第十一話

 会議が終了すれば、今も前線で指揮を執るスメルス以外の人員には、特に目立つ事案はなくなる。これが十五年前のように、前線へ赴けばまた変わるのであろうが。

 南極大陸には何もない。ただ、寒々とした銀白色の大地が全てを無に帰す。漂白された大地の上では、人間的な如何なる意志も無力だ。

 ブレイナンは、何もしないということが好きだった。

 有体にいえば、戦いから身を離すことに安堵を覚えているのかもしれなかった。

 そんな彼女がすることといえば、紅茶を啜りながら記録アーカイヴしてあるあらゆる書籍データを読むか、半ば地表に頭を出している耐爆格納庫へ赴いて、乗機であるアレースの調子を見るかだ。

 時折、前線の一部隊を任されることもある。大抵はPGTAS機上からの統率となる。横浜港の部隊も彼女が率いていた。人類と違い、勝つこと以外を目的としつつ勝利することを意識する戦闘は、生半可な指揮能力で為し得るものではない。その戦闘方法、戦術の動機でさえも、人類の価値観とは相克を為していると実感する。

 鼻歌混じりに、などと言うことも無い。口ずさむ旋律など、彼女は知らない。心を潤す素晴らしい物語も、苦渋を感じさせる冒険譚も、はたまたいち個人の随筆でさえ、彼女には他人事としか思えなかった。

 今日は格納庫へやってきた。軍装のまま、小型の四脚歩行機が人型であるアレースへと群がる様を見つめる。

 小さな虫が全身に張り付いている人間を思わせるこの光景は、微かに嫌悪感を湧き上がらせた。

 胸中に蟠った鬱屈とした感情をどう扱えば良いかわからず、しかし所在ないのも確かな彼女は、そのまま立ちすくむしかない。アレースの整備が終わるまで、一部始終を見つめ続けた。そしてやはり、この機体の独特なシルエットが目に焼き付いてしまい、僅かに視線を逸らすだけで影送りのように外壁に幻覚が漂った。

 細い脚部。胸部はコックピットが納まっているために、やや大きく見える。背中には動力源であるパワーコア。非科学と超科学の融合とも言うべき、現代の人類には扱い切れぬであろう出力を発揮する永久機関。ある概念を燃やして駆動する、深紅の巨人。

 まるでわたしだ、と彼女は思う。豊満な胸の上に右手を置き、吐けば白くもない吐息が物憂げに中空へと掻き消えた。居住区に比べても尚寒いが、それ以上に彼女の呼気は虚しかった。

 そうしてまた幾許かの時を同じように過ごした。整備を終えたアレースの周囲から蜘蛛形の整備無人機がぞろぞろと降りてきて、頭上で重々しい駆動音が響く。

 巨大な鎖がアレースに巻き付いており、これで保護液の液面に出されていた機体が沈み始め、アレースは青白く光り輝く保護液の中へと沈んでいく。特殊合金製の外殻装甲板を保護するために、機体の動作を司る中枢演算素子を組み込んだ頭部を残して、全身が液体の中へ漬け込まれた。

 機体が沈み切ると波打つ液面もそのままに、タラップがスライドして現れた。頭部、あるいは胸部にあるコックピットに搭乗するためのものだ。

 ブレイナンはふらりと足を踏み出すと、かたり、かたりと靴音を金網に響かせて、人の物とは比べるべくもない大きさの頭部に相対した。無機質なカメラアイが彼女を見つめ返す。レンズの中に自分の豪奢な金髪を見出した。

 盛り上がった、流線型の美しい襟の上まで歩み進んで、朱色の冷たい鉄塊に掌を押し付ける。

 即座に、手汗で濡れた皮膚が機体に張り付く。瞬間的に汗が凍結するためだ。装甲板と掌が一体となり、激痛が彼女の右腕を包み込む。僅かな身じろぎでさえ敏感に反応し、皮膚が裂けそうになった。

 こうしてまでも、自分は彼女と同じ存在にはなれない。ブレイナンは、自分自身、命というものが背負う永遠の孤独を思い知る。

 十五年前。まだ目覚めたばかりで、目の前の争いに集中できた自分ならば、ここまで感傷的にはならなかった筈なのに。神経接続で得られる、機体との一体感を思い出す。たとえ、脳も神経も、全てを同じものにしたところで、何かと同じものになど、有り得ない。

 当たり前の事実だ。だが、だからこそ悲しい。万人に共通する事柄であるという一事だけで、挫けそうなほどに心が軋む。

 だから。

 だから、彼らはあそこまで争うのだろうか?

「あなたは、燃え盛るあの港を見た時、何を感じたの?」

 問いは冷たく響き、彼女の鼓膜のみを打った。





 スーダン共和国はアフリカ大陸北東部に位置している。エジプト・アラブ共和国の南に接し、九ヶ国と国境を接する大きな国だ。

 典型的なサバンナ気候で、暑い。赤道が国内を縦断している。真上に仰ぐ太陽は影さえも滅して久しい。

 別の意味で燃え盛っている国土もある。独立した南スーダンでは民族紛争が激化し、多くの民間人が貧困と飢餓に苦しんだ傷跡を生々しく残している。国連からの退避勧告が出ているものの、文化的に同じ人類ですら宇宙人のように感じる現地民が、黒い軍隊の話を聞いて住み慣れた家を放棄することはなかった。

 今も国連軍の兵站部隊を襲撃する部族が後を絶たず、常に自動小銃や拳銃で武装を余儀なくされている。それでも情け容赦ない国連軍の反撃に辟易しているのか、彼らが実害となることはほとんどなかった。

 アフリカ戦役における黒い軍隊の主戦力は、第一次侵攻終了時からまた北進し、今はコンゴ民主共和国、コンゴ盆地のサロンガ=スッド国立公園付近に集結している。

 戦線に万遍なく戦力は分散されているものの、この広大な盆地の周囲には広大な森林が広がり、ここから東部方面には交通の要衝である都市、キサンガニへ通ずる幹線道路が存在する。

 特に重量のある陸上兵器類の運用が難しいこの地で、幹線道路は迎撃に最適な防衛線として機能していた。国連軍はここから西へ向けて警戒線を敷き、大型の無人偵察機や小型のドローンなどを用いて、いち早く敵を迎撃できる姿勢を取っていた。

 第二次侵攻開始当初は攻撃の手が休まることは無かったが、両軍は兵力の補充と補給のために、現在は一種の小康状態へと移行している。だが、この状態も三日と続きはしないだろう。それが国連軍アフリカ戦役前線司令本部AFCHQの見解だった。

