第38話 あたしメリーさん。いま衣替えの季節なの……。

 俺のバイト先である神田神保町の裏通りに面した雑居ビル《ナゾー・タワー》。

 ドリルのような独特の外見のビルだが、聞いた話では京都にも似たような形のビルがあるそうなので、まだしも名古屋の天白図書館近くにある公園の富士山すべり台型遊具のほうが、珍百景としてはインパクトがありそうな、ちょっと変わった程度のありきたりな建物である。


 ここの一階を占める(実際はビル全体が店長オーナーのものらしいが、外見がこうなので何階建てなのかイマイチよくわからない。エレベーターの表示を見ると『宇宙』とか『異次元』とかいう洒落が利かせられた冗談ボタンもある)『ロンブローゾ古書店』が俺のバイト先であった。

 なお、通常は大学の傍ら週二・五日(月・土と木曜日半日)のシフトなのだが、現在は夏休み中ということもあって定休日の日曜日(神田は学生とサラリーマンの街なので、平日以外は人が減るため、大抵の古書店が休む)以外、週五回、一日八時間労働についている。

 もっとも、一日平均五人ほどしか客が来ない店番と、古書の整理に明け暮れるバイトなので楽なものなのだが、夏休み中で暇なのか、ここのところ毎日のように樺音ハナコ先輩が顔を出すようになっていた。


 さすがに季節柄マントは着用していない、いつものミニのゴスロリ衣装なわけだが、さすがは大都会東京。ひとりハロウィンとでもいうべき支度の先輩パイセンが道を歩いていても誰も気にしないし、それどころかそれ以上に変態な、中国の某遊園地に出没するネズミキャラの着ぐるみ、全身ラバースーツ集団、小悪魔なマ○コ・デラックス風味のおっさん(おばさん?)、股間に白鳥の首をつけた草臥れた中年リーマン、ロングコートの中は全裸というベーシックな変質者という、話題になりたいという欲望まみれの格好をした連中がウヨウヨいるので、ゴスロリ様程度は関西のおばちゃんの格好並みに、『ちょっと個性的』な目で見られる程度に落ち着いている。


 許容範囲があり過ぎるな大都会東京。中世だったら全員捕まって火炙りだろうに。


 ……まあ格好はともかく、樺音ハナコ先輩の場合は冷やかしではなく、気に入った本があれば値段を気にせず、結構気前よく買ってくれるので――主に奥義書とか魔術書とかいう、奇人変人の妄想のたぐいだが――ちゃんとした客と言えば客なのだが、本人のお題目である希少本(奇書?)が目当てというのはここに来るための口実であり、実際のところただ単に夏休み中のボッチ状態が寂しくて、連日通っているのではないかと俺は勘繰っている。


「これこそが伝説のグリモワール! 私が追い求めた宇宙たるヴェルトール……ウグッ!? 今のは危なかったわ……封印されし魔眼が疼く。どうやら我が内なる力が強くなりすぎたようね……」


 と、傍らで世迷言を垂れ流している樺音ハナコ先輩をカウンターから眺めながら、彼女コイツに限っては、「本当はあなたの傍に少しでもいたくて♡」というような、甘酸っぱい内に秘めた思いとかはないだろうな……だって、目付きが狂信者のソレだし、と思う俺だった。


 もっとも「暇だから来てるんでしょう?」そう率直に尋ねたところ、

「失礼な。ちゃんと我が同志と親睦を深める以外にも、この近辺で開催される終わりの始まりを告げる宇宙的脅威に対抗する、地上を守護せし星の護り手たる同胞たちと毎回熱の入ったキョーギを重ねているわ!」

