるものなのですか?」


 雨京さんは怪訝そうな顔で質問を続ける。

 なんだか難しい話になりそうだけど、赦免っていうのはつまり、脱藩はなかったことにしてあげるよってことかな。

 意外にも、その疑問に回答をつきつけたのは陸奥さんだった。


「珍しいことですが、あります。藩にとって益になる人物は、懐にとりこんでしまおうという意味での措置です。中岡さんは他藩にも顔がきき、門閥の人間よりはるかに交渉事に長けているので、そうした沙汰が下ったわけです」


「むっちゃんにしてはやたらと誉めてくれるな!」


 田中さんは、なぜだか自分が誉められたかのように嬉しそうな顔で膝をたたく。

 やっぱり自分の隊の隊長さんが誉められると嬉しいものなのかな。


「藩にとって使える人材だということですか……では、ここに住む浪士たちも皆、赦免を?」


「いえ、正式には私一人です。ですが、隊士となった者たちは形式上藩に属する兵という形になりますから、咎め立てされることはありません」


「なるほど。それならば、浪士たちにとっても都合がいいでしょうな」


「京を徘徊する浪士たちを一ヶ所にまとめて保護するというのも、隊の目的の一つです。あちこちあてもなくふらつく浪士の姿は、町の人間にとって不安の種でしょうから」


「その通りですな。できることなら今すぐにすべてを引き取っていただきたい」


「……時間はかかるでしょうが、可能な限りは」


 率直な雨京さんの意見に小さく苦笑をもらしながらも、中岡さんは頷いてみせた。



「ではもう一つ質問です。兵を集めているということは、やはり戦が近いのですか?」


「……近いですね。じきに本格的に始まるでしょう」


 その返答には、何より私が驚いた。


「いくさ、ですか!? どうして? 誰と戦うんですか!?」


「美湖、京に住んでいれば分かるだろう。これまでにも争いは起こった。三年前にご禁裏のまわりで長州と会津薩摩らが戦ったのを忘れたか」


「あ、三年前……どんどん焼けの時ですか!」


「そうだ。あの頃からすでに、京には不穏な空気が漂っていただろう」


「はあ……そう言われれば」


 あの時のことは忘れない。

 三年前の夏、御所付近で突如争いが始まり、大砲まで持ち出して規模の大きな争いが繰り広げられたのだ。

 私みたいに時勢のことに疎い町娘にとっては、詳しいことは分からない。

 けれど、京においての朝廷やお公家さまとの結びつきをめぐって、あちこちの藩や派閥が工作を繰り広げていると聞いたことがある。

 たしかあの頃、朝廷との結びつきを強めていた長州さんは、いろいろあって京を追われていたんだっけ。

 それで、復権を目指して挙兵した結果、大きな戦いになったと聞いた。


 戦いそのものよりも、私たち町人にとってはふりかかる火の粉こそが最大の脅威だった。

 燃え上がった炎はみるみるうちに延焼し、多くの家を焼いた。いまだに焼け出されたまま橋の下で暮らす人もいるほどだ。

 町を食らいつくす勢いで次々と燃え移る炎のすさまじさから、その時の火事は『どんどん焼け』と呼ばれている。

 政に関する思想や主張のぶつかり合いは、やがて戦に発展するものだと、京の民は思い知った。

 つまり、今もこの国の水面下では導火線が燃えているということなのか。



「――長州の目的は、いまや幕府打倒でしょう。つまり次の戦は、幕府と、長州を中心とした討幕勢力の戦いになると考えてよろしいですか?」


 雨京さんはふたたび視線を中岡さんの方へと戻し、会話を再開する。


「中心になるのは薩長です。幕府を倒したのち、彼らが先導して新時代を築くでしょう」


「陸援隊は、どのような立場で戦うのですか? 土佐の兵として? 私が最もうかがいたいのはその点です」


「私たちは、藩兵ではなくあくまで遊軍として討幕勢力に加わります。そのために脱藩し、命懸けで準備を整えてきたのですから」


 展開される話の大きさと現実味のなさに、私はぽかんとしていた。

 正直な話、内容は半分もつかめていない。

 なんとなく分かるのは、幕府を倒そうとしている人たちがいて、中岡さんたちはその仲間だということだ。


「なるほど……」


 雨京さんは、深く考えこむように目を閉じて、だまりこむ。

