第31話 あたしメリーさん。いま伝説の勇者が覚醒したの……。
俺が働いているバイト先『ロンブローゾ古書店』は、昔ながらの古書店という感じで漫画や雑誌の取り扱いは一切行っていない。
そのためかお客さんも絞られた
【世界征服】
とは思うのだが、デカデカと掲げられた社是(達筆である)を見ると、無欲なんだか気宇壮大なんだかイマイチ判断がつかない。
その店長は今日も出張ということで南の島へ『かいじゅう』を探しに行っている。
なにを言っているのかわからねーとは思うが、まさか「かいじゅうって火を噴く怪獣ですか?」と、大学生が阿呆なことを聞くわけにもいかないので、「わかりました」と、知ったかぶりで頷いておいたけれど、あれはどういう意味があったのだろう?
そう思ってスマホで検索してみた。
【|晦渋(カイジュウ):文章や言葉が難しすぎてわかりにくくいこと】
【か○じゅうたちの○るところ(原題『Wh○re the Wild Th○ngs Are』):アメリカの絵本で全世界で2000万部が売れた】
「……なるほど。可能性としては難解な希少本を買い付けに行ったのか。もしくはこの有名な絵本関係の原本の初版本でも見つけて買い付けに行ったのかのどちらかだな」
南の島って言ってたし、可能性としては後半の方、沖縄あたりで米軍関係の放出品でもあったのかも知れない。
何にしてもアホな事聞かなくてよかったよかった。そう胸を撫で下ろしたところへ、メリーさんからの電話が鳴った。
>【メリーさん@書籍化企画進行中(※マジ卍なの)】
「…………」
今年の夏は暑いからなぁ。メリーさんも灼熱の太陽で、脳味噌が酢豆腐になるほどのスパークを受けたらしい。
そうあり得ない文面を前に、地球温暖化の弊害を身近に感じる俺だった。
それから深呼吸をして、どうせ客なんて滅多に来ないので、カウンターに座ったままスマホを取りだして電話に出る。
『あたしメリーさん。いま漫画読んでいるところなの……』
「……お前異世界に馴染みまくっているなぁ。元の世界へ帰りたいとか、日本が恋しいとかないのか?」
つーか、最近のラノベの主人公は、異世界に行ったっきりでそもそも帰りたいとか、家族が心配だ……といった葛藤が一切ないんだよなぁ。
かつてナントかの国に行ったアリスや、家に帰るために頑張ったドロシーちゃんの苦悩や望郷の念はどこにいった!?
最近の異世界転移者って親子の情愛ってものがホント欠片もないんだよな。お前ら本当に地球人か? ホントは四本腕で緑色の火星人じゃねえのか? とすら思えるほどである。
『あたしメリーさん。え~と、元の世界に戻るってことは、あなたを背中から出刃包丁で……』
「しっかり異世界生活をエンジョイしてくれ! つーか、異世界にも漫画ってあるんだなァ?」
初心を取り戻しかけたメリーさんの思考を、慌てて目の前にある娯楽に向けさせる俺。
やばっ、忘れてた。
こいつ自動追尾型の殺人魚雷みたいなもんだったんだっけ……。
幸い相手はアホの子。同時にふたつのことは考えられないようで、すぐに目の前にある娯楽に興味が戻った。
『勿論なの。こっちの世界でも漫画はあるの。というか、あからさまに日本の漫画の影響を受けているの……』
「あー、まあ『MANGA』って言ったら世界に通じる文化だからな」
漫画は文化じゃないという知識人もいるが、このへん異論はあるだろうけれど、俺の認識としては難解で一部の層にしか需要がない高尚な文化よりも、より広い層に幅広く受け入れられている大衆娯楽にこそ、その国や民族の文化の精髄があると思うんだよなぁ。
「当然、インスパイアされてるだろうなぁ」
『あたしメリーさん。そうなの。多分、日本からの転移者や転生者が関わっているんだと思うけど、びっくりするくらい似ているの……』
