第100話 本当の気持ち
時間は少し巻き戻る。図書館にある、短冊が吊るされている笹の前で対峙しているのは、キュウビキツネ、キングコブラ、ジェーン
「「お願い?」」
「そう、お願い。それはね──どちらかに、織姫役をやってほしいの。どうかしら?」
「織姫役を…?どうしてだ?」
「それはジャイアント先輩がやると決まって…」
「あいつ体調崩して出来なくなったの。二人なら出来ると思ってね」
呆れながらキュウビキツネは言う。二人は暇を見つけては演劇の練習を見学していた。台詞も殆ど覚えている為、どちらがやっても問題はない
ただ、どうするべきか、どうしたらいいか、二人は迷っていた。やりたくないわけではない。しかし、両者が今心に抱えているものが解答を鈍らせていた
「…私に、やらせてください」
少し経ち、ジェーンが絞り出すように答えを出した
「…そうだな、それがいい…」
それを聞いたキングコブラは、消えそうな声で答えを出した。そんな二人の様子にキュウビキツネは何かを言おうとしたが、それを飲み込んでジェーンへ視線を向けた
「…決まりね。ジェーン、頼んだわよ」
「はい…。ではキングコブラさん、先に行きますね」
「良かったら見に来なさい?あの子も喜ぶと思うから」
「…ああ」
ステージへ向かうジェーンとキュウビキツネ。その後ろ姿を、キングコブラは見えなくなるまで見つめていた
─
どれくらい経っただろうか。いや、そんなに経ってないか? …時間の感覚が分からなくなるほど、私は駄目になっているのか…?
「お前は行かないのですか?」
「コウの彦星衣装が見れるのですよ?」
博士と助手が話しかけてくる。未だ文字を理解できていないフレンズは多い為、二人は願い事を代わりに書く仕事をしている。報酬は屋台の食べ物全種。その小さな体によく入るものだ
…ということを考えるくらいには、私の心に余裕は残っているらしい。だが…正直、行く気になれない。このモヤモヤが消えてなくなるまでは…
「私は文字が分からないフレンズの為に残る。民に力を貸すことも王の務めだ」
だから、私はまだ行かないことにする。これも別に嘘ではない。二人もそれで納得してくれるだろう
「成る程、お前らしい理由ですね。ですが我々を誤魔化すことは出来ないのですよ」
「そんな解答は予想内なのです。ということで適任を連れてきたのです。どうぞ」
納得しなかった。しかも適任だと?
「よぅ、さっきぶりだな」
「
「食べながらだと分かりませんよ?」
来たのはツチノコとスナネコとコモモ。スナネコはわたあめを食べながらツチノコに引っ付いている
「お前達…屋台はいいのか?」
「殆ど客もいねぇし他の奴に任せてるから問題ねぇよ。何を隠してるかは知らんし聞かん、だが楽しみにしてたんだろ?行ってこいよ」
「ほら行きますわよ?」
「まっ、まて、私は行くなんて…」
コモモが私の腕を引っ張り、強引にステージへ連れ出そうとする。何とかここに留まろうとしたが、後ろからツチノコが背中を押してくる
「いいから行ってこい!」
「いいから行きますわよ!」
「ちょ、ちょっとやめろ!やめ…っ!」
*
「あっ、もう始まっていますわね」
「…そうか」
結局抵抗むなしく、私はステージへ来てしまった。演劇は既に始まっていて、コウがステージの中央から端へ去っていくのが見えた
当たり前のことだが、既に多くのフレンズが集まっていて、前の方にはとてもじゃないが行けそうにない。隣にいたコモモは僅かな隙間を抜けて前に行こうとしていた
…が、少しして出来ないことがわかったのかやめた。流石に押し退けて行こうとはしなかったが、かなりがっかりした様子だ
「そんなに近くで見たかったのか?」
「だって楽しみにしていたんですのよ?それにせっかくなら一番近くで見たいものですわ」
