第86話 話、終えて
世界を渡った俺は森の中にいて、見えない何かに襲われた。そして、この力が目覚め暴走した。そんな俺を
色々な注意を受けた後、お嬢のいる館で住み込みで働きながら修行していた…というのは前に話しましたね。たまに暴走したら完膚なきまでにやられたりもしたけど、徐々に慣れてきて、その回数も減ってきて
そして、一年が経とうとしていた時
『貴方なんか助けるんじゃなかった。もういらないわ』
って言われた。この一年で俺を見極めた結果、自分のそばにいるに相応しくない、使えない奴という烙印を押されたようだ。凄くショックだったけど、何故か納得してしまった自分もいて、俺は館から去った
森の中を歩いていると、『何処へ行くんだ?』と謎の声が後ろから聞こえてきた。だけど振り向いても誰もいなかった。気のせいだと思って歩きだすとまた聞こえてきた。『歩くの速いな』とか『あてはあるのか?』とか
段々ムカついてきて、『どこだっていいだろ!』と怒鳴ったら、『そうか。では最後に良いことを教えてやろう』と言ってきた。ろくなことじゃないだろうとは思っていたから歩き続けた
『お前がこの世界に誘われた理由は、ただの実験だ』
実験、という言葉に足が止まった
『ただの人間が、私達のような人外の力を手にした時、どのように動くのかという実験。大抵の者はその力に溺れ、他者に向けて力を振るってきた。だがお前は違った。他者を傷つけまいと必死に抗っていたその姿、中々面白かったぞ?』
固まる俺に、続けざまに呆れたような声で言う
『お前はもう用済みだ。何処に行こうが構わん』
俺は暇潰しの道具という扱いだった。そいつが言い終えた時、空間に隙間が生まれ、そこから
『ちょうどよい。ほれ、本人に聞いてみよ』
『先生…こいつの言ってること、全部嘘ですよね…!?』
『…』
口をつぐんでしまう彼女。続きを、『違う』という一言を言ってはくれなかった
俺はまた走り出した。もう何処に行こうかなんて考えていなかった。ただ一人になりたかった
嫌なことがたくさんあった。これからどうすればいいのか。俺は存在していいのだろうか。いっそ消えてしまいたいと思った
そんな事を考えながら月を見ていたら、月の光が強くなって、こちらに伸びてきて俺を包んだ
眩しすぎて、目をつぶると──
━━━━━━
「──ここからは、貴女も知ってますね」
彼は気づいたら森にいて、ここ、ジャパリパークに帰って来た
「…これで、俺の話は全部ですかね。すみません、暗い上に長くなりまして」
彼は初めて全部話した。お嬢にも、先生にも、話したことのない、忘れたくても、頭に刻み込まれて離れない過去を
「ただ、世界を渡った代償なのか、無理やり力を起こした影響は分かりませんが、前の世界の人物の名前や顔の記憶は全部忘れてしまいました」
全てを忘れる方が彼にとっては楽だったのかもしれない。だがそうならなかったのは罰なのだと彼は思った。何もかもから逃げ出した、死という運命すら強引にねじ曲げた自分への、神が与えた罰
「…まぁ、お嬢と先生の件は、嘘で演技だったので安心しましたけどね」
だからといって平気なのかと言われるとそうではなかったのだが、彼は少し微笑みながら呟く
そんな表情を見た彼女は、無言でまた彼の頭を膝に乗せ、また優しく撫で始める。先程と違うのは、彼の顔がお腹の方を向いているということ。無言で転がされた彼は驚いたが、特に抵抗はしなかった
「…ねぇ、コウ?」
数十秒くらい経って、ずっと静かにしていたキュウビキツネが口を開く
「…ヒトは、嫌い?」
聞きづらいけど聞きたかったこと。自分が話した過去と、彼が話した過去を照らし合わせての質問
「…人間は、嫌いです」