 憤慨した答えが返ってきたものだが。

「宇宙的脅威に対する協議ね……具体的にはなにをしてるわけ?」

 当然のように額面通りに受け取らず、そう重ねて尋ねる。


「これよ、コレ――」

 と言ってテーブルの上でサイコロを転がす真似をする樺音ハナコ先輩。


「…………。……『水曜ど○でしょう』のサイコロの旅?」

 どっちかっていうと樺音ハナコ先輩の場合は、『人生どうしよう』って風に瀬戸際っぽいんだが……。

「違うわよ! なんでそんなアグレッシブな夏休みを送らなきゃならないわけ!? 普通にテーブルの上でやるゲームよ、ゲーム!」

「……丁半かチンチロ博打?」

「んなわきゃないでしょう! TRPGよTRPGっ! この近くにはTRPGとボードゲームのカフェとかが結構あって、どこかしらで競技が行われているのよ」


 ……ああ、キョーギって『競技』――というか、遊戯のことだったのか。


「最近ハマってるのよね~。コンピューターにはない人間同士の駆け引きの妙とか……そうよ! 同志も参加すればいいのよ。TRPGのメッカとも言えるこんな恵まれた環境にいるんだから!」

 名案だとばかり樺音ハナコ先輩が手を叩いた。

 普通、自分の趣味を強要するのはアウトドア派で、インドア派はそこまでグイグイ攻めない印象なのだが、どーいうわけか俺の周りにいる女性は揃いも揃って、生肉に群がるピラニアもかくやという具合に遠慮というものがないんだよなぁ。


「あー、いや……なんか面倒臭そうだから、いまいち食指が湧かないんですよね」

 ここはやんわりと断っておく。ぶっちゃけルールとかハードルが高そうだしね。


「そんなに難しくはないわよ。必要なのは書くものとダイス――六面か十面ダイスが一般的だけど、そんなに高くもないし――あと、ルールブックとシナリオがあればOK」

 そう言いながら樺音ハナコ先輩は、傍らに置いていた鞄から『クトゥルフTRPG』とか書かれたルールブックを取り出して、読めとばかりに俺に差し出してきた。

「ふーん……基本的なルールを覚えればいいわけですか?」

 お義理でパラパラと流し読みしながら尋ねると、樺音ハナコ先輩はその通りとばかり頷く。

「そうよ。TRPG――日本だと一般的に『テーブルトークロールプレイングゲーム』って言うけど、世界的には『テーブルトップRPG』って言うのが正しいんだけどね――をプレイするにあたっては、TRPGのバイブルである『R○le&R○ol』でも、ルールブックを必ず所持するよう明記されているわ。それさえ覚えればあとはその場のノリとKPゲームキーパーの指示とシナリオに従えばいいの。簡単でしょう?」

「シナリオってのは?」

「シナリオは既存の本を使ったり、KPが用意したりと様々だから、絶対に必要ってわけじゃないわね。ちなみにクトルゥフ系だと、宇宙的恐怖の存在に立ち向かうのが基本的なストーリーかな」


 オリジナルもあるのか。変な奴が書いたらわけわからんシナリオになりそうだな。例えばメリーさんに書かせたら、ウミガメのスープ的な意味不明の惨劇で終わる話になりそうだ。


「なるほど。つまるところ、基本的なストーリーはこの本に出てくるバケモンと戦うゲームなわけか」

「そうそう。――ま、戦うっていうより邪神に一方的に蹂躙されるんだけど……」


 我が意を得たりをばかりしきりに首肯する樺音ハナコ先輩。気のせいか、なにか小声で付け加えたような気がするが……。


「基本的にプレーヤーが自分のスキルを使ってどれだけ器用に立ち回れるか、咄嗟の判断や行動が試され、あと不確定要素としてダイスが運不運を決める形ね。他のTRPGと違ってクトゥルフ神話TRPGの場合、一発逆転のクリティカルやファンブルは基本的にないから、純粋な頭脳戦とダイスによって判定が決まるの。実力勝負と考えればわかりやすいでしょう?」

「ふーん、行動はその場その場で任意に行っていいわけか。状況に応じた試行錯誤が重要ってこと?」


 大枠を確認すると、樺音ハナコ先輩は嬉しそうに同意を示す。


「その通り! 大事なのはその役割ロールに応じてなりきった行動の積み重ね。その試行錯誤こそがTRPGの醍醐味なのよ! ――もっとも、その試行錯誤を、なんだかんだと叩き潰すのがKP側の愉しみなんだけど……」


