第25話 あたしメリーさん。いま獣人の国にいるの……。

 新入社員・新入生が新年度から約一カ月が経過し、緊張や疲れがピークに達する時期。GWゴールデンウイークの連休を機に張りつめていた糸がプッツン切れ、自堕落になったり鬱になったりすることを俗に五月病という。


『あたしメリーさん。それ知ってるの。原因不明の内因性変性疾患の一種なの……!』

「……(そ)のようだな」

 俺は昼間っから部屋のカーテンを閉め切って、ベッドルームでゴロゴロしているワタナベを眺めながら、スマホ片手にメリーさんと善後策を協議していた。

 

 五月どころかもう六月だけれど、連休明けから一カ月以上。大学に顔を出していないワタナベのことが心配になって、住んでいるマンション(!)まで様子を見に来たら、気だるい表情でベッドに横になってゴロゴロしているだけ。

 俺の言うことにも生返事をするだけで、生気というものがまるでなかった。


 例の彼女が来ているのか、部屋の中はきちんと整理されていたけれど――男の整理の仕方とは気遣いのポイントが違うので、一見してわかるものだ――当人は日の光に当たらないせいか、死人みたいに青白い顔色をしている。


『主な症状は突発的に「くぎゅうううううううう!」という奇声を発したり、特に罵声を浴びる事が快感になるの! あと、フラットな体形で気の強いツンデレ少女――まれに少年――を好むようになる奇病なのよね……!』

「それは五月病じゃないっ。ただの釘宮病だ!」

 なんで知ってるんだメリーさんが!? 今時罹患するのはおっさん世代ばかりだぞ、をい。

「つーか、どーしたもんかね。一度親御さんに連絡した方がいいんだろうけど……」


 話しかけても上の空。そう提案しても「大丈夫だ」「ほっておいてくれ」だけだし、それに見たところ食事も満足に摂ってないみたいだからなあ。

 まあ、台所のゴミ袋に大量のトマトジュースの空パックとプリンとカロリーの友の空容器が転がっていたので、この様子だと彼女が「あーん♪」と、食べさせてやって最低限の栄養は摂っているのだろう。……くそ、これだからリア充は。俺なんて病気になっても看病してくれる人なんていないぞ。


 いや、管理人さんがなんとかしてくれるか?

 と思った瞬間、なぜか白い部屋とベッド。上から覗き込む異形の――うっ、頭が……!


「……疲れているのか? この間の診察では特に異常はなかったはずだけど」

 突然にフラッシュバックした曖昧な記憶。

 いかんな。この暗い室内と陰鬱なワタナベの五月病に影響されて、いつの間にか俺までダウナーになってしまったらしい。


 つーか、五月病になる奴なんて、金と暇と彼女がいて満ち足りた奴が罹るもんだよなー。いわば何カ月も更新が遅れても干されない人気ラノベ作家みたいなもんだ。俺なんてどれも足りなくてカツカツしているから、気の緩む暇もないし……。そう思うと、なんか目の前にあるワタナベの呆けた面が妬ましくなってきた。


『うおおおおおおおおっ、羨望極まったりーっ!!』

 と、普段アパートの部屋で聞こえる幻聴とはまた別の、どこぞの弱小作家の血を吐くような慟哭と五寸釘で藁人形を叩くような音が、俺の脳裏でこだまするのだった。

 いっそボケてるいまのうちにタバスコでも口の中に突っ込んでやろうかな……と、その得体の知れない存在からの天啓を受けて、メリーさんみたいな腹黒い発想が俺の胸中から立ち上ってくる。


