秘密結社ディグニティ・ユニオン その4

 アトリエでもこれといった答えは浮かばなかったコウジは足取りも重く、ろくに前に進むこともできない。


「おかえりなさいませ」


 ふらふらになったコウジが家に着くと、こんな時間まで待ってくれていたナコマが出迎えてくれた。


「ただいま……どうだった?」


 魔女様は。そうは口にできなかったが、ナコマもその意図は理解してくれたらしい。


「本当に何事もありませんでした。驚くほどおとなしくされていて」


 しかしそう言ったナコマは少しだけ眼を反らす。


「……いえ、本当は昼間ベイルさんとユキさんが来られました。ですがいくら呼んでも閉じこもったままで。取りつく島もありません」


 やっぱりな。


 コウジは項垂れたまま食堂に戻り、椅子に腰かける。ティーカップが既に用意されており、何も言われずともナコマはポットからお湯を注いでお茶を淹れた。


「完全に天の岩戸になっちゃったな」


 あつあつの紅茶をゆっくりとすすりながら、コウジはぼそっと呟いた。


「それって確か、前に話してくださった日本の神話ですか?」


 ナコマが目を輝かせた。公爵領にいる間、コウジとは部屋がいっしょだったので地球に伝わるおとぎ話をいくから教えたことがあった。それを覚えていてくれたようだ。


「そうそう。あれなら部屋の前でどんちゃん騒ぎすれば出てくるけど、魔女様は……どうだろう?」


 無理だな。自分で口にしておきながらもコウジは結論を出していた。


 ナコマも同じ考えのようだ。静かに首を横に振っている。


「とにかく話を聞いてもらうだけでもいいんだけどねえ。いっそのことご飯食べさせないで出てくるの待つとか」


「わらわがそのような手に引っかかると思うか」


 背中からの声にコウジはびくっと跳ね上がり、紅茶をこぼした。


 いつの間にやら食堂の入り口に黒い寝間着姿の魔女カイエが立っていたのだ。


「魔女様、いつから!?」


「この家は狭いからのう。お主らの声は丸聞こえじゃ」


 魔女は片目をぴくぴくと痙攣させている。かなりイラついているようだ。


「魔女様、せめてベイルさんとお話くらいされてはどうです?」


「嫌じゃ」


 ナコマがこぼれた紅茶を拭きながら尋ねるも、魔女は即答した。


「ベイルさんはずっと魔女様に仕えてこられたのです。それがベースボールという今までなかった楽しみを見つけられたのですよ、せめて自由な時間くらい与えてもよろしいのでは?」


