青空を探す 前編

桜井一樹

第1話

                 青空を探す

                                 桜井一樹


 止まない雨は無いらしい。それが隣国から送られて来た絵本を読んで、私が初めて知った事でした。

 母を亡くして悲しむ幼い主人公に、ウサギのお兄さんが語りかける。

「止まない雨は無いんだよ。いつかきっと雨は止み “青空”が現れる」

 主人公はその言葉に勇気づけられ、新たな人生を歩み出します。



 最初、私はウサギさんが何を言っているのか分かりませんでした。

雨が止む? 青空? どういうことなのだろう。

 私は父の書斎の本をいくつか読んだ後、絵本を胸に抱きかかえ、私は母の元へ駆け込みました。台所で夕食のバルポサを作る母。私はその少し膨らむお腹へ目がけて飛び込みました。母は驚いた表情をしています。

「またお腹大きくなってるね」

「そうね。お父さんからももうすぐだって言われたのよ」

「ほんと!? 弟かな? 妹かな?」

「さあねぇ。マルサはどっちがいい?」

「どっちでも嬉しい!」

 母のお腹に頬ずりすると、伝わってくる新たな命の温もり。私は少しずつ育つその命の力強さにひどく安堵を覚えました。満足するまで頬ずりした私は、ハッとして母にあの絵本の事について聞きました。

「お母さん。雨って止むの? 青空って何?」

 私の言葉に、鍋を見ながらかき混ぜていた母はぎょっとした顔で私を見ます。そして目線は私から私が胸に抱える本に移り、それから母は声を震わせながら笑顔を。悪い予感がします。

「その絵本を読んだのね……。いいマルサ?その絵本はもう読んじゃ駄目よ」

「え、どうして!?」

「あなたにはまだ早いわ」

「そんなことないわ!もう十歳よ!お父さんの部屋の難しい本も少しは読めるようになったのよ!」

「あなた……また勝手にお父さんの書斎に入ったのね! 駄目なものは駄目よ! その絵本は捨てるからね! 渡しなさい!」

母の手がゆっくりと私の体に近づいていきます。

「ひどいよお母さん!」

 私は母の手を初めて振り払い、絵本を両手に抱えたまま台所から走り去り玄関まで向かいました。靴も履かずパッカも着ないままドアノブに手を掛けます。しかし、私はほんの一瞬、迷いました。



 今まで、外に出た事が無いのです。私は小さい頃からずっと、両親に危ないから家から出ちゃダメよと言われ、それに従って育ってきました。七歳になり「もう子供じゃないんだから平気よ」と言っても「そういう問題じゃないのよ」と母は曇った顔で許してくれません。なぜだかは分かりません。ただ、両親は私を外に出したくない何か理由があることだけは分かります。私はただ二階の窓から子供たちが雨の中遊んでいるのを見つめるほかありませんでした。

怖い。初めて出る外という世界を前に、私はほんの少し足が竦みました。でも、もう両親の言いなりはやめです。後ろから聞こえる母の声をかき消すように、バタンとドアを閉めました。



 私たちが暮らす国マムールは、小さいながらも長きに渡って静かに繁栄してきました。その原動力となったのが、このマムールで一年中降り続く雨「慈雨ウージ」です。約八百年前、この国の土地に人は住んでいませんでした。長く降り続く雨で川はいつも氾濫し、とても人が住めるような土地では無かったからです。

しかしこの地に流れ着いた我々の先祖たちは、長い年月をかけ地面を掘り起こし人工的にいくつもの川を作ることで、この土地に国を作ることが出来ました。その後、作物は水に強い糸で編み込んだ布をアーチ状に固定し被せて栽培。川に水車を作って製糸道具を自動で動かせるようにし、貯水池に溜まった雨は汲み取り干ばつで困っている他国に売りました。そうしてマムールは豊かになっていったのです。初めは忌み嫌われていたマムールの雨も、いつしか恵みの雨という意味の「慈雨ウージ」と名付けられたのでした。


 父の書斎から取ってきた難しそうな本には、要約するとそんな事が書いてありました。そして最後にはこんな記述があります。

 「この慈雨ウージについて。二十四時間三六五日降り続く摩訶不思議な雨であるが、雨と言っても年の半分は小雨程度のものである。なぜこのマムールの土地だけ雨が降り続くのか、未だ一切解明されていない」



 私は走りました。うんとうんと遠くに行こうと、足を進めました。子供の足、しかも家にずっと籠っていた女の子の足と体力です。どうせ捕まるだろう。そして怒られるだろうということは、分かっていました。それでも逃げなくてはなりません。母や父の言いなりばかりにはならないと、逃げることで伝えなければならないのです。

