第二十七話:深門と水瀬


「さて、先へ進みましょうか。脇にある部屋は、敵の有無だけをざっと調べるのみに留めます」


「手っ取り早く最奥を目指すんじゃな」


「そういうことです」


 坂本さんと大橋さんが、静かに言葉を交わしながら歩を進める。

 ――すごいな、この二人は。

 私を含めて残りの隊士さんたちは、皆少なからず敵との遭遇におびえて足どりが重くなっているというのに。

 二人の背中は堂々としたものだ。


 先ほどの機敏な動きと躊躇のない見事な太刀さばき。

 ただ者ではない。

 もしかしたら二人は、これまでにもこんな修羅場を潜り抜けてきたことがあるのかもしれない――。



「太田さん、けがしてないですか?」


 ふと前方を歩く太田さんが気にかかり、そっと声をかける。

 先刻は自らおとりになって、敵の銃撃を真っ向から受けていたのだ。

 つい坂本さんたちの突撃に目を奪われてしまっていたけれど、一番危険な役どころをこなしてくれたのはこの人だ。


「スレスレをかすめてったスけど、無傷ス」


「そうですかぁ……よかったぁ」


「銃の扱い下手なやつばっかりで助かるよね、これだから初心者は」


「テメー調子のんなよ」


 震えながら虚勢をはる西山さんの後頭部を強めにはたきながら、ヤマダさんが眉間にシワをよせる。

 たったそれだけの些細なやりとりで、ふっと、ほんのすこしばかり場の空気がやわらいだのを感じる。


 ――大丈夫だ。

 私たちはすべての障害を最小限の被害で突破してきた。

 かたくならなくていい。

 全員が力を出しきって、前に進んでいかなきゃならないんだ。

 震えてばかりいられないと気を引き締めて、私は強くピストールを握りしめた。



 そうして一部屋、二部屋と慎重に探索を続けていく。

 どちらの部屋にも人の気配はなかったけれど、そのうちの片方には一通りの家具が揃えられていた。


 箪笥や長持、鏡架に衣紋掛け。

 中身をあらためると女ものの着物や化粧道具、かわいらしい小物なんかが見つかった。

 これは盗品というより、生活に必要な品だ。どれも使った形跡がある。


「女の人がいるのかな、ここ……」


「そうじゃなぁ、男の部屋には見えんしのう」


 私は坂本さんと顔を見合わせて首をひねる。


 こんなところに女が?

 だとしたらやっぱり、その人は矢生たちの仲間――?



 これまでの部屋とは質のちがう一室に疑問を抱きながら探索を続けていると、ふいに頭上からガタガタと足音が聞こえてきた。


 そして続けざまに上がる叫び声。


「うわあぁぁぁっ!!」


「大丈夫か! 伏せろ!!」


「ダメです、蛇が……!! ぎゃあぁッッ!!」


 声のあとには、銃声。

 どうやら天井裏で何かが起こっているようだ。

 もしかして、敵が潜んでいたのだろうか。

 発砲したのは敵か味方か、ここからではうかがい知ることはできない。

 私たちは血相を変えて、はじかれるように廊下へと飛び出す。



 ――すると、向かいにある未探索の一室の障子が静かに開いた。

 そしてそこから姿を現した男と、目前ではちあわせることになる。



「やぁ、誰かと思ったら大橋さんじゃないか」


 どくりと、胸が脈うった。

 息の根がとまるほどの恐怖と焦燥。

 おそらく他の皆も同じ気持ちだろう。

 特に大橋さんは――。

 目を見開いて、血の気のひいた顔で足を止めている。


「深門……」


 そう、深門だ。

 いつも人懐っこくにこやかに笑っていた彼は、ここで、こんな形で再会してもなお、うっすらと笑みを浮かべていた。


「あれぇ? みこちゃん! みこちゃんじゃないかぁ! はは、どうしたんだい? こんなところで」


 気味の悪い、張り付けたような笑顔。

 わざとらしい抑揚の、不快なその声を打ち消すように私は声をはりあげた。


「かすみさんはどこ!? かすみさんを返してっ!!」


「……かすみちゃんかぁ」


 にぃと大きく口をあけて笑いながら、深門は太田さんが突きだそうとした槍の柄をつかんで大きくうしろに引き、がら空きになったお腹に蹴りをぶちこんだ。

 そして、膝を折って嘔吐する太田さんの手から槍を奪いとる。


「お前って薄情なガキだよな。あの夜いずみ屋から真っ先に逃げたんだろ? ほんとはあの場にいたんだよな? なぁなぁ! そうだろぉ? ひでぇな、あんだけ世話になっといてよぉ。なあぁぁ! みこちゃん!!」


