視えた人
佑佳
鶏頭のナタ
これは、とあるマンションの管理人のおじさんから聞いた話。
当時九才の
正吉は二年前から三歳下の弟と同じ寝室で眠るようになった。正吉は床に寝るのが好きだったので、毎日自分で布団の上げ下ろしをしていた。弟は、父親の同僚から貰った木製のベッドを利用していた。
その日は夏休みも終わりかけた暑苦しい夜で、夕飯のあとに食べたスイカが効いたみたいだ。正吉は用足しに目が覚めた。
ゆっくりと起き上がると、汗が滲んだ五分刈り頭をザリザリとさすって暑さや寝苦しさを実感した。そして、目を擦りながら扉の前まで向かおうとすると、誰かが階段を上ってくる音が聴こえたのだ。
(親父かな?)
特に理由もなかったが、正吉はふぅっとそう考えて、耳をそばだてた。
(でももし親父なら、今寝転がってなかったら怒られるかも)
改めてそう考え直し、渋々布団へと体を向けた。
しかしどうしても尿意には勝てず、ドアへともう一度振り返った。
木製の薄いドアに申し訳程度にくっついているノブへ触れる。父親を驚かさないように、敢えてガチャリと音をたてて扉を引いた。
そこに立っていたのは父親ではなかった。
薄い灰色のスーツを着て、全身返り血にまみれた知らないおじさんが居たのである。
右手にナタ、左手にズタボロの通勤鞄。上だけ黒い縁がついた厚みのある眼鏡をかけて、しかしその瞳は見えなかった。
口を薄ぼんやりと開けて、呼吸音も一切しない。
そして何より膝から下が無かった。まるで霧がかかっているかのように、映像化出来ていない。
ナタには血や髪の毛がベットリとくっついていて、たった今誰かを殺してきたかのようだったのである。
正吉はヒイッと息を呑むと同時に「幽霊だ」と思った。
なぜなら、四才の頃から『視える』からだ。
正吉はその幽霊から目を逸らせずに、ガクガクと震える右手で幽霊の後ろを指差した。
「窓から、出られるよ」
正吉はなぜそんなことを口走ったのか、後に考えても全くわからなかった。気が付くと、口が勝手にそう言っていた。
幽霊は正吉の言葉にガクンと頭を垂れると、そのまま何かに引っ張られるように、スーっと後ろへ下がって行った。
幽霊の下がった方向には窓があって、その窓は夏場の蒸し暑さを逃すために開いていた。
壁も何もかもをすり抜けたように、気が付くと幽霊は窓の外に居て、次の瞬きをするとすっかりと消えていた。
正吉はヘナヘナとその場に腰を抜かし、ドアにもたれ掛かった。
尿意はすっかりと失せていた。
翌朝。
正吉は祖父にその話をした。
祖父は、「それは前の住人だ」と言った。
正吉一家が住む前、この古い家は事故と殺人があった場所だったらしい。幽霊が持っていたあのおぞましいナタ、あれは当時鶏小屋で使われていたナタだったのだ。
そこまで聞いて、正吉は続きを覚えることをやめた。九才が聞くにはあまりにもおぞましい内容であったからだ。
その後、その年の冬になる前に正吉一家は引っ越しをした。
あの幽霊には、以来会っていないと言う。
嘘みたいな、真夏の話。
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