第85話 少年の過去 -別れの日-


最悪の目覚めだった。日付が変わっていて時刻は夜中、部屋の中は冷えきっていた。布団も被らずに倒れるように寝ていたから寒くて震えが止まらない



──あら、やっとお目覚め?調子はどう?



外を眺めながらお嬢が質問してきた。悪いけど、答える気分じゃなかった



──答えてくれてもいいんじゃないの?



『…見て分かるだろ』



我ながら最低だと思った。彼女は関係ないのに、冷たくぞんざいな言い方をしてしまった。だというのに、彼女は全然気にする様子はなく、むしろ申し訳なさそうな顔をした



──そうね、ごめんなさい。何があったかは大体理解したわ


『…お得意の能力でか?』


──いいえ。貴方が寝ている間に、貴方の父から電話が来たの。録音されているから聞いてあげてね?



そう言って彼女は部屋から出ていった。こんな寒い中散歩しようなんて、吸血鬼の考えていることは分からなかった


電話機を見ると、何件か留守電が入っていた。殆どが学校、担任から。内容を聞く前に全て削除した。どうせろくな内容じゃないだろうから


最後の一件は、父からだった



『コウ。今は誰とも会いたくないだろうし、話したくもないと思ったので留守電に残す。…すまない、辛い時に何もしてやれなくて』



何故この人が謝るのだろうか。何も悪いことはしていない。悪いのは、問題を運んでくる俺なのに



『先程担任が来て、何があったかを話してくれたよ。大変だったな。そして、よく耐えたな。学校はもう行かなくていいぞ』



家に来た担任は、どうにか俺をまた登校させようとあれこれ話をしたらしい。必死になりすぎてボロを出しまくったのか、不登校生を無くし、自分の評価を上げるという目的の為だけに俺を登校させた、というのも分かったらしい


一連のやりとりを学校に報告。過去の事もあり、俺はもう行かなくても卒業出来ることになっていた



『この先、また辛いことがあるかもしれない。だが、俺達家族はずっとお前の味方だ。何かあったら直ぐに頼れ。落ち着いたら電話をくれ。またな』



再生が終了した。俺は気づいたら泣いてたよ。まだ味方はいる。俺のことを想っていてくれる人が一人でもいるなら、もう少し頑張ってみようと思えた


少し経ってお嬢が帰って来た。さっきまでの態度を謝ったら、『なら明日ここに連れて行きなさい』って言ってきた。いつも通りに接してくれたことが、何よりも嬉しかったよ







次の日直ぐに電話をかけた。沢山謝って、沢山お礼を言って


こんな俺でも何かしたいと言ったら、『進学していい会社に勤めて生きろ』と言われた。いつか必ず、お前を大切に想ってくれる人が出来るからって


本音を言うと、凄く怖かったけど、無理はしなくていいとは言ってくれたから、取り敢えず受けるだけ受けてみようと思って受験に向けて猛勉強。遊んでた分を取り戻すのに必死だった


そんな姿を見たお嬢は最後まで心配してくれていたけど、同時に応援してくれた。我ながら人生で一番頑張った時期だったんじゃないかな


月日はあっという間に過ぎていく。そしてついに受験当日



『全力を出してこいよ!』

『終わったら早く帰ってきてね~』

『ご馳走食べに行くからね』


『うん!行ってきます!』



家族に挨拶をして、荷物を確認して、バスに乗って、会場に向かった。その応援のおかげで、周りなんて気にならず、何でも出来そうな気がしていた




──結局、会場につく前に、俺は死んだけどね





「…死んだ後、世界を移った、ということは前に話しましたよね」


「…ええ。確か、そのお嬢様に連れられてだっけ?」


「そうです。ただ、死んで直ぐに移った訳じゃないんです」





俺はバスの転落事故で死んだ…が、あいつの魔力で生き返った…というのはカモフラージュで、実際には、俺の内にいた姉さん達のサンドスターを使って生き返った、が正しいんですけどね。まぁそれは今回は置いといて



『…ここ、どこだ?』



目覚めた場所は全く知らない部屋。白い天井、カーテンのような物で仕切られたベッド。周りからする匂いからして、あまり好きな場所ではないってことだけは分かった



『起きた…!?せんせー!起きましたー!』



ベッドの横に座って俺の様子を見ていたのは、ピンク色の服と帽子を身につけた女性、所謂ナースさん。手に持っていたカルテを見て、ここが病院だとようやく理解した


ドタバタと慌てて主治医の元へ駆けるナース。ここ病院やぞ、というツッコミをなんとか我慢して待つと、初老の先生がやってきた。チラッと俺の顔を見ると、不思議そうな顔をして質問をしてきた