「ちがう……」


 ふるふると首を振りながら、私は泣いていた。

 立ち向かわなければならないのに、あふれ出す涙を止めることができなかった。

 深門は、苦しそうにお腹を押さえている太田さんの頭を踏みつけ、かたわらに立つヤマダさんの足を槍で貫いた。


「ぐああっ!!」


「はい、没収ーっ」


 激痛に顔をゆがめるヤマダさんが銃を取りおとすと、深門はすかさずそれを掴み上げる。


「いい加減に――……!」


 金縛りがとけたかのように大声を上げて、大橋さんが刀を振り上げた。

 次の瞬間。



 ズガァァァン!!


 深門が発砲した。

 ためらいなどまるでない、殺意のこもった一射だった。

 至近距離で放たれた銃弾は、手元がブレたせいか大橋さんの頬をわずかにかすめて、向かいの部屋の柱に突き刺さる。


「あーれ? はずしたかぁ。いちおう習ったんだけどなぁ、あんたんとこの隊で。笑えねぇよなぁぁ、ぜんっぜん役に立たねーの」


 茶化すように口角を上げて、わずかに煙をふく銃口をぐりぐりと大橋さんの胸元に押し付ける。

 隣に立つ西山さんは腰をぬかしたようで、その場にへたりこんでいた。

 続けて坂本さんのほうを見上げれば、なにやら一人だけ違う場所に視線を向けて目を細めている。



「そこにおるんは誰じゃ!!」


 坂本さんが叫ぶ。

 廊下の奥。

 私たちが目指す最奥の部屋の襖に向かって。


「……ダリィな、雑魚どもにゃ足止めも任せらんねぇか」


 一呼吸おいて襖の奥から気だるそうな足取りで姿を現したのは、見慣れた顔の男。

 水瀬だった。


「シュンちゃぁん、おせーよ! 俺がこいつやるから、もう一人のでかいヤツたのむなぁ」


 深門は明るい調子で水瀬に声をかける。

 シュンちゃんなんて、随分親しげな呼び名だ。


 闘う相手として深門は大橋さんを指名し、水瀬に坂本さんを押し付けた。

 負傷して立ち上がることもままならないヤマダさんと太田さんはともかく、西山さんと私の存在までもが完全に除外されている。

 当然といえば当然だけれど、戦力としてみなされていないのだ。


 歯をくいしばって足の震えをおさえる私の肩をポンと叩き、坂本さんは刀を構えて水瀬のほうへと歩みを進める。

 大橋さんも、太田さんたち三人を空き部屋に下がらせて刀を構えた。


 ――私は、どうすればいいんだろう。

 武器は持っている。

 戦えるように訓練もしてきた。

 だったら、何もしないわけにはいかない――!


 一歩、二歩と後退してピストールを構える。

 まだ深門との距離は近い。

 本当はもう少し安全なところまで離れたほうがいいのかもしれない。

 けれど、ここからなら狙いをすまして引き金をひけば八割方あたるだろう。

 意を決して人差し指に力をこめようとしたその刹那――。



「おおっと! しゃしゃり出てくるなよ、みこちゃん。そこらで大人しく釣りでもしてたら?」


 不穏な動きを感じとったのか、深門が瞬時に間合いをつめる。

 声を出す間すら与えられなかった。

 気づけば私の胸元には、鋭い槍先がつきつけられている。


「う、動いたら撃つから!!」


「ははは! 撃つからぁ、だってよ! なにそれ? お前に何ができんの。なんでこいつらとつるんでるか知らないけどさぁ、場違いだっての!」


 強い語気にひるんで、思わずびくりと肩がふるえた。

 深門はそんなかすかな油断を見逃すことなく、私の手首をつかみあげて大きくひねる。


「その手を離しなさい!!」


 ふいに前方から声が上がり、大橋さんが深門の背中に斬りかかった。

 深門はすかさず私のお腹に足で一撃加えて、わきの空き部屋へと蹴り倒す。

 そして大橋さんが振り下ろした刀を、槍の柄ですべらせるようにして受け流した。



「いったぁ……」


 蹴り飛ばされて吹き飛び、障子を突き破って空き部屋に転がりこんだ私は、しばらく身動きがとれなかった。


 みぞおちから脇腹にかけて、刺すような痛みが走り抜ける。

 もしかしたら傷口が開いたかもしれない。

 私はぐっとお腹を押さえて、脂汗をにじませながら歯をくいしばった。

 いつのまにか取り落としたピストールは、畳の上に転がっている。

 廊下からはしきりに刃を合わせて激しく打ち合う音が聞こえてくるけれど、まだ立ち上がれそうにない。


(大橋さん、坂本さん、どうかご無事で――)