 ……なんだろう。樺音ハナコ先輩の背後に、カ○ジを煽って博打に誘う、○槻班長のような黒い部分が見え隠れする気がするんだが……。


「とにかく面倒に考えないで、初心者でも気楽に参加すればいいのよ」

「なるほど。基本的にルールブックの基本的なことを覚えて、あとはサイコロダイスを振って即興でアドリブをすればいいようなもんですか。確かに思ったより簡単で面白そうですね」

「そうそう。簡単よ。とりあえずルールブックの冒頭130Pくらいまで暗記するのが、最低限の常識だけど」

「無茶苦茶ハードル高いじゃねえかっ!」


 俺は持っていたルールブックを樺音ハナコ先輩へ叩き返すのだった。


 さて、樺音ハナコ先輩がボードカフェへ出かけた後の閑散とした店内に、いつものようにメリーさんから電話がきたので、これ幸いにと暇つぶしにスマホに出る。


『あたしメリーさん。いま新大陸は夏なので、女がみんな水着を着ているコ○゛ラみたいな世界になっているの……』

「それはそれでハードボイルドっぽいな」

『メリーさんも帽子からワンピース、靴下、靴に至るまで全部白で統一しているの。驚きの白さ……』

 このネタ前にもやったな、と思ったんだが続く台詞が違った。

『修羅○門もビックリの白さなの……』

「お前は全方位に喧嘩を売りまくっているなぁ……」

『だけど白いとスズカと色が被るので、そろそろ模様替えしようかと思っているの。あと黒はオリーヴだし、髪の色からローラは水色、エマは緑、あとジリオラは言うまでもなく鮮血の色なので、これ以外の色のコーデがいいの……』

「いまさらだけど、お前ら揃って登場した瞬間、崖をバックに赤青黄緑ピンクの爆炎が上がりそうだな」


 どこの戦隊だっていう感じの彩り豊かさである。


『あたしメリーさん。それでいうと黄色とピンクが抜けているけど、黄色はカレーばかり食べてるデブのイメージがあるから、ピンクがいいかしら……?』

『ピンクなんて大っ嫌いよ~~っ!! 特に髪の毛をピンクにしている奴なんて、アーパー以外の何者でもないわっ!』

 途端、メリーさんの台詞を聞きとがめたらしい、オリーヴの絶叫が聞こえてきた。

 同時に樺音ハナコ先輩が去って行った方角から、壮大なクシャミが聞こえてきた。


「なんだなんだ?! オリーヴはピンクの髪の女に親でも殺されたのか?」

『あたしメリーさん。オリーヴのことだから、どうせアナザーからガ○ダムに入った浅い知識でもって、宇宙世紀からのファンに「ピンクの髪のヒロイン? ラ○スのことですか~?」とか語って顰蹙を買ったに違いないの……』


 メリーさんの謂れのない誹謗中傷に、『違うわよ! あたしの姉という名の――』なにやら喚いているオリーヴを無視して、メリーさんの話は続く。


『それに来月はメリーさん、七つの鍵でもって、地獄の門を開く季節――はーろーうぃん!……なの。だから、いまからそれ用のオバケの衣装も買っておこうと思うし……』

「微妙に違うような気がするが。……ハロウィンねえ」


 メリーさんプロがオバケの扮装をするとか、本気臭がパないんだが。


『とりっく・おあ・とりーと。お菓子くれないとぶっ殺すの! と言って包丁構えて金持ちの家にお菓子と金目のものを目当てに行くの……』

「強盗だ強盗っ! ヤメロ、それただの押し込み強盗だから!」

『――むう。じゃあお菓子だけに限定するの。新大陸の名物お菓子って、なぜか地球のアフリカあたりのローカルお菓子なのよね……』

「へーっ、どんなのなんだ?」


 アフリカの菓子……? ちょっと想像もできないな。


『代表的なのは、小麦粉を砂糖やバター、牛乳に混ぜて、麺棒で伸ばして、切って、油で揚げたドーナツもどきみたいなのね……』

 なるほど。いかにも素朴なお菓子って感じだな。

『名前は〝チンチン”っていうの……』

「嘘つけーーっ!!」

 そう頭っから疑ってかかったのだが、スマホで検索すると確かにナイジェリアあたりの伝統的な菓子として実在していた。なんてこった……!

