シングルフライト
SNS「キューブ」の中で異変が起きていた。何という話ではないのであるが、俺の顔がよく写ってないようなのだ。俺は桃恵のスマホを見せてもらい確かめる。確かに顔の部分がぼんやりとし、まるでのっぺらぼうのようにかき乱れている。どうやら、俺の存在事態がこの未来世界にしっかりと定着していないらしい。
「ほっとけ」
俺は取り合わなかったが、フォロワーの数が八千人と、ビミョーな数で推移していたのが、今回の騒動で炎上し、フォロワー数が一気に三万人を越え、桃恵はご満悦らしかった。
とにかく俺の写真をアップすると、皆、怖いもの見たさでどんどんフォロワー数が増えていく。
「画像加工でしょ」というひねた意見も多かったが、そんな事には興味がない俺は日曜日のガラガラの市内の中を桃恵を乗せて駐車場を探している。
今日は映画鑑賞をする予定。地下駐車場へ車を預けると、目の前の大手映画館に入って行った。二人分のチケットを手に入れると少し後ろ辺りに席を確保した。上映が始まる。3D技術も格段に進歩し、もう眼鏡なしで立体感を感じる事ができる。
「面白かったねー」
桃恵はハンバーガーを口にしながら、今日の映画を振り返る。中身は子ども向けの冒険ものだが、大人でも十分楽しめる内容だった。
「空を飛んだ事ある?」
「えーないわよ。なんで?」
「いや、来週のデートは、パラグライダーにでも誘うかなって思って」
彼女は立ち上がり軽く叫んだ。
「パラグライダー!やりたかったの一回!」
「じゃあ来週の日曜日に予約をとるよ。ちょっと日曜日なんで込むかもしれないけど、大丈夫、最低一回は乗れるよ。まず時間は三十分ほどで、インストラクターのお兄さんが同乗してくれ……」
俺は手順と面白さを、熱くなるほど語った。
どうやら、桃恵も満足したようだった。
次の日から、俺は平日のパチンコ通いもやめて、パラグライダーに予約を入れる毎日だった。俺は、タンデム飛行から、早くシングル飛行になりたかったのだ。 パラグライダーは、当然マイグライダーを買っていった。
風に正対して翼を地面に広げ、向かい風で翼を真上に上げ、滑空状態にしてからそのまますべるように足を上げる。この一連の動作がやたらに難しい。失敗するたびに二十キロもあるグライダー本体ををまとめ、また坂道をあがりテイクオフに挑むのであった。しかし五日もするとコツを掴んだ。
坂道を滑空し、目の前の壮大なる景色に気圧されながらも空を飛んだ。解放感と達成感。
子供の頃からの夢を叶えて俺はなぜか涙した。
その間にも講習を受けたり、面倒くさい事が山ほどあったがなんとかクリアし、飛行技能証、パラメイト証を手に入れ、フライヤー登録を済ませた。これで明後日の桃恵とのデートにはシングルで飛ぶことができる。インストラクターのお兄さんとがっちり握手をし、俺は日曜日を待った。
桃恵のアパートへ迎えに行く。相変わらず可愛い笑顔で「おまたせー」と部屋から出てきて、軽く手を振る。その笑顔で心が満たされる。俺は自然と菜々子の事は、忘れつつあった。
受付で名前を記入し、本番だ。日曜日なので人が多い。四、五十人登録している。まずは桃恵が、タンデムで初飛行だ。三十メートル程間隔を開けたのち、俺がシングルで飛び立つ。一緒に空でランデブーだ。その日は薄曇りであったが、六月の風はまだ涼しい。バランスをとり、桃恵の後を追いかける。上昇気流を捕まえ、更に上へと上がってゆく。
十分ほどして着地点が見えてくる。二人とも無事着地した。併設されているロープウェイにのり、また頂上を目指す。その日は三回フライトをした。
頂上には土日だけ開く簡単な食堂もあった。午後二時、そこで二人はたこ焼きを食べる。空きっ腹になかなか旨い。桃恵は、満足そうな顔をしている。俺達は物陰にいき、軽くキスをする。キスはソースの味がして二人で笑い合う。
キャバクラ通いしていた頃とは全く別の楽しさが俺を虜にしていく。夏も本番になれば、ハワイに連れていってあげよう。俺は勝手にプランを練るのであった。
未来の俺を見舞いに病院に向かう。個室のドアを開けると相変わらず元気で「よう」と挨拶をしてくる。
菜々子が横に座っていたので、気まずい空気が流れる。最近は、俺は本当にこの子を愛していたのだろうか。彼女は本当に俺を愛してくれていたのだろうかという疑念にかられる。時間薬……失恋の痛手は消え去ろうとしていた。
菜々子が気を効かせて席を外す。変わりに俺が席に座ると、バナナを取り出し、俺にすすめる。
もう体の痛みは耐え難い程ではなくなり、最後に残った胆管ガンも、小さくなりつつあると言う。
「希望が出てきたよ」
未来の俺が笑いながら話す。
「菜々子のおかげだ」
恋敵を相手になんのてらいもなく言う。
「今はパラグライダーに凝ってるよ」
俺は近況を簡単につたえる。
「そうだな、一時期凝ってたな。シングルフライトになるまで通いつめたよ」
俺はふと、疑問に思う。
「その時デリヘル嬢と付き合っていなかったか?」
「そういえば付き合っていたな。ももえ……確かそんな名だった」
一瞬タイムパラドックスになるんじゃないかと思い、聞いてみたが、俺の杞憂だったらしい。
「ところで……」
俺は本題に入る。
「本来、菜々子に自分の死を看取ってもらうために菜々子を呼んだ訳だよな。しかし病状は回復に向かっているようだ。完全に回復するとどうするつもりだ、まさか、菜々子と結婚するわけじゃあ、あるまい?」
「それは今迷っているところさ。お前はどうして欲しい」
「俺はもう菜々子に捨てられた身だ。くちを挟む気はないよ」
俺は肩をすぼめた。
「そうか、それじゃあ堂々とプロポーズできるな」
なぜか大笑いをしはじめる。少しムッとした俺は桃恵の話しを出す。
「今俺は桃恵と本気で付き合っている。もう菜々子に未練はない。好きなようにすればいいさ」
俺は捨てゼリフを吐いて病院を後にした。
次の日曜日は、桃恵が行きたがっていたケーキ食べ放題の店に入る。桃恵はトレーの上にケーキをどっさりと盛ってきた。
「そんなに食えるのか!」
俺が笑いながら驚いているとパクパクと底なしによく食べる。そして完食してしまった。
それからまたウィンドウショッピングだ。こんどは貴金属店に入り、少し安めのネックレスをねだる。俺は笑顔でカードを出す。
夜も更けるとまた桃恵の体に溺れていく。
気がつけばこちらにタイムスリップしてから二ヶ月が過ぎようとしていた。
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