 もはや、そう祈ることしかできない。



「かすみさんはどこです!?」


「さぁねぇ。何? もしかして助けに来たとか? 女なんかより普通は盗まれたもん探すだろぉ」


「人命より優先すべきものなどありません! 彼女は無事なのでしょうね!?」


 二人が打ち合いの中、息を荒くして言葉を交わすのが聞こえてくる。

 かすみさんの話だ。

 それも、私が一番知りたいことを今まさに引き出そうとしている。

 これは、じっとしているわけにはいかない。

 返答次第で、これから私がとる行動が決まるのだから――。



 ズキズキと痛む腹部をおさえながらピストールを拾い上げ、体を引きずって部屋の外へ出た。

 廊下の先では、深門と大橋さんが息もつけぬほど目まぐるしい攻防を続けている。



 そしてその少し奥に立つのは坂本さんと水瀬。

 二人はじりじりと間合いをつめながら一合、二合と打ち合い、そしてまたすぐに睨みあうように静かに動きをゆるめる。


 二組の戦い方には明らかな違いがあった。

 大橋さんと深門が、すさまじい手数で休みなく刃を打ち付けあっているのに対して、坂本さんと水瀬は一撃に全身全霊を込めて、刀が叩き折れんばかりの勢いで斬りあっている。

 前者は持久戦になりそうだ。

 後者は、どちらかが気をゆるめれば一瞬で勝敗が決するだろう。




「お前! やるじゃねぇか、名は?」


 愉快そうに高笑いしながら、水瀬は坂本さんに刃先を向ける。


「なに、通りすがりの釣り名人じゃ」


 坂本さんはそう答えてぐっと背をかがめ、低い体勢をとると、下からはじきあげるようにして水瀬の突きつけた刃をはねあげた。

 そしてすかさず懐に飛び込んで、返す刀で袈裟懸けに斬りかかる。


 ――が、その一撃は寸でのところで防がれてふたたび息のつまるつばぜり合いがはじまった。


「おっと、あぶねぇ! ハ! やっぱ上等な刀はたまんねぇな! こんだけやっても刃こぼれ一つしねぇ!! しかもタダで手に入ったお宝となりゃあもう、笑いが止まんねぇよ!!」


 緊迫した場面だというのに、水瀬は壊れたように笑いだす。

 ……不快な声だ。

 おそらくこの男は、斬り合いが楽しくて仕方がないんだろう。

 坂本さんの刀を受けるたびに、大きく口もとを裂いて笑みをもらす。

 しかもよく見れば、あの刀はいずみ屋にたむろしていた時にも腰に差していたものだ。

 朱鞘の長刀――。

 そう、田中さんの刀だ。


 いつのまにやら四人との距離はずいぶんと開いている。

 ここで私がピストールを撃って狙い通りに敵を射ぬけば、戦況は一変するだろう。

 けれど、この混戦のさなかだ。

 下手をすれば仲間を傷つけてしまうことになる。

 私はカタカタと手を震わせながら、廊下の先へと銃口を向けた。



「にしても深門、いずみ屋を盗れなかったのは残念だったなァ」


 そんな私の戦意を感じ取ったのか、水瀬がふいに口をひらいた。


「まさか新選組と通じてたとはなー萎えるよなー」


「まァ、刀は手元に残ったし、贅沢は言えねぇか」


「そだな。こっちもいい女食わせてもらったし、少しは得したよ」


 二人はにやにやと笑いながら、こちらを挑発するような言葉を重ねる。

 身勝手な言い分。

 盗人どうしの、虫酸が走るような世話ばなし。

 その中で特に私の気持ちを揺さぶったのは、深門が口にした一言だった。


『いい女を食わせてもらった』って……?



