第十一話:悪評


 夕餉をご馳走になったあと二階へ案内された私は、いずみ屋のちょうど正面にあたる部屋に泊めてもらうことになった。

 見晴らしもよく、向かいの様子をうかがいながら一晩を過ごすにはもってこいの部屋だ。


「よし、今夜は寝ずに番をしなきゃ!」


 ご主人に運んでもらった荷物を部屋のすみに押しやり、風呂敷の中から薄桃色の巾着を取り出す。

 巾着の中には小さく三角に折ってふくらんだ懐紙がいくつか入っている。

 それを三つほどつかんで懐に入れる――中身は金平糖だ。

 父の好物で、「これをなめてりゃ眠気が飛ぶ」とよく一夜漬けのお供にしていたのを思い出す。



 窓際にそっと腰かけ外の様子を見る。

 見下ろした先には、上から木材をかぶせて厳重に釘で打ち付けられたいずみ屋の表戸がある。


 侵入は難しいはずだ。

 勝手口もガチガチに打ち付けられているそうだし、これをまた壊して入り口を作ろうとすれば、付近にもその音が響きわたるだろう。


 ここまでの騒ぎになった以上、いずみ屋はしばらく人の出入りを厳しく監視されるようになるはずだ。

 新選組はもちろん、ご近所さんたちからも――。


 そう考えると深門さんたちがいずみ屋に近づくのは簡単じゃない。

 新選組に顔を知られているんだから、京にとどまること自体が命がけと言ってもいい。



(……それでもまた戻ってくるようなことがあるとすれば、店内にまだ何か隠している時かな)


 小さくため息をついて、取り出した金平糖をひとつ口にふくむ。

 今夜は何事も起こりませんように……。




 あくびをかみ殺して外を見張りながら五つ目の金平糖を指でつまんだその時、ふいに廊下につながる障子が開き、おかみさんが部屋へと入ってきた。


「あ、おかみさん……そろそろお休みですか?」


 寝間着の上からあさひ屋の屋号が入った羽織をかけたおかみさんさんを見て、姿勢を正す。

 寝る前に様子を見に来てくれたのかな。


「そやけど……美湖ちゃん、一つ聞いてもええ?」


 困ったような表情で眉間にシワを寄せ、おかみさんはそっとうしろ手で障子をしめる。


「何ですか?」


 まだ布団も敷いていない部屋の中央におかみさんが腰をおろしたのを見て、こちらもその正面に正座する。


「夕餉のあと、ご近所さんが立て続けに話しにきはってな……」


「今日の騒動のことですか? 私が対応したほうがよかったでしょうか……?」


「いや、それがなぁ……正直言ってよう分からんのよ」


 おかみさんの口調はやけに重くたどたどしく、奥歯にものがはさまったような物言いだ。

 何か言いにくいことを言おうとしているんだろう。


「どうぞ、遠慮なさらずなんでも聞いてください」


 隠すことなんて何もないし、ありのまま事実を話すのみだ。

 私はまっすぐにおかみさんの目を見つめる。



「……やったら聞くけど、あんたらほんまはあの浪士らに加担しとるんやないの?」


「えっ……」


 予想外の一言に言葉がつまる。

 唐突に突き付けられた刃物のような言葉が胸をえぐり、どくりと体の中心が脈うった。


「これまでのいずみ屋さんを見とったら、なんぼでも不審なとこ挙げられるからや。普段から浪士にええ顔してツケで通わせよったし……」


「お客さんとして接していただけです! それ以上のつながりなんてありません……!」


「隣の奥さんが、見た言うてたで……あんたらが店閉めたあとに浪士から何や、たんまりと銭を受けとってたって」


「それは……!」


 おそらく深門さんがツケを払いに来てくれた時の話だ。

 谷口屋さん、見てたんだ……。


「それにな、美湖ちゃんが浪士らしい男と外で仲良うしとるところも見た人がおるんよ。あんたらは普段から浪士と密に付き合うてるんやろ? そんで、なんかがきっかけで仲間割れして……」