「う~む。そういう風に文化を一足飛びに進歩させるのってどうかと思うけど……」ぶっちゃけ文明って人類の進歩と見るか堕落と見るか微妙なところだし。「ちなみに、どういう作品がそっちじゃ人気なんだ?」
わかりやすい勧善懲悪とか、バトルモノかいな。
そうアタリを付ける俺。
というのも、かつて俺の知り合いが書いたファンタジーが書籍になった時に、出版社がなにとち狂ったのか海外――それも東南アジア――へ売り込みをかけようとしたらしいのだが(※フィクションです)、先方からは「いや~、豚のお姫様が痩せて美少女になる話とかキツイですわ(要約)」と丁寧に断られたらしい(※フィクションであり、実在の出版社や作品とは無関係です)。
で、その際に言われたのが、
なので、異世界もそんな感じかなと思ったのだ。
『そうね、やっぱり主人公が戦ったり冒険したりする話が売れてるかしら……』
「案の定だな」
『例えば、いまメリーさんが読んでいるのは〝カナヅチになったゴム人間の俺だけど海賊王を目指して冒険中な件”というタイトルの本なの……』
「もの凄いダイレクトにパクってるな、おい! おまけにタイトルがなろう風だっ」
『他にも〝七つの玉を集めて呼び出せ龍神!〈探索編〉〈武闘会編〉〈魔王編〉〈宇宙人襲来編〉〈宇宙の帝王編〉〈未来戦士編〉〈蛇足編〉”とか。あ、案外女性にも人気なのが〝等価交換で体を失った錬金術師兄弟の物語”とか。それと不思議な血族の何代にも渡る冒険と戦いを描いた……』
「ちょっと待て! どっからどう見ても盗作じゃねえか!」
『盗作じゃなくてパステヤージュなの。これで一山当てて、毎年の長者番付に出ている作者たちも、「あくまでインスピレーションを得ただけの別物です」ってコメントにあるの……』
「それを言うならパスティーシュ! あるいはオマージュ。もしくはインスパイア。つーか、この場合は元の作品に影響を受けて作風が似た……どこじゃない、単なるパクリだろう! それで大金を稼いでいる詐欺じゃねえかっ。お前ら転移・転生組も違和感を覚えなかったのか!?」
ちなみにメリーさんが間違えて覚えている『パステヤージュ』は、シュガークラフトとも呼ばれる、砂糖で作った城とかウエディングケーキのことである。
『ん~、メリーさんは確かに男子トイレにさりげなく入ってくる、おばさん清掃員に対する声に出せない
「むうう……」
確かに異世界では著作権侵害を訴えても無駄だろうし、メリーさん自身もお稲荷さんで儲けている実績があるので他人のことは言えないっちゃ言えないけど、料理はこっちの世界においても著作権フリーなのに比べて、知的財産としてきちんと明文化されている漫画とか異世界でパクられるっていうのは、どうにももどかしい気持ちだ。
「……お前らもパクリはするなよ」
とりあえず身近なところで、そう一応釘をさしておく。
『「奴はとんでもないものを盗んでいきました」的な盗みならOKなの……?』
そこで突然、打って変わって殊勝な口調でおずおずと聞いてきたメリーさんの愛の告白とも取れる台詞を前にして、俺は即座に――
「なんかすでに盗んできたのか!? なにを盗んだ!!」
その意味を理解して電話越しに尋問をした。
『あたしメリーさん。そんなに大したものじゃないの。と言うかもともとメリーさんのものになる予定のものを、先払いでもらってきただけなの……』
「だから何を盗ってきたんだ!?」
『魔王国の宝物庫から、金目のものをちょっと……』
「ちょっと!!?」
『割とたくさん……』
「うわあ~~っ! ガチで犯罪起こしやがった! なんで?! なんでそんなことしたわけ!?」
こいついままではどうにか表立って犯罪を起こしていないだけが自慢だったのに、ついに背中側にお縄が回る事態を引き起こしやがった!!