『ヒト』ではなく『人間』と答える。良い人もいれば悪い人もいるというのは彼も分かっている。そのの呼び方の違いの意味を彼女は理解した
「…そっか。…ありがとう、そして…ごめんなさい」
「…なんでそんなこと言うんですか?」
「…辛かったのに、憎いはずなのに、許せないはずなのに。なのにあなたは、まだ人を完全に嫌いになってはいなかった。それが嬉しくて、申し訳なくてね…」
キュウビキツネは思っていた。いつか人が戻ってきた時、彼の心は圧し潰されてしまうのではないかと
「…大丈夫ですよ。
帰って来た答えは、彼女にとって想定内。自分達はヒトが帰ってくるのを願い待ち続けている。それは彼の心とは真逆の想いだが、彼はそれを圧し殺し、彼女達の想いを尊重するだろうと理解していたから
「…平気なわけないんでしょ?そうじゃなきゃ、そんな顔はしないわよ?」
キュウビキツネがコウを引き寄せる。彼の微かな表情の変化を、彼女は見逃さなかった
「全部が嘘って訳じゃないのでしょう。だけど一回くらいは、思ってること全部吐き出してもいいんじゃないの?前にも言ったでしょ?一人で抱え込むなってね」
導くような、とても優しい声色。それを受けた彼は、瞳を大きく開き、彼女の服をキュッ…っと少し強く握る
「…辛かった。苦しかった。いっそ死んだ方がいいのかもしれないと思ったこともあった。今もたまに夢に見るし、思い出しては嫌な気分になる。なんでこんな想いをしなきゃいけないんだ。俺が何をしたっていうんだ。何が呪いだ。紅いからなんだっていうんだ。生まれたこと自体が間違いだっていうのか?生きていることがいけないっていうのか?俺だって好きでこんな風になった訳じゃないのに。俺だって、本当はもっと普通に──」
続きを言おうとして、彼は一度言葉を止める。それ以上言ってしまうと、ここであったこと全てを否定してしまうのではないかと思ったからだ
「…そうね。普通に生まれて、普通に友達を作って、普通に学校に行って…。そう考えてしまうのは悪いことじゃないのよ?」
それが分かったのか、キュウビキツネが代わりに言葉にする。そんなことを想像するのはおかしくないのだと認めてあげることで、彼の心は少し軽くなる
「そう思いながらも、よく耐えた。よく立ち止まらなかった。よく諦めなかった。よく帰ってきてくれた。あなたは呪われてなんかいない。あなたは、パークを、皆を、私達を救ってくれた恩人なの。だから、そんなことはもう気にしなくていい。考えなくていい」
悪いことばかりじゃない。味方はいると、安心できる居場所はもうあるんだと、伝えたかった
「遅くなったけど──誕生日、おめでとう。生きていてくれて、ありがとう」
ヨルとリルも言ってくれた言葉。11年越しのあの日のお祝いと、助けてくれたことへのお礼
「…ずるい。そんなの…ずるいよ…」
絞り出すように呟き、肩を震わせるコウ。彼女はそれがおさまるまで、優しい表情で彼を撫で続けた
*
「…あら?」
「スー…スー…」
「寝ちゃったか。本当に変わらないわね、これは」
疲れてしまったのか、キュウビキツネの膝の上で寝息を立てているコウ。頭や耳を撫でると表情が緩み、これ以上ないくらい無防備な姿を晒している
「入るぞ」
扉を開けて入ってきたのは、通信で会話を聞いていた五人。複雑そうな顔をしていたものの、彼の寝姿を見てそれは少し綻んだ
「私からもお礼を言います。ありがとうコウ、私達を助けてくれて」
「おかえり。本当に頑張ったんだな…」
オイナリサマとヤタガラスもゆっくり頭を撫でる。撫でられる度に気持ち良さそうな顔をする
「全く、世話のかかるやつじゃのうて」
ヤマタノオロチも撫でようとしたが
「んぅ…」
パシッ!