 コウジも加勢するが魔女は相変わらずの態度だった。


「そういう問題ではない、わらわの従者として務めを果たすにはベースボールにかまけている時間は無いと言うのじゃ」


「かまけるなんて、ベイルさんも一人の男です。いくら従者とはいえ、魔女様がそこまでベイルさんを縛る権利は無いのでは?」


 この強情め。温厚なコウジの口調もだんだんと荒くなる。


「従者とは主に使えるものぞ」


「なぜそうまでしてベイルさんに反対されるのです!?」


「親心じゃ! あやつはわらわの従者であるが、息子のようなものなのじゃ!」


 語気を強めるコウジに、魔女は叫ぶように返した。


 腹の虫など忘れ、ぽかんとするコウジにナコマ。はっと口を押える魔女。


 沈黙が三人を包み、しばらくしてから魔女はくるりと振り返った。


「わらわはもう寝る」


 急ぎ足で客室に戻る。布団はナコマが新調しておいたらしいので安心だが、コウジたちは「おやすみなさい」を言うのさえ忘れていた。




 翌日、王城にて午前の仕事を終えたコウジは中庭のベンチに座り込んでいた。


「コウジ殿、いかがです?」


 すぐ隣にブローテン外交官が腰掛ける。コウジのことを気にかけてくれているのだろう、神妙な顔つきで尋ねた。


「まったくです」


 コウジがため息交じりに返すと、外交官も「そうですか」と肩を落とす。


 誰でもできるスポーツ。口で言うのは簡単だがいざ考案するとなると難しい。


 とにかく走り回るのは厳禁だ。老人も参加するとなれば腕力もあまり使えない。


「あと2日。実は今度の会合には車椅子に乗られた方も来られます。その方の参加についても考えられませんと」


「うえっ、難度がもっと上がってしまいましたね」


 おまけに車椅子なんて、どうしろと。


 体の不自由な人のスポーツと聞いて、パラリンピックを思い出す方も多いだろう。


 大会では車椅子テニスや四肢欠損選手の水泳が目立つが、障害者スポーツの歴史は思った以上に古い。


 19世紀には聴覚、視覚障害を持つ人のためのスポーツが考案され、1924年には聴覚障害者の大会デフリンピックがパリで、1948年には後にパラリンピックへと発展するストーク・マンデビル競技大会が開催された。特に後者は第二次世界大戦での負傷兵が多数参加した。


 種目は元の競技を修正してルールを改めたものやゴールボールや車椅子ラグビーのように独自の競技として発展されたものも含め、現在は世界中で親しまれている。


 あんな風に誰もがいっしょに楽しめるスポーツは無いものか。コウジは考え込んでいたが、結論は出なかった。


 車椅子を使った競技なんて専用の器具が必要だ。あと2日で用意できるはずが無い。


 これといった答えの出ないまま1日を終え、コウジは帰宅の途に就く。


 今日も今日とて雑務に追われ、家に着いた頃にはコウジの腕時計は9時を指し示していた。太陽が沈むとともに村が静まり返る伯爵領とはえらい違いだ。


「ただいま。今日はどうだった?」


 帰宅するなりナコマに尋ねる。


「今日もです。ですがこれをベイルさんが」


 ナコマはそっとエプロンドレスから手紙を取り出し、コウジに渡した。


 食卓について文面に目を通す。


「ええと、拝啓コウジ様、我が主魔女カイエを預かってくださりありがとうございます……我が主が私を認めてくださらない理由は長い付き合いである私にはおおむね想像できます。何せ魔女様は私の主であり、育ての親でもあるのですから……もしも魔女様が私を認めてくださらないようでしたら、私はもうベースボールを諦め、これからも魔女様の従者として主をお守りしていこうと思います……か」


 コウジは頭を机にこすりつけた。このままではベイルがせっかくベースボールに専念できる機会を逃してしまう。


 だが、それ以上にベイルと魔女カイエの間には切っても切れないつながりがあるのだ。たとえどれだけ合理的な理由があろうとも。


「ベイルさんと魔女様って、本当にどういう関係なんだろうね?」


 ただの従者と主という以上に深い関係があるはずだ。半ば独り言のつもりで口にしたものの、ナコマは丁寧に返してくれた。


「私も魔女様とベイルさんの過去については、ほとんど聞いたことがありません。お尋ねしてもいつもはぐらかされてしまいますので」


 やっぱりか。コウジは軽く机を叩いた。


「コウジ様、お疲れでしょうし夕飯にしますね。そうだ、今年初めてりんごがお店に並んでいましたので、買ってきたのですよ。ほら、こんなに」


 ナコマがとことこと食堂脇のサイドテーブルに置いたバスケットの中身を見せつける。その中には鮮やかな赤色を照り返らせるリンゴの果実がぎっしりと詰まっていた。


「美味しそうだね。早速剥こう」


 疲れた時にはさっぱりしたものが食べたくなるものだ。気落ちしていたコウジも元気を取り戻す。


「おまかせくださ……あ!」


 ナコマがバスケットを傾けすぎたせいで、中のリンゴが崩れ落ちる。2個、大きな赤色のリンゴが板張りの床にぶつかり互いにビリヤードの球のようにごっつんこと激突する。


「失礼しました!」


 まったく別の方向へと転がる2個のリンゴをナコマは慌てて追いかけた。


 リンゴはサッカーボールのように反発が良くは無い。固い床に落ちてもバウンドはせず転がるだけだ。


 でもちょっと待て、この動き、どこかで見た覚えがあるぞ。どこだったかな?


 すっかり動きを止めたリンゴを見ていたコウジ。そのリンゴにナコマが手を触れた瞬間、コウジはがばっと立ち上がった。


「これだ! これならいける!」


 これは天啓か。コウジは叫ぶとナコマからリンゴを取り上げ、それを高々と掲げて飛び跳ねたのだった。


「何の話です?」


 歓喜に悶える主の姿を見て、ナコマは頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべていた。

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