フットボール狂詩曲 その2

「コウジ殿、頑張ってー!」


 アレクサンドルの声だ。コウジは引き吊った笑顔で手を振り返した。


 コウジの出場は予想外だったようで、バレンティナが目を点にし、魔女カイエに至っては顔を手で覆い隠して身もだえしていた。そしてベイルの肩に腰かけたまま、その頭を何度もぺしぺしとはたくのだった。


 大歓声に迎えられた各村の代表10人は、互いに自陣に集まってゲームプランを練る。


「ボールは俺たち三人で回す。みんなは相手が近付かないよう守ってくれ!」


 主将であるクマの獣人の青年の言葉に仲間たちはそろって頷いた。そして誰がとも言わず、すっと円陣を組む。


「絶対に勝つぞ! うぉー!」


 コウジも一緒に肩を組み合ってはいるが、本音は今にも逃げ出したい気分だった。


 農場の隅っこで運動をするのと大観衆の前で試合をするのとでは注目度が全く違う。


 就活の面接で多少心臓は鍛えられたとはいえ、普段人前に出慣れていないコウジにとって何の準備も無いままに放り出されるなど、耐えがたいプレッシャーにしかならない。


 そして最大の理由だが、この村のフットボールが非常に危険な競技であることが、コウジを尻込みさせていた。流血や喧嘩は当たり前、時には死者も出る競技だと聞く。


 スポーツは発展とともに安全に配慮したルールへと改められていったが、この世界のスポーツはまだまだ発展途上だ。身体同士の接触を公認しているなど、現代の主な球技ではラグビーとアメフトくらいしか思いつかない。それもタックルの位置などかなり制限がかかっている。


 コウジが中学高校で打ち込んでいたサッカーでも接触は起こり得るとは言え、それでもタックルは厳しく罰せられるし、殴る蹴るなど論外。つまりはかなり安全なスポーツと言える。


 僕はどうなるんだ……。円陣の中、一人がくがくと膝を震わせているコウジだったが、周囲の全員が大声で気合を入れていたので誰一人としてその様子を気にかけなかった。


 サッカー場よりも幾分か狭いフィールドの両端に旗が一本ずつ置かれ、そこから横に直線が引かれる。


 サッカーでいうゴールネットの代わりに、この競技では旗が目標になる。そして開始まではこの線から内側に入ってはならない。


 そんな二つの旗、線を挟んでにらみ合う各代表の真ん中に、審判がボールを置いた。いつも蹴っているあのボールだ。


 開始と同時に選手はこの中央に置かれたボールを拾うために全力で走る。前半後半制ではないので、サッカーやラグビーのように一方が所持しているのではなく、争奪戦からのスタートとなる。


 殴る蹴る、ボールを持たない選手への接触以外は何でもあり。それがコッホ伯爵領式のフットボールだ。


「試合、始め!」


 審判が手を挙げ、同時にドラムが響く。さらに魔女カイエが花火を打ち上げ、会場全体がどっと跳ね上がったように盛り上がる。


 だが選手たちはそんな周りの状況などまるで知らぬかの如く、一斉に地面を蹴った。


 20人の男が一斉に全力で走り出すのは壮観だった。ただ一人出遅れていたコウジもやけくそになってボールへと走る。


 敵味方入り乱れて一斉に手を伸ばす中、最初にボールを奪ったのはマラカナ村の獅子の獣人の青年だった。顎を覆うたてがみを揺らしながら駆け抜け、足元のボールを拾い上げる。


 だがすぐさま敵の鬼族の男がボールを奪おうと獅子の青年にその身をぶつける。そう簡単には奪われまいと、ボールを大事に抱え込む背中を丸めて抵抗する獅子の青年だが、そこにさらに敵が次々と加勢し、あっという間に3人がかりで取り囲まれてしまった。