 おかみさんは決めつけるようなで口調で強くまくし立てる。

 まるで般若の面のように、その目はみるみるつり上がっていく。


「違います! 彼らが店に来るのはあくまで客としてでした、私たちは何もやましい事はしていません」


 お世話になっている身で口ごたえなんて許されないのかもしれないけど、黙っているわけにはいかない。


 このままだと雨京さんやかぐら屋にまで悪い評判が及んでしまう。


「あんたがそう言い張るならもう何も聞かんけど……かすみちゃんは戻って来れるんかねぇ」


 しらけたように大きく息を吐いて、おかみさんが立ち上がる。


「どういう意味ですか……? すぐに戻ってきますよ」


 少し話を聞いてもらうだけだとかすみさんは言っていた。

 明日には戻ってくるはずなんだ。


「そやったらええけど……騒ぎのあと、ここらの住民は新選組に話聞かれて、みんなあらいざらいぶちまけたはずやで。いずみ屋のこれまでの行いや、つのった不信感をな」


「そんな……」


 だとしたら新選組の人たちは、いずみ屋の悪い評判ばかりを持ち帰って報告することになるじゃないか。

 きっとそのほとんどが事実とはちがう、根も葉もない噂や憶測だ。


「まぁ、何にしてもうちが部屋を貸すのは今夜だけや。かすみちゃんがどうなろうと明日には出て行ってな、ほなおやすみ」


 ピシャリと勢いよく障子を閉め、おかみさんは部屋を出ていった。

 夕餉を食べる時はまだこちらに対して気をつかい、ねぎらってくれていたおかみさんが、今や鬼の形相だ。


 きっと次々に様子をうかがいにくるご近所さんから言われたんだろう――いずみ屋に関わるなと。


 なんだか、どんどん物事が悪い方向へと向かっている気がする。




「――あ、新選組」


 うなだれながら窓際に戻ると、巡回中らしい新選組の隊士さんたちがぞろぞろと大人数でいずみ屋を囲んでいるところだった。

 そういえば今夜から巡回に来てくれると言っていたっけ。


 見つからないように窓を少しあけて彼らの働きを見守る。

 先頭で指揮をとっているのは永倉さんとは違う人のようだ。


 けわしい表情で何やらぽつぽつと会話を交わす一団は、修理された戸の周囲をぐるりと周り、店内の物音にきき耳をたてる。

 そして念入りに付近の路地を調べたあと、ザッと列を組んで風のように走り去って行った。


 戸締まりはきちんとされているし、まわりには人の気配もないし、思っていたよりも時間はかからなかったみたいだ。



 (何はともあれ今のところ異状はなし、か)


 ふぅと一息ついて窓際に腰かける。

 暗く寂しい路地に冷たい風が吹き抜けていく。


 いつもいずみ屋二階の窓からこちら側を眺めていたけれど、今夜は逆だ。

 狭い小路を隔てて正面からいずみ屋を見ている。

 すごく、遠い。

 私の帰る家が。自分の部屋が。



(――帰りたい)


 急に心細くなって、自分を抱きしめるようにぎゅっと肩を抱く。

 さっきのおかみさんの言葉が脳裏に焼きついて離れない。



『かすみちゃんは戻って来れるんかねぇ』


 かすみさんも、さっきの私と同じような尋問を新選組から受けているかもしれない。


『浪士に加担しているんじゃないか』と。


 だとしたら――。



 どうなるんだろう。

 帰って来れるのかな?