 何を思っているのだろう。

 戦の準備をしている隊なんて危険だから、近づくのはやめなさいなんて言われたりしないだろうか。

 私はこの人たちがどんな活動をしていようと、それを正しいと信じて堂々と突き進んでいるのであれば、受け入れるつもりでいる。


「かぐら屋の主人としては、私たちのような集団と関わりをもつ事に懸念があるでしょう」


 中岡さんが理解を示すようにやわらかい口調でそうつぶやくと、雨京さんは静かに目をひらいてまっすぐに彼を見据える。



「……商人にとっても、時代の変わり目は戦いです。いち早く情勢を見極め、賭けねばなりません」


 雨京さんは、姿勢を正して語気を強める。大事な話をするときの表情だ。

 探り探りの話し合いを終えて、きっとこれから肚をわって話をするつもりなんだろう。


「賭け、というと?」


「勝つ勢力に乗るのです。新たに力を握る者を察知し、投資し、恩を売って、新しき世で確かな後ろ楯を得る。いつの世も商人はそのようにして生き残っていくものです」


「ならば、今こそ恩を売る時でしょうね。討幕勢力に力を貸す人間は、日毎に増えておりますよ」


 中岡さんの相づちに対して、雨京さんも強くうなずき返す。


「料亭はそのあたりの駆け引きが最も重要です。私も、どちらにつくべきか日々悩みぬき中立を保っておりましたが――ここにきて、はからずも繋がりを持ってしまいました」


「そうですね。言っておきますが、ここまで深い事情をお話したのは、あなたを信頼しているからです」


「……しかし私は、必ず勝つ保証がない限り賭けには踏み切れませんな。貴殿らとの付き合いを始めるには、相当な覚悟が必要になる」


「保証しましょう、必ず我々が勝つと。各藩水面下でほぼ準備も整っておりますし、じきに情勢はひっくり返ります」


「……」


 雨京さんは、しばし沈黙して熟考する。

 とても私には口をはさめないような、大人の話だ。


「討幕勢力の勢いが強まってきていることは、肌で感じております。ですが私はこれまで、かぐら屋の将来を賭けようと思えるほどの志士に出会うことはできませんでした」


「神楽木殿は、浪士と見るや門前払いが常だったのではありませんか? 話す機会がなければ、それも当然でしょう」


「いえ、身元を明かして堂々と門をたたく者を追い払うようなことはいたしません。薩長の士と話をしたこともございます」


「ほう。それで、どのようなお話を?」


「一つうかがえば相手の度量は掴めます。その返答に力なければ、信頼するに値しません」


「ならば、それを私にぶつけていただきたい。その質問ですべてが分かるのでしょう」


「では――」


 すぅ、と小さく息を吸って、雨京さんは話を切り出す。

 その場にいる全員が、固唾をのんでそれを見守った。



「幕府が倒れたのち、貴殿らはどのような世を作ろうとお考えか、ぜひともお聞かせ願いたい」


 それはとても単純で分かりやすい質問だった。

 私には幕府が倒れてなくなるという想像がまったくつかないけれど。

 もし本当にそうなるのであれば、倒そうとしている側は『その後のこと』にまできちんと考えを巡らせているだろう。

 おそらく雨京さんが聞きたいのは、どのくらい具体的な案があるのかということだ。


 すると中岡さんは待ってましたとばかりに口角を上げ、よく通る声で滔々と質問の答えを語り出した。


「まずは、王政復古。政権を朝廷に返上し、徳川は諸候の列に帰順していただく。将軍職も大名もなくし、その後は国議を論じる議事院をもうけ、身分を問わず才と志のある者たちにより国を導いていく……」


「天子様が国を治めるのですか」


「国に二帝は必要ありませんからね。天子様のもとに等しく万民がある、そうした世になりましょう。徳川のように、一つの家が強大な力を持って政を動かすというようなことが起こり得ぬような仕組みが、出来上がっていくはずです」


「なるほど……それで、徳川の世からどう変わっていくのですか?」


「まずは法を整備し、異国との条約を見直し、あるいは新たに締結し……人材を列強に留学させて、その技術を学びとり国力の増強をはかります。とにかく今は世界中が情報を共有し、繋がりを持ち、あらゆる駆け引きの上で自国を守ろうとしている時代ですからね」