「こっちだ、投げろ!」


 密集からやや離れた位置で、人間の若い男が獅子の青年に声をかける。獅子の青年は持ち前の高身長を活かしボールを高く掲げると、そこから片手でボールをスローした。


 山なりのボールをしっかりと受け取り、人間の青年はそれを抱えて走り出す。すぐさま敵チーム選手たちが方向転換して追いかけた。


「させるか、ボールを守れ!」


 主将の声にマラカナ村の選手たちが動く。ボールを持つ人間の青年と並走し、敵が突っ込んでくると身を割り込ませてブロックする。接触は反則、ゆえにボールを持った味方を守るには敵の動線を塞ぐのが最も効果的だ。


 マラカナ村選手によってボールが一気に敵陣に運ばれ、大歓声が起こる。このまま敵の旗の下にボールを置けばこちらが先制の1点だ!


 人間の青年がついに旗を射程にとらえた。全力疾走で身を前に投げ出し、ボールを抱えたまま地面に倒れ込む。


 その瞬間だった。横からひとつの黒い影がまるで機関車のごとく突っ込み、いとも簡単に青年をぶっ飛ばした。


 会場全体がどよめき、少数派のラフォード村応援団が雄叫びを上げる。突き飛ばされた人間の青年は旗から大きく離れた場所をごろごろと転がっていた。ボールも手から落ちて力無くバウンドしている。


 影の正体は牛の獣人の大男だった。先ほど相撲にも出場していたあの豪傑だ。


 彼は試合開始直後こそボールを奪いに走ったものの、相手に取られたと見るや否やすぐさま自陣の旗まで後退していた。


 目的は当然、旗に突っ込んでくるマラカナ村代表を蹴散らすため。ここまで攻め込まれても最後に強烈なタックルを食らわせてボールを奪う、いわばキーパーとしての役割だった。


 ふとコウジがマラカナ村の旗を見てみると、その近くに味方はいない。全員が自陣を離れ、攻撃に回っていた。


 ボールを落とした場合、互いに自陣まで戻ってから相手ボールでの試合再開となる。サッカーで言うゴールキックに当たるが、せっかく運んだボールなのにまた一から仕切り直しとなるのは辛い。


「俺がボールを奪いに行く。みんなは相手を囲んでくれ!」


 自陣にずかずかと下がりながらクマの男が話すと、メンバーは「おう!」と声を揃える。タックルを受けた人間の青年も腕をさすりながら答えた。


 そして互いに自陣まで引き、審判の合図で試合が再開される。相手チームの鬼族の男がボールを抱えた状態から走り出し、マラカナ村の面々はそれめがけて突っ込んだ。


 だがコウジは見ていた。相手選手やボールなどまったく無視したまま、両サイドから疾風のごとく駆け上がるふたりの選手を。


 怪しいぞ。そう思ったコウジは足を緩め、一目散に走る仲間たちの背中を見送った。


 やがて両陣営がぶつかり、マラカナ村選手が一斉にボールを持った鬼族の男にとびかかる。既に中央より敵陣側に攻め込んでいたため、マラカナ村の旗は完全にガラガラだった。


「まずい、罠だ!」


 最後尾にいたコウジがようやく気付き、叫ぶ。だが遅かった。クマの大男がつかみかかる直前、敵は前方、マラカナ村の陣地側へとボールを投げ飛ばした。


 選手たちの頭の上はるか高くを易々と飛び越えたボールはそのままフィールドに落ちるかに見えた。だがその時、走り込んだ影が地面スレスレのボールを掬い上げる。


 ラフォード村の選手だった。一見華奢だが男子徒競走でも優勝した、俊足が持ち味の豹の獣人。


 彼はさらに加速し、一直線に旗を目指す。マラカナ村の選手が切り返し追いかけるも、既にその距離は埋まりようが無かった。


 誰もいない敵陣を余裕で走り抜けた豹の青年は、手にしたボールをズンと力強く旗の根本に叩きつけた。


「ラフォード村、一点!」


 審判の声に観客は落胆した。

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