第十話:新選組
「あんた、いずみ屋の娘さんやな。今までどこに行っとった?」
壊れた戸の奥から、ふいに声がかかった。
どこか聞き覚えのある声に小さく身をふるわせ、視線を上げて相手を確認すると、そこに立っていたのは――……
「……もしかして昨夜の商人さん……ですか?」
一触即発の浪士たちのいさかいを、店の端で身を縮めてやりすごしていた、あの人だ。
昨夜とはまるでちがう格好で一見分かりにくいけど、よくよく目をこらして見れば、目元口元はそのままだ。
何より、声をよく覚えている。
しっとりと、どこか人を落ち着かせる声。
「せや。すまんな、ホンマの仕事はコレや」
これ、と言ってこちらに見せたのは、腕に巻かれたダンダラ模様の腕章だ。
「新選組の方だったんですか……」
信じられない。
ひかえめで優しい、普通の商人さんだと思っていたのに――。
昨夜の深門さんたちの口論は、この人にすべて聞かれている。
確かに彼らはなにやら物騒な話をしていた。
もしかしてそれが、こうなった原因なの?
「すまんな。店も今日で閉めるいう話やし、あんたらは単に厄介ごとに巻き込まれただけなんかもしれんけど、少し話を聞かせてくれんやろか……まぁ、中に入ってや」
ガタガタといびつな戸を揺らして通路をひろげると、ついてくるよう視線で促しながら、その人はずかずかと店の奥へと歩いて行く。
いやな熱気のこもった店内には複数の新選組隊士が散らばっていて、一斉にこちらへと視線を集中させる。
なんだか居ごこちが悪くてうつむき加減に歩いていくと、すみにある一席から私を呼ぶ声があがった。
「美湖ちゃん……! おかえりなさい」
かすみさんだ。
気弱なかすみさんのことだから涙ぐんではいないかと心配していたものの、思っていたよりずっとしっかりとした気丈な顔つきで私を迎えてくれた。
「かすみさん、ただいま……大丈夫? 何もされてない?」
ばたばたと駆け寄って、かすみさんの懐に顔をうずめる。
おさえていた不安が爆発して、涙が数滴頬をつたう。
「何もしねぇって、俺たちをなんだと思ってんだよ」
ぐすぐすと鼻をすする私を見てため息まじりに立ち上がるのは、かすみさんと今まで話しこんでいたらしい隊士さんだ。
「永倉(ながくら)さん、この娘が先ほど話した子です」
「おう、お前が言ってた通り何も考えてなさそうなちびっ子だな。この子はまぁ、いいわ。難しい話は分かんねぇだろうし……山崎、お前もうちょい相手してやれ」
「了解しました」
山崎と呼ばれた昨夜の商人さんは深く頭を下げ、一言「ほな、向こう行っとこな」と私の背を軽くたたいて奥の部屋へと歩き出す。
――なぜだか急に子供あつかいだ。
話を聞くかぎり、この永倉さんという人がここで一番偉いんだろうけど、あんまりだ。
こんなの、部外者あつかいされたも同然だ!