 アフリカにおける黒い軍隊抑止を行う活動母体は、実際に侵略を受けているコンゴなどの当事国を別とすれば、このAFCHQが人類側の主要戦力として機能している。内部には各国の、主に陸空将校で構成される参謀本部が置かれ、彼らの指揮に従って実に多彩な国家軍隊が一丸となって戦闘行動を行い、黒い軍隊へと対抗している。

 AFCHQの指揮下には、多国籍部隊が四つの管轄軍に収められている。

 第一管轄軍は西アフリカを担当する、EUなどの超大国の戦力を抜きにした構成だ。第二管轄軍はイスラエルなど、北アフリカ諸国の戦車部隊が中心となって構成されている。担当は南スーダンで、もっぱら後方防御と兵站輸送に人員を割かれていた。

 最後に安保理主要国の舞台で構成される第三管轄軍が数的主力と言えた。こちらは東アフリカ、及び中央アフリカを担当しており、黒い軍隊の侵攻する可能性が最も大きい地域をカバーしている。

 他に第四偵察軍という、各軍団での偵察活動を担当する軍団がある。その中で、アフリカ派遣戦闘群は第三管轄軍指揮下で戦うこととなる。





 十一月三十日。スーダン共和国ハルツームに、ひとつの戦闘部隊が集結した。

 白く染め抜かれた布地に、赤い円をひとつ穿ったこの国旗が、アフリカ戦役へと姿を現すのは初めてのことである。

 雲ひとつない青空。薄い水色絵具を塗りたくったこの天井の下、白銀の巨人が闊歩する。その数、四。他に、三十二機のオリーブドラブ塗装を施された鉄人が八機ずつ向かい合って並び、滑走路脇で跪いていた。

 白い四機は格納庫にほど近い位置、二列中央端まで歩くと、内側を向いて同じように膝をつく。同じ金属の人型兵器であるはずが、その動きは目を見張るほど滑らかで、正に人間のように自然な”仕草”であった。

 どの機体にも例外なく日の丸が描かれ、一目見てわかるシンボルとなっている。

 日本国陸上自衛軍の部隊だ。

 ハルツーム国際空港。アフリカ戦役勃発直後から拡張工事が行われ、三千メートル級滑走路が三本、二千メートル級滑走路が二本、複雑に入り乱れながら存在している。

 高度に先進化された管制システムや車輛、機体が多いのは、もちろん、アフリカへ搬入される軍事兵器の輸送などで利用されるためだ。現代において、軍事は何事よりも優先される。

 ここに、日本国自衛軍アフリカ派遣戦闘群、PG科部隊が勢揃いしていた。

 滑走路脇の格納庫では、他にもアメリカ、ロシア、中国、ドイツ、イギリスと、国連加盟国による増援部隊が、前線へ赴く旅支度を始めている。既に空自は一足先に、前線航空基地である、ケニアはナイロビ基地に向かった。多くの装甲車輛も船舶輸送によって、ウガンダのカンパラFB前線基地へと搬入されているという。カンパラにはAFCHQ参謀本部も所在し、正にアフリカ戦役の全権が集約される一大軍事施設として知られていた。

 だが、この鋼鉄の巨人はそうもいかない。

 PGTASの脆弱性は、その戦略機動性の低さにあった。

 自重百トンに迫るこの巨大兵器を輸送するには、タイヤ式の特大トレーラーでは小さすぎる。アフリカの貧弱なインフラでは、路面状況など期待できよう筈もない。かといって特大輸送機の手配も断念された。

 PGTASを分解せずに運搬するためには、絶対数が足りないのだ。ここからは自走しての移動となり、居並んだ兵士達はドライバースーツの上に出した顔を汗に濡らしながら、早くもアフリカの洗礼を味わっていた。

 気温三十八度。炎天下の中、額に汗を浮かべてPGドライバーたちが居並ぶ。アフリカ派遣戦闘群第二二一PG大隊長、巣鴨典久を筆頭に、精悍な面構えの男女が覚悟を胸に立つ。

「これより、自走による兵力輸送任務に就く」

 巣鴨の怒鳴り声が響く。PGTASは巨大ゆえに、横隊を作るだけで距離が開くのだ。

 そんな中、最も遠い位置にある、第一技術試験旅団第七PG中隊を、巣鴨は胡散臭げに睨み付けた。無論、巨人の足下に直立不動の姿勢で立っている四名には、その表情までを覗い知ることはできない。

 彼は安心して顔を顰めることにした。

(技術屋風情が、こんな戦地に何をしに来たことやら)

 巣鴨は角刈りの頭髪を掻きまわしたくなるのを堪えながら、灰色とは違う純白のドライバースーツをあてがわれた兵士を疎んじる。

 九十九里では勲功を立てたらしいが、ここはアフリカ。局地戦闘で足を引っ張られてはかなわない。あの概念実証機とやらがまともに動けばいいが、さて。

「各員搭乗。指示に従い、コスティ、マラカルを経てジュバへと向かう。これが今日一日の行程だ。休憩などは追って知らせる。以上」

 十メートル以上を挟んで隣に立つ副大隊長へ頷きかけると、彼が号令をかける。

「搭乗!」

 兵士たちは弾けるように行動を開始し、そのままワイヤースロープにしがみついてコックピットへと吊り上げられていった。





 半球形をしたコックピット内。現在の陸上自衛軍主力PGTAS、PG=21蒼天の角形ディスプレイとは異なるそれに、有沢琢磨はある映像データを表示した。

 画面には、汗だくになった一人の男性が写っている。巣鴨一佐だ。アフリカ派遣戦闘群の、PG科指揮官を務める男。彼の上官に当たる。

 経験と技量は自衛軍内随一という噂だが、実戦を経験していない新兵であることは疑いようがない。その意味するところは、つい先日のこの自分にも当てはまるのだが。その顔を有沢が拝もうというのも、一重に指揮官の緊張を嘲る意図に基づくものではなかった。

 HOTAS概念の取り入れられた操縦桿をリズミカルに操作し、中隊回線へとつなげる。既に出発から数分、巨人はやや小走り程度の巡航速度で進んでいく。一列のまま土の路面が剥き出しとなった、ハルツーム郊外を走っているのだ。

 道行く人々が、何事かとこちらを見上げて集まっている。野次馬は何処の国でもいるものだし、PGTASは、目立つ。黒い肌には馴染みが無いせいか、誰が誰との区別もつかない。見物するにも、さぞ騒音がやかましいことだろうと思う。