その想いは分からなくもない。私も内容は知っているとはいえ、実際にどう演出するのかまでは知らないしな。それに、映像と合わせてとても綺麗だ。間近で見たらもっと綺麗に映ることだろう。だがここからでも二人の演技は見えるし、台詞もスピーカーから聞こえるから我慢してほしい
…そう、よく見えるし台詞も聞こえる。だから──
「織姫。僕は…君とずっと一緒にいたい」
「嬉しい。私も、一緒にいたい…」
──だから、見たくないものまで見えてしまうし、聞きたくないものまで、聞こえてしまうんだ
*
「満天の星空の中で愛を語る二人…!会えない距離や日々なんて二人には関係ないのでしょうね…!あぁなんて素敵でロマンチックなのでしょう…!」
「そう…だな…」
簡単な相づちしか出来なかった。そんなに覚えていないから。集中して見ることなんて出来なかったから。余計なことが頭の中をぐるぐると回っている
「さて、コウに感想を言いに行きましょう?きっと喜んでくれますわ」
「そう、だな。あいつは恐らく楽屋に……?」
あれは…コウと、ジェーン…?二人でどこに…
──ああ、そうか
そういう、ことか
「…キングコブラ?どうしたんですの?」
「…すまない、暫く風に当たってくる。一人にしてくれ…」
「えっ?……そう、分かりましたわ」
「…すまないな」
感づかれた気がしたがどうでもいい。コモモと別れて、私は振り向かずに歩いていく。とにかく一人になりたくて、私は早足で会場から離れた
◆
「戻ってきてない?」
「ああ、ここにいたが来てないぞ」
「ボクも見ていませんね」
ステージに戻ってきた俺は、あの子を探して暫くうろうろしていた。流石に時間が経ってるからいないか…と結論を出した俺は、一度図書館に向かった
そこにいたツチノコさんとスナネコさんにも居場所を聞いてみた。けど結果はご覧の通り。博士と助手も見ていないらしい
「ありがとう。あっちを探してみるよ」
「怪我しないよう注意しろよ」
「頑張って下さい」
*
それから俺はあちこち歩いて彼女を探し回った。だけど何処にもいなかった。知り合いのフレンズに聞いても、返ってくる言葉は『見ていない』とだけ
「何処に行ったんだ…?見た限りだと、遠くには行けないと思ったんだけど…」
彼女は屋台を全部廻った後でも、下駄にまだ少し慣れていない様子だった。もしかしたら疲れてどこかで休憩をしているのかもしれないと考え、ベンチを見て廻ったけどいなかった
すれ違いになっているかもしれないと思って、もう一度ステージに戻った。そこには、ステージを眺めているコモモさんがいた
「あっ、コモモさん!」
「…コウ?どうかしましたの?」
「キングコブラさんを探しているんだけど、何処に行ったか知らない?」
ここに来るまでに何度もした質問を、同じように彼女にもする。答えも同じようなものが返ってくると思ったけど、返答はなく何故か彼女の目付きは鋭くなった
「…コモモさん?」
「…キングコブラに会って、どうするつもりなんですの?」
「どうって…」
何か試すような言い方だった。だから、彼女の眼を真っ直ぐ見つめて答えた
「…伝えなきゃいけないことが、伝えたい大切な想いがあるんだ。だからお願い、知ってたら教えてほしい」
「…分かりましたわ。その代わり、二人で一緒に帰ってこないと許しませんわよ?」
「…分かった、約束するよ」
彼女も察してくれたのか、俺にあの子が向かった方向を教えてくれた。お礼を言って、俺はその場所へ全速力で駆けていく
後悔なんて、絶対にしたくないから
◆
どれくらい歩いただろうか。どれくらい離れただろうか
例えどれだけ離れても、私の心は、落ち着いてくれやしないのだが
ガッ!
「あっ…!?」
ズシャッ!
