白熱! 村Vs村 その1

 魔女が屋敷に来て4日。ついに村対抗の競技会の日がやって来た。


 かねてより村人総出で小麦の収穫作業に当たるのを見下ろしながら、屋敷のふもとに拓けた平地ではテントやポールが使用人たちによって設営されていた。


 さらに隣村の出場選手とその家族、近隣から押し寄せた熱心な見物客たちもそこら中にテントを建てるので、のどかな村は異様な活気に包まれている。中には三日前からやって来て会場近くの一等地を占拠する者もいた。


「今年も既に大盛況ですね」


 屋敷を囲む城壁を出たバレンティナは眼下の光景にふっと微笑んだ。


 丘のふもとにはいくつものテントや仮設の舞台まで用意され、小さな点になった人々がアリのように集まって行き交っている。


 しかし彼らの中心、競技会場だけはぽっかりと緑の芝が口を開けており、まるでそこが神聖な場であるようにも見えた。


「お姉様、まだ始まってすらいませんよ」


 姉の袖を引っ張るアレクサンドルは普段運動に出る服装だった。


 領主の息子としてでなく、一領民として皆と混じって参加する予定だ。長期の外遊に出ている父にその雄姿を見せられないことを悔やんでいたが、他の子どもたちの前でそんなことは表情にも決して出さない。


「そうですね、本番はこれからです。ところで、魔女様はいずこに?」


「朝食の後すぐに会場に向かわれました。ほら、あそこに」


 アレクサンドルの隣に控えていたコウジが群集を指差す。その中の一点で、ボンボンと赤い炎が打ち上がり、空中で七色の光を発して爆発し、遅れて人々の喝采が聞こえた。


 魔力で作った花火だ。あそこに魔女カイエは従者とともにいる。


 コウジとアレクサンドルは屋敷の裏から丘を降り、遠回りをして会場に降りた。楽器の演奏と人々の笑い声が徐々に聞こえ、自然と足も早まった。


 会場は物売りと見物人とでごった返していた。屋台のサンドイッチには行列ができ、まだ午前中なのにベロンベロンに酔いつぶれている男もいる。


 人々より頭いくつも飛び抜けた一際巨大な人影に気づいて目を移すと、案の定巨人族のベイルだった。


 その肩に腰かけた魔女カイエが被っていたとんがり帽子を逆さに向けて両手で掲げると、中から何十発もの花火が打ち上がる。そして続くは観客の大歓声。このときのカイエの顔はコウジが見たこともないほど綻んでいた。


 本当に、こんな田園風景のどこにこれだけの人数が隠れていたのか。渋谷のスクランブル交差点にも劣らぬ人口密度に、コウジはアレクサンドルの手をしっかりと握りしめて人と人の間を抜けた。


「アッちゃん! コウジ兄ちゃんも!」


 競技場の立ち入り禁止区域ギリギリまで前に出ていた子供たちが二人を見つけ手を振るので、コウジとアレクサンドルも手を振り返した。


「あら、コウジじゃない! ここよここ!」


 子供たちの中にはマトカもいた。普段以上にハイテンションで両手に買ったばかりの菓子を握り、周りの子供以上にはしゃいでいる。


 マトカの隣には村の青年たちもいたが、彼らは「邪魔なんだよ!」とでも言いたげに鋭い眼差しをこちらに向けていた。


「今日は絶対に勝つぞ、隣村の奴らをぶっとばしてやるんだ!」


 鬼族の子供が頼もしく言い放つと、周りの子供たちも「おおっ!」と声をそろえる。村対抗の競技会は年代別でも複数の競技が用意されている。


「あら頼もしいわね、期待しているわよ」


 マトカが鬼族の少年の頭を撫でるのを見て、青年たちも声を荒げた。


「俺もフットボールに出る! ゴールを決めるのは俺だ!」


「徒競走で獣人の俺に勝てる奴は隣村にもいねえよ!」


 そう豪語しながら彼らはずいっと頭をマトカに差し出すのだった。


 だが当の本人はその意図を全く読み取れていないようだ。


「当ったり前じゃないの、負けたら承知しないからね! 情けない姿晒したらあること無いこと言いふらすから」


 想い人の無粋な態度に、男たちはため息を吐いた。


 しばらくすると拓けた競技場の真ん中に、数人の男が歩いていくのが見えた。その中にはコウジも見覚えある小人の使用人も混じっている。


 誰が制したわけでもないのに、突如としてしんと静まり返る会場。酒を飲んで騒いでいた男たちも、この時ばかりは競技場へと目を向けていた。


 若者が運んでいた木製の踏み台を置くと、そこに一人の初老の人間の男が昇る。


「あれって村長じゃん!」


 鬼族の子供が指差す。普段の農作業着とはまるで違った一張羅でおめかしして、随分と誇らしげな様子の村長につい笑ってしまったようだ。


「皆さん、今年も無事に小麦の収穫が終わりました」


 咳払いの後、村長の言葉に耳を傾けるマラカナ村の住民たち。隣村の者たちも静かに黙り込んでいた。


「今年は小麦の生育も良く、非常に良い値が付くとのことです。嵐が来た時にはどうなる事かと危惧しましたが、幸い生産に影響はありませんでした」


 ふと見ると目頭を押さえている者もいる。何ヶ月も大切に育ててきた小麦だ。大変なこともあったし、その分思い入れもあるだろう。


「これも領内の皆さんが日々汗を流して働いているおかげ。そして我らが伯爵による優れた領地運営のおかげです。この大会も伯爵の出資があって成り立っております。残念なことに本日、伯爵様は外遊中のためおられませんが、ご息女のバレンティナ様がお見えになられています。さあ皆様、日々の感謝を込めて盛大な拍手でお迎えください!」


 競技場脇の小さなテントから、大きな帽子をかぶった女性がふっと立ち上がり太陽の下に出た。外出用の薄紫のドレスが遠目からでもよく映える、気品と威厳に溢れたバレンティナの姿だった。


 姫君の登場に領民たちは老いも若きも一斉に歓声と拍手を捧げた。


「バレンティナ様、よくぞおいでなさいました!」


 プライベートでは呼び捨てにするマトカも、この場においては言葉を選び拍手を贈っていた。子供たちも口々に「バレンティナ様、万歳! 伯爵家万歳!」と叫んでいる。


 まるで大地震の震源にいるようなエネルギーに、コウジはすっかり気圧されてしまった。サッカーの国際試合で日本代表の応援席に座ったこともあるが、それにも劣らぬ熱狂がここにはあった。


 しばらく拍手は続いたものの、一人また一人と叩く手を止めるとやがて会場の者は誰も手を動かさなくなった。誰も声を上げず、またも静寂が群集を包む。


「皆様、本日はお招きいただきありがとうございます」


 バレンティナの透き通った声が会場を突き抜けた。華奢な淑女とは思えぬ声量だ。


 その時コウジは気付いた。今しがたバレンティナが出てきたテント、その中に巨大な人物と真っ黒な服に身を包んだ小さな人物がふたり並んで椅子に座っていたことを。


 魔女カイエと従者のベイルだ。いつの間にあんな所に。


「今年の小麦も無事に収穫できたとお聞きして、安心しております。さて、先ほど村長が話されましたが、私たち伯爵家は決してあなた方を導いているわけではありません。皆様が日々懸命に働いてくださる。そこに乗っかってこの領地を運営しているに過ぎません。だから本当にこの領地にとって不可欠なのはあなた方一人一人の領民なのです。そんなあなた方に私は日々生かされています。私は皆様に感謝しています、ありがとうございます」


 村人たちが互いに顔を見合わせ、照れ笑いした。伯爵家の人間に直接このようなことを言われ、誇らしい気分にならないわけが無い。


 その時、テントの中で椅子に座っていた魔女がゆっくりと立ち上がり、スピーチを邪魔しまいとゆっくりとした足取りで日陰から出た。そして帽子を脱いで豊かな黒髪を白日の下に晒したのだった。


「この領地を預かる伯爵家の人間として、皆さんが幸せに過ごすことを何よりも願っておりますし、またその様子を見ることが私自身にも一番の幸せです。そのためには努力を惜しみません。さあ、今日は日々の労働から解放されて、収穫を大いに喜ぼうではありませんか!」


 会場が一斉に頷いた。そして改めてバレンティナが息を吸う。


「これよりコッホ伯爵領マラカナ村とラフォード村との競技大会の開会を宣言します!」


 魔女が抱える帽子から、一斉に七色の光の弾丸が無数に飛び出す。空へと昇った数多の弾丸は空中でウインドチャイムのような心地よい流れる金属音とともに炸裂し、極彩色の光の粒となって人々に降り注いだ。


 これまでに無い大歓声が沸き起こった。皆手を振り上げ歓喜に満ちた。コウジもすっかりその熱気に取り込まれ、一緒になって歓声を上げた。


 異世界の競技会はここに始まった。

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