『あたしメリーさん。メリーさんはいつもいるの。あなたの心の中に。メリーさんと共にあらんことを……』

「どやかましいわ。つーか狙い済ませて、心を読むなっ!!」

 絶妙のタイミングで意味ありげに囁くメリーさん。

『彼女がいてご飯食べさせてくれるんだったら、ついでに下の方のお世話も彼女とやらに任せたらいいと思うの。お爺ちゃん、オムツの時間ですよーという感じで……』

「いや、さすがにそこまではコイツワタナベも枯れてないと思うぞ」

『じゃあ別な意味で、下の世話も任せるの……』

「……お前、いつもそんなことばっかり考えてたのか? ロココ風のドレスを着たわりかし高価そうなフランス人形かと思ってたんだけど」

『確かにメリーさん人形業界ではお上品すぎて高根の花として有名なの。それに比べて安物のリ〇ちゃん人形一族は、もともと田舎者なのに〝リ〇ちゃんキャッスル”とかいう、田んぼの真ん中に建つどーみてもラブホみたいなお城に住んでる成金だし、シ〇バニ〇ファミリーも見えるところだけかわい子ぶっているけど、裏の顔を知ったら子供は泣き叫ぶこと確実なの。特にパンダシリーズとか、絶対に服を脱いだ姿を見てはいけない、おぞましい正体を隠しているのっ。だけど、反対にお金に汚くてどんな仕事でも引き受けると評判のキ〇ィちゃんは、サ〇リオの借金を返済するために頑張ったの。それで守銭奴だビッチだと罵られようと頑張って、見事に借金を返済したキテ〇ちゃんは偉いと思うの。「おのーれおのれガッ〇ャマン。次こそは……」が口癖のメリーさんの知り合いみたいな不屈の根性で……』


 いや、別に業界の裏話を聞きたいわけじゃないんだが……。


「まあそれはともかく、さすがに一カ月も引きこもっているのはマズいだろう。大学もあるんだし」

『あたしメリーさん。メリーさんなら、ド〇ベンとパ〇リロとワ〇ピースとゴ〇ゴ、から〇りサーカス、あとハ〇クロ全巻あれば、二カ月ぐらい全然平気なのー……』

「そういう問題じゃねえっ!」

『じゃあなにが問題なの? メリーさん、〝ガ〇レオ”でゲルマニウム原石をプレゼントされたくらい理解不能なの……』

「いや、だからせっかく大学に入ったのに、このままだと単位が取れなくて退学になるかも知れないだろう?」

『? メリーさんが前に聞いた話では、ワタナベそいつの方がハイスペックで成績優秀、スポーツ万能、爽やかイケメンだって話じゃないの? どっちかって言うと貴方の方が脇役モブ臭いんだから、余計なお世話じゃないかしら……?』