 申し訳なさも一入に、有沢は回線に呼びかけた。

「瑞光より各機へ。転倒に注意されたし」

<了解>

 純白の装甲板を、鮮血で汚すことは避けねばならない。

 自分たちは、彼らを守りに来たのだから。

「重ねて各機へ。全周警戒を怠るな。特にPHARを対空警戒監視へと移せ。目は空へ向けろ。敵が攻撃を目論んでいるなら、空からだ」

<こちら火燕。瑞光、本当に攻撃があると?>

「ある」

 鷺澤朱里からの問いに、有沢琢磨は即答した。

 中隊内回線が、緊張感を帯びた沈黙で満たされるのを肌で感じる。

 敵軍は百パーセントが無人兵器で構成される初めての軍隊だ。そもそも軍隊と呼んでいるのも、人類の持ち得る概念で他に呼び名がないからに他ならない。誰が、何のために、どうやって作りだしたのかも不明。そもそも南極大陸にあれほどの鉄鋼資源が埋蔵されていることも判明してはいなかった。

<ぼくたちは目立つ>日計洋一の声が響いた。相変わらずの指摘の鋭さに、薄い笑みを浮かべる。<蒼天ならまだしも、純白のカラーリングは目の敵にされるんじゃないかな>

<あら、どうして?>

「白は、黒と対局の色彩だ。なるほど、お前に詩人としての才能があるとはな、日計」

<恐縮です。なんにしても、警戒監視を行います。戦術データリンクは?>

「接続している……完了した。各機、MPD多目的ディスプレイを参照。留意されたし」

 一般に、現代戦闘は高度にネットワーク化された状態で行う。情報は各車両から歩兵視点まで様々なものが、このデジタル回線を通じて、戦場に立つ全員の手元に溢れる。通信衛星は高度にデブリと見分けがつかないよう擬装されており、地上から観測するだけでは位置がつかめない。黒い軍隊も、容易に手が出せていないのが現状だ。それはこちらも同じ条件であるが。

 誰がどの標的を狙っているか、どこにどんな敵がいるのか、味方の位置はどこで、弾はどれだけ残っているか……それらの情報を、指揮官が一瞥で理解することを目的として開発された。戦術データリンクシステムは、さらに起源を遡れば軍用艦艇のC4Iにまで遡ることができる。

 いつの時代、どの戦場でも、情報とは兵站の次に最優先されるべきものだった。

 優れた兵器を持っていても敵がどこにいるのかがわからなければ攻撃はできないし、いつ来るとも知れない敵を待つ防御にもいつかは終わりが来る。

 これは敵にも言えることで、敵がどのような武器でやってくるのか、その弱点は何か。はたまた、敵がいつから防御していて、疲労しきるのは何時間後になるのか。それらを推し量るためにはあらゆる情報が必要となる。

 そのため、戦術データリンクへの接続は、即座に巣鴨典久の知るところとなった。

 欠伸混じりに、上官と部下たちとの会話を聞いていた東雲南津子から通信が入る。

<蒼古より瑞光。二二からの呼び出しが入っています>

「繋いでくれ」

 即座に、苛ただしげな巣鴨典久の声が通信回線から放たれた。

<二二より〇七。有沢一尉、わたしの許可なく戦術データリンクを起動したのを確認した。貴隊が警戒監視態勢にある明確な根拠を述べてもらいたい>

 姑息な男だ。東雲を通すことで、この通信を中隊員へと聞かせていらぬ緊張感を与える魂胆だろう。

 フン、と鼻で笑う声が微かに聞こえる。有沢は破顔しそうになるのを辛うじて堪えた。

 まったく、権力志向者ときたら。そんな鷺澤朱里の声が聞こえてきそうだった。

 先ほどから開いたままの映像データを参照する。

 PGTASは動揺制御機構がAPCSと共に動作しているため、移動中でもコックピット内の振動はそれほどでもない。

 今表示しているのは巣鴨典久の顔だ。先ほど、瑞光に頭部の高精度カメラで撮影させたものだ。そのしかつめらしい面構えから察するに、概念実証機を運用する実験部隊、第七PG中隊を快く思っていないことは火を見るより明らかである。明らかに顔を顰めていた。

 これを判断するために彼を撮影していた。やはり、九十九里で共に戦った隊員以外の陸自部隊からの評価は芳しくない。前線にまで出張ってくる、鬱陶しい技術屋集団との評価は払拭されていないようだ。

 自嘲的な笑みが口元を彩る。情けない話だ。強大な敵を前にしても、人は、自分の持つ小さな偏見に縛られているらしい。まずは味方から知る必要があるとは。

<応答せよ、有沢一尉>

「黒い軍隊への索敵警戒行動です。わたしは自身の権限により、〇七全機へデータリンクを用いた早期警戒を指示しました」

<まだハルツームを出てから一時間も経っていない。ここまで黒い軍隊が飛んでくるとでも思っているのか>

「可能性は無いとは言い切れません。国連軍からも何も言われていない筈です。一千キロ程度なら、敵の無人戦闘攻撃機ならば悠に飛んでこれる距離でありますからして」

<その指示はわたしが出す。貴官は指揮系統を何だと思っている。即刻、警戒態勢を解け。スーダン領空は、ロシア連邦軍の地対空部隊も展開している。心配はない>

「了解しました、三佐」

<復唱しろ、一尉>

 ここまで当てこするか。不承不承な心情をおくびにも出さず、有沢は答える。「警戒態勢を解き、戦術データリンクも切断します」

<そうだ。くれぐれも命令に背くなよ。二二より、以上>

 ここがコックピットでよかった。有沢琢磨は心からそう思う。

 部下をこれほど愚かな戦場へ導かなければならないとは。その今の自分は、烈火の如く燃ゆる怒りを両眼に湛えているに違いないのだから。





「日計くん。湿布、貼ってくれない?」

 どこからか調達してきた、紙とも布ともつかぬ感触の一枚をふりながら、鷺澤朱里が歩いてきた。

 夜闇に紛れる彼女の黒髪も、周囲を淡く照らし出す灯火の前では薄く輝く。どこからともなく漂ってくる夕食の匂いは日本では嗅ぐことの無かったものだ。それも周囲を囲む低木が遮り、アフリカの自然があらゆる感覚から押し寄せてくる。

「いいよ。どこに貼ればいいのかな」

「お尻」

 マグカップを地面に置いて立ち上がった日計は呻いた。青年は額を手で抑えながら歯を食いしばる。

「鷺澤、ここはアフリカだぜ? いくらオートドライバーがあるとはいえ、十時間以上も座り続けたのは、確かに辛いけども」

「女の子にはいろいろあるのよ。だからホラ、そこの暗がりに行って――」

 笑い声が聞こえる。同じく、火を囲んでいた東雲南津子が口元を手で覆ってころころと笑っていた。肩が震え、長い黒髪はドライバースーツの開いた胸元にかかっている。

 その隣では、何やら難しい表情で携帯端末を覗き込んでいる有沢琢磨の姿がある。誰しもがドライバースーツ姿だ。体の輪郭のよく出るこの服装は、当然ながら、思春期の男子が身に着けるには様々な弊害がある。初めに着こんだ時には、顔が赤くなって声も出せなかった。