『体の調子はどうかな?』


試しに腕を回したり、伸びをしたり、上半身だけ起こしたりしてみる。痛みはなく普通に動けていた


『…特に問題ないです』


『嘘…あの高さから落ちたんですよ!?何もないなんて…』


『患者の前だぞ。口を慎しなさい』


『あっ…も、申し訳ございません!』


失礼しました!とナースさんはそそくさと部屋から出ていった。主治医は椅子に腰掛けて、コホンッ、と一度咳払いをする


『すまなかったね。あの娘が失礼なことを』


『…いいですよ、別に。それよりも、あれからどうなったのか聞きたいんですけど』


『…君が望むなら、順を追って話そう』


先ず、あの転落事故で。救助隊が到着した際、温もりがあったのは俺だけだったらしい。しかもほぼ無傷の状態で発見したそうだ


ただ、目が覚めるまで丸一日過ぎていたようだ。それすらも奇跡だと言っていた。それもそうだよね、他の乗客は口に出すのも躊躇うくらいの姿だったみたいだから。辛うじて身元が分かったのは良いのか悪いのか


会話中に更に軽い身体検査。バイタルも特に問題なし。それを確認した主治医は更に怪訝な顔をしたけど、そんなことはどうでもよかった



『家族への連絡はどうなってるんですか?』



当然の質問をぶつける。義理とはいえ息子が事故に遭い病院で寝ていたら…母親あいつはしないだろうけど、ここの母は、家族は心配してくれるはずだ。受験に送り出してくれたのだから


『…悪いけど、君の持ち物はぐしゃぐしゃで、原型がほぼ無かったから家族の方には連絡はつかなかったよ。辛うじて受験表から学校名は分かったから、そっちには連絡したんだけどね』


『そう…ですか』


学校なんてどうでもよかった。家族にだけは、無事だと直ぐに伝えたかった




──その時、何か嫌な感じがした




主治医は今、学校には連絡したと言っていた。恐らく、お宅の生徒が事故に遭ったという連絡だろう


だとしたら、そこから家族に連絡が行ってもおかしくない。行かないとおかしいと思った。まさかそれすらしないほど、俺は学校から厄介者扱いになっていたのかと考えた



だけど、返ってきた答えは、もっと嫌な現実だった



『…その学校からの返答はね、「そのような生徒はいません」だったよ』


『…えっ?』


『名簿を確認してもらったけど、君の名前はなかったと言っていた。ふざけている様子もなかった。君は本当にそこの生徒なのかい?』



学校に俺の名前はなかった。俺という存在が最初からいなかったかのような扱いだった。受験会場にも連絡し、俺の番号を聞いたら、違う人の名前が返ってきたそうだ


『そ…そんな筈はない!俺は確かに…!』


『落ち着いて?事故があって混乱しているのだろう。話すのはゆっくりでいいからね?警察にもそう伝えておくから』


警察、というワードに背筋が凍る。今捕まったら確実に事情聴取を受けることになるだろう。そうなったらもう逃げられない


幸い財布の中身は生きていたから、部屋を飛び出して外へ逃げた。他の医者や患者が何か言っていたけど全部無視して走った。走ってもどうしようもないとは思ったけど、立ち止まったらもっとどうしようもなくなる気がした


途中でタクシーを拾い、先ずは一人暮らしをしていた家へ。部屋の番号を確認してドアの前へ行くと、表札の名前が違うものになっていた。中からは家族と思われる楽しそうな会話が聞こえてきた


五月蝿い音をならす心を何とか落ち着かせる。これは想定内だと自分に言い聞かせる。まだ大丈夫だと、まだ希望は残っていると。そう思わないと、どうにかなりそうだったから



『運転手さん、次は……っ!?』



タクシーに戻ろうとしたら警察がいた。『紅色の…』とか『病院から…』とか聞こえたから、俺を探しているのは分かった。こんな所で捕まっていられない。何とか見つからないようにその場を離れた


家族のいる家へ走り続けた。近道を続けていたら大通りに出ていたみたいで、周りには多くの人が歩いていた。なるべくすれ違わないように裏道に逃げて休憩していると、ビルにある液晶ディスプレイにニュースが流れる



『次のニュースです。先日、受験生を乗せたバスが山で転落した事故で、生還した少年が病院で目を覚ましたとのことです。この少年は混乱していたのか病院を飛び出しており、現在警察が行方を追っています。「八雲 紅」と名乗っており、紅色の髪と瞳が特徴であるとの情報です』