「くぅ…!」
どうやら木の根に躓いてしまったようだ…。こんなことは普段だったらまずないことだが…起きてしまったことは仕方ない。気を取り直し、すぐに立ち上がって…
「つぅ…!?」
転んだ拍子に、足を捻ったのか痛みが…。それに擦り傷…。下駄の鼻緒も切れてしまった…。浴衣にも土が…もう踏んだり蹴ったりだな…
『皆さ~ん!ライブもありますので楽しみにしてて下さいね~!』
マーゲイのアナウンスと、フレンズ達の盛り上がる声が微かに聴こえる。きっと、ここからもっと楽しくなるのだろう。今日という日が、忘れられない思い出になるだろう
…私にとっても、忘れられない日になりそうだな
あの二人は、もっと仲良くなっているだろうか?いや、なっていないと私が困る。そうでなければ、私がここにいる意味がない…
お祭りの時、楽しそうにしている二人を見て思った
あの二人は、お似合いだということを…
だから彼女に織姫役を譲った。そうした方がいいと思った。そうすれば、二人の距離はもっと縮まると思ったから
織姫と彦星の衣装を着た二人は、本物のお姫様と王子様のようだった。ステージの中央で手を取り合い見つめ合う二人は、心が通じ合っていたに違いない
そして、演劇が終わった二人は、隠れるように会場から離れていった。そうした理由は、きっとそういう話をするからだろう。彼女があいつに想いを打ち明けたならば、あいつはそれに答えているはずだ
よく考えたら当たり前じゃないか。ジェーンはパークのアイドル。歌もダンスも上手く愛想も良くファンも多くて、私から見てもとても可愛い女の子だ。そう…私なんかとは、全然違う…
コウも満更ではない顔をしていた。あいつはたまに変なことを言うが、強くて優しくて見た目もいい。まさに美男美女…そんな二人に、私なんかが割り込んではいけなかったんだ…
だから、これで良かったんだ。あの二人は、私にとって大切な民で、大切な友達だ。その二人が結ばれるなら、幸せになるのなら、それは嬉しいことだ
これは元に戻るだけだ。友達に、民と王という関係に、戻るだけなんだ
そう、元に戻るだけ
それ、だけなのに…
「…ははっ、まいったな…」
眼から勝手に、それは流れた。拭っても拭ってもそれは止まってくれなかった。浴衣を濡らして、視界がぼやけて、心が締め付けられて…
ああ…私は、あいつが遠くに行ってしまうのが、こんなにも嫌だったのか。こんなにも、あいつのことが好きだったのか…
「っ…ぁぁぁ…」
少しでも気を抜けば、大声を出してしまいそうで。堪えなければ、何かが崩れてしまいそうで。それとも、全部吐き出せば、少しは楽になるのだろうか
私が織姫役を引き受けていたら、あいつは私を選んでくれたのだろうか…? 私も織姫のように、愛する人と一緒になれたのだろうか…?
…そんなこと、あり得ないな…。私にそんなもの、とてもじゃないが似合わない。私は、お姫様になんてなれない。織姫のように、誰かの隣にいられることなんてない。迎えに来てくれる人なんていない…
だから、ここに来る人なんて──
「…やっと、見つけた」
──いないと、思っていたんだ
─
大木を背もたれにして、膝を抱えている彼女を見つけた。浴衣は少し汚れていて、切ったのか手から血が出ている。鼻緒も切れていて、転んでしまったのが推測できた
「大丈夫?ハンカチあるから、取りあえずはこれで…」
「なんで…」
「…うん?」
下を向きながら、彼女がボソッと呟いた
「なんで、ここに来たんだ…?」
「なんでって、君を探しに来た…」
「なんでそんなことをしているんだ!」
彼女は大声を出して、俺の言葉を遮る
「ジェーンと一緒に会場を抜け出していただろ!?彼女の想いを聞いたんだろ!?」
…そうか、見られていたのか。彼女はきっと、ジェーンさんの気持ちに気づいていたんだ。それで、俺達がそういう関係になったと誤解しているんだ
だから、俺を突き放すように、あの子の元へ帰るように叫んでいるんだ。それが、自分自身を傷つけると知りながら。だけど約束したんだ、二人で見に行くって。一緒に帰ってくるって
「聞いたよ」
「だったら、尚更ここにいていいわけが…!」
「断った」
「…は?」
「断ったんだ。その気持ちは受け取れないって…」
その言葉で、彼女は顔を上げた。その表情は、信じられないと言っているようだった
