ジェイコブ
その夜はジェイコブと一緒に、高そうなフレンチレストランへ入った。客もそこそこ入っていて、繁盛しているようだった。
空席に三人で座ると、ジェイコブがコース料理を注文している。
「まずはワインで乾杯をしましょう」
三人、グラスをカチリと合わせて俺は一口飲む。熱い塊が喉を伝わり胃に染みる。まずは前菜が運ばれてきた。
「君のお母さん、確かレイヤといったね。どんな人なんだい」
「別に普通ですよ。ただ日本人からすると少し気が強く感じるかもしれません。私が少年のころお父さんとお母さんは、よく些細なことで口論をしていた記憶があります。ジュニアハイスクールになると、ほとんど口をきかなくなりました。そして、私が二十歳になるとついに離婚をしてしまいました。どっちが悪いとかそういう事ではなく、国際結婚は難しいと思いました」
「そうか、気が強いのか……俺も頑固だからなー。衝突するとお互いに一歩も引かないのは目に見えているな。ところで君はバイリンガルのようだけど、家では日本語だったの、英語だったの?」
「お母さんが日本語に堪能でしたから、家では日本語で学校では英語でした。おしゃべりとあだ名がつくほどよくしゃべる子供でしたよ。ハッハッハ」
気さくな好青年だ。両親の仲が多少悪くても愛情を受けて育ってきたに違いない。小さな頃に両親が離婚をすると、それが心の傷となり、ひねた人格になりやすいと言うが、青年までなると、もう人格が固く形成され揺らぐことも無くなるようだ。そこは俺にしてはよく耐えたと思う。
「レイヤさんの実家は貧しかったの?」
突然桃恵が質問をする。
「いえ、これも普通の中流家庭だったと思いますよ」
「そう」
桃恵の内に秘めたコンプレックスが顔を出す。
「どんなことで口論してたんだい」
「主に料理の事が多かったですね。ふふ。一度ミックスベジタブルにマヨネーズを混ぜただけのおかずが出てきたんです。アメリカでは結構普通の一品なんですが、お父さんは烈火の如く怒りだしました。『お前の料理には愛がない!』と言ってね」
三人で笑いあった。
「父親が大富豪だと、学校でやっかんだりされなかったかい」
「そんなことはありせんでした。私立のお坊ちゃん学校だったので、親がお金持ちというのが普通でしたから。ただ、お父さんは、桁外れのお金持ちでしたから、羨ましがられた事は何度かあります。その程度ですよ」
ジェイコブは二杯目のワインを口にする。とくに父親が大富豪というのを意識して育ってきた訳ではないらしい。俺はほっとする。
「離婚した後、親権はお母さんが握ったんだよね?」
「そうです。二人でよく話し合った結果だそうです。寂しかったですけど、お父さんに会えなくなる訳じゃなし、私もウィリーも渋々承諾しました」
「ウィリアムか、彼とは何歳違いなのかい」
「私より七歳下です。末っ子なんで甘えん坊ですよ」
ジェイコブは何か思いだし笑いをしている。
「今大学四年生なんですけど、自ら会社を興して独立したのには、正直驚きました。会社もそこそこ軌道に乗っている様子です。そういう意味では私の方が甘えん坊かも知れません。ハッハッハ」
よく飲み、よく笑う。多分友人も多いのだろう。俺とは対称的な人物のようだ。
「お父さんの会社に入ったという事は当然将来はCEOを目指しているんだろう?その若さで部長職だもんな」
「当然目指してますが、こればかりは何とも……人選は役員次第という事になります。上の人達のご機嫌取りの毎日ですよ。ハッハ」
メインメニューが運ばれてきた。牛テイルのポワレだ。ナイフがサクッと通り、口に入れると、噛まなくていいほど柔らかい。
俺は思わず唸る。
「これはうまいなあ」
「本当、とろけるわ」
桃恵もご満悦である。
「ところで」
「はい」
「何と言うか、その……お父さんがタイムマシンを使って、今昔の恋人とよりを戻しているのは知っているよね? それはどう思っているんだい」
ジェイコブは一瞬動きを止め、思いをまとめている様子だ。
「最初はお父さんがそんな行動に出るなんて信じられませんでした。でもそれが発覚したのが、余命一月の頃だったので最後は好きにさせてやろうと思いました。しかし日本にきて、病気がなおりつつあると知って、お父さんを訪ねた次第です。私が最後に見たお父さんとはうって変わって元気そうで、少し若返ったような印象を受けて衝撃を覚えました。昔の恋人の菜々子さんもお綺麗なかたで、未練が残っているのも仕方ないなというふうに思いました」
ジェイコブは二杯目のワインを空ける。
「恋愛は自由ですよ。お父さん。その事に干渉するつもりはありません。ただ…」
「ただ?」
「子供ができたら厄介な事になる可能性があります。今までそういう事例は報告されてないからです。最悪その子は生まれた途端に時空の狭間に消え去るかも知れません。大丈夫ならば、ファミリーの一員として受け入れるつもりです」
菜々子の妊娠の可能性を考えてもみなかった俺は多少のショックを受けた。未来は不変ではなく行動と運次第で様々に分岐する。現に俺は桃恵との間に子供が出来たではないか。
「そういう時は時空警察が動き出すのかい」
俺は一番気になる事を聞いた。そしてキューブにアップした写真を見せ、事情を説明した。
「これは……少しヤバいですね」
「やはりか、俺なりに考えるにこの時代が、いつか俺を排除しようとする前兆のような気がするんだが」
「そう受け取って間違いないような気がします。タイムパラドックスは、主に過去に干渉した時に起こりますが、未来の時空を大きく変える最初の事例かもしれません。時空警察が動き出す可能性が大いにありますね」
「捕まったらどうなるんだろう?」
「多くの人間は、未来から来たなら未来へ、過去から来たなら過去に戻されるだけですが、これはあくまでも前列であって、もしかしたら懲役が科せられる可能性もあるかもしれません。時空警察自体が創設されてから間もない事もあり、様々な事例に対処しきれてないのが実情です」
「そうか、懲役の可能性もあるのか…」
俺が少しむっつりすると、ジェイコブは訝しげな顔をしながらも一緒になって神妙な顔をする。
「大丈夫ですよ。滅多なことでは懲役なんかくらいませんよ」
ジェイコブが慰めてくれた。
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