「……というと?」


「何者にも支配されず、独立国であり続けるということが、今は難しいのです。清国をはじめ周辺国は、すでに列強に蹂躙され、見るも無惨な状況に陥っております。ですから国を一つにまとめなおし、列強と渡り合っていけるよう整えていく必要があります」


「なるほど。普段私たちはそのあたりのことにまるで無関心でいるが、相当に世界の情勢は荒れているということですか。この先は異国流の外交を学ばねば生き残ることが難しいわけですね」


「その通りです。思い切って新しい外交に踏み切ることができたなら、これまであった異国との交易の制限なども緩和され、人も物もさかんに行き来するようになるでしょう。結果、衣食住から変化がおとずれます」


 ……む、難しい話だなぁ。

 私一人が置いていかれたように首をかしげているけれど、陸援隊のみなさんは中岡さんの言葉にしきりに相づちをうっているし、雨京さんも納得した表情だ。

 完全には理解できないながらも、中岡さんの言葉を聞いていると、ぱっと目の前に確かな未来の姿が描き出されていくようだ。

 淀みなくぽんぽんと、さも本当にそうなっていくかのように物事を語るから、思わず聞き入ってしまう。



「衣食住ですか……身近な問題ですな。私どもにとっては最も重要なことです」


「では、今回は食にしぼって話をしましょうか――異国との交易がさかんになれば、様々な洋食が我が国に入ってくるでしょう。食材も食器も目新しいものが町にならび、やがて留学して技術を学んだ者が新たに洋食店を営むようになる」


「洋食とは、今私たちが食している料理とどれほどの違いがあるのです?」


「私は長崎で一度食べたことがありますが、全くの別物ですよ。まず、箸を使わない。尖った匙のようなものや、小刀のようなものを使って切ったり刺したりしながら食べるのです――このあたりは陸奥くんが詳しいでしょう」


 と、中岡さんは急に話を陸奥さんにふった。

 完全に油断していたらしい陸奥さんは、一瞬びくりと震えてわずかに背を丸める。

 そしていつも通り、のそりと気だるそうな口調で話をはじめた。


「私は一時期英国人のもとで給仕をしていましたから、食事の風景はよく目にしました。先ほど中岡さんが仰ったのは、ナイフとフォークというもので、扱いにも作法があります。たとえば異国との会食の時など、洋食を食べる際はそのあたりの作法を見られると思うので、これは必ず身につけておくべきものです」


「箸の扱いにもそれはありますな。はっきりと育ちが出る部分です」


「はい。神楽木さんも、食を扱う仕事についておられる以上、洋食での作法も身につけておかれると良いかと思います。頑なにそれらを避け続けるというのであれば別ですが……」


「いえ、興味はあります。ただ、今のところ食す機会がありませんからな」


「茶と菓子くらいであれば、いつでも手に入りますが」


「……ほう、それは興味深い。言い値で買いましょう」


「いえ、とんでもない。お譲りします」


 陸奥さんは静かに首をふって、恐縮したような困り顔でそう約束した。

 ……いいなぁ、異国のお菓子。どんなのかな、私も食べてみたいな。

 それにしても、雨京さんは食べ物の話になってから少し食い付きがよくなった気がする。

 やっぱり、興味があるのかな。料理に命をかけてる人だもの。


 陸奥さんとの話が一段落ついたようなので、代わってふたたび中岡さんが話をはじめる。


「神楽木殿、思う存分洋食を堪能してみたいと思うならば、やはり留学をおすすめします」


「異国への渡航が容易になると?」


「近いうちに、そうなるでしょう。いや、そうしていかなければならない。才ある者は、より新しい技術を求めて異国へと出ていくべきです」


「……本当にそうなるのであれば、列強の異人を相手に腕をふるってみたいものです」


 雨京さんは、そっと自分の右腕に視線を落として拳をにぎった。

 自信に満ちあふれた、力強い目だ。


「おお、それもまた面白い! どのような反応が返ってくるのか、私も興味があります。自らの腕と技術に自信をもつのは、素晴らしいことです」


「自信はあります。洋食になど負けはせぬという気概も」


「磨き上げられた技術は国の宝ですからね。その熱き魂こそが、新時代に必要なものだと思います。しかし、負けたくはないと思うからこそ、相手のことを学ぶべきかと」


「一理ありますな。では私もこの国の料理人として、その繁栄の礎となるべく異国について学んでいくことに致しましょう」


 ――この国の料理人、か。

 今までの雨京さんなら口にしなかったはずの言葉だ。

 これまでただひたすらにかぐら屋の名を広く世に知らしめることに重きをおいてきて、競う相手がいるとすれば上方で有名な数軒の料亭くらいだった。その数もきっと、両手で足りるほど。