 傍らの大きな石の表面をグローブで払い、そこに鷺澤が座った。彼女の汗のにおいが風に乗って流れてくる。

「暗がりに行って、どうするんだよ」

「そりゃもちろん」

 人差し指を唇に当てて見せる彼女へ、目玉をぐるりと回して見せた。

「こんなところで何を言ってるんだ」

「えー。わたしのこと、嫌いぃ?」

「そういう面倒くさい猫かぶりはやめてくれ」

「ホント、日計くんって男子として問題あるわよね。フツー、女からの誘いを断るかしら。据え膳食わぬは何とやら」

「時と場所を弁えろって話だよ。そんな節操のない真似はしたくない」

「だから暗がりに行こうって言ってるんじゃない」

 執拗に駄々をこねてくる彼女に辟易して、上官に助けを求めることにした。

「東雲さん、何か言ってやってくださいよ。この暑いのに、こいつときたらしつこいったらありゃしない」

「どういう意味よ!」

「ええ、わたし?」傍観者から当事者に変わり、彼女は不服そうだった。「朱里ちゃん、あからさまなアプローチは、こういう朴念仁には逆効果よ。特に日計君みたいなむっつりは――」

「むっつりだなんて、やめてくださいよ。ぼくは普通人です」

「へえ、そうだったんだ」

 棒読み加減で言う彼女へと、思い切り顔を顰めてみせる。本心から不快感は感じてなど、もちろんいないが、特に大げさなリアクションをすることはこちらにとっても負荷軽減だ。東雲はまた笑い、鷺澤も照れ臭げな笑みを零す。

 恥ずかしいならやめればいいのに、とは言わないでおく。どうせまた、オンナゴコロがワカラナイとかなんとか揶揄されてしまうのだ。

 白銀の巨人四機が、向かい合って跪いている。どの機体も右手を差し出すようにして、関節をロックしてあった。中央で集まった掌には防水帆布が広げられている。簡易式のテントは非常に過ごしやすく、サバイバルキットから調達した火打石や戦闘糧食が大いに役立った。

 巣鴨一佐が言うには、兵站関係の手配が間に合ってなかったのだという。各基地に物資があってもそれを運搬する補給部隊が手一杯らしい。これは国際的に日本が微妙な立場で置かれていることも関係していると東雲は言う。少なくとも、自分達だけが蚊帳の外に置かれているのではないと知り、日計は安堵した。

 病的な危惧であったことは認めるが。

 紫雲は疫病神なのだろうか。日計は機体を見上げ、その前後に細長い頭部を見て考えを改める。疫病神などではない。自分は九十九里浜で、この機体に命を救われている筈ではないか。

 頼もしい相棒。前傾した人型は異様ではあるが、その風体に親しみを感じ始めている自分がいる。

「それにしても、シャワーが浴びたいな」額の汗をぬぐいながら、鷺澤が言う。「コックピット内は適温に保たれてるけど、スーツ自体がね。本当に吸汗速乾機能なんてついているのかしら?」

「どうかしらねぇ。どう考えても、自衛軍がアフリカくんだりまで兵士を派遣することを考えていたとは思えないけれど」

「どちらにしても、付随しているパットがなかったら、床ずれはもっとひどかったでしょう。東雲さんはどうです?」

「似たようなものよ」

 体に密着するため、ドライバースーツは吸汗性と速乾性に優れた素材でできている。化学合成繊維により、強靭さと利便性を備えた一着。だが体に隙間なく密着するその構造と、白く染め抜かれた上に黒いラインが刻み込まれたデザインからくる精神的疲労は、如何ともし難い。

 東雲も鷺澤も、着用時に閉める接合部を、首から胸元まで開いていた。軍服などは、日向道夫、花園咲、そして小林修一と共に、一足早く前線基地へと搬送されている。他に着るものもない。これも司令部の不手際だ。

 先が思いやられる中、日計は天幕の隙間から漏れだす満点の星空を見上げる。

 PG=22M、紫雲。全高十六メートル、重量九十八トン。

 第三世代PGTASである紫雲の整備には、現地の整備員たちを引き抜かなければならない。その交渉と指導、機密保全の契約が必要となった。場合によっては、日本本国から真崎宗和に助力を求めることも考えているのだそうで、実際に機体を取り扱って死地に身を置く立場としては、少しでも信頼できる人物に機体を預けたかった。

 アフリカの大地を、冷たい風が撫でていく。生真面目に着込んだスーツの首元に手を入れてその風を招き入れた。

 紫雲の多角的にカットされた機体デザインが美しい。頭部は前後に細長く伸び、PHARの微かな張り出しが頭頂部に四面。前面に寄って四つのカメラアイが存在し、赤外線、可視光の両方で外界の情報を三次元要素として取り込む。コックピットの後部を埋める戦闘情報統合システムに各種センサーからの情報が送信され、適切な統合処理が施される。座席の上下左右を囲む半球形のディスプレイへと表示。これにより、ドライバーは常に紫雲の頭部からの目線で操作することができる。他に、通信用の細々としたアンテナ類が後頭部からまとめて伸びていた。

 頭部ユニットが座するのは、同じく多角面に削り出された胸部。コックピットが納まるために、他の四肢とはスケールの違いを感じる。多重関節により柔軟な動作を可能とするため、腰部には梯子状の切り込みがあり、胸部に比べれば見るからに細い。これも前後へと長く、機体を正面から身えばほっそりとした痩せ型だ。

 他に目を引くのは、巨大な膝部。二軸の、蒼天より短く調整されたトーションバースプリングが、股関節の前まで伸びた膝の先端に突き刺されている。これは走行時の安定性を高めることを目的とする他に、膝関節部を守る装甲としても機能する。ここから、人間と比してやや大きい踵まで続き、設置時に足の裏にある小さな突起状のパーツがそれぞれに稼働することで、確実に地面を捉えて横転や横滑りを抑える。足首伝えられる百トンもの重量からくる衝撃は、全て膝に内蔵されているトーションバーが緩衝、受け止め、余波は各関節の油圧系統が吸収する。

 金属部品が多い故に激しい重心移動は、背部に装備されたウェイト・スタビライザーで打ち消す機構を採用。これを統括しているのがAPCS姿勢制御システムでもある。大きく背中から飛び出た、二重関節をひとつ持つこれが前後、または左右に稼働する事で、武装把握時、発砲時、高速走行時に重心を適切な位置へと制御する。蒼天と同じ形式で、スタビライザー自体の形状は大差ないが、可動部のアクチュエータの出力が高機動化に合わせて強化されていた。