「おまんら、女将さんに何をした!?」


 坂本さんがすごい剣幕で二人を睨みつける。

 水瀬はただただにやりと笑うばかりで何も答えようとはしない。

 しばし間をおいてゆっくりと口をひらいたのは、深門だった。


「何したってそりゃあ、女をさらったらやることは一つだろ? もうさんざん遊んだから、あとはあんたらが好きにしてもいいぜ。なぁ大橋さん、嬉しいだろ?」


「……」


「そういえば、あんたから聞いたんだったなぁ、いずみ屋の場所! いいカモを教えてくれてありがとよ!!」


「……それで、彼女は無事なのでしょうね」


「だから、それはあんたが自分で確認すりゃいい。ただし、俺に勝てればの話だけど」


「……そうさせていただきます」


 大橋さんは、いっそう鋭く目を細めて深門を睨んだ。

 冷たい目だ。

 相手に対する情の一切を捨てさった、殺意のまなざし。


 先刻、大橋さんは胸のうちにある密かな悩みのたねをそっと打ち明けてくれた。

 深門にいずみ屋の存在を知らせたのは自分かもしれない、と。

 彼はずっとそのことを気に病んで苦しんでいたのだ。

 ――そして、今この場でそれが真実であると分かった。

 深門は大橋さんの言葉をたよりにいずみ屋を探しだし、利用しようと動いていた。


 大橋さんはきっと、心の奥で悔い、嘆きながらも決断したことだろう。

 深門を始末するのは自分だと。

 責任感の強い優しい人だからこそ、そう思っているはずだ。

 その証拠に、素人目にも太刀筋に迷いがなくなったことがわかる。

 相手の息の根をとめようとする非情さが、大橋さんの動きをいっそう加速させる。


 坂本さんも、先ほどの会話を耳にしてから顔つきが変わった。

 心なしか手数も増えた。

 相手の間合いに積極的に斬り込んでいく。

 まさに、死闘だ。

 ここで奮い立たなければどこで力を出すのか。

 もし加勢するとしたら、今しかない。

 敵が目の前の相手に集中している、今。


 私はふたたびピストールをかまえて、今度こそ的を貫くべく引き金に指をかける。

 気づけば涙が頬を伝っていた。


 かすみさんの安否は分からない。

 けれど、ここで受けた仕打ちの一端は垣間見えた。

 深門が、かすみさんを傷つけたことは間違いない。

 一体どこまでかすみさんを追いつめたのだろう。

 どんなにひどい扱いをして、彼女をおびえさせたのだろう。

 甘い顔をして、人懐っこく、見せかけの好意を盾にして。

 私たちをずっと騙してきた。

 この男だけは、のうのうと生きて帰らせるわけにはいかない。



「絶対にゆるさない……!」


 決意をこめて、私は廊下の中央に立つ。

 そして練習した通りに。

 ねらった的からまっすぐに腕をのばし、両手でピストールを包み込んで、引き金を引く。


 ――コツは、そう。

 当たると信じて撃つこと!

 標的は深門だ。



(まっすぐ飛んでいけ! 貫け!!)



 ズガァァァァン!!


 ねらいすまして撃った渾身の一射は、わずかに深門の耳をかすって奥の襖を抜けていった。



「うっ……ぐ!! ってぇぇッッ!! クソガキ!! 何しやがる!!」


 おびただしく流血する耳を押さえて、叫びながら後退する深門を目で追いつつ、続けざまにもう一発。

 さらに撃鉄をおこして、追い撃ちの三発目をおみまいする。

 しかしその二射は空をきり、後方に立つ水瀬の顔面すれすれを飛んでいく。


 ――額を撃ちぬいてやろうと思った。

 この男がかすみさんに与えた恐怖や痛みを、少しでもその身に返してやらないと気がすまない。

 私は両目から涙を流しながら、ふたたび撃鉄をおこした。



「オイ、深門!! そのガキ黙らせろ!!」


 苛立たしげに水瀬が吠える。

 耳の端を吹き飛ばされて苦悶しながら、防戦一方になっていた深門は観念したように声を張り上げた。


「みこちゃんよぉ! かすみちゃんに会いたいなら、あんたの右手の障子を開けてみな!!」


「かすみさんはそこにいるの!?」


「ああ、いる! だからさっさと行きやがれ! 邪魔なんだよ!!」


 深門は半ばやけになったような荒い口調で、そうまくし立てた。

 よほど私の連射がこたえたらしい。


(でも、罠だったらどうしよう。もし中に敵がいたら……)


 その部屋は、先ほどまで深門がいた場所だ。

 私が一瞬躊躇して二の足をふんでいると、大橋さんと坂本さんが力強く後押しするように声をかけてくれた。


「行ってください天野さん! この場はおまかせを!!」


「嬢ちゃん! ええ援護じゃった! 早う女将さんのもとへ!」


 その言葉には、少なからず彼らの意思も託されていた。


「分かりました、あとはお願いします!」


 私は二人に向かって大きくうなずくと、目の前の障子を大きく開けはなって部屋の中へと踏み込んだ。


 今行くからね、かすみさん――!!



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