白熱! 村Vs村 その3
「徒競走の出場者は集まってください!」
「あ、私行かなきゃ」
「俺もだ」
進行役の召集を受けて、マトカと鬼族の少年が声を上げる。二人は一緒に手をつないでコウジ達の傍を離れた。
そういえば、ナコマも徒競走に出場するとか言っていたな。あの猫耳メイドもこの会場にいるのだろうか。
「コウジ殿、どうされたのです? 突然笑って」
アレクサンドルの声に我に返る。あの愛くるしい姿を思い出して、気持ち悪く笑っていたようだ。
会場では着々と次の準備が進められ、あっという間に徒競走の参加者が集まった。男女別、さらに子供と大人の計4つの集団に分かれている。
しかし気になるのは服装だ。男はまあ良いとして、女子選手の多くがとても運動に適していないような服装なのだ。
マトカのようにつなぎを着ている場合は幾分かましで、中にはふりふりのスカートを着て準備運動の屈伸をしている者までいる。
スポーツウェアという発想は無い。あっても貴族が狩りのための服を持っている程度だ。衣類が高価な分、庶民が娯楽のために力を割けないのだろう。
ふと子供たちの中にナコマが混じっているのが見える。普段のエプロンドレスだが、まああの子はこの姿のままバック転までできるのだから心配はいらないだろう。
女子選手の登場に若い男たちは熱気溢れた声を上げた。会場のマトカは村人たちに手を振って応え、さらに男たちはヒートアップする。
最初は女子・子供の部だ。両村の代表5人ずつの計10人の女の子が横一列に並ばされる。そのマラカナ村代表にナコマが含まれていた。
「ナコマ、頑張れー!」
コウジが声を上げて応援すると、ナコマも気付いてくれたようでこちらに手を振る。
「あれ、あの娘って屋敷のメイドだろ? なんでお前のこと知っているんだ?」
鬼族の青年に尋ねられ、コウジは「ああ、ちょっとね」と苦笑いでやり過ごした。
アレクサンドルが領主の子息であり、コウジがその専属トレーナーでさらにマレビトであることはマトカの家族以外、誰にも知らせていない。公表は伯爵が外遊から帰還した後だ。
一列に並んだ子供たちのはるか向こう、そこにゴールテープを持ったスタッフが待っていた。その距離は競技場のほぼ端から端まで、ざっと60メートルほどだろうか。正確に距離を測ったという雰囲気は無く、なんとなくこの辺りだろうと決めたようにも見える。
「あら、かわいい」
「みんなー、がんばってねー!」
黄色い歓声がよく響いているあたり、この徒競走は競技性よりもかわいい女の子の走る姿を見て楽しむという要素が強いようだ。当然男子、特に大人の部は真剣そのもので、村人が円陣を組んで喝を入れている。
スタートの合図はこれまたバスドラムだ。審判役の小人が「よーい」と唱えると、一列に並んだ女の子たちが構えた。長いスカートをたくし上げる子がいれば、そんなことは気にせず足を前に出す子もいる。ナコマは完全に後者だった。
そしてドラムが打ち鳴らされる。スカートのおかげでもたもたとスタートダッシュを始める女の子たち。だがそんな集団など眼中にさえ無いのか、一人だけ疾風のように飛び出した子がいた。
ナコマだった。なびいたスカートから丸見えのドロワーズで観客の注目を集め、ひとり誰よりも速く抜ける。走り方も運動の苦手な女の子によく見られる腕を横に振るような方法でなく、しっかりと縦に振って推進力を生み出している。半分の距離を走った頃には後ろの集団とは倍以上の差がついていた。
「あの獣人の娘、やるなあ」
普段はマトカ一直線の鬼族の青年も感心している。
「ぶふう、あれくらいの年齢の方がいいよね、やっぱり」
じっとしているだけなのにすっかり汗だくな小太りの人間の男が息を荒げていた。この人とはあまり関りを持たない方が良い気がする。コウジの直感がそう告げた。
ダントツを走るナコマの一等はほぼ確定だった。ゴールテープを持つスタッフも手招きしている。
だが、その時だった。ゴールテープ目前で、全力で駆けていたナコマの足元が何かに躓いたのだ。
前側に倒れるナコマの身体。間一髪、後ろの足を前に出して転倒を避ける。
だが全力疾走の勢いはそれだけでは止まらない。両脚が絡み、ついにナコマは宙に投げ出される格好になった。
「危ない!」
会場にどよめきが走った。コウジも子供たちを掻き分けて前に出る。
このままだと地面に顔面をぶつけてしまう。
誰もがそう思ってゴールテープを握っていたスタッフも手を伸ばして今にも走り出さんとしていた時、ナコマの両腕が素早く伸びた。そして両手のひらを地面につけ、そこを支点に宙に浮いた両脚がふっと持ち上げたのだ。
翻る両脚。それがゴールテープを巻き込んでくるりと転回し、再び前側へと倒れ込む。そこに腕の力で上半身ごと立ち上がり、今度は弾丸のようにナコマは地面を蹴りつけた。
足元の芝をひっくり返したものの、ナコマの着地は完璧だった。不安定な入りから両脚をそろえ、ピンと伸ばしていた両腕を高く突き上げたまますっと静止する。スタッフも脚に絡まったゴールテープを握りしめたままポカンとしていた。
ハンドスプリング。正式名称前方倒立転回跳びだった。
「あ、あれ?」
咄嗟の判断で転倒を防止したナコマだが、観客の視線が自分に集まっていることにようやく気付いて顔を真っ赤にした。
「ブ、ブラボー! なんてこったい!」
なんでイタリア語なんだ? そんなコウジの疑問も吹き飛ぶパフォーマンスに実況の小人が拍手を贈り、観客たちも同様最大の歓声を上げた。
忘れた頃に他の女の子がゴールに入るが、ナコマへの歓声で彼女たちはすっかり目立たなくなっていた。なんだかちょっとかわいそうだ。
「お嬢ちゃん、今のは何だい? まるで曲芸師のような動き! いやあこんな演技は驚いたねぇ」
演技じゃないんだよなあ。頬を押さえて顔を隠すナコマの様子を見ればそんなのすぐわかるものだが、テンションの上がった実況と観客は意に返さなかった。
まだドキドキ高鳴る心臓を押さえてほっとするコウジ。本当、体操を教えておいたのがこんなところで生きるなんて世の中わからないものだ。
「はああ、良かったー」
アレクサンドルもへなへなと腰を落とす。よく知ったメイドが怪我するのは主として見ていられないのだろう。
なおその後開かれた男子子供の部は特にハプニングも無く、ラフォード村代表の勝利に終わったのだった。
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