 この純白の巨体が、黒い何かを切り裂くことのできる、唯一の剣だ。

 自分がこのアフリカへ立っているのは、一重に鷺澤朱里のためである。彼女と共に戦うこと。それが自分の意義だ。そのためにここにいる。日本から、家族から、大切な何かが詰まった故郷から遠い彼の地に。

 戦うことが戦う目的だとは。本末転倒も甚だしいとは思うが、本当にそうなのだから仕方がない。

 誰しもが沈黙する。地面に座り込み、移ろう時間を火を見つめて過ごす。炎の中に、誰が、何を見ているのだろうか。

 ふと傍らの彼女を振り返ると、その大きな黒瞳にも同じように揺らめく炎が映りこんでいた。

 黒い円の中で踊る緋色にしばし見とれながら、教練担当であった鉢塚二等陸曹の言葉を思い出した。

「炎は人を落ち着かせる。夜の炎は野獣を遠ざけ、人を暖め、闇を切り拓く。胸に炎を絶やすな。自分を燃やし続けろ。そうすれば戦える。闇は拓かれる」

 夜闇の演習場で、団結力強化の名目で野外炊飯睡眠実習を行った時のことだった。

 鷺澤の煌めく黒髪に目を走らせながら、自分の存在意義を再確認する。

(ぼくの胸の中には、愛情が燃えている。なら、黒い闇に覆われつつあるアフリカでも、恐れることは何もない筈だ)

 満点に輝く星空をふり仰ぎ、嘆息を漏らした。日本では、決して臨むことのできない夜空だ。地球上の、いち種族の存亡をもかけた大戦が些末事であると言うように、宇宙は輝きを送り続けている。

 幾度、人々はこの夜空に惹かれ、畏怖し、耐え忍んできたのだろうか。

 年甲斐もなく抒情的な感傷に浸っていた時、有沢琢磨が立ち上がった。

 いつもの沈着とした表情。だがその両眼は、警戒と憤怒の色を濃くしている。いかなる事態が生じたのか、三名の部下は、座りながら彼を見上げた。

「キサンガニ上空で、防空網をすり抜ける所属不明機の機影が確認された。カンパラFBから近隣の全部隊へ緊急警告が出ている」

「敵機の進行方向は?」

 東雲南津子も立ち上がる。若者二人もすぐに腰を上げ、上官の状況報告に耳を澄ませた。

「キサンガニから次に確認されたのが、ムンベレ北西だ。間違いなく、ここ、ジュバへやってくる。わざわざレーダーに引っかかるように進路を変更したりはしないだろう」

 有沢は、周囲にちらりほらりと見える露営の灯へと素早く目を走らせた。

 まだどの部隊も休息している。休憩時間にまでそうした情報に目を通す指揮官がいないのだ。人影は動く気配が無く、辺りに佇む蒼天の機影が、しゃがみ込んだまま星空の前にくっきりと浮かんでいる。巣鴨典久でさえも、遠くで部下と歓談している様が見て取れる。ここに敵襲は無いと弛緩しきっているのだ。定期的な状況把握で満足してしまっているのだろう。

 彼は難しい判断を迫られている。日計はその決断が降ることを覚え、気を引き締めた。

 何せ、さきほど巣鴨一佐から釘を刺されたばかりである。ここで独断での迎撃を行えば、第二二一PG大隊からの反発は決定的なものとなるに違いない。そして、アフリカ派遣戦闘群でPG科の指揮を執るのは巣鴨だ。有沢ではない。

 さすがに、上官にも迷いが垣間見えた。

「ハルツームから、ロシアの要撃機が緊急発進スクランブルした。だが接敵はマラカル上空となるだろう。それまでに、ここが被害を受けないとは限らん。そもそも、張り巡らされたレーダーを掻い潜ってきたのだから、高度なステルス装備を施されていると推測できる」

 日計洋一は襟を正し、一歩を歩み出た。

「準備を整えましょう。遠方からの長距離索敵では捉えられずとも、下方からのレーダー照射ならなんとかできるかもしれません」

 一般に、ステルス機は正面から受ける索敵レーダー波を受信部がある位置とは別の方向へ拡散する設計だ。黒い軍隊の機体でも原理は同様。下方からのレーダー照射は、いわゆる死角からの受信となるためにステルス能力は比較的低下し、敵機を捉えやすくなる。

 有沢琢磨の目を、刹那、逡巡が過った。しかし彼は頷き、決断する。

「仲間が死ぬより、余程いい。そう言いたいんだな、日計」

「はい」

 彼は片頬だけの笑みを浮かべた。即座にプロらしい無表情に戻る。

「第七PG中隊、ただちに搭乗。これより我が中隊は、飛来する所属不明機に対する要撃行動に移る」

「了解!」

「鷺澤、尻が辛いなら今の内に言えよ」

「それ、セクハラですよ」

 有沢は高らかに笑った。それがアフリカの初戦で緊張を解す彼の計らいだったのは、この場の全員が気付いていた。

 四人は敬礼を交わして散る。最も早く座席についたのは日計洋一。玉響の背面から垂れるワイヤースロープに右手、右足をかけ、そのまま五メートル以上を上昇。コックピットへと二段関節式のハッチを開いて足先から滑り込んだ。座席に座ると即座にベルトで肢体を座席に固定。

 身を捩って体の位置を調整しながら、両膝で挟むように設置されているMPD、その下からコンソールを引きだす。搭乗者と整備員しか知り得ない起動シークェンスキーを入力。中枢システムが立ち上がる。半球形のディスプレイが点灯。

 システム、起動エンゲイジ

 延髄近く、後方からケーブルが伸び、神経接続。微かな痛み。神経接続回路ニューロンサーキット接続オープン。全系統確認。油圧、電動、感知器、カメラ、マニピュレータ……全警告灯緑点灯オールコーションライト・グリーン。最後の仕上げにヘッドギアを装着、音声通信用のジャックを座席傍らの肘掛に突き刺した。

 感覚が機体の物にすり替わる。肉体が全長十六メートルにまで拡張され、あらゆるディジタル情報がアナログの感覚器官から感ぜられた。

 これが紫雲の強みである。これら「実感」をディジタルで補正しながら、機体を操作し、神経接続故に第二世代PGTASとは比較するべくもない細かい動作を可能とする。

 跪いた姿勢から立ち上がった。遠くで電動モーターの唸りが聞こえる。カメラアイをFLIR全周赤外線索敵装置に切り替えた。

 白と黒で強調表示された環境映像が出力され、操縦桿を両手で握り、五指を固定する指環にまで神経を張りつめる。遠くからは複合タービンの唸り。一般的なPGTASの戦闘行動時間は二十時間だ。紫雲の場合は十九時間ほどか。先ほど、燃料だけは補給しているから心配する必要は無い。

