君の胸を守りたい
比呂
第1話 僕たちの冒険はこれからだ!(最終回)
さて、僕が意識を取り戻してから幾年月の時を経たのだろうか。
寝ぼけていた期間が長すぎて、少しも生まれ変わった気がしない。
どうしてこうなった、と思い出すには、諸事情により憚られる。
個人情報は保護されているのだ。
僕は、扉の奥から聞こえる足音に気付いた。
恰幅の良い壮年の女性が、不機嫌そうな顔で現れる。
「ったく、遅れちまったよ」
「やあ、おはよう。今日は休業日かと思った」
「はんっ、朝からうるさい『布きれ』だねぇ。今日こそ売れちまうことを願ってるよ」
横目で睨まれたあとで、はたきで埃を振るわれる。
僕は『布切れ』なので、効果は無い。
それよりも、暇すぎて何もすることが無いので会話して欲しい。
「そう言わずに、話し相手になって欲しいんだけど」
「嫌だね。……はぁ、あんたなんか買うんじゃなかった。こんな寂れた街に珍しく流れてきた『法具』だからって、大枚叩いて仕入れるんじゃなかったわ」
「それは僕の所為じゃないと思うんだけど」
両手があれば肩も竦めてみせるんだけど、生憎と肩も腕も存在しない。
この道具屋の女主人に同情しないこともないが、使い方の確認もしないで『法具』を買ったのは誰ですか、と言いたくもなる。
この世界では、特殊な能力を持った道具は『法具』と呼ばれ、さらにその上、知性のある『法具』は――――『真理の欠片』と名付けられている。
『真理の欠片』は博識で、様々な魔法の知識や技術を伝えてくれるらしい。
けれど、そんなものを僕に求められても困る。
遠大な知識など、僕には無い。
まあ、道具屋に売られるくらいだから、僕は必要とされなかったのだ。
それがいいと、自分で納得している。
「ところで、僕は幾らで買われたのかな?」
「……うるさい」
もう一度、はたきで振るわれてから、女主人が口を閉ざしてしまった。
こうなると、今日一日は話しかけても無視される。
これ以上話しかけると、面倒事しか起こらない。
未だに僕が喋る雑巾と成り果てていない理由は、ひとえに『法具』として仕入れた金額のお陰だ。
僕は商品棚の上から、店先を眺めた。
行き交う人の顔触れは、割と変わらない。
農作業に出るお爺さんから、家業を手伝っている青年、と見慣れた面子である。
たまに見慣れない者がいるとすれば、それは大抵が冒険者だった。
そして今日も、革のマントを羽織った冒険者が、ふらりとこの道具屋に立ち寄ってくる。
目深なフードを取ると、まばゆい金髪を覗かせた。
深い色の碧眼は、とても思慮深いものを感じさせる。
見た目は年若い少女だが、その顔には右頬に大きな火傷の跡があった。
いずれ知らぬ戦乱で負ったのか、冒険の旅の末に受けたのか、原因は定かでない。
ただ、これほどの傷を跡形もなく治すには、教会の司祭へ大量の金貨を積む必要があるだろう。
道具屋の女主人が、憐れむように言う。
「何だい? お嬢ちゃん」
「ふん、いいからポーションを出せ。3本だ」
対する女冒険者の態度と言葉遣いは、尊大であった。
これに驚く女主人だ。
「っ。……まあ、あたしもこういうことは言いたくはないんだがね。『顔は』可愛いんだから、もっと愛想よくした方が得だよ、お嬢ちゃん」
言われた通りに回復薬を用意するが、顔の笑いは引きつっていた。
営業スマイルが保てていない辺り、それなりの怒りをため込んでいる模様。
顔は、と強調して皮肉を言って反撃するのだから、女主人も負けん気が強い。
そして、劣らず女冒険者も黙っていなかった。
「貴様は余計なお世話まで売り物にしているのか? だったら金額を言え。倍の値段を払ってやるから黙っていろ」
「この―――――」
道具屋の女主人が顔を赤くして怒鳴りかけた。
持っていた回復薬を投げつけようとまでしている。
流石にそれは不味い。
相手は少女の冒険者とは言え、戦闘を生業にしている者だ。
少女だからこそ、それなりの修羅場を潜ってきているだろうし、彼女の瞳には仄暗いものが浮かんでいる。
「へいっ! そこの少女! 僕を買わないかい?」
「…………何?」
腰の剣を抜こうとしていた女冒険者が、その手を止めた。
棚上にある僕を睨みながら、訝し気にこちらを睨む。
「喋る、布――――『真理の欠片』か。こんな道具屋に?」
「こんなは余計だよっ」
女主人が興奮しているが、ここで彼女に喋らせていては会話に入り込んだ意味がない。