『なんでも〝魔王国最強決定戦”で優勝をすると、国宝級の宝物をなんでもひとつ貰えるらしいの。そのための下見に参加選手が招待されたんだけれど……』
「ああ、そういえば先代の魔王も『魔神の鎧』とか『海神の盾』とか持っていたな」
複数個保有しているのは、さすがは二十六年連続優勝を果たした絶対王者だけのことはある。
メリーさんと関わらなければ、いまでも魔王の玉座からずり落ちることもなかっただろうに……。
『正直メリーさん興味なかったけど、汽車に乗れるというから、今日の昼間に招待されて国立宝物館に行ったの……』
「ああ、一応汽車が走ってるんだっけか?」
人間国とは国交が微妙なので開通していないらしいが、魔王都から主要都市と機械国への直行便だけは存在するらしい。
『そうなの。もっとも魔王都と国宝がある芸術都市までの片道でも、奴隷を百人は使い潰――あ、動力は秘密になってるんだけど――経費がかかるから運賃が凄く高いので、予約してもなかなか乗れないらしいの。だけど、今回は優先的に招待状と一緒に切符をもらったので、オリーヴとふたりで駅で名物のシューマイ弁当を買って乗車したの……』
うっかりメリーさんが漏らした異世界の汽車の秘密。
脳裏に機関車の部分で鎖に繋がれやせ細った奴隷が、太い丸太の柱から何本も水平に延びている棒状の取っ手がある
「……あ~、なんでお前が知っているのかは置いといて、オリーヴとふたりきりか。他の連中の分のチケットはなかったのか?」
『あったけど、後でメリーさんがローラ達の分も汽車に乗るつもりだったから、二人分しか使わなかったの。オリーヴに関しては〝汽車”〝女二人旅”〝グルメ”と来たら、絶対に〝殺人”となるから、犠牲者枠で連れて行ったの……』
「お前は汽車の旅に偏見があり過ぎるぞ!」
つーか、駅弁のシューマイ弁当がグルメになるのか? こいつ絶対に汽車の中でシューマイを温めて匂いを充満させる『シューマイ・テロ』を引き起こしたに違いない。
――で、さらに昼間の様子を再現すると。
「あたしメリーさん。崎○軒のシウマイって、駅で食べてもスーパーで売ってるものと味に違いがなくて有難味がないの……」
「だから普通の駅弁にしといた方がいいって言ったでしょう」
付き合いで同じシュウマイ弁当を買わされたオリーヴが、シュウマイの数の多さにげんなりしながらそう愚痴をこぼす。
「ガッカリなの。マネージャーが男子だった時の野球部員並みのガッカリなの。こんなことなら駅で行き倒れになっていた、子供が持っていたサ○マドロップの缶を貰っておけばよかったの……」
「あんたときどき悪魔に乗っ取られるわよね!? 可哀想だと思わないわけ? あれって人間国が混乱しているせいで、流入してきた難民の子供よ! 仮にも勇者の資格を得ているんだから、なんとか助けようと思わないわけ?!」
「ん~……正論だけど、正論って意味のない綺麗ごとなの。現実には世界遺産認定はユ○スコへの出資額がものをいうし、『みんなの声援が勝たせてくれました!』って言うけど試合中は負けた方にも同じく声援があったはずで、結局のところ運と実力なの。あと、キャラが可哀想過ぎると、逆に冷めるってクリボーさんも言っているの……」
「誰よクリボーって!??」
「クリ○タル・ボ○イさんなの……」
と、ふたりでいつものように馬鹿話をしながら座席に座っていたのだが、そこへやたら爽快そうな笑顔の――松○修造の日めくりカレンダーを実践しているような――青い【ゆうしゃのころも】と【ゆうしゃの兜】【ゆうしゃの剣】を身に着けた十八歳くらいの青年と、青年よりやや年上(20代半ば)で騎士風の謹厳そうな若者、ニコニコ笑顔を浮かべた青年と同年配の神官服をまとった女性、そしていかにも老魔術師といった格好をした老人の四人組がやってきた。
「……なんか、見るからに〝伝説の勇者”のテンプレートね」
「例えるならバース、掛布、岡田の3連続バックスクリーンホームランなの……」
声を潜めて値踏みするオリーヴと、その見た目に関してよくわからん評価をするメリーさん。
四人組はそのまま真っ直ぐにメリーさんたちの方へ来ると、青年が快活に、
「やあ、君がリヴァーバンクス王国の勇者メリーさんとその仲間だね。僕はアベル・クリスティーン。サウザントリーフ国の勇者で、今回の人間国代表の追加メンバー……スーパーサブとして招聘された者さ。こっちは僕の信頼のできる仲間たちだ」
