第142話 君のいない日々
「戸締まりよし、明かりよしです」
「ジャパリまんの補充も問題ない」
「ありがとうございます。では、今日はこれで」
「了解した。お疲れ様」
「はい、お疲れさまでした」
アリツカゲラと別れ、私は一人自室へ戻る。見廻りを終えたところで、今日のろっじでの業務は終了だ
「さて今日は…これを書こうか」
【日記】
今日はツチノコとヤマタノオロチが大量の酒を浴びるように飲んでいた。はしゃいで騒いで大の字で寝た二人を見て、ヤタガラスが頭を抱えていた。大きなため息と愚痴を吐いていた彼女の表情は、とても珍しいものだった
「…こんな感じだな」
グッ…と背伸びをし、ペンを元の場所へ戻す。書いた内容を見返しながら今日を振り返る
あれから1ヶ月。キュウビキツネの提案を受け、私は日記をつけることにした。こんな風にその日の中で特に印象的なことを、簡単な文にして残していく。私が体験したこと、民が体験したこと、仕事に遊びと内容は様々だ
提案に乗った理由は、コウが起きた時に、これまでに何があったのか、私がどんな風に過ごしてきたのかを伝える為。その時、あいつは一体どんな顔をしてくれるのだろうか
そんなことを想像すると、私の心は少し軽くなった気がした…というのも、理由の一つかもしれないな
ページを適当に戻し、過去に書いてきた物を流し読みしていく。我ながら結構書いたなと、よく続けているなと感心しながら思い出していく
コウのお見舞いに多くのフレンズ達が来てくれたことも書いた。サバンナ、ジャングル、高山。砂漠に湖畔、平原にみずべ…。私達が行ったちほーから、私達が知り合ったフレンズが沢山来てくれた。皆コウを心配してくれていたことは、不謹慎ながらも嬉しかった
いつか歌を唄うと約束したのもあって、ぺぱぷから歌を習ったこともあった。流石に彼女達のように上手くはないが、それでも上達はしたんだぞ?それとあの時のジェーンの気合いに満ちた姿は、どのフレンズよりも勇ましかったな
それからへいげんでサッカーをしたこと。その後直ぐにヘラジカとバリーに勝負を挑まれたこと。便乗したフォッサの相手をしたこと
獣生ゲームをキツネ達としたこと。オイナリサマが圧勝していたこと。ヤマタノオロチやヤタガラスも参戦して、大いに盛り上がっていたこと
守護けもの同士の戦いを見たこと。私も彼女達に稽古をつけてもらったこと。リル、ヨル、ヘルのリハビリに付き合ったこと
そして、私が、彼女達が、お前にできることを探していること…
どれも大雑把に書いたが、話の土産としては十分だ。これを話すその時にはお茶を入れて、お菓子を用意して。二人で、日記を広げながら、楽しい時間を──
「──今考えても、意味はないか」
ふと溢したそれは冷たく、私自身の心に突き刺さった。慌てて日記を閉じ、布団を被り強く瞳を閉じる
明日は何が起こるのか。期待と不安を、心に押し留めながら
◆
「早速取り掛かるのですよ」
「美味しいのを作るのですよ」
「今準備してるだろう…。早くしたいのなら自分達でも作ればいいだろうに…」
「もう作ったのです」
「もう食べたのです」
「なら私が作る必要はないのでは?」
「他人が作ったのも食べたいのです」
「きっと味が変わって新鮮なのです」
相変わらずそれっぽいことを言う奴等だ…と心の中で呟く。口にしたら長い長い反論が待っていると私の本能が告げた為、適当に相づちを打って同意しておく
「私も大きいの作ろーっと!」
「僕は小さめのを沢山作るね」
「かばんには期待しているのです」
「サーバルは形を崩さないよう気を付けるのですよ」
「言われなくても大丈夫だよ!」
「ゆっくり待っててくださいね」
今日は節分の日。朝から博士と助手が押し掛けてきて、サーバルとかばんが巻き添えをくらった…とは言ったが、楽しんでいるようでなによりだ
私達が作っているのは『恵方巻き』。形や大きさ、具材はそれぞれ個性が出ている。因みにお供え用のイワシの頭と撒く用の豆は既に準備済みだ。二人が先程から豆をつまんではいるが…まぁ足りるだろう
「よーし出来た!」
「早いねサーバルちゃ……あれ?二つ?」
「かばんちゃんの分だよ!」
片方をかばんに渡すサーバル。かばんは恵方巻き作りを一旦止め、それを手に取った。二人は同時に口に咥え、同じ方を向いて並んで食べ始める。どうやら今回はその方角が縁起が良いらしい
「…よし。博士、助手、出来たぞ」
「美味しそうなのです」
「早速頂くのです」
「私も食べるとするか」