 戦術データリンクが接続された。外部からだ。瑞光を中心として第七PG中隊の各機が繋がる。MPD上に集中表示される戦術図、その青いアイコンは僚機を示す。十六機いる蒼天はオフラインのため、今は表示されていない。赤が敵軍、つまり黒い軍隊の無人兵器だが、今の戦術図には何も表示されていなかった。遥か遠方の敵機のいると思われる方向だけが矢印で示唆されている。

 広大な大地。近くには発展しているとは言い難い、軍事基地に囲まれたジュバの街灯が見えた。

 今日も人々が、貧しいながらも慎ましい生活を続けている。軍が中継地として使用しているためにゲリラなどの武装勢力は第一次侵攻後に排除され、ごく稀にテロ行為が発生する程度には治安が安定した。そうした平和へ向かう要因となったものが人類史上最大の戦争であることは嘆かわしい。

 そして、アフリカの大地で巨人が相対するは、敵の巨人ではなく航空部隊か。

 これがアフリカの洗礼。よりにもよってこの頭上を敵機が通過することになろうとは。

 瑞光が通信中との表示がされる。蒼古からだ。どうやら、早速お叱りを受けているらしい。ご苦労なことだ。しかし、頭の上から爆弾が落ちてくるやもしれないこの瞬間に、和気藹々と歌って踊るほど能天気ではいられない。

 程なくして、回線を有沢の飄々とした声が走った。

<待たせたな。巣鴨一佐より命令だ。要撃ではなく警戒活動に入る。全機、PHARを対空索敵へ。徒手のまま起立>

 操縦桿を起こす。純白の巨人が立ち上がると、四機で支えていた天幕の帆布が地面に落ちる。火燕が一歩を踏み出して焚火を踏みつぶした。

 突然の大音声に、周辺で暖を取っていた隊員たちが驚いてこちらを見上げる。白い人影が合わせて十七。その中で忙しそうに手を振り回しているのが巣鴨一佐だろう。

 好奇心に負け、彼へ向けて玉響の指向性マイクを差し向ける。操縦桿の所定のボタンを押し込むと、明瞭な声がコックピット内に響いた。

<――各機搭乗、準備をしろ。そう、戦闘準備だ。いいからさっさとコックピットにいけ!>

<しかし、一佐。あんな技術屋の話を鵜呑みにするのですか。おれ達は正式な軍人であいつらは――>

<情報の出どころはAFCHQだ。奴らはこれ以上というものがないほどの根拠を挙げたんだ。無碍にはできん。弁えろ>

<所属不明機でしょう? IFF敵味方識別装置の故障かもしれません。今日はもう疲労困憊しています>

<ごたごた言うな! 敵が来ているのは事実なんだ!>

 そこでマイクのスイッチを切る。呆れ返るとはこのことか。今、この頭上を、人を殺す意思を持った無人機が飛んでいるやもしれないのだ。いや、意志など無い。あるのは目的のみか。四の五の言う前に為すべきことがあろうに。

 人間とは違い、彼らは民間人と軍人を分けて殺すことなどない。人は人。まるで、その概念をこの地球上から抹殺せしめんとするかのように。

 そう、ここはもう戦場なのだ。人間であれば、抵抗しなくては殺される無慈悲な場所。

 ならば、抗うまで。

<〇七、これより命令実行。どうぞよろしく>

 有沢琢磨の一声で、各機がPHARをオンへ。平面で構成されたそれぞれがエネルギーを集中、長距離探査モードに入る。

 初期からのレーダーであるプレーナアレイ・アンテナは、複数の素子を並べた一枚のレーダー板を回転させる方式故に、リアルタイムでの索敵は一方向が限界だった。主に発信機と受信機が一体となった構造のこれを超小型化し、一枚の鉄板に数百を敷き詰め、索敵システムを構築、統合して多方向の索敵を同時に可能としたのがPHARフェイズド・アレイ・レーダーである。能動的に敵を探査するものはAESAと呼ばれる。紫雲はこれを四面、全周警戒をするにじゅうぶんなものを搭載していた。探知距離は最大で百キロ以上。これを四機分、あらゆる角度からのデータを統合することで誤差を修正、正確な座標を割り出す。

 ジュバの街、その灯を背中に背負う方向。方角にして北西方面に進むと、やや小高い丘がある。それほどの高さはないが、見晴らしはよく、レーダー波を遮るものは何もない。対空監視にはうってつけだ。

 それを見越してであろう、有沢が指示を飛ばす。

 四機は静かに移動を始めた。九十九里の砂浜とも、横浜のアスファルトともつかぬ剥き出しの大地。巨人の轍が深く残り、薄い林のような木々を薙ぎ倒しながら所定の座標へと動き出す。隊形は標準的なダイヤモンド隊形。

 これほどの喧騒に包まれつつも、夜空の静けさにはいかほどの変化もなかった。星々は依然として静かな瞬きを繰り返しており、人々は気付かぬままに生活を続けている。この平穏が続けば越したことはないのだが。

「瑞光、こちら玉響。住人の避難指示は?」

<不明だ。既にAFCHQから連絡は飛んでいるだろう。後は上の判断だ>

 彼らが一刻も早く逃げられる事を祈るばかりだ。

 二分と経たずに、四機の紫雲は目的地へ到達する。丘の上で互いに干渉しない菱形隊形をとり、戦術データリンクを通じて表示される所属不明機のアイコンを見る。

<捉えたわ>東雲が言う。<AFCHQ、こちら〇七二。未確認機アンノンを確認>

 程なくして応答があった。意外にも流暢な日本語である。声色からして若い女性か。

 AFCHQでは多国籍の言語が飛び交うため、各司令部には通訳顧問が配置されるという。その一人だろう、女性は形式通りの質問を繰り返した。

<こちらAFCHQ。〇七二、敵の位置を報せてください>

<AFCHQ、所属不明機はカランバ国立公園上空を飛行中。高度一万五千フィート、速力、およそ四百ノット。真っ直ぐにジュバを目指しているわ。正確な情報は戦術データリンクから抽出して>

<了解、確認しました。ロシア空軍の飛行隊が要撃に向かっています。そのまま警戒監視を続行してください>

<了解>

<聞いた通りだ>有沢が割って入る。<各機、現状維持。あとは空軍に任せよう>

 PGTASには、これといって対空兵装を搭載されていない。一四〇ミリ滑腔砲による狙撃には、強風吹き荒れる高空への狙撃となるために推奨されない。文字通り、指をくわえて見ていることしかできなかった。