そう自己紹介をするアベルと、促されて慇懃に頭を下げる仲間たち。
「スーパーサブ? 要は補欠なのね……」
身も蓋もないメリーさんの一言に、
「えっ!? 僕って補欠だったのか! 人類の希望の星だって国王様や王女様から言われて来たけど、あれは嘘だったのか……!!」
愕然とするアベル。
力なく肩を落とす彼の様子を見て、
「おいっ、アベルがまた思い悩み出したぞ!」
と騎士が仲間に声をかけて、
「またかのぉ……ただでさえ思い込みが激しい奴じゃからなあ」
老魔術師が嘆息して、
「そ、そんなことないですわ、勇者様。あなたこそ勇者の中の勇者! 歴代に渡って勇者を輩出してきたクリスティーン家のサラブレッド! 転生勇者とかとは違うれっきとした血統に裏打ちされた勇者ですもの!」
慌てて女神官が歯の浮くような
「そ、そうかな? 僕ってちゃんとした勇者かな?」
「勿論ですわ! 実際に勇者様は魔竜マーゾを斃された実績がございますし!」
「ああ、うん。だけどあの時はカジノで、コイン838,861枚がなぜか4ゴールドで買えたので、装備や消耗品が使い放題になったお陰だから、実質金の力で勝ったような……」
「他にもあるだろう。ほら、双子の女神が治める天空の島を救ったこともあったし!」
騎士もすかさず同調する。
「う、うん……そうだね。だけどよく考えるとあの時も『あまのばぬ れぬれらぬめま……』とかいう呪文を唱えたら、いきなりレベル61、ゴールド65,535から冒険が始まったような……」
「運も実力の内じゃ! 国の依頼で数々の冒険を見事達成したお主こそ勇者じゃ!」
「そうか……僕は勇者だったんだ!」
老魔術師の言葉にアベルの瞳に輝きが戻った。
「……いいように利用されてるわね」
「いい年こいた天然キャラはほぼ養殖だけど、こいつは純正臭いの。純正の馬鹿を国がおだててこき使っているの。きっとサービス残業を、雇用側がサービスで残業させてやっているんだ――って、説明でも納得するタイプなの……」
「えええっ、サービス残業ってそういう意味じゃなかったのか!? もしかして僕って騙されて――」
「勇者様、あんな小娘たちの戯言を耳に入れてはいけませんわ。そーれ、ぱふぱふ~」
メリーさんたちの明け透けな会話を聞いて、再び愕然とするアベルの耳を、女神官が豊かな胸で物理的にシャットアウトして、そのまま仲間たちが手足を抱えるようにして、別な車両へと連れて行ってしまった。
その後姿が見えなくなるまで見送ってからメリーさんが一言。
「勇者にもいろいろいるのね……」
「いや、まあ……だけど、ああいう思い込みが激しい『男には負けるとわかっていても、戦わなければならない時があるんだ』タイプじゃないと、勇者なんてやってられないんじゃないの?」
「あたしメリーさん。バ○キンマンが毎回そんな感じだけど、あれって勇者だったの……?」
そんなこんなで汽車は国宝の収められた温泉と芸術の街ユゥフィーンへと到着しようとしていた。
「そろそろ着くから減速するんじゃないかしら?」
オリーヴに促されて、座席に座って足をぶらぶらさせていたメリーさんも降りる支度をし始める。
「わかったの。だけど優勝しても賞品が一個だけなんてケチ臭いの。取り放題の詰め放題にすればいいのに……」
「そーいうわけにもいかないでしょう。日帰りバスツアーの信玄餅詰め放題じゃないんだから。展示されているのは、どれも伝説級のお宝ばかりらしいし、今回は見学だけで我慢しなさい。幸い国宝館は駅のすぐ目の前らしいから、見終わったら名物の温泉にでも入ってゆっくりすればいいわ」
「むう。メリーさん温泉とか興味ないの。それよりも、どうにかして国宝を分捕れるか考えた方が建設的なの……」
「できるわけがないでしょう。国宝館の警備はそれはもう厳重らしいわよ。あたしたちも汽車を降りたら、ばっちり護衛と言う名の見張りがつくわけだし……まあ、この汽車が駅で停まらずに、脱線してそのまま国宝館に突っ込みでもしない限り――」
途端、ポンと手を打つメリーさん。
「それなの! オリーヴにしてはナイスアイデアなの。チャンスは今だけなの! 早速、先頭車両へ行って運転者を脅しつけるの!」
言うが早いか、前もって準備しておいたのか荷物の中からサングラスとほっかむり、マスクを取り出して装備し、そして両手に包丁を構えて先頭の機関車目指して走り出した。
◇ ◆ ◇ ◆