 見据えていたものは、あくまでこの国の中――それも、ごく狭い範囲での繁栄だったはずだ。

 でもなぜだか、異国の話を聞いた後だと広い目で物事を見るようになって、自然と意識は外に向いていく。不思議なものだ。

 いつのまにか、中岡さんの話に引き込まれてしまっているということなのかな。



「――さて。あらかた質問にはお答えできたと思いますが、いかがですか?」


 話が落ち着いたところで、中岡さんが雨京さんに最終的な意見を求める。


「……あなたはずいぶんと、自分の考えに自信がおありのようだ。まるで、必ずそうなると確信があるかのように」


「この国の現状を学び、各藩のあり方を学び、異国の歴史を学び、様々な人物と言葉を交わし、考えに考えぬいてたどり着いた私なりの予想と計画です。当然自信はあります」


「……貴殿を突き動かす原動力とは?」


「さきほどのあなたの言葉と変わりません。この国に生まれた者として、力を尽くしたいのです。異国に負けぬという強い自信と気概を持って」


「なるほど……分かりました。あなたは恐らく、私の考えがおよばぬ広い範囲の事柄を、数年先まで見通して動いておられる。信じてみる価値はありそうだ」


 その瞬間、わっと場が沸き立った。

 田中さんなんか、立ち上がって吠えながらがっちりと拳を握っている。



「――ただし」


 続けて強めの口調で付け加えられる言葉に、凍りついたように騒ぎは静まった。


「現在私は、新選組とも連絡を取り合っております。それゆえ、貴殿方と表立って付き合いを持つことは難しいでしょう」


「構いませんよ、新選組に私たちの情報を漏らさずにいてくだされば。陸援隊は奴らにも警戒されていますから、しばらくは無関係を装うべきでしょう。私たちからかぐら屋を訪れるようなことも控えます」


「そうしていただけると助かります。もちろん、新選組に情報など漏らしはしません。貴殿らに賭けると決めた以上、捕縛などされては困りますからな。生き残って、出世していただかねば」


「……出世、ですか」


「そうしていただかねば、意味がありません。皆様が世に出られた暁には、どうぞかぐら屋をご贔屓に」


 雨京さんは丁寧に両手をつき、深々と頭を下げる。

 それは、お店の上客に対するおもてなしの気持ちをこめた、覚悟の証でもあった。


「安心してください神楽木さん! 中岡さんは新時代でこそ輝きますよ! むしろ中核を担う存在確定っつうか……中岡さんが出世しなきゃ誰が出世すんだっつー勢いっすからね!」