 それでも、この情報は瞬く間にAFCHQへと波及し、超音速巡航でかけつけた、ロシア軍機の緑色をしたアイコンがMPDに表示されるまでに至った。

 異様な気配を感じ取り頭上を見上げる。

 正に第七PG中隊の頭上を、巨大な爆撃機と思われる四機編隊が通過しようとしていた。黒い夜空に、灰色の全翼機が真っ直ぐに北から接近してきている。この情報は航空部隊にもリアルタイム送信されているはずだ。民間人の耳にも、航空を移動する黒い影は見えずとも、響き渡るエンジンの轟音は雷鳴が如く聞こえている。

 緊張は極限まで高まり、操縦桿を握る手が汗で滑る。グローブに包まれていなければ操縦に支障が出るほど。これがアフリカでの初戦となる。

 遂に、ロシア軍機が誘導弾を発射。お国柄の長距離空対空誘導弾。長く尾を引いた高速の飛翔体が直撃する。命中と同時に、夜空の一角が明るくなった。

 護衛戦闘機がいないため、戦闘は一方的なものとなった。会敵から一分と経たずに攻撃は収束し、現場の緊張が緩む。爆炎が尾を引き、火球が地上へ向かって流れた。景気のいい流れ星だ。

 そうして、紫雲に遅れて蒼天の機影が動き出した時、事態は急転する。

<新たな敵影>

 火燕より通信。MPDから目を離せない。既に所属不明機は敵性航空機と判断され、アイコンが赤くなっている。大きくLOSTと表示されたそれらを中心に、いくつかの光点が無造作に散らばっていた。一見した限り、敵の破片が再生して、個別の何かになったように見える。

<敵は爆撃機型ボマーではなく輸送機型キャリアーだった模様。PGTASと思われる大きさの物体が降下してきます>

「数は?」思わず、いの一番に問う。

<機数、二十>有沢の沈着冷静な声。<空挺部隊だ。まさかあのデカブツを運んでくるとはな。各機、装備把持。マスターアームは切っておけ。これより地上戦に移る。近辺での対装甲火力を持つのはほとんど、我々のみだ>

「降下位置を推定します」

 日計はコンソールを叩き、メンテナンス、シミュレーション用の物理演算ソフトを起動。これを用い、現在までの敵機体重量推定値などを用いて座標を割り出す。

 人が降りてくるならいざ知らず、あれほどの鉄塊が自由自在の位置に降下してくるとは考えにくい。落下傘も精密性より荷重に重きを置いているはず。そうなれば自律的な機動力はほとんど無いと見ていいだろう。

 結果はすぐに出た。

「ジュバ郊外、我々を基点として街を挟んで東側、二キロの地点」

 MPDの表示が更新される。ジュバ市街を中心とした十キロ四方の平面図。地図の中央にはジュバ市、東側には街の外縁に沿ってホワイト・ナイル川が流れる。

 今、第七PG中隊と第二二一PG大隊があるのは都市西端のアカシア・ロードの手前、小高い丘陵地帯。敵部隊はジュバ空港のある街の北東からホワイト・ナイルの支流を一つ越えた中洲。一見しただけではあるが、今すぐに向かわなければ空港が最も先に襲撃されるだろう。ここは三千メートル級の滑走路が無いために、主に物資、人員輸送用の中継地となっており、機甲部隊はほとんど配置されていない。

 また、空港の機能停止は国連軍にとって痛打となりうる。重武装の空港警備隊がいる筈だが、二十機ものPGTAS相手では心許ない。

 その時、通信が入る。第七PG中隊へのオープン回線だ。

<こちら二二。〇七、敵部隊が降下している。空港への打撃は防がねばならない>

<把握しております>淡々と、有沢が答える。

<丘の東に、A43号線がある。これを用い、市街を通過して空港へ向かえ。位置はわかる筈だ。民間人を踏みつけるなよ。我が大隊は北の人気が少ない部分を通行、空港北側より敵の側面を突く。二正面作戦で敵の火力を分散、浸透を阻止し、これを包囲撃滅する>

<了解しました、一佐。幸運を>

<貴様らもな、一尉。概念実証機とやらの力、見せてもらおう>

 通信が途切れる。一呼吸を置いて、鷺澤が鼻で笑った。

<舐められていますね。市街を通行させて、こっちの到着が遅れることが織り込み済みなんでしょう>

「そう言うなよ。紫雲ならできるさ」

 操縦桿を撫でると、神経接続の向こう側から伝わってくる何かがあった。

 紫雲は、中枢システムからこうした感情を返してくることがある。他の三人は経験が無いと言うが、日計には確かに感じられた。

 玉響の中に、何がしかの意識が育っているのだろうか。そう思い、アフリカ行の旅客機内で、小林修一に問うたことがある。彼はこう答えた。

「紫雲は、精神パターンを分析して行動予測をする機能が備わっている。BMIの進歩で、脳波やシナプス信号をかなりの精度で計測する事が可能になったからね。君が感じているのは、そうした、玉響の予測する感情、有体に言えば、君が『玉響ならこう感じるだろう』というものがフィードバックされているに過ぎない」

「でも、それが実感として得られるというのはどういうことなんでしょうか」

「さらに言えば、それは君自身を内部で構築する作業に等しいんだ。だけど、そこに意思は宿らないよ。あくまで二進数の羅列だ。さて、少し寝かせてもらえるかい? 睡眠時間二時間の生活は酷なんだ」

 逃げるように、彼はお気に入りの白いアイマスクを装着したのだった。

 日計は操縦桿を握りなおす。この感情が自分の妄想が電気信号へと変換された結果に過ぎないとしても、実感は本物だ。肌の下に張り巡らされたこの神経は嘘をつかない。それは魂かだ。

 今はそう信じよう。

 オート・ドライバースイッチをオフに。操縦桿を握りしめ、ペダルを踏み込む。

 四機の紫雲が一列になって丘を駆け下りた。土煙が後に続き、風に流されていく。日計は、最後尾で殿を務めながら、慌ただしく移動を始めている蒼天を一瞥した。どの機体も動きが遅い。突然の襲撃に意識を切り替えられていないのだろう。こちらが行動を始めてから、まだ十分と経っていない。

 ウェイト・スタビライザーが稼働する中、背部武装ラックから七六ミリ単装速射砲を右手に。時速八十キロで、土をならしただけの未舗装街道へと降り立った。路面をなるべく破壊しないよう気を使うが、そんなものはなかったように巨人の足跡が点々と残る。