 本当のことを話しても信じてもらえなかったらどうしよう……。


 とにかく明日になってみなきゃ何も分からない。

 明日には雨京さんに会えるはずだから、もしかすみさんの帰りが遅ければ、先にかぐら屋を訪ねてみよう――。



 頭の中で、次々とわいてくる問題を片付けていく。

 とはいっても私一人の力ではどうしようもないものばかりで、ほとんどは『かすみさんが帰って来てから話し合おう』という結論にたどり着く。

 真剣に深門さんたちをつかまえる算段を練ろうと考えをめぐらせると、賢くはない私の頭は、すぐに悲鳴を上げて沸騰しそうになった。


 静まり返った部屋の片隅でたまりにたまった疲労に根負けした私は、指先でつまんだ金平糖を畳の上に落とし、まどろみの中に落ちていった――。




「いつまで寝てるん? 布団もしかんと……もう昼前やで!」


 夢の中にどっぷりとつかっていた私の意識は、耳をつんざく怒鳴り声にびくりと体を浮かせながら覚醒した。

 声の方に目をやると、いらだちをそのまま表情に出したおかみさんが、あきれ果てたようにすわった目でこちらを見ている。


 寝ぼけまなこをこすりながらきょろきょろと周りを見渡すと、目の前にはかすかにあいた窓がある。

 そこからちらりとのぞくいずみ屋の表戸が、変わりなく厳重に戸締まりされているのを見て少しほっとする。


 足元を見ればふたつ、みっつと転がる金平糖……昨夜はあのまま倒れこむように眠ってしまったようだ。



「すみません、おかみさん! 寝坊してしまいました……!」


 襟を正しながら取り落とした金平糖を拾い上げ、私はあわてて取りつくろうように笑顔をつくった。


「ゆうべ言うた通り、支度が済んだらすぐに出て行ってな。あとこれ、にぎり飯や。外で食べてや」


 おかみさんは大きくため息をついて、おにぎりが入った包みを部屋の中央に置く。


「ありがとうございます。一晩泊めていただき、本当に助かりました」


 まだほんのりとあたたかい包みを受け取って、大きく頭を下げる。

 突然私を押し付けられて迷惑だっただろうに、こうして食事まで用意してくれるあさひ屋さんに心から感謝だ。

 問題が解決して落ち着いたら、あらためてお礼をしに来なくちゃ。


「そんで、どないするのこれから……行くとこはあるんやろ?」


「はい、かすみさんが戻ってきたら一緒にかぐら屋を訪ねてみるつもりです」


「そう、かぐら屋さんが面倒見てくれはるなら安心やね。ほなうちは仕事に戻るわ……出ていく時は主人かうちに声かけてな」


「はいっ!」


 私の返答を聞いて納得したように二、三度うなずくと、おかみさんは忙しそうに廊下へと出ていった。



(よし、出ていく支度をしよう)


 自室から持ち出した小さいほうの風呂敷を広げて、そこにおかみさんからいただいたおにぎりの包みを入れる。


 大きな風呂敷には着物や鏡や櫛といった生活に必要なものが入っており、こちらの小さい方には、筆や紙や父の遺した絵が数枚。

 そしてもうひとつ、押し入れの奥から見つけた短刀が入っている。


 厚手の紙で何重にも包んだあと、質のよさそうな布で大事にくるんであったものだ。

 鞘にとても細かくきれいな細工がほどこされていて、見ているだけでも気持ちが引きしまる品だ。


 珍しいものを手に入れたらなんでも自慢気に見せてくれた父だけれど、この刀は見覚えがない。

 ごくたまに、お金ではなく品物で画料を受け取ることがあったみたいだから、たぶんこれはそうして絵と引きかえに手に入れたものだろう。


(お父さん、見守っててね……)