「そうですね、中岡さんに賭けておけばかぐら屋さんも安泰でしょう」


「まー、うまいこと行けば、俺やハシだってそこそこのとこまでは行きますよ。そうなれば、かぐら屋さんで思いきり飲み食いさせていただきましょう」


 香川さんがそう言って大橋さんの肩に腕をまわす。

 ムッとしてそちらを睨んだのは、田中さんだ。


「おいコラ、なんでオレだけのけ者なんだよ」


「そりゃまあ、お前が出世するとは考えられんし」


「するっつーの! ふざけんなよ! 中岡さんの右腕であるオレが世に出ねぇわけねぇだろうが!!」


「いやだわー。お前には政に関わってほしくないわー」


 香川さんはわざとからかうように顔をしかめて、しっしっと追い払うような動きを見せた。

 田中さんは顔を真っ赤にして今にも掴みかかりそうだ。

 この二人、仲の悪い兄弟みたいだなぁ……。



「――脱線はそこまでにして……神楽木殿とは手をむすぶことになったわけですが、そこで一つ頼みたいことがございます」


 完全に場の空気を乱した香川さんと田中さんを一にらみして黙らせると、中岡さんは雨京さんのほうへと向き直った。


「何でしょう?」


「新選組や奉行所から新たな情報が入り次第、こちらに文で知らせていただきたいのです」


「それはもちろん、そうさせていただくつもりです。他には何かございますか?」


「ではもう一つ。潜伏先として条件の良い宿か商家があれば、いくつか紹介していただけませんか?」


「なるほど……探しておきましょう。あてはありますから、すぐに見つかるはずです。立地などの希望は?」


「土佐藩邸に近いとありがたいですね。よろしくお願いいたします」


 そういえば、これまで中岡さんが使っていた宿は水瀬たちに襲撃されてしまったんだっけ。

 新しくいい場所が見つかるといいな。

 なんだかいろんなことがトントン拍子に決まっていく。

 雨京さんも、もうすっかり陸援隊の協力者だ。



「何かと入り用でしょうから、必要の際はお声をおかけください。資金の援助をいたします」


「おおっ! そりゃありがたい、ぜひともお願いします! 今すぐにでも!」


 大喜びで目を輝かせたのは、香川さんだ。

 派手に手をたたいて、ぐっとこちらに身を乗り出す。

 田中さんも同様に、喜びを全面に出しながら仏のごとく雨京さんを拝んでいる。


「……いや、そこまでしていただくわけにはいかない。それを頼むのは、よほど苦しくなった時だ」


「いやいや、苦しいでしょ十分! メシなんか顕著じゃないすか!! オレだって、たまにはうまいもんがくいてぇっすよ!!」


 中岡さんの言葉に対して、間髪入れずに反論が飛ぶ。

 声に出したのは田中さんだ。勢いづいた彼は、座布団を蹴飛ばして立ち上がった。

 さすがに白飯だけのお弁当が毎日続くと、少なからず不満は出るだろう。

 資金援助の機会が目の前に転がってきたとなれば、飛びつきたくなるのも分かる。

 ……けれど、中岡さんはそんな訴えも意にかえさない様子で首をふった。



「毎日安定して飯にありつけるだけありがたいと思え。少なくとも俺は満足している」


「でもなぁ、他にもいろいろと金は必要じゃないすかぁ」


「……神楽木殿。そういうわけですので、今のところ援助は必要ありません。ですが本格的に戦の準備が始まれば、またあらためてお話をさせていただくことになるかと思います」