 時刻は午後九時を過ぎたところ。街の営みは収束に向かいつつあった。それでも道行く人影はまだ多い。どこからか指示を受けたらしい警察車両が道路を封鎖し、今更ながらに市民へ向けて屋内への避難を呼びかけている。

 警官たちが肩を押したり手を引いたりして、手近な建物の中に市民を押し込んでは扉を閉める。確かに、他に避難する耐爆防空壕などは、この街には存在しない。しかしPGTASによる攻撃とあれば、逆に建造物の中に立てこもる方が危険だ。土煉瓦を積み重ねたり、コンクリートで型を組まれただけの建築方式は、凄まじい速度で移動する鉄塊には抗しきれない。

 怯えながらも、指示に従って少しでも安全な場所へと押し合いへし合いしている老若男女を蹴り飛ばせば、遺体も残らないだろう。細心の注意を払って機体を操作するが、これがなかなか難しい。

<こちら瑞光。重ねて市民に注意されたし>

「了解」

 A43号線を東へ進む。二キロ強を五分足らずで走破。車の影もまばらな交差点からは、空港近くまで伸びるメイ・ストリートがある。だがこれはPGTASが通れるほどに人々の避難が間に合っていない。先頭を走る瑞光は北へ進路を変更、一分と進まぬ内に新たな交差点を東へ。後は一直線にターミナル・ドライブへ向かった。行き交う歩道の人々が声を上げて紫雲を見送る。あるいは出て行けと揶揄されているのか。少なくとも石は飛んでこない。

 空港のターミナルや、停車したままの寂れたバス群の向こう。駐車場と滑走路を挟んで北東の民家から火の手が上がっていた。

 駐機している旅客機の尾翼が炎上する家々を背景に黒く浮かび上がる。一瞬、平穏を刈り取る鎌のように見え、ぎくりとした。FLIRの画面は真っ白。赤外線放射が激しすぎる。それほどまでに、敵は即座に郊外の集落を蹂躙し、あらゆる武器を用いて動き回る人影を殺戮していた。既に大小様々な発砲音が鳴り響いている。

 止むを得ず通常映像へ。カメラをズームアップ。半球形ディスプレイの一角へとワイプで表示されたそこに、黒い巨人の群れが民家を蹴り飛ばし、破壊の限りを尽くしているのが見えた。

 PGTASが凶悪なまでに肥大化した右腕を振り上げ、下ろす。赤子を抱いた母親と、二人を両手で抱くようにしていた父親。黒い肌の人たちがただの肉塊と化し、血飛沫を上げて四散するのが見えた。土砂と入り混じった肉塊が破砕手榴弾のように周囲に染みを作る。そこを踏みつけ、巨人は腕部内蔵砲を老人を抱えて走っている病院関係者らしき集団を吹き飛ばした。

接敵コンタクト――!」

 怒りに声を震わせた。手にしている速射砲を構え、発砲。既に第七PG中隊は瑞光を中心に横隊となっている。二十五メートル間隔で、遮蔽物に隠れながら砲撃を開始。

 三発ずつのバースト射撃。速射砲の轟音が、断続的にアフリカの大地を揺らす。

 市街地では轟く砲撃音に悲鳴が上がった。既にこちらを捕捉している敵機――十機ほどが両腕をこちらへ向け、内蔵砲を速射してきた。HEAT弾が建築物や車両を爆発で吹き飛ばし、猛烈な砲火の応酬が始まる。

 敵の武装は射程が短い。しかし二キロと離れていないこの交戦距離では特に支障はないらしく、僅かな砲口修正を行った後で次弾を放ってくる。こちらの速射砲も似たような性能だ。むしろ敵のほうが口径が大きい。おまけに数で押されている。

 敵の腕部が巨大である所以は、その内部に多数の弾倉を格納しているからだ。さらに大きな質量と鋭い金属製の格闘装備で近距離に潜り込んでの格闘戦も行える。

 一発が、紫雲の頭部左側面を掠めた。コックピットの映像は頭部のものである。超音速の砲弾が自分の横を通り過ぎるのと同じだ。思わず身を強張らせ、反射的にしゃがみ込んだその頭上を三発の砲弾が流れていく。近接信管が作動して一発が頭上で爆発したが、損害は無かった。しかしディスプレイの上半分が爆発で瞬間的に彩られ、一時、視界が失われる。

<瑞光より各機>感情を抑えた低い声。彼もまた、理不尽な殺戮に怒りを煮え滾らせているのだろうか。<攻撃を継続。この間隔を保ったまま、南東方向へ進め>

「了解」

 北から順に、第七PG中隊は、火燕、瑞光、蒼古、玉響と並ぶ。日計が先導し、止むことの無い砲撃を掻い潜りながら歩き出した。

(当たらない。何故だ?)

 空弾倉を地面に落とし、左手で腰部後面に装着された予備弾倉を取り出す。速射砲の上からマガジンキャッチへとはめこみ、装填。再び引き金を引く。砲弾は延伸弾道を描いているが、着弾点が微妙な誤差を生じていた。ハードの調整は万全。日向道夫や花園咲に限って、整備不良など有り得ない。不測の事態が起こる場合、必ず自分が原因であることを、これまでの訓練と実践から学んだ。

 診断ソフトを起動。装填の間に作業を終了して発砲しつつ誤差修正を行うも、敵からの攻撃でままならない。一度身を隠してから再度射撃を行えば、射撃地点はぶれる。毎度、異なる条件で射撃を行っているのだ。正確な照準調整がし辛い。

 空港前のターミナル・ドライブから南東に進み、再びA43号線をまたいでハバナ・ストリートへと進む。この僅かな時間で、ホワイト・ナイルを渡河してきた敵の強襲部隊は二十機を揃え、猛烈な数の砲弾が第七PG中隊へと降りかかっていた。砲弾が盾にしている空港建造物を吹き飛ばし、コンクリート片や捻じれた鉄塊が機体と衝突して幾何学的な音楽を奏でた。

 命中せず、背後へと伸びる流れ弾が家屋を破り、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。既に空港周辺には人影がないものの、砲弾は紫雲の背後にある市街地へと容赦なく降り注いで建造物を破壊していく。

 日計は舌打ちを禁じ得ない。敵はこちらの戦う目的と弱点を、よく理解している。

<抑え切れない!>鷺澤が叫ぶ。<数が多いわ!>

<火燕、もっと低く。砲弾が掠めてるわよ>

<わかってます。けれど、射線が通らない!>

「落ち着け、火燕。遮蔽物があれば問題ないよ」

 言いつつ、照準補正が施されない原因を探る作業に没頭する。

 機体のどこにも異常はない。全ては正常に動作している。ハードとソフトの両面において、玉響はいたって健康だ。

 となれば、やはり自分のどこかがおかしいのだ。日計は悟り