「普段おちゃらけているくせに、なんでここで急に現実をブッコンでくるんだ、この餓鬼ァ! つーか、なーんか違和感があるんだよ。いまのこいつのこの様子には!」

『違和感? 栃木のトンコツラーメン屋が関西〇ォーカーに載ったくらいの違和感なの……?』

「……たとえがわからん。どっちにしても埒が明かないから、とりあえず大学の教務課に話して、親御さんに相談するか」


 この調子だと本人聞いても親の連絡先を教えてくれるとは思えないしな。


『あたしメリーさん。それなら困ったとき、みのさんに繋がるケータイ番号を転送しておくの……?』

「いらん!」

 つーか、なぜお前が知ってるんだ!? メリーさんの人脈が謎過ぎるのだが……。

「まあ、差し迫った命の危機とかではないみたいだから、明日にでも大学に相談してみるわ」

『あたしメリーさん。どうせ一時的なものなの。横浜ベ〇スターズが優勝するまでには、飽きて元に戻ると思うの……』

「そんなもんいつになる――じゃなくて、野球と政治と宗教の話はするなっ。いろいろと七面倒臭いから」


 そうメリーさんに釘を刺して、俺はワタナベのマンションを後にすることにした。

 せめてカーテンくらい開けようとしたのだけれど、こればかりは本人が激しく抵抗したので断念せざるを得なかった。

 まあ、当人の生存確認ができただけで良しとしよう。

 彼女とは上手くやっているみたいだしな……。


 と、揉み合った際にちらり見えたワタナベの首の頸動脈に刻まれるようにしっかり付いていた、彼女のキスマークと歯型を思って、俺は密かに安堵と嫉妬を覚えるのだった。

 ちなみにワタナベの彼女は本来は夜間部の学生らしい。最初にちょっと会って以来、俺は一度も顔を合わせたことはない。


「じゃあ俺は行くけど、ちゃんと鍵を掛けておけよ!」

「……ああ」


 気のない返事に甚だ後ろ髪を引かれる思いを残したまま、俺はワタナベのマンションを後にした。


『――〝そうして、それが彼を最後に見た姿でした”……』

「タイミングを計って陰鬱なナレーションを入れるな!」

 同時にスマホの向こうから聞こえてきた、火曜〇スペンス劇場の効果音「ててて、てて、てーてー」に合わせてツッコミを入れる俺。

『むう、気分転換のつもりでメリーさん、気を利かせたのに……』

「ぜんぜん気が晴れんわ! つーか、餃子の王〇の床並にすべりまくりだ!」


 歩きスマホをしながら駅に向かって歩く俺(※危険なので歩きスマホはおやめ下さい)。

 とはいえ、陰鬱な雰囲気のワタナベの部屋にいた時も、こうしてメリーさんと喋っていたお陰で気が紛れていたのは確かだ。

 まあ、そう口に出して感謝をすると、まず間違いなくメリーさんは増長する。それも確実に俺がイラっとくる方向性で調子に乗る。

 それだけは避けたい……ので、寛容の心を発揮して、メリーさんに話を合わせることにした。


「そーいえば、メリーさんは何かイイコトあったか?」

『なんか美容院でシャンプー中に「どこか、かゆいところありますか?」と聞いてくるような、口先だけの気遣いを感じるの……』

「じゃあ……どこか、はがゆいところはあるかい?」

『気を使い過ぎて、一周回って答えにくい質問なの……!』


 いちいち難儀な反応を返すお子様だなぁ。


「あー、じゃあ、いまどこら辺にいるんだ?」

『あたしメリーさん。いま獣人国へ入ったところなの……』

「獣人国? 人間国では手配書でも回ったのか?」

『そんなわけないの! 人間国はいま人災や天災が多発していて物騒だから、素朴な獣人の国へ来ているの。ちなみに獣人は、さっきも話題に出したシ〇バニ〇ファミリーっぽい見た目なの。スズカの人間形態みたいな獣耳と尻尾じゃなくて、ほぼ直立した動物なので、メリーさん連中は愛らしい見た目に反して腹黒いと睨んでいるの……』


 ああ、ここでさっきの話が伏線になってたのか。


『あと獣人は全般的に貧しい暮らしをしているの。だから人間国の馬車が通ると「ギブーミーチョコ」と獣人の子供が寄ってくるの……』

「どっかで聞いたような光景だな」

『だから、人間国の貴族や篤志家の中には、子供たちのために缶詰や板チョコやマッシュポテトを配るのを趣味にしているのもいるの……』

「ほーっ」

『連中はサスペンションと冷暖房が利いた馬車に乗って、ガウンを羽織ってワインうを飲みながら、膝の上にペルシャ猫を載せ、獣人の子供たちに配る板チョコやマッシュポテトの中に一定の割合で爆弾を仕込んで、誰が爆発するかヲチする遊びに興じているの……』

「ほーっ、クズども死ねばいいのに」

 板チョコ爆弾なんて、大戦中のナチスドイツ並みの悪趣味だな。

「つーか、そんなテロ行為をやっても問題にならないのか?」

『あたしメリーさん。獣人は基本的にアホなの。ハズレを引いて仲間が吹っ飛んでも、〝エロサイトの動画をクリックしたはずなのに、なぜかズワイガニを購入した事になっていた”くらいのノリでしか考えられないの……』


 所詮は動物か……。


『あと凄く貧しいから、子供をオークションで売ったりしてるし。実はメリーさんもそれが目的だったりするの。この間、エルフ買おうとして反対されたので、こっそりと体育会系の後輩みたいな犬人を飼おうと思っているの……』

「相変わらず人命の扱いが軽いなお前。にしてもオークションってことは、ステータスを確認して大まかな値段を決めるわけか?」

『ステータスも大事だけれど、獣人の場合は見た目が重要視されるの。基本顧客を前にして、どれだけ多芸多才かパフォーマンスを見せる、言うなれば【欽〇ゃんの仮〇大賞】方式ね……』

「なるほど。わかりやすい」

『ということで、張り切って落札するの……!』

「おー、そうか。がんばれよー」


 まあ、メリーさんに落札された時点で、実質的に地雷犬(犬に爆薬を背負わせて戦場に放ち、敵戦車の下に飛び込ませ自爆させた旧ソ連の動物兵器)も同然になるんだろうな。

 悲劇が起きる前に、今回もオリーヴたちにメリーさんの行動を阻止してもらうことを祈りながら、俺は気のない声援を送って通話を切った。

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