「なんでって顔してるけどさ、答えは簡単だよ?」
あとはもう、これを言うだけだ
「…キングコブラさん。俺は、
もう、迷わない
「──君のことが、好きだ」
俺は、彼女に告白した。本当の気持ちを、本当の想いを…
不思議な感覚が体を支配している。達成感…って言ったらいいのか?とにかく、言葉にできない何かが、俺の中を駆け巡った
「…なんで、私なんだ…?」
呆然とした彼女は、絞るように言葉を発する
「…俺が怪我をしていた時、君はいつも傍にいて、手当てをしてくれたね」
ろっじで初めて会った時も、砂漠で戦った後も、山での戦いが終わった後も
「それだけじゃない。俺が辛い夢を見ていた時も、君はいつも傍にいてくれた。手を、握ってくれた」
彼女の手をそっと包むように握る。その手は、やっぱり柔らかくて、暖かくて、安らぎをくれる。雪山での時も、風邪を引いた時もそうだった
「強引についてきた時、口では否定していたけど…正直、嬉しかった」
今なら分かる。君は、俺が心配でついてきてくれたんだ。一度別れる前にも、俺のことを心配してついてこようとしてくれたしね。自分でも危険な目にあうって理解していたのにさ
「君はいつも一緒にいてくれた。いつも笑いかけてくれた。それがどんなに心強かったことか。どんなに安心したことか。どんなに嬉しかったことか。…だから、これからも俺の隣にいてほしい…ずっと、一緒にいてほしいって思ったんだ」
毎日を過ごす中で、君への想いは知らず知らずの内に大きくなっていたんだ。それを今日やっと自覚して、全部伝えることができた
「…私は、あいつのように可愛くない」
「何言ってるのさ。凄く可愛いよ?それを俺だけしか知らないなら独り占めできるね」
「…私は、歌もダンスも、上手くできない」
「俺も上手くないから、今度一緒にやってみようか」
「…私は」
「もうさ、そんなこと言わないでいいんだよ?」
君が自分を何回も否定するなら、俺がそれ以上に肯定してやる。この先また不安になるのなら、何回でも想いを伝えてやる
「俺は、ありのままの君を好きになったんだよ?だから自分を否定しないでいいんだ。無理に変わる必要なんてないんだ。俺は、君がいてくれるだけで幸せだから」
手を彼女の頬に添えて涙を拭う。もう泣く必要はない。そんな悲しそうな顔は似合わない。笑っていてほしい。いつも通りに、俺に向けてくれるように
「だから…君の本当の気持ちを、聞かせてくれ」
もう、彼女の想いは分かっている。だけど、その想いは彼女から直接聞きたい。だからずるいけど、少し強めにお願いをした。こうすれば、彼女は言ってくれるだろうから
「…私も、お前が好きだ…大好きだ…!まだやりたいことも、行きたいところも…!だから…だからずっと…!」
伝えたくても上手く言葉にできないのか、また涙を貯めて苦しそうな表情をしている。喉に引っ掛かって、言いたいのに言えないのかもしれない
それでも、十分すぎるほど伝わってきて、彼女の想いは嬉しくて、その姿がとても愛おしくて
──気づいたら俺は、彼女の唇に、唇を重ねていた
それは数秒にも満たない、とても短いもの。それでも俺にとっては長くて、特別なものだった
唇を離すと、目の前には頬を更に赤く染める彼女。恥ずかしかったのか、視線を下に向けてしまった。ポツポツと何か言った後、顔を上げた
「…お前、いきなり、こんなこと…」
「…ごめん、でも……ッ!?」
一瞬だった。一瞬で彼女は俺に飛び込んできて、首に腕を回し…
彼女から、唇を重ねてきた
さっきよりも少しだけ長くて、柔らかい感触がハッキリと分かる。俺も彼女に腕を回して、強く抱き締めた
お互いにゆっくりと名残惜しそうに離し、じっと見つめ合う。先に口を開いたのは彼女だった
「…これからも、よろしくな」
照れ臭そうに言う彼女が、嬉しいという感情でいっぱいなのは分かった。だって、やっと笑顔を見せてくれたんだから
「…こちらこそ、よろしくね」
きっと、お互いに真っ赤になっているだろう。そんなお互いを見て笑い合う俺達。この感情は、いつまでも忘れない。今日というとても幸せな日を、絶対に忘れることなんてしない
俺、大切な人が…恋人が、出来たよ
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