「何故じゃ!?」
「寝ていても駄目なのだな」
「日頃の行いのせいね」
「これは予想通りです」
寝返りのついでに手を払われてしまった。これには流石の蛇神も驚きと動揺が隠せなかった。そんな彼女の姿が珍しかったのか、三人が笑いながら彼女に追い討ちをかける
「我はそんなに嫌われるようなことをしたか!?」
「したんじゃないの?まぁ本気で嫌ってはないでしょうから安心しなさい」
「ふん…生意気な奴じゃ…」
不満そうな顔をしながらも、自分に反発するくらいに成長した彼を見て、ヤマタノオロチは少し笑う。自分に脅されて泣いていたあの頃の面影は、今の彼には殆ど見られない
そんなやり取りを見ていたキングコブラとジェーンの表情は晴れない。寝ている彼を前にして、心が更に締め付けられていた
「考えていること、顔に出てるわよ?」
「「…えっ?」」
「何を言ってあげたらいいのか、次に会う時にどんな顔をすればいいのか。そんなところかしら?」
考えを見抜かれていて驚く二人。そう考えてしまったのは、彼と過ごしてきた時間の中に少しばかりの曇りがあったからだ
キングコブラは無理矢理ついていったことと、砂漠でのことを思い出していた。彼が拒否した理由と、寝言で呟いていたことの意味が分かったから
ジェーンは遊園地のことと、自分達のお願いのことを思い出していた。彼が言葉にしなかった本当の理由と、役者を拒否した理由が分かったから
「その気持ちは分かります。ですが、貴女達にはこれからも彼の傍にいて、いつも通りに接してほしいのです。それがコウにとって一番嬉しいことでしょうから」
「そんな深刻そうな顔しなくても大丈夫よ?この子は言っていたわ、二人にはとても感謝してるって。だからこれからもこの子のことよろしくね?」
コウは旅の話を、ここでの生活の思い出を楽しそうに話していた。そして、とてもお世話になった人物に、二人の名前を出していた。だから、そんなことは気にしなくていいのだと伝えた
「…わかった」
「…わかりました」
何をすべきか、何が出来るのか。その答えは難しいことじゃなかった。楽しい思い出を一緒に作る。それだけで、彼は幸せを感じられるのだから
「それと…頑張りなさい?他の子に取られたくなければね?」
「「うっ…///」」
彼は他のフレンズとの交流も多い。そうなれば、二人と同じ想いを持つ子が出てくる可能性もある
からかいながらも応援するキュウビキツネ達に、二人は顔を赤くして、強く頷くのだった
─
「んぅ…」
「あら、起きた?」
随分長く寝てたみたいだ。外はもう暗くなっている。彼女の膝の上にまだいるってことは、ずっとこの状態だったのだろう
「…色々と、ごめんなさい」
「いいのよ。少しはスッキリした?」
「はい…ありがとうございます」
やっと、前を見て進める気がする。パークを旅して、皆に出会って、山でヘルと戦って、思い出を取り戻して、自分を取り戻して
あっという間の日々だった。過去を思い出しては暗くなったり、驚きの連続で心がざわついたり忙しかったけど楽しかった。それは紛れもない事実で、消えることのない、忘れることのない、大切な思い出
過去は変えられない。だけどこれからは違う。俺はもう一人じゃない。あの時の『大丈夫』という言葉は、決して嘘じゃないのだから
「さて、質問の続きをするわよ」
「えぇ…まだやるんですか?」
「その為に呼んだって言ったでしょ?」
まぁそうなんだけどさ…。間髪入れずにとは恐れ入った。俺もこれくらいの切り返し力を持つべきか?
「そんな顔しなくても大丈夫よ。これで最後にするから
今たぶんって言ったぞ!?だが俺のキュウビ耳はハッキリとその言葉を捕らえた!残念だがこれで最後にしてもらうからな!
さぁ、その最後の質問とやらを──
「コウは、あの子達のことが好きなの?」
──はぇ?
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