 ぎゅっと短刀をにぎりしめ、小さく祈る。

 そしてそれを元通り布でくるんで、絵を収納している箱の中へとしまう。


 準備はできた。

 これでいつでもかぐら屋へ行ける。




 それから着がえをすませてかるく部屋の掃除をした私は、風呂敷ふたつを抱えて階下へと向かう。


「ご主人、おかみさん、お世話になりました……!」


 店先に立つ二人に頭を下げて、お礼を言う。


「ほな美湖ちゃん、気ぃつけてな」


「うちらも向かいやからこれ以上何も起こらんように注意して見守っとくけど、いずみ屋さんも気つけてな」


 おかみさんは昨夜の忠告の念を押すような口調で、こちらに言葉を投げかける。


「もちろんです。二度とご迷惑をおかけしないように、これからはもっと考えて動きます」


 浪士に加担なんかは絶対にしていないけれど、こうしたいさかいに発展してしまったのは、付け入る隙を与えたこちら側にも少なからず原因があったと、今なら理解できる。


 反省と謝罪を込めてふたたび深く頭を下げ、私はあさひ屋さんを出て行った。




 いずみ屋の勝手口に面した小路に腰をおろし、私は表の通りをぼうっと見つめていた。

 人通りが少なく、いつもの賑やかさが見られない。

 昨日のことが影響してるのかな……。


 時刻は昼すぎ。

 店をあけていれば、お客さんが次々にはけて行って、かすみさんから「釣りに出かけてもいいよ」と声をかけられる頃。


「釣りかぁ……」


 今はそんなことをしている場合じゃないけれど、なんだか無性にのどかだった日常が恋しくなってくる。

 立ち上がって表の通りに出てみると、やさしく照りつける陽の光にいくらか気持ちが安らいだ。



 ――けれど、目にうつる景色に何か違和感がある。

 いつもとどこか違う……


「あっ! 釣竿がない!」


 普段は表戸付近に立てかけてある釣竿と桶が見当たらない。


 昨日帰ってきてからどこに置いたんだっけ……?

 できる限りくわしく、昨日の自分の行動を思い返してみる。


 そうして少し考え込んだ末に、私は重大な事実に直面してしまうのだった。


 (そもそも、釣竿を持って帰ってきてない!!)


 そうだ、持ち帰った記憶がない。

 おそらく酢屋さんに置きっぱなしだ。

 陸奥さんを待たせたくない一心で、慌てて店を飛び出して来たのがいけなかった……!



「はぁ……」


 どこまで自分はダメなんだろうと自然にため息がもれた。

 ひやりとした小路へと戻り、勝手口を背にぺたりと足をつく。


 釣竿を取りに行きたいけど、酢屋さんにはもう来るなって言われちゃったしな……。



 浪士である彼らとこれ以上つながりを持つことは、難しいのかもしれない。


 かすみさんは、浪士も悪人ばかりではないから自分の目で見極めるようにと言ってくれたけれど。

 外で彼らと会っていることは、すぐさまご近所さんに広まって噂になってしまう。


 相手がどんな人間であっても、浪士だというだけで距離をとる人々が、あまりにも多すぎる。

 中には浪士をひいきにしてかくまったりするお店もあるそうだけど、このあたりでは見かけない。



 ――写真にうつる三人の顔が、ふと頭に浮かぶ。


 彼らは、京に居場所はあるのかな。

 坂本さんや陸奥さんのように、定宿を持っていればいいけど。

 もしかしたら行く先々で冷たくあしらわれて、大変な思いをしているかもしれない。


 そう考えると、ぎゅっと胸の奥が苦しくなる。

 悪い人たちじゃないと、私は思っている。

 ほんの少ししか話したことはないけれど。


 それでも。

 写真の中の三人に会えたことは、私にとって奇跡のように嬉しい出来事だったんだ――。




「はぁ……」


 何度目かのため息。


 ――誰かに話を聞いてほしい。

 一人ではあまりに不安が大きすぎる。

 かすみさんはいつ帰ってくるんだろう。


 うなだれて風呂敷ふたつを抱え込むようにしながらぎゅっと身をちぢめ、時間がすぎるのを待つ。

 もう少し待てば、きっとかすみさんは帰ってくる――!



 そう自分に言い聞かせてどれくらいの時が経っただろうか。

 待ちくたびれて、空腹のあまりお腹がなさけない音をあげる。


 (かすみさん、遅いなぁ……)



 朝日屋さんからもらったおにぎりを頬張りながら空を見上げると、真っ昼間の澄んだ青さはもうなく、端からほんのりと朱に染まりつつあった。



「やっぱり、かすみちゃんは帰って来んねぇ」


「あんな浪士らとつるんでたからや……自業自得。このまま新選組に捕まっとってくれたらええのに」


「かぐら屋のお嬢は家で大人しゅう絵でも眺めとればええんよ、あないな世間知らずに商売なんぞできんのや」


 表通りから顔をのぞかせて、見知った顔のご近所さんがひそひそと噂している。

 その表情からにじみ出る、隠しきれない悪意。

 ニタニタと人の不幸をあざわらいながら、なんと満足そうな顔をしているのだろう。



 いずみ屋がやってきたことが、そこまで周囲を不快にさせていたのか――。


 間違ったことはしていないと信じたいけれど、こうした騒ぎを起こしてしまった以上は、「やっぱりこうなったか」と陰口を叩かれても仕方がない。


 黙っておにぎりをたいらげて、あびせられる言葉を聞き流していると。

 ふいに陰口が止み、表の通りが小さくざわめき出した。




「美湖ちゃん、こんなところにいた――今戻ったよ」


 聞きなれた優しい声色が耳元まで届き、はっとして顔を上げると、すぐそばにかすみさんが立っていた。


「かすみさんっ……! おかえりなさい!! どうだった!? 何もされなかった!?」


 すぐさまかすみさんの懐に飛びこみ、子供のようにしがみつく。

 ぽろぽろと、こらえていた涙があふれ出て止まらない。

 自分で思っていた以上に、気持ちがはりつめていたみたいだ。


「うん、ご近所さんからの訴えもあって少し話が長引いてね。なかなか帰してもらえなかったんだけど……」


「店を閉めてただちに新選組の管理下に置くっちゅうことで、一旦話がまとまった感じやな」


 そう言葉をはさみながら、かすみさんのうしろから顔をのぞかせるのは、山崎さんだ。


「あ……山崎さんもご一緒でしたか」


「帰りは送る言うてたやろ。それに、釘も外さんといかんしな」


 ごしごしと目をこすって涙をぬぐう私を見て、やっぱり子供だとでも言いたげに小さく笑みをもらした山崎さんは、脇に抱えていた木箱から工具を取り出して、器用に打ち付けた板を外していく。