 私は坂を下り集落に向かって走っています。私の家庭はどうやら国の中では裕福なようで、私の住む家は川から離れた山の斜面に木造で造られていますが、多くの人々は平地にテントを張って暮らしています。私は密集するテントの群れに紛れようと考えました。



 小雨の中を走ったり立ち止まって休んだりする間、私は色んなものを体験しました。風の心地よさ、素足で踏む土の感触、全身で受ける雨粒の冷たさ。初めて出る外は、何もかもが新鮮で、ワクワクが止まりません。ただ、どんどんと冷たくなっていく身体と家から離れていく事への恐怖も増えていきました。

 山を降りると、そこには沢山の人々が行き交っていました。バルポサを売る屋台や野菜を売る屋台もあれば、色とりどりのパッカを売る屋台もあります。ちなみにバルポサとは野菜やお肉を牛の乳と共に煮込んだ料理で、パッカとはこの国の人々が外を出歩くときに着る雨に強い服です。歩いているのは大人の女性と子供だけで、どうやら男の人は未だに拡張や補強を続ける川の工事に出ているようです。

 降りてきたはいいものの、私はとある問題に直面し困りました。それは服装です。私は靴も履いていなければパッカも着ていません。街中の普通の子供に紛れようとしても、悪目立ちしてしまいます。パッカを買おうにも街に出る事が無かった私は、当然お金を持っていません。私は仕方なく木の後ろに隠れて街の様子を窺うことにしました。私は落胆します。結局、家の中にいても外に出ても、私は街を眺めることしか出来ないのだと。

 その時でした。



「おい、あんたこんなところで何やってんだ?」

 後ろから声がして、私は慌てて振り返りました。しかしぬかるんだ地面に足が滑り尻餅をついてしまいます。

「きゃっ!」

「おいおい大丈夫か?」

 私に声を掛け手を差し伸べてくれているのは、私と同い年くらいの男の子です。私は彼の手をとり立ち上がりました。本に書いてあった釣りというものをしていたのか、彼は肩に釣竿を掛けていました。

「って言うかあんたなんでパッカも着てないんだ? 寒いだろ? ほれ」

 彼は自分が着ていたパッカを脱ぎ私に差し出しました。私は受け取れないわと初めは抵抗しましたが、彼に押し切られパッカに袖を通しました。外に出ることのなかった私には、パッカを着ることも初めての経験でした。

「暖かいわ、ありがとう。今度何かお礼をするわ」

「どういたしまして。お礼はいいから聞かせてよ。どうしてこんなところで、あんな服装で突っ立ってたのか」

 朗らかだった彼の表情が真剣なものに変わったので、私も真剣に答えました。母と喧嘩して家を飛び出した事、外に出たことが無かった事、絵本の事。そういえば、両親以外の人と話したことも初めてです。緊張しておぼつかない私の言葉に、彼はうんうんと頷きながら、時より神妙な顔をしながら聞いていました。そして私が事の顛末を話し終えると「なるほど」とだけ言って立ち上がりました。

、君は逃げたほうがいいかもしれない」

「え、それどういう――」



「いたぞ! あの二人だ!」

 突然、私の背後から声が聞こえてきました。声のする方を向くと一人の男が私達二人の方を指差し、それに無数の大人の男たちが集まっています。

「まずい! 逃げよう」

 彼は私の腕をグッと掴み引っ張ります。しかし私には何が何だかさっぱりで、私は彼の手を拒みました。

「ちょっと! 事情が分からないわ」

「後で説明するから、とりあえず逃げよう! 親に反抗したいんだろ?……ほら」

 彼は私の腕を掴まず、今度はそっと手を差し出しました。そうだ、私は両親の言いなりにはなるまいと、あの家を出たのです。まだ私は外に出たばかり。青空も、慈雨ウージの正体も、動物も植物も、何もこの世界のことを知りません。ここで終わりたくない。手を差し伸べる目の前の少年。なんだかこの人に付いていくと、どこまでも行けそうな気がします。私は彼の手を固く握り立ち上がります。

「分かったわ。逃げましょう。どこまでも」

「そうこなくっちゃ」

「そういえば、あなたの名前は? 私はマルサよ」

「ハレマだ。よろしく」

走り始めた私達、大人たちの声が遠くなっていきます。

青空を探す。これは私達の希望を見つける物語。



              ~続く~

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青空を探す 前編 桜井一樹 @Kusamari0420

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