二人に渡して、私も手に取って、無言で恵方巻きを食べ進める。この行為には『食べている最中に話すと福が逃げる』や『心の中で願いごとをする』といった意味合いがあるらしい
(…私の願いも、叶うのだろうか)
「ごちそうさま!次は豆撒き?だよね!」
「うん、この豆をお部屋や外に撒くんだよ」
「よーっし、私、外に撒いてくるね!」
「あっ、僕も行くよ!」
豆を勢いよく掴んで駆けていくサーバルを追って、かばんも後ろを駆けていく。外から『鬼は外ー!福は内ー!』と元気な声が聞こえてくる。色々な場所に撒いているのが声の大きさでよく分かる。豆を撒く順番もあるらしいが…それは気にしなくていいだろう
因みに外では、鬼役のアライグマとフェネックがお面をつけて歩いている。遭遇したらもっと賑やかになるだろう
「さて、我々も部屋を廻るのですよ」
「キングコブラ、お前も来るのです」
「私も?」
「お前がやらなくてどうするのですか?」
「お前が鬼を退治してやるのですよ」
「っ…そう、だな」
ここでいう鬼とは、本当の鬼ではなく、邪気のような意味合いだ。部屋に住まうそれを追い払い、魔を滅し無病息災を祈る
そして私には、直ぐにでも祓いたい邪気がある
「思う存分投げるつけるのです!」
「気合い全開全力投球なのです!」
向かった先はコウの部屋。お構い無く入った博士と助手は、その勢いのまま派手に窓を開けてコウを指差した
それが何故かおかしくて、私は少し笑った
「…よし!いくぞ!」
『鬼は外、福は内』。私が言って、二人が言って。大きな声で、何回も繰り返す
コウに取り憑く、邪気が祓われるように
私の心にある不安が、少しでも失くなるように
◆◆◆
「ハァ…ギリギリ、だな…」
夜。雨に濡れながら私はろっじの玄関をくぐる。小雨はどしゃ降りに変わり、ろっじの屋根を激しく叩いている
「お帰り。遅かったわね」
出迎えてくれたのはキュウビキツネ。濡れて帰ってくることを予測していたのかタオルを持っていた。投げられたそれをなんとか受け取り、服やフードを雑に拭いていく
「間に合ってよかったわ」
「そうだな、外はもう…」
「それもそうだけど、今はこっちのことよ」
彼女が付き出してきたのは一冊の本。これには見覚えがある。これはコウが持っていた、お菓子のレシピ本だ
得意気に広げられたそのページを見る。大きな見出しに自然と目がいく。書かれていたのは、可愛い字と色をした、とあるイベントを現す言葉
「バレンタイン…」
「そう、バレンタイン。知らない?」
「いや、知ってはいるが…」
【バレンタイン】
女性から男性へ、チョコレートやお菓子等を送る特別な日。嘗てパークでそれに関するイベントを行ったと、昔のパンフレットにも掲載されていたのを読んだから覚えている
そして、今日は2月14日。つまりバレンタインデーだ。もし普通に過ごしていたのなら、私はコウに内緒でチョコレートを作り、渡していたに違いない
しかし(自分で言うのも苦しいのだが)、今はそんなことをしても意味がない。何故なら、コウはまだ…
「ならやりましょ?材料はもう準備してあるから」
「おい、私はやるとは一言も…」
「そう?なら──キングコブラ、やりなさい」
「っ…了解した」
「よし、なら早速行くわよ」
半ば強引に引きずられながら、私達は甘い匂いのする厨房へと移動した。テーブルにつき、先程のお菓子のレシピ本を広げる
「さて、何を作る?」
「そう言われてもだな…」
パラパラとページをめくり、流し読みをしていく。中々これだ、というものがなく、めくる速さはどんどん加速する
「…む」
が、後半のページで良さげなものを見つけた
「あら、いいんじゃない?」
「うむ、これを作ることにする」
その名は【トリュフチョコレート】。簡単に言えば、溶かしたチョコレートを球形に丸め、粉砂糖やココアパウダー等をまぶした菓子の一つだ。この時間から作るなら丁度いいだろう
「さっきも言ったけど、一通り材料はあるから好きに使いなさい。何かあれば呼んでちょうだいね」
「ありがとう」
出ていくキュウビキツネを見送って、本を閉じて、道具を確認。何も問題はなさそうなので、早速始めるとしよう
*
鍋に入れた生クリームを沸騰させたら火を止め、砕いておいたチョコレートに入れる。クリーム状になるまでひたすら混ぜ合わせていく
「懐かしいな…」
コウと初めてお菓子作りに挑戦した時も、作ったのはチョコレートを使ったものだった。あの時は周りにチョコレートが跳ねたり、分量を少し間違ったりしたが…
『キングコブラさん!これ凄く美味しいよ!』