「待ってください! 私もいずみ屋の人間ですから、話をきくなら一緒にお願いします!」
ずいと永倉さんの目の前ににじり寄り、ここを動く意思はないと目で訴える。
「あのね美湖ちゃん……いいのよ、あらかた話はついたから。それに、危ないところを新選組さんに助けてもらったのよ」
「そうさ、お嬢ちゃん。ついさっきまでここで不逞浪士どもが暴れててな。やつら裏口をぶっ壊して逃げ出しやがったが、今うちのもんが追ってる最中だ。しばらくは報告待ちってことで、ここで待機させてもらうぜ」
永倉さんは、子供扱いされて頬をふくらませている私のほっぺたをぺちぺちと軽くたたき、どすんとその場に腰かける。
「その浪士って……かすみさん」
おそるおそる表情をうかがうと、かすみさんは静かにうなずいて口をひらく。
「昨夜の三人よ。突然訪ねて来て、お店を開けてほしいって騒いでね。戸を壊してまで侵入して来たの」
「うそ……どうしてそこまで?」
「探し物があったみたい。奥の部屋の天井裏にいろいろと隠してたみたいでね。小判とか、刀とか」
「えっ!? なにそれ!? 奥の部屋なんて、いつの間に!」
私たちが生活している母屋や二階は、お客さんの立ち入りを許可していない。
いつ、どうやってそんなことを……。
「まぁ、たまにある事やな。定宿のない輩が、持ち歩きにくい大事なもんを目立たんようにあちこちに隠しとくんや。普通は人気のない神社やったりボロ家の縁の下やったりするんやが……わざわざ茶屋の店内に仕込むとは、大胆すぎて呆れるわ」
山崎さんは場慣れした様子で淡々と説明しながら、壁にかざってある絵を軽くめくって、下からそれをのぞきこんでいる。
まさかそんなところに何か仕込んであるとは……と小さくひきつり笑いを浮かべてしまうものの、彼の様子はいたって冷静だ。
「もしかしたらまだ店の中に何か隠されてるかもしれねぇな、あやしいもんがないかざっと隊士達に調べさせてはいるが、もし何か見つけた場合は俺たちに知らせてくれ。盗品の可能性もあるからな」
「分かりました……美湖ちゃんも、何か変わったところを見つけたらすぐに教えてね」
永倉さんの言葉にうなずきながら、かすみさんは私のほうを見て、くれぐれも頼むと真剣な表情で肩をたたいた。
「うん、わかった。あとでいっしょに探してみようね」
大きく首を縦にふる。
知らない間にこの店が悪いことに利用されていたなんて、いまだに信じられないけれど……。
思い返してみれば、おかしなところはたくさんあった。
深門さんたちは急に大金を手にしていたようだし、身なりだって一日で別人のように立派になっていた。
永倉さんが言うように、それらは盗みを働いて得たものだと考えれば、合点がいく。
「それがね美湖ちゃん、私このあと新選組さんの屯所に行かなきゃならないのよ、今後の相談にも乗ってくださるそうだし……」
「え、そうなの? お話はあらかた済んだんだと思ってた……」
「まあ、付近の店からポツポツ心配する声も上がってることだし、一日でハイ解決とはいかねぇ一件だからな。店内からまだ何か見つかるかもしれねぇし、この店そのものがしばらく監視対象だ」
不安を顔に出す私を見て、永倉さんは励ますような力のこもった声で答えてくれる。
新選組側の対応って、思っていたよりも丁寧なんだな……。
もっとこう、事件を解決したら、すぐさまザザザと居なくなる淡白な感じだと思っていた。
「しばらくは新選組さんが見回りに来てくれるそうよ。彼らがつかまるまでは安心できないけど……」
かすみさんのその言葉を聞いて、ことの重大さをいっそう痛感する。
昨日まではまだ深門さんたちにわずかな理解を示していたかすみさんが、きっぱりと彼らが裁かれることを望んでいる。
――当然だ。
それくらい決定的なことが起こったんだから。
もう手を差しのべることなんてできない。できるわけがない。
三人の中でも、深門さんだけは悪い人じゃないと思っていたのにな……。
なんだか裏切られたようで、残念だ。
肩をおとして、深くため息をつく。
しばらくはいずみ屋周辺もごたごたしてあわただしくなりそうだ。
私にできることは少ないかもしれないけど、できる限りかすみさんの力になろう。
「隊長、だめです。やつら散り散りになって……途中一人を追い詰めたんですが、寸でのところで逃してしまいました。申し訳ありません!」
と、店内に息をきらせて走りこんで来たのは、例の目立つダンダラ羽織をまとった責任感の強そうな青年。
うしろに続いてぞろぞろと、口惜しそうに汗をぬぐう六、七人の若い隊士の姿も見える。
「逃しただと!? 三人ともか!?」
立ち上がって、すごい剣幕で目の前の隊士に一喝する永倉さん。
戻って来たばかりで息も荒く汗だくな数名の隊士たちは、緊張したように頬をこわばらせてぐっと拳を握る。
「手分けして追ったんやろな? それぞれ、どこで見失うた?」
不甲斐ない部下たちに鉄拳制裁でもしちゃうんじゃないかというピリピリとした永倉さんを抑えるように、横から山崎さんが口をはさんだ。
「もちろん、手分けして追いました。一人はこの通りを進んだ先の、宿場町付近で雑踏にまぎれて見失いました」
「もう一人は河原町あたりまで追って、長屋の一室に消えたように見えたんですが、くまなく調べても見当たらず……」
「もう一人は付近をぐるりと回るように逃げて、ここらまで戻ってきたようだったんですが、ぷつりと姿が見えなくなって……今も数名で捜索させています」
こうもよくない報告を立て続けに並びたてられると、不安や困惑を通りこして力が抜けてしまうもので、私とかすみさんは血の気が引いた顔を見あわせて黙りこんだ。
「……やつらを残さずしょっぴかねえ限りは、この店も危険にさらされ続けるわけだからな。ここにこのまま留まることはお勧めできねぇ。できれば今日からでも別所に移れないか?」
予想外の報告を受けて苦々しい顔でうなる永倉さんが、そう言ってかすみさんの方に視線を送る。
「そうですね、先ほどお話していた通り明日には実家のかぐら屋へ移る予定です。今日は……どうしましょうね、美湖ちゃん」
そうこちらに話をふられて、言葉につまる。
よくよく考えれば、いずみ屋にしろかぐら屋にしろ、かすみさんが場所を用意してくれなければ、私には行くあてが全くない。
「いずみ屋の女将さんは、話を聞きがてら今夜は新選組の屯所で世話してもいいが、行くあてがねえならお嬢ちゃんも一緒に来るか? 相手をとりのがしたのはこっちの責任でもあるし、一晩くらいなら保護できるはずだ」
そう提案してくれる永倉さんに向かって、私は小さく頭をふる。
「いえ、大丈夫です。このままお店をあけるのは心配なので、私がここに残ります」
「アホか……それが一番アカン言うてるやろ。近いうちに相手はまたここに戻ってくるはずや。新選組も暇やないから、いずみ屋に張り付いてはおれんのやで。夜は特に狙われやすいやろうしな」
私の発言にすかさず山崎さんが言葉をかぶせる。
「それは分かりますけど、こんな騒ぎになって、また今夜こりずに来たりするでしょうか? しばらくは警戒してるんじゃないかなって思うんです。部屋の中に盗品がないか調べたいですし」
「美湖ちゃん、気持ちは分かるけど、やっぱり危険よ……そうだ! 向かいのあさひ屋さんに泊めてもらえないか聞いてくるわ」
かすみさんがぽんと手をたたき、名案だとうなずく。
あさひ屋さん……。
昨夜浪士への対応について話し合ったばかりなのに、昨日の今日でまたこの騒動だ。
さすがに、いい顔はしないだろう。
さっき話をしたときも、厄介ごとを持ち込んだ私たちを非難する気持ちをかかえていることは、態度を見ても明らかだった。
そんな状態で、泊めてくれと頼むのは気がひけるな……。
「迷惑じゃないかなぁ」
「こんな状況だしな、断りもしねぇだろう。俺も一言声をかけに行かせてくれ」
しぶるように言葉を濁す私を置き去りにして、かすみさんと永倉さんは連れ立って店を出て行ってしまった。
そっか……。
どのみち、ご近所のみなさんに迷惑をかけてしまったことに変わりはないから、一言店主として頭を下げに行かなきゃいけないんだ。
「私も行ったほうがいいかな……」
少し考えこんで一歩踏み出した私の手首をぐいと引っぱり、山崎さんが制止する。
「子供は黙って待っとき。ええか? 向かいに泊まる事になっても、店主が戻るまではこの店に入るんやないで?」
まるっきり、小さな子供に言い聞かせるような口調。
たしかに私の考えは子供っぽいかもしれないけど、こうも露骨に、仕方なく子守をやってますといった態度をとられるとさすがに少し傷つく。