『あと、似たようなお菓子で〝パフパフ”っていうのもあるの。だからメリーさん、ハロウィンでは「とりっく・おあ・とりーと……さあ、つべこべ言わずにチンチン出すの、チンチン! メリーさんチンチンに飢えているの……!」と言って包丁を……』

「変態だーーーーっ!!!」

『だいたい異世界こっちのハロウィンはバイオレンスなの。「欲しいか? お菓子が……ならば戦え!」というのが今年の謳い文句だし。ということで、ローラ……は暴れているオリーヴを押さえつけるので忙しいから、エマとスズカ。これから百貨店デパートに秋物衣装とハロウィンのコスプレを買いに行くから付いてくるの……』


 メリーさんに促されて、ホテルで寛いでいたらしいエマとスズカがしぶしぶ付き合うことになった。


『メリー様、いつもお洒落に気を使ってますけど、別に見せたい相手もいないですよね~?」

 と、呆れた口調のエマ。

『メリーさん、いつでも現世に戻った時に、いつでも彼と一線を越えられるように、常時戦場の心構えは崩さないの。いまでも彼とは初期のB`○の歌詞並みに蕩ける言葉を羅列した愛のトークをしているし、不幸な行き違いで異世界に別れなければ、確実に肉体関係込みで愛が育まれていた筈なの……』


 別れてなければ関係性が変わっていたみたいな言い方はやめろ。


『お洒落ですか。私は生前も4M――松○屋、名○百貨店、○栄、○越などのブランド専門店より、それらのそばにあるコ○兵で安く済ましていたので、あんまり詳しくはないですよ?』

 これはスズカだが、話題が地元ローカルネタ過ぎてメリーさんもツッコミが思いつかないようだ。

『メリーさんそっちの百貨店はJR○ゴヤ高島屋とミッド○ンドスクエアくらいしか知らないの。で、とりあえず、全身のコーディネートをして、付けられるたけの装飾品とか装備しないと安心できないので、あるだけ頭からつま先までお洒落するの……!』


「言っておくが、お洒落は装備足した分、パラメーターが上がるとかはないからな!」


 念のためにそう注意しておく。

『大丈夫なの。メリーさんTKOはわきまえているの……』

「TPOな、時(time)、所(place)、場合(occasion)の略だから。テクニカルノックアウトじゃねえからなっ」

『似たようなものなの。さあ、行くの。エマ、スズカ! ハロウィン本番では、皆をビックリさせるの……!』

『はーい』

『わかりましたー』


 メリーさんの掛け声に合わせて、エマとスズカが気のない返事で同調する。

 まあ、この調子なら今日は大事にはならないだろう。

 そう思って俺は樺音ハナコ先輩が「予備だから参考に置いて行くわ」と言って勝手に置いていった、TRPGのルールブックを改めて斜め読みし始めるのだった。


 まあ、こいつが仮にハロウィンに羽目を外したとしても、ここまで不審者丸出しの幼女を、そうそう家に入れるほどセキュリティの甘い家もなかろう。

 そう思った俺だったが、その一カ月後のハロウィン当日、ノーデンスのハンマートンカチを使って、鍵とか関係なく――それどころか次元の壁すら越えて――メリーさんがお菓子を求めて、強襲並びに強奪行為に及ぶことになり、ついでにマジで地獄の門を開きっ放しにして、地獄の鬼とかケルベロスとかが大挙して現れる惨劇のものになるとは、この時の俺は想像すらしなかったのを、心の底から悔やんだものである……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る