「まあまあ、別に僕が何処に並んでいてもいいでしょ。布だもん。それより、ここで剣を抜くのはやめておいた方がいいね。ポーションを買うくらいだから、これから仕事じゃないの? この街にだって衛兵はいるからね」
「剣、だって?」
すぐに女主人の顔が青ざめた。
相手の職業を思い出したのだろう。
女冒険者も、面倒そうに息を吐いて、腰にやっていた手を戻す。
「ここで騒ぎを起こすのも、つまらんことだ。しかし―――――貴様、面白いな」
「そうかなぁ?」
「いいだろう、買ってやる。値段は……銀貨五枚? 格安だな」
女冒険者の嗜虐的な瞳で見つめられては、あまり良い未来は描けない。
っていうか、銀貨五枚だったのかよ。
バーゲンセールもいいとこじゃないか。
そんなに僕に居なくなって欲しかったのか。
『法具』なら最低金貨十枚からスタートだとか、ここの女主人が言っていた気がするんだけど。
「おやおやおや、すまないねぇ。それは昨日までの値段だよ。今日からその『法具』は金貨百枚さ。払えるものならどうぞ、お嬢ちゃん」
ここぞとばかりに大きく出る女主人だった。
いや、あんた、嫌がらせにしてもわかりやす過ぎるだろう。
「ふん、下らん」
対する女冒険者が、胸元から拳大の革袋を取り出した。
それを女主人の前にあるカウンターへ転がす。
口紐の解けた革袋から姿を現したのは、透き通った輝きを見せるレッドクリスタル。
その紅色の見事さから、別名を『鮮血水晶』と呼び、貴族の間で高く取引されていた。
この塊であれば――――金貨百枚を超えて余裕がある。
女冒険者が、殊更に頬を歪めた。
「言い値だぞ。この『法具』は貰っていく」
「あ、え……」
女主人がレッドクリスタルと僕を見比べて、右往左往していた。
グッバイ、道具屋のおばちゃん。
最後にあなたの命を守れたことが思い出さ。
「ちょっと待ちな」
女主人が、真面目な顔をして言った。
商品棚から僕を持ち出して小脇に抱えた女冒険者が、詰まらなさそうに言う。
「今更惜しくなったのか?」
「あたしも商売人でね――――ほら、ポーション三本持っていきな。あと、返品は効かないからね」
「…………」
差し出された回復薬を、無言で受け取る女冒険者だった。
フードをかぶり直し、腰元の道具袋へポーションを詰めて、道具屋を出る。
少し歩いたところで、小脇に抱えられた僕へ言う。
「それにしても、こんなところで出会えるとは思ってもみなかったな」
「へ? どこかでお会いしたことがありましたっけ?」
布切れの記憶をいくら探しても、この女冒険者とは会ったことは無いはずだ。
しかし、彼女が言う。
「ああ、貴様は知らないだろう。そのときの私は、まだ小娘だったからな」
「いや、今でもまだ充分、可愛らしいお嬢さんに見えますけど?」
僕がそう言うと、鋭い目で睨まれた。
次に、乾いた笑いを浮かべられる。
「無理もない、か。私のこの姿は、『呪い』だ。肌に刻まれた火傷と共に、私の魂を汚している。本来なら、もう少し背も高く、胸も大きく成長していたことだろう」
「成長しないとか、マジっすか」
「マジだ。そして、私は見た。世界最高の剣士『白華』の持ち物だな、貴様」
「…………布違いでしょう」
急にそんなことを言われても、困る。
個人情報保護はどうなった。
こんなことなら、道具屋の女主人と掛け合いしている方が良かった。
散々な思いをして逃げ出してきたのに、またこれか。
僕の思いなど知らずに、女冒険者が語る。
「国喰いの魔獣を斬り殺し、幾多の伝説を作った剣士が、唯一手放さなかった私物――――それが貴様だ。見間違えるものか」
「いやちょっと待って。僕の話を聞いてくれ」
「そして――――『白華』はとある『法具』を失い、狂乱した」
「…………」
重苦しい雰囲気が漂う。
その話は、僕も知っている。
いや、知りすぎていると言った方が正しいか。
ならば、伝えるしかないだろう。
「それは、違う」
「ん? 認めるのか。その『法具』こそが貴様であると」
「そんなことはどうでもいい。それより、彼女は失ったんじゃない。僕が彼女を支えられなくなった――――それだけのことだよ」
「何を言っている?」
女冒険者が眉を寄せたとき、先ほどまで居た道具屋の店先が吹き飛んだ。
何事かと彼女が振り向いたところには、着物を着た女が立っていた。
長い黒髪を垂らし、充血した双眸は見る者を委縮させる。
手に持つは五尺あまりの大太刀で、鞘は無く抜き身だ。
