異世界サッカー教室 その1
異世界に来て最初の夜はあまり眠れなかった。
翌日、アレクサンドルとコウジは村に降り立っていた。昨日はスーツ姿のコウジだったが、今日は運動用の衣服を支給され、狩猟に使われる革靴も履かされている。
「アッちゃん、こっちこっち!」
休耕地に集まった村の子供たちがアレクサンドルを手招きする。コウジはせわしなく走るアレクサンドルの後ろを歩いてついて行った。
「あ、昨日の兄ちゃん!」
赤髪と角が特徴的な鬼族の子がコウジを見つけ、それを合図にたちまち子供たちは沸き立ち、コウジに駆け寄る。
「あの後みんなで技の練習したんだ! 俺たち強くなった気がするよ!」
「もっといろんなこと教えてよ!」
コウジはすっかり子供たちのヒーローだった。人だかりの中心で服の裾を引っ張られ、苦笑いする。
「わかったよ、じゃあみんなには教えてあげよっかな、僕の故郷に伝わる遊びを。アレクサンドル、手伝ってくれ」
コウジの問いかけにアレクサンドルは「はい」と丁寧に答え、手に持っていた棒を地面に突き刺す。
領主の息子であることを子供たちには知らせぬよう、他の子と同じように扱ってくれとバレンティナに頼まれていたのだ。快く了解したものの、貴族の子弟のアレクサンドルを他の子と同様に扱うのに若干の抵抗はあった。
二本の棒を立ててその間に網を張る。それを互いに向かい合うかたちで配置した。
「これからやるのはサッカーていう遊びだ。このボールを使うよ」
「サッカー?」
子供たちは互いに顔を見合わせた。当然ながら誰も聞いたことは無い。
コウジは伯爵家から借りてきた皮製のボールを手に取ると、そのまま落とした。そして左右の足のつま先で交互にリフティングすると、子どもたちはどよめき立った。
「サッカーは足だけでボールを扱う。手を使ったら反則だ。ふたつのチームに分かれてこのボールを奪い合う。そして相手のゴールネットに近付いたら……」
ここでコウジは一際大きく蹴り上げた。そして体勢を戻し、右足の内側の甲で跳び上がったボールを強く蹴った。
バンと乾いた音を立てながらまっすぐ放たれたボールは先ほど立てた即席のゴールネットに突き刺さった。自分で言うのもあれだが、完璧なボレーシュートだ。子供たちも「すげえ!」と感嘆の声を上げている。
「蹴り込んで、これで1点。時間内にたくさん点数を取った方の勝ちだよ」
子供たちはすんなりとルールを理解できたようだ。早速ボールを拾い、蹴って転がし始めると、わっと全員でボールを奪い合う。
サッカーが世界で最も人気のスポーツの地位に上り詰めた理由は、そのルールの単純明快さが大きい。
公式では細かいルールはあるものの、手でボールを扱ってはならない、相手ゴールに入れたら勝ち。これら二点さえ守れば、ボール一個あれば誰でも参加できるのがサッカーの魅力だ。
世界の発展途上国には教育水準が低く、過半数の国民がろくに読み書きもできない国家も多く存在している。そのような国であっても本能的にルールを理解できるサッカーは国民の娯楽となり、また貧困層にとっては成り上がりの手段として不動の地位を築いている。映画『インビクタス/負けざる者たち』の冒頭でも、アパルトヘイト下の南アフリカで黒人はサッカーを、白人はラグビーをプレイするシーンが対比して描かれているのは単に人種の違い以上のものを表している。
コウジ自身も小さい頃は野球よりもサッカーの方が好きだったし、野球のルールをちゃんと理解できたのも小学校に上がってからだ。
この異世界でもサッカーのルールは受け入れられ、その魅力も変わることは無い。
いつの間にか自分たちでチーム分けをすすめた子供たちは、自然とパスやドリブルを習得していた。似たような動きのスポーツは既にあったのだろう、呑み込みは早かった。
「手を押し倒したらだめだよ。スポーツは安全が一番だ、相手をケガさせたらそれはスポーツじゃない」
身体の大きな巨人族の子がボールを強奪しようと強引に身体をぶつけにかかるので、コウジは口を尖らせた。
「お、やっているわね!」
聞き覚えのある声に振り返る。農作業の最中だろう、フードを被ったマトカが麦畑の中に立っていた。
「ああ、子どもたちにサッカーを教えているんだ」
「サッカー? 初めて聞く競技ね」
マトカはフードを脱いで額を拭った。汗に濡れた角と赤毛が太陽の光を照り返して輝いている。
「あ、マトカのねーちゃんもやろうよ! おもしろいよ、サッカー!」
子供たちがわっと駆け寄りマトカの手を引いた。
「え、ちょっと、どうやって遊ぶのよ?」
「単純だよ。ボールに手を触れずに相手のネットに蹴り込めば勝ちだよ」
コウジが冗談交じりにボールを軽く蹴り上げると、マトカは胸でキャッチした。
「足だけで扱うって、そんなに簡単じゃなさそうだけど……まあ、やってあげてもいいわよ」
口ではこう言いながらも、マトカはすでにベストを脱いで放り投げていた。
すぐさま地面にボールを置き、マトカのキックで試合が開始される。開幕早々、マトカの強烈なキックが皮製のボールをひん曲げた。
「あ……」
蹴り飛ばされたボールは子供たちの頭上はおろか、ゴールネットの上までもかすめ広大な麦畑を横切る。そして随分と小さくなってから勢いを落とし、そのまま黄金の穂の海に落下する。
子供たちとコウジの冷たい視線を受けて、マトカは半笑いで麦畑に潜って行った。
「じゃあ気を取り直して試合再開! 最初はアレクサンドルのキックで始めよう」
なんとかボールを見つけたコウジたちはすでに疲れ切った表情だったが、何はともあれ試合は再開された。
審判役のコウジがボールをふたつのゴールのちょうど真ん中に置くと、アレクサンドルが靴の先端でちょんとボールに触れ、ドリブルで前に進んだ。
そこをめがけて敵チームの子どもたち3人が一斉に襲い掛かり、アレクサンドルはボールを右側へとパスする。初めてなのに流れるような動きだ、体格に恵まれてはいないが技能は高い。
地面を転がったボールに追いついたのはマトカ。アレクサンドルチームの一員だ。
子供たちは今度は狙いをマトカに変え、わっと群がる。ゴール近くに立っていた子たちも駆けつけ、その数は6人になった。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ!」
ドリブルを緩めて慌てて周囲を見回すものの、如何せん相手の数が多すぎる。味方チームの子どもは既に敵チームの陰に隠れていた。
ついに巨人族の子がマトカに飛びかかり、ボールに足を差し込む。
その時、意図してか無意識か、マトカはボールを蹴り上げた。リフティングの要領で上に飛んだボールは、巨人族の子の伸ばした足をふわりと避けてそのまま頭も飛び越える。
巨人族の子をかわして前に進み、ドリブルを続けるマトカ。そこに左から人間の子ども、右から鬼族の子どもがボールを奪いに足を伸ばす。
そこで取ったマトカの動きは目の肥えたコウジでさえも驚かせた。
とんと軽くボールを踏んで動きを止めると、そのままボールより前に身を出し即座に背中を向ける。この動きに翻弄され、子どもたちはたじろいだ。
そしてマトカは隙をついて踵でボールを自身の背後に蹴り出すと、ふたりの子どもの間をすっと転がり抜けさせる。
子供たちが気付いた頃には二人の合間を縫って方向転換したマトカが飛び出し、すぐにボールに追いついていた。
「来るぞ、絶対奪えよ!」
鬼族の子どもがゴール前に引き返し守りを固め、犬のような風貌の獣人の子どもと人間の子ども、ふたりの男の子がマトカに突っ込む。
先に獣人の子がスライディングの要領で身体を倒して足を伸ばしてきたが、マトカは軽くタッチしてボールの軌道を変えると、自身もひょいとジャンプしながら地面を滑る子供をやり過ごした。その時の獣人の子供の真黒な目玉はこの上なく大きく開かれ、何が起こったのかまったく理解できていないようだった。
そして時間差でボールを奪いに来た人間の子供にも、身体を一回ターンさせると相手はボールに近付くことすらできず、そのまますり抜けてしまった。
あとはゴール前でネットを守る鬼族の子供だけだ。マトカは狙いを定め、渾身の力でボールを蹴った。
轟音とともに弾丸のように飛び出すボール。ゴールの右側ギリギリだ、鬼族の子供はそう読んで脚を伸ばした。
だがボールの威力は凄まじかった。ボールは子供が足を伸ばすより前に、そのままネットに突き刺さったのだった。
「よっしゃあ!」
ガッツポーズで歓声を上げるマトカに、拍手を贈る子供たち。
「やっぱすげえやマトカ姉ちゃん!」
ついさっきまでコウジに送っていたのと同じ羨望の目を、子供たちは今度はマトカに向けていた。
おいおいおい、本当に初心者かよ?
コウジの頬を冷や汗が伝った。いくら相手が子供でも、あそこまで滑らかな動きで突破するなんて見たことが無い。
「いやー、サッカーって面白いね! これはコウジの故郷でも流行るわけだ!」
屈託ない笑顔で言うマトカに言葉を失うコウジを見て、鬼族の子供がコウジの袖を引っ張った。
「マトカ姉ちゃんは運動神経抜群なんだよ。競技会でも女じゃ相手にならないから、男と戦うことだってあるんだ。それでも勝っちゃうんだけど」
この才能、元の世界ならばあらゆるスポーツ界から注目されていただろうに。
ふとギギギと変な音がしたので、振り返る。先ほどボールを蹴り込んだネットを支える棒の一本が土をえぐり返しながら徐々に傾いていた。
ネットももっと頑丈なもの用意しないとな。
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