「うわああっ、早く来てくれ、テ○ーマン! 月曜日に中央線がまた止まる!」
ここまで話を聞いていた俺は、急展開に思わずそう叫んでいた。
◇ ◆ ◇ ◆
「ちょ、ちょっと待ちなさ~~いっ!」
慌てるオリーヴを無視して、ズンズン車両を進んだ――客室乗務員とかとすれ違ったが、好奇心旺盛な子供の悪乗りだと思われたのか、車掌さんも飴ちゃんをくれて通してくれたらしい。なんという杜撰なセキュリティーだ――その先で、メリーさんが目の当たりにしたのは、
「おらおらっ! しっかり漕がねえか!」
「くたばってんじゃねえぞ、おら!」
角が生えて背中に蝙蝠の様な翼と、スペード型の尻尾を持った『ザ・悪魔』というビジョンの魔族がふたり、やつれて髭ボーボーの奴隷たちを鞭で叩いて動力を回している光景だった。
◇ ◆ ◇ ◆
「ここでさっきの話の伏線になってたのか!」
なんてアホなオチだ。
『メリーさんもびっくりだったの。どうりで煙も出ないし嫌に音も静かだと思っていたけど、あそこまでエコに配慮した動力を使っているとは思わなかったの……』
「他に感想は出ないのか!?」
◇ ◆ ◇ ◆
運転手(?)たちは突然現れた幼女に怪訝な表情で、
「ああん? なんだこの餓鬼は……迷子か?」
顔を見合わせたところを、メリーさんが有無を言わせず包丁を投げて行動不能にする。
「〝痺れ包丁”なの! これでしばらくは行動不能になるの……!」
いつの間に習得したのか、謎の技で邪魔者を排除したメリーさんは、悪魔のような運転手が倒れたことで僅かな希望を見出した奴隷たちを、
「列車強盗なの! このまま死ぬ気で全力で列車を動かすの! ためらったら殺すの……っ!!」
さらなる地獄のどん底へと突き落とすのだった。
一撃で昏倒した運転手たちと、メリーさんが手にした包丁での脅しを前に、やけくそになった奴隷たちは全力を振り絞って動力を回し始めた。
途端に減速し始めていたはずの汽車が最高速度へと達する。
「――なんだこれは!? 突然、なにがあったんだ?!」
と、そこへ近くへいたのか、異変を感じたさっきの勇者――アベル・クリスティーンとやら――が、単身で血相を変えて機関部へ躍り込んできた。
それからシャカリキに血反吐を吐きながら動力を回す奴隷たちと、床に倒れたふたりの魔族、そして包丁を構えたメリーさんを見て、状況がつかめずに困惑する表情を浮かべる。
「いいところに来たの!」
その隙を逃さずに、とことこアべルのところへ寄って行ったメリーさん。
「あれ? 勇者メリーさん?」
小首を傾げるアべルの目の前で、メリーさんは両手に持った包丁の先端をグルグル回しながら、
「お前は列車強盗なの。いま運転手を昏倒させて、列車を暴走させようと包丁で脅してところなの。目的はこのまま列車を国宝館へ突っ込ませて、そのどさくさ紛れに国宝を盗むことなの。ここで捕まるわけにはいかないの。どんな犠牲を払っても目的をやり遂げるの……」
そう言い聞かせると、アベルの焦点の合わなくなった瞳に狂気のような光が宿り、
「そうか。僕は列車強盗だったのか……!」
「そうなの。じゃあ捕まらないように死ぬ気で頑張るの。ああ、この包丁とマスクとサングラスとほっかむりを装備するといいの……」
ぎこちない仕草で、メリーさんから渡された装備を身に着けるアベル。
それから、取り憑かれた目付きで機関部に入って行くアベルと入れ違いで、先頭車両から離れたメリーさんは、途中でヤキモキしていたオリーヴに、
「すぐに逃げるの! もうすぐ汽車が脱線して、そのまま国宝館へ突っ込むの。なるべく安全な場所で、あと混乱に乗じて国宝を手当たり次第に取って逃げるの……!」
「あんたなにやったの!?!」
言うだけ言って自分の荷物を掴んで後ろの方の車両へと避難するメリーさん。
なんだかんだ言いながら、オリーヴもそのあとをついてきた。
その後、列車は駅で停まらずに真っ直ぐに国宝館へ突入。
建物を半壊させながら脱線転覆をして、多数の被害を与え、また幾つもの国宝が行方不明になるという大事件を引き起こした。
なお、主犯であるサウザントリーフ国の勇者アベル・クリスティーンは、狂ったように三日三晩籠城を続け、最後に魔王国の近衛師団によって斃された時には真っ白に燃え尽きていたという。
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