警察が行方不明として俺を探しているニュースだった。いつの間にか撮られていたのか、大画面で俺の顔写真が映され、防犯カメラの映像もあった



『うわっ、本当に紅色だよ。あれ地毛?』

『そうじゃね?じゃなかったらそう報道しないっしょ』

『外人でもあんなに紅なのいないよね。変なの~』



それを見た人間が好き放題言う。鬱陶しいが、この程度は散々言われてきたから苦痛は少なかった


次に聞こえてきた会話は、そうじゃなかった



『てかさ~、一人だけ無事とかあり得る?』

『それな。てか昨日の今日で動けるとか化物かよ』

『化物だから事故を引き寄せたんじゃね?』

『こっわ。一緒に死んどきゃよかったのに』

『それ言い過ぎwww』

『だけど近所のおばちゃん言ってたよ。「なんであの子だけなんだ」って』

『あーね。一人だけ生き残ったとかそうなるわな』



同じ人間に対してなんでそこまで言えるのか。何も知らないでなんでそこまで言えるのか。こいつらは本当に心があるのか。もう別の生き物にしか思えなかった



眩暈がした。吐き気がした。だけど止まるわけにはいかない。あそこに行けば。行かなくては。震える脚を無理矢理動かした



向かった先は、俺を引き取ってくれた家族の家。昨日ここから出発したことが随分昔のように感じてしまった


深呼吸をしてチャイムを鳴らす。ピンポーン…という呼び鈴が鳴り終わる。人が出てくる数秒間すら、とてつもなく長い時間に感じていた



『は~い、どなたですか~?』



出てきたのは母。しっかりした、あたたかい人



『母さん…ただいま…』



すがるような声で呟いた。頼む、届いて──









『…あなた、家間違ってない?』



──。



『どしたの?…ん?この人だれ?』

『分からないわ。いきなり母さんって呼ばれたの』

『えっ?母ちゃんの隠し子?』

『違うわよ…』

『なんだ?一体どうした?』


奥から出てきたのは、正義感の強い姉と、真っ直ぐで優しい父


皆、俺を大人たちから守ってくれていた。近所からも、学校からも、社会からも。あらゆる面から俺を見てくれて、優しく頭を撫でてくれた、大切な人達


その人達は今、俺を不思議そうな顔でジロジロ見てくる。そして、俺の紅色に気づいた時、怪訝な顔をした。それだけで嫌な予感がした



『俺だよ!コウだよ!俺が5歳の時にこの家に来て、一緒に過ごして…。遊園地にも行ったし、旅行にも行ったし、他にも、色々な場所に行ったよね!俺はこんな色をしているから、周りから変な目で見られてたけど、皆はそんなこと気にしなくていいって言ってくれて…!それが凄く嬉しくて、それで、その…!』



言いたいことが多過ぎて上手く言葉に出来なかったし、途中凄く早口になったし、言う度に険しい顔になっていく皆を見ていたら泣きそうになったけど、どうにか覚えていてほしかった。思い出してほしかった



『…ねぇ、この子は何を言っているのかしら?』


『えっ、もしかしてうちのストーカー?顔はイケてるけどそれはちょっとな~』


『…俺は…息子の…』




『息子?出鱈目を言うな!お前は誰だ!?』




父からの怒声。いつも俺を守ってくれたものが、俺の心を抉り、粉々に壊そうとしていた



病院で聞いた話から、もしかしたらそうなんじゃないかとは思っていた



だから、想定内



だから、大丈夫



だから…




『…10年間、俺を育ててくれてありがとうございました。この御恩は、一生忘れません。さようなら。どうか、お元気で…』




もう何を言っても意味がない。だから、これは俺の我儘。どうせ伝わらない。だけど、これだけは伝えたかった。それだけ伝えて、俺はその場から走り逃げ出した。唇を噛んで、必死に堪えながら


倒れそうになる体を抑えまた走り出す。人間のいない場所へ。少しでも落ち着ける場所へ。脚が勝手にその場所へ向かった


そこは神社。俺がこの世界にきて、倒れていた場所


鳥居をくぐると空気が変わった。何が起こったかは直ぐに分かった


巫女さんの横を通っても、こちらに気づくことなく境内を掃除している。目の前で手を振っても無反応だった。落ち葉を拾って振ると、『ポルターガイスト!?』と驚いていた。この現象に見覚えがあった



──あら?来たのね、コウ



お嬢が俺を見つけた。神社の裏にある大木の方へ案内されると、一人の女性がいた



━━



その時は分からなかったけど、先生がいた。大木に

は次元の隙間が出来ていて、形容しがたい空間が広がっていた



──ごめんなさい、迎えにいけなくて。でも流石ね、自分から見つけるなんて



どうやら向こう側に行くための準備に手間取っていたようだった。最終調整をしている間に、ここまでのことを話していく


俺の情報や記憶が消えたのは、一度死んだことでこの世界の存在から外れ、彼女達と同じ幻想の存在になったから。次第に姿も見えなくなるとのこと。理由が分かっても、辛いものは辛かった


皆にとっては、記憶の片隅に残り続けてしまうのなら、いっそ最初からいなかったという扱いの方がいいのかもしれないけどね



━━ここを通れば、貴方は私達と同じ世界にこれます。しかし、もう二度と戻れない。それでもいいですか?



戻れた所で、認識もされないなら、それはいないのも同然だ。だから、答えなんて決まっていた



『…行きます。連れていってください。この世界にはもう、俺の居場所はないのだから』



━━分かりました。ではこちらへ



手を引かれ、俺はその隙間を歩いていく



━━ようこそ、私達の楽園へ



その日俺は、全てに別れを告げて、世界を渡った

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