「美湖ちゃん、ごめんね心配かけて。少しお店の中を整理して、暗くなる前にかぐら屋へ向かおうか」


「うん、わかった……お店の中、昨日のままで荒れてるもんね」


 かすみさんの言葉に大きくうなずいてみせる。

 せっかくだから盗品がまだ隠されていないか調べてみよう。



「開いたで」


 ガタガタと音を立てながら木戸を引くと、かすかに埃が舞う見慣れた土間が目の前に現れた。

 たった一日帰らなかっただけなのになぜだかとても懐かしく感じて、胸がいっぱいになる。


「ありがとうございます、山崎さん」


 深々と頭を下げるかすみさんを見て、早々と戸の中へ駆け込んでいた私も、あわてて表へ出て頭を下げる。


「荷物多いんやったらいくつか運んどいたるわ、四条烏丸のかぐら屋やろ」


「そこまでしていただくわけには……今日はもう十分です。本当にありがとうございました」


「いや、かまへんよ。これから仕事であのへん通るからな……ほれ嬢ちゃん、その風呂敷も任しとき」


 そんなとんでもない! と謙虚な姿勢で首をふるかすみさんのとなりで、私は素直に山崎さんへと風呂敷をたくした。


「それじゃ、お願いします!」


「美湖ちゃん!? そこまでしてもらっちゃ悪いでしょ……!」


 あわてふためいた様子で私と山崎さんを交互に見るかすみさん。

 そんな彼女を見た山崎さんは、問題ないといった様子で片手を上げ、こくこくとうなずいてみせた。


「それではこの子のぶんだけお願いします……残りは自分たちで運べると思いますので」


 丁寧にお礼の言葉をのべるかすみさんに一瞥し、風呂敷を背負った山崎さんは思い出したように口をひらく。


「四半刻ほど経ったらまたうちのもんが巡回に来るはずやから、そん時までに支度終わらしとき。戸締まりして、かぐら屋まで送らせる手はずになっとる」


「分かりました、何から何まで本当にありがとうございます」


「ほなまたそのうちな。嬢ちゃん、あんま無茶せんようにな」


 山崎さんはそう言ってポンと私の背を強めに叩いた。


「はいっ! いろいろとありがとうございました! 荷物よろしくお願いしますっ!」


 かすみさんと一緒に手をふりながら、細い小路の奥へと消えていく山崎さんを見送る。



「さて美湖ちゃん、いそいで支度終わらせよっか」


 ふうと一息ついて伸びをしたかすみさんは、ひやりとして薄暗い土間へと足を踏み入れた。


「うん! 昨日準備しておいたから、だいたいはできてるよね!」


 かすみさんに続いて土間へと進み、そっと戸を閉める。

 念のために内側から材木を立てかけて戸締まりをしておく。


「身の回りのものは準備できているんだけどね、お店の中をちょっと整理したいのよ……これからしばらくここには入るなと言われてるから」


「そっか、だったら私は何を手伝えばいい?」


「お店のほうへ行って飾ってある絵を回収しておこうと思うの。美湖ちゃんも手伝って。暗いから灯りを用意しなきゃね」


「分かった! 準備するね」




 行灯に灯りをともして四方に置くと、薄暗い店内がほんのりと明るくなった。


「油が残り少なくてあんまりもちそうにないから、手早く済ませようね」


「わかった! それにしても多いねぇ……全部外してると時間かかりそう」


 四方の壁を見渡す。

 版画から貴重な肉筆画まで、ありとあらゆる絵がきれいに並べて飾られている。

 縦に長い掛物絵から、横長の絵巻、さらには凧や双六といった玩具絵のたぐいまで、種類は問わず何でもござれ。

 すべてひっくるめて七、八十枚はあるだろうか。


 ちなみに、汚れにくいようにと価値のあるものほど上のほうに配置してあるそうだ。


「とりあえず、上のほうの絵から回収していく?」


「そうねぇ……美湖ちゃんは掛物をはずしていってくれる? あとのものは、ちょっと剥がすのにコツがいるから」


 かすみさんはそう言って、壁にかかった縦長の掛物絵をポンポンと優しく撫でる。


「わかった! これ、くるくる下から巻けばいい?」


「うん、両側を持って少しずつ。できるだけ芯に密着させるように巻き取ってみて。きつくやりすぎると絵が傷むからそのあたりは加減してね」


「はぁい!」


 指示通り下から少しずつ丁寧に絵を巻いていく。

 筆一本で龍と山と雲が描かれた水墨画だ。

 かすみさんは色がついた華やかな錦絵や玩具絵が好きだから、これは晴之助さんが飾ったものだろう。


「ある程度巻いたら、あとは釘から外して畳の上で巻き終えるといいよ」


 かすみさんがこちらを気にかけて声をかけてくれる。


「はぁい」


 言われるままに壁から絵を外して、残りをきっちりと巻き取る。

 最後は紐でくくって、おしまい……!


 こういう絵の取り扱いには、傷つけないよう正式なやり方があるそうだけど、今回は仕方ない。

 なんとなくで我慢してもらおう。


 そうこうしながら、当初はおそるおそる絵に触っていた私もだんだんとコツをつかみ、一枚終えるごとに軽く鼻歌をはさむほど余裕が出てきた。


 絵と向き合うたびにいずみ屋での思い出がよみがえってくる。


 父があくびをかみ殺しながら完成させた凧絵。

 男前すぎて直視できないと、頬を赤らめながらかすみさんがいつも誉めちらかしていた武者絵。

 晴之助さんがお宝だと満足そうに見つめていた父の連作肉筆画。


 それにお客さんが誉めてくれた絵……気に入ってくれた絵。

 眺めているだけで、いろんな人の顔が浮かんでくる。

 ここにある絵一枚一枚に、いずみ屋の歴史が詰まっているんだ。


 大切にしなきゃいけないと、あらためて感じる。

 またかすみさんと一緒にこの場所で、この絵を飾ってお店を開けるように、一から頑張っていかなきゃ――。



「かすみさん! 掛物、ぜんぶ外したよ。十二枚もあったけど、どうしよう? 何かに包んで運ぶ?」


「そうね、ひとつひとつ軸箱に納めたいところだけど、それだとかさ張りそうだものねぇ……それじゃ、いくつかまとめて桐箱に入れておいてくれる?」


「分かった。箱、部屋にあったかなぁ……? 二階見てくるね」


 そう言って私は店内との仕切りであるのれんをくぐって、その先にある階段へと向かう。


「美湖ちゃん、桐箱、私の部屋にもいくつかあるから使って。あと、絵を包むための揉紙も持ってきてくれる?」


 のれんを手で押し上げて、かすみさんがちらりと顔を覗かせる。

 そして予想以上に暗い廊下を見て心配そうに頬に手をあてた。


「暗いから気をつけてね、行灯ひとつ持っていく?」


「まだ夕方だし大丈夫だよー! すぐに戻るね!」


 足元がほとんど見えない真っ暗な階段を一段飛ばしで駆け上がりながら、私は元気に返事をした。



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