 不満そうに口をとがらせる田中さんを強引に押さえ込み、中岡さんはそう断言した。

 一昨日ここに来た時は、厨の中までほとんどすっからかんだったけれど……。

 矢生一派からお金を取り返したことで、ひどい困窮状態からは抜け出せたということなのかな。

 中岡さんが大丈夫だというのなら、そうなんだろう。


「了解しました。その際は協力を惜しみません」


「お心遣い、感謝いたします……さて、ずいぶんとお時間をとらせてしまいました。ご多忙のところ申し訳ない。しかしながら、実に有益な話し合いでした」


 あらかた必要な話は終わったようだ。

 中岡さんの声色がいくらか穏やかで優しいものに変わる。

 となりに座る田中さんも、締めの挨拶に加わるべく座布団を拾って座り直した。


「ええ。おかげさまで私も、時流に乗りだす肚が決まりました。心より感謝致します」


「共に新しき世を目指しましょう」


 中岡さんと雨京さんは、互いに力強くうなずき合う。


 ――なんだか、信じられないな。

 こうして雨京さんが浪士の集団と向かい合って話をしているなんて。

 ここを頼る以上、中岡さんたちのことを詳しく聞いておかなければならないのは分かっていたけれど。

 まさか、手を組むような流れになるとは思わなかった。

 けれど、よくよく会話の流れを思い返してみれば。

 雨京さんはもともと幕府打倒の勢力に可能性を感じて、時代の流れを見守っていたみたいだ。


 ……だとすると、本当は待っていたのかもしれないな。

 自分を説き伏せてくれる力と情熱をもった志士が、目の前に現れる日を――。




「最後に、美湖のことですが」


 ぽつりと付け足すように雨京さんが口をひらく。

 ふにゃりと気のぬけた顔で座っていた私は、あわてて姿勢を正した。


「はい。こちらでお預かりしてもよろしいですか?」


「お任せしたいと思います。これは少ないですが、宿賃として」


 と、雨京さんは懐から小判包みを取り出してそっと中岡さんの膝元に差し出した。

 見たところ、かなりの厚みがある。五十両は入っているだろう。


「いえ! いただけません。あずかると言っても、たいしたもてなしはできませんから」


「メシも貧相ですし!」


 中岡さんの言葉に、すかさず田中さんが一言付け加える。

 それを聞いた雨京さんは顔を上げ、向かいに座る面々を流し見るように視線を動かした。


「食事はどうなさっているのですか?」


「……毎食、藩邸から弁当が届きます」


 ついにそこに触れられたか、といった表情で中岡さんは引きつり笑いをうかべる。

 つい先ほどまで、世界の食事事情だとかこの国の料理人としてだとか、やたら壮大な話題を繰り広げてきたのだ。

 一気に現実に引き戻されるようなネタに、陸援隊のみなさんは石像のごとく固まった。


「ほう……それは。どのようなものか興味深いですな」


「いや……まぁその、たいしたものではないのですが……最低限、飢えさせはしませんのでご心配なく」


 中岡さんの言葉には先ほどまでの歯切れのよさはなく、陸援隊の面々もなんだかばつが悪そうにそれぞれ視線を泳がせている。

 雨京さんの前でごはんの話をするのは、緊張するだろう。

 妙な重圧がのしかかって気まずい雰囲気になってしまうのは、なんとなく分かる。

 双方にあまり気づかいをさせないように、ここは私から一言言っておこう。


「私、ここのお弁当好きですから大丈夫です!」


「天野……」


「それに、もともと女中として雇ってもらおうと思って来たんです。だからなんでもお手伝いします!」


 そこまで言うと、喜んだのは香川さんだ。


「おおっ! なってくれるかね、うちの女中に!」


「はい! この前香川さんが女中を探してるって言ってたので、雇ってもらえたらいいなと思って」


「採用採用っ! この俺が手取り足取り指導してやるから、安心して身を任せるといい!」


「……」


 二人で盛り上がりだした私と香川さんを見守る雨京さんの目は、すわりきっている。

 中岡さんの視線にも、心なしかうんざりしたような負の気配がただよっているようだ。


 ……あれ? もしかして反対されてる?



「神楽木殿、お預かりするからには女中のような扱いはいたしませんので、ご心配なく」


 中岡さんは小さく息をついたあと、静かに頭をさげる。


「いえ、美湖が望むのであれば仕事を任せていただいて結構です。もともと、大人しくしているのが苦手な娘ですから」


「そうです。お掃除とかお洗濯とか、なんでも任せてください!」


 お世話になるんだから、何もしないでぶらぶらしているわけにもいかない。

 私にできることがあれば、少しでも手伝いたいんだ。


「しかし、お前の怪我はまだ完治していないんだろう? 昨夜も新たに傷をおったそうだしな……しばらくは静かに療養するべきだろう」


「いえ、脇腹の傷はもうほとんどふさがっていますし、首もとの傷も大したことはないんです。だから、なんでもお手伝いさせてください!」


「俺はお前のことを客人として扱うつもりだ。雑用など任せられん」


「私は動いていたほうが落ち着く性分で。それに、お世話になるからにはみなさんのお役に立ちたいんです。特別あつかいはしないでください!」


 客人として部屋にとじこめられて、お人形さんみたいに扱われるのはやっぱり苦手だ。

 遠慮なく何でも言いつけて、ほかの隊士さんと変わらない接し方をしてほしい。

 そんな強い思いをこめて、私は中岡さんに向かって頭を下げた。


「……そういうことであれば、たまに遣いでもたのむとしよう」


 畳に額をこすりつけんばかりの体勢で微動だにしない私を見て、たしなめるような口調で中岡さんは折れた。

 気持ちが伝わったみたいだ。


「はいっ……! よろしくお願いします!!」


 安堵して、思わず笑みがこぼれる。

 向かいのみなさんがそれに応えるようにして優しく微笑んてくれた。


 ……本当によかった。

 こうして円満にまとまってくれて。

 内心ほっとして、思わずため息がもれる。


(今日からここが、私の居場所なんだ)



 緊張がとけると同時に、昨夜一睡もできなかった疲れが、どっと全身にのしかかってくる。

 私は安心感に包まれたふわふわとした心持ちで、雨京さんと中岡さんが交わす長い締めの挨拶に耳をかたむけるのだった。



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