出来たものを、コウは幸せそうに食べてくれた。その笑顔がなによりも嬉しくて、また見たくて、暫くお菓子作りの練習に集中していた。自分でも段々上達していくのが分かって楽しかったな
…そういえば、あの頃はまだ “さん” 付けで呼ばれていたか。それが取れたのはクリスマスの日か。あの日も足りなくなったデザートを一緒に作って振る舞ったな
声を掛け合って。笑い合って
隣に並んで、一緒に──
「っ…次は…」
頭を振り、湧き出てきた感情を祓う。考えるな。こんな心で作ったら、味が悪くなってしまうのだから
*
「やぁこんばんは。進み具合はどうだい?」
「ん?あぁ、今冷蔵庫で冷やし直しているところだ」
一通り手順をなぞり終えたところで、オオカミが厨房に来た。描く題材を探していたのか、スケッチブックと鉛筆を抱えていた
「お前は何か食べたのか?」
「チョコクッキーを食べたよ。ジェーンが作って皆に配ってくれてね。君の為に少しは残そうとしていたんだけど…」
「あぁ…」
博士、助手、フルル、そしてリル。少なくともこいつらは沢山食べる。大方夢中になって全て食べてしまったのだろう。オオカミの顔を見るに、どうやら予想通りらs
「なんてね、二人分別でちゃんとあるよ」
「なっ…!?」
「フフッ、久しぶりに、良い顔頂きました♪」
やられた…。油断していた…わけではないが、まんまと騙されてしまった。よく考えたらその分また作ればいいだけだからな。頭が回っていない証拠だ
「あっ、先生!ここにいたんですね……って、キングコブラもいたのね」
「やぁキリン。今n」
「待ってください!何をしているのか推理しますので!」
来て早々、顎に手を添えて考え始めるキリン。私の手元にある本が視界に入ったのか、『これは…バレンタインのお菓子作りね!』とキチンと正解を出してきた。軽く拍手を送ると、彼女は得意気に胸を張った
「…さて、そろそろだな」
冷蔵庫を開けて、ラップで包んでおいた一口サイズのチョコレートを取り出す。ささっと丸め直し、別のトレーに移す。これで基本となるものは出来た
更に別のお皿に分け、粉砂糖、ココアパウダー、ミックスカラースプレーをそれぞれまぶしていく。これで、3種類のトリュフチョコレートの完成だ
では、味見をして…と
「…うむ、旨い」
程好い甘さと柔らかさだ。試しにオオカミとキリンにも食べてもらったが、二人の反応もとても良い。私としても満足だ
「甘くて美味しいし、香りもいい。これならコウも起きそうだね」
「…これで起きたら、正直複雑だな…」
「その時はいっぱい文句言えばいいのよ!」
「…そう、だな」
私も二人も分かっている。こんなことで起きるはずがないと。これで起きたら、どんなに楽になるだろうと
それでも、私達は願わずにはいられない
こんなことでもいいから、早く目覚めてほしいと
*
「…よし」
オオカミとキリンが厨房を離れた後も、私は作業を続けていた。そのおかげで一人分にしては十分すぎるほどの量が出来た
片付けを終えて、一息つく。夜食として取っておいたジャパリまんを一つ食べ、改めて冷やしておいたトリュフチョコレートを取り出す
綺麗に皿に盛り付けたそれを持ち、私は廊下をゆっくりと歩く。崩れないように、落とさないように。落ちることはないだろうが、用心するに越したことはない
少し行儀が悪いが、尻尾でノックを二回する。ほんの少し間を置いて、やはり尻尾でドアノブを回す。部屋に入り、真っ先に枕元へ向かう
「…コウ。今日はバレンタインデーだな」
テーブルに皿を置き、そっと呟く。勿論返事はない
「ほらこれ。美味しく作れたんだ」
一つ掴み、口元に持っていく。当然反応はないから、すぐに皿に乗せ直した
「…お前の為に、作ったんだ」
手を握る。強く、強く。祈りを捧げるように
「だから…起きて、食べて…くれ…」
声はもう、言葉になりそうもなくて
お前は私に言った。自分といる時は、王であることを忘れてほしいと。一人の女の子として接してほしいと
だから今は、堪えなくてもいいのだろう?
今だけは、全部、吐き出してもいいのだろう?
そう思った瞬間、塞き止めていた想いは、次々と溢れていく
こんなに近くにいるのに。手を伸ばせば届くのに。お前の温かさを感じられるのに。何故、こんなにも遠いのだろう
会いたい。その手で触れてほしい。声が聴きたい。名前を呼んでほしい。私を抱き締めてほしい
どんなに願っても。どんなに祈っても。どんなに叫んでも
この想いが、届くことはない
冷たい雨は、まだ止みそうにない
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