「子供じゃありません。大切な店だから、これ以上何か起こらないように守りたいだけです……かすみさんに心配をかけるのは嫌だから、ちゃんとあさひ屋さんで大人しくしてます」
「分かればええ」
「あさひ屋さんは向かいにありますし、できるかぎり窓からいずみ屋を見張っていようと思います」
もう二度と店を荒らすようなことは許さないと、気合いを入れなおす。
話が一段落ついていくらか頭が冷えてくると、気づかないうちに店を利用された事実に、怒りとくやしさがわき出してきて止まらない。
これ以上彼らの好きにはさせない、絶対に。
「今夜はうちの隊士たちがここらの巡回に来るはずやから、何かあればそん時報告してや。わいも、夜中に一度様子見に来るわ」
「分かりました、ありがとうございます」
子供あつかいはひどいけど、こちらに気を配ってあれこれ助言してくれる山崎さんは、やっぱり昨夜の印象通り優しい人みたいだ。
感謝の意をこめて、私は深々と一礼する。
それから半刻ほど経っただろうか。
陽も落ちてすっかりあたりが暗くなったころ、ようやく私があさひ屋さんに引き取られるということで、話がまとまった。
急なことで準備もろくにできていないと焦ったものの、自室に戻ってみると、きっちりと風呂敷二つ分の荷造りがされてある。
――そっか。
かぐら屋へ移るために今朝荷物をまとめておいたばかりだった。
好都合とばかりに大きな風呂敷をかつぎ、一つは抱えて、私はあさひ屋さんへと向かった。
「できる限り早めに戻りますので、それまでこの子をよろしくお願いします」
あさひ屋のご主人に、かすみさんが深々と頭を下げる。
奥の路地まで占領して、ひそひそと遠巻きにこちらを見守っていた付近の住民たちはというと、事態の収束を見てさっさと解散してしまったようで、今はあたりの家々にも普段通りに灯りがともっている。
近くの店舗のいくつかは、店先で新選組の隊士さんからいろいろと事情を聞かれているけれど、彼らはいずみ屋の揉め事には微塵も関わっていないから、そんな尋問もすぐに終わるだろう。
「かすみちゃん、行ってらっしゃい。あんなことがあって、うちもしばらくは気が休まらんわ。はよう戻ってきてな」
「はい、ご迷惑をおかけして申し訳ありません……それじゃ美湖ちゃん、行ってくるからね。いい子で待っててね」
あさひ屋さんに向かって申し訳なさそうにもう一度深く頭を下げると、かすみさんは私の頭をなでて小さく微笑んでくれる。
「うん、行ってらっしゃい! いい子にしてるね」
かすみさんの言葉には、無茶なことはするなと静かに諭すような含みがある。
それを受けて「分かってるよ」と、安心させるようにこちらも笑みを向ける。
「よし、そんじゃ行こう。お嬢ちゃん、即席で雑だが一応壊れた戸の修理はしておいたからな。表の戸も裏の戸も、ガッチリ釘で打ち付けてあるから、簡単には中に入れねぇ。女将を帰すときにまた隊士をよこすから、そいつに釘をはずしてもらってくれ」
「はいっ! 分かりました。永倉さん、何から何までありがとうございます」
私が勢いよく体を曲げて頭を下げると、そのとなりであさひ屋さんのご主人と女将さんも、丁寧な動きでそれに続く。
やがて永倉さんは、付近で聞き込みをしていた隊士さんや、近くの路地の見回りを任されていた幾人かを召集し、点呼をとってぞろぞろと屯所へ引き返して行く。
先頭の永倉さんのそばを歩くかすみさんは、こちらを振り返ることもなく、しっかりとした足取りで、入りくんだ路の向こうへと消えていった。
「さぁて中に入ろか。部屋は二階や、空いとるとこ好きに使ってな。それにしてもえらい荷物やなぁ……一晩泊まるだけやのに。ほれ、そっちの大きいほう、持ったるわ」
ご主人がそう言って、かかえていた風呂敷包みを持ってくれる。
「ありがとうございます……! お世話になります!」
「疲れたやろ、今夜はゆっくり休み」
疲れと緊張で少し固くなっている私をねぎらうようにぽんと背をたたいて、女将さんが宿の中へと案内してくれる。
明かりに照らされてほんのりとあたたかい室内に足を踏み入れると、いくらか気持ちがときほぐれたのか、思わず大きくため息がもれた。
(かすみさん、はやく帰ってきてね――)
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