そして――――何よりも目を引くのは、着物の胸元からはち切れんばかりに零れだしそうな双丘である。
「あたしの『白竜王』、見ぃつけたぁぁぁぁぁぁっ」
「お、あ、ええ、『白華』?」
途端に慄く女冒険者であるが、そんなことに構っている暇はない。
確かにあの黒髪女は、地位も名誉もあって、剣の腕は人類最高峰。
しかし、僕にはもう、何もしてやれんのだ。
兎にも角にも、逃げるしかない。
「おい、金髪少女」
「な、なんだと、布風情が! 私を誰だと――――」
「いいから僕を、胸に巻け」
「――――はあ?」
ゴミを見る目つきで睨まれた。
ちょっと癖になりそうな心地良さだが、堪能している場合ではない。
「ここいらで、『世界最高の剣士と互角に戦った』って称号は欲しくないか?」
「それと何の関係がある!」
「僕を胸に巻けば、その称号が手に入る。それともここで、むざむざと僕を奪われる気かい? 折角、あれだけの投資をしたんだ。冒険者として稼ぎなおすのは辛いだろ」
ただの『法具』を買うには高すぎる代償だ。
失うには惜しすぎる。
僕も、こんなところで捕まるわけにはいかない。
「なぁにを言っているのぉぉぉぉぉぉぉっ」
大太刀を振り上げた白華が、薄笑いを浮かべてこちらへ歩き始めた。
既に彼女の間合いに入っている。
それでも白華が斬り込んで来ず、様子を探っているのは、僕がいるからだ。
警戒している。
間違いなく。
「早くしろ!」
「そう言われても、巻き方がわからん!」
自棄気味に叫ぶ女冒険者だが、言われてみれば確かにその通りだ。
説明してやる必要がある。
「まず服を脱げ」
「出来るか!」
おおう、なんてこった。
それじゃあ、あの剣の申し子と互角に戦うなんて出来ないぞ。
オーケイ、わかった。
力は出ないが、これしかない。
「僕を胸元に突っ込むんだ。必ず素肌に触れさせるんだぞ。それしかない」
「この変態が!」
そう言われて、ちょっぴり喜びで心が震えてしまったが、後で味わうことにしよう。
あと一歩、白華が進むだけで終わりだ。
僕には血潮さえ触れさせない技量で、女冒険者の腕が斬り落とされる。
「いいから、やるんだ。僕が君を守る」
「あ、ああ、ああああああ、わかった! やればいいんだろ!」
白刃が煌めく。
僕は全力を振り絞る。
僕の最大の能力は、『能力増強』。
何も持たなかった少女を、世界最高の剣士まで辿り着かせた御業。
甲高い金属音の後に、刀を振り下ろした白華が言う。
「ねえ――――戻ってきて?」
「だから言ったろう。僕には無理だ。僕にその胸は――――支えきれない」
白華の胸元が、大きく揺れる。
僕が巻き付いているには、窮屈すぎる代物だ。
形だって崩れてしまう。
それは女性の至宝。
大切にしなければならない。
共に艱難辛苦を乗り越え、友誼を得た同志であったとしても、これだけは譲れない。
「なあ。僕とは違う、立派な胸当てを用意して貰えよ。それがお互いのためさ」
「あなたじゃなきゃダメなの!」
「……何をやらされているんだ、私は」
振り下ろされた大太刀を、自前の剣で防御している女冒険者が苦い顔をして呟く。
ああ、うん、君の気持もわからんでもない。
だから僕は、目の前の最愛だった人に、別れを告げる。
「僕には、新しい人がいる。わかってくれとは言わない。でも、君の幸せは祈ってるよ」
「いやあぁぁぁぁぁっ」
世界最高の剣士、白華が泣き崩れた。
女冒険者が、その隙に立ち上がる。
その顔は、どうにも優れないでいた。
「これが、白華?」
「あ、そうそう、金髪少女。今のうちに逃げよう。間違ってもあいつに殺気とか飛ばしちゃ駄目だからな。反射で斬り飛ばされるぞ」
「…………」
何とも言えない顔をした女冒険者が、踵を返した。
歩き去る彼女の背後に、白華の悲哀が投げかけられる。
「ねえ、どうしてあなたなの! どうして、どうしてぇぇぇっ」
「………………」
女冒険者は、早足になった。
今すぐにでも逃げ出してしまいたい気分は、物凄くわかる。
こうして、僕らは旅に出た。
これから色々と、冒険が待っていることだろう。
きっと、言葉で言い表せないほどの経験をするだろう。
でも、約束した。
僕は君の胸を守り続ける。
支えられなくなる――――その時まで。
君の胸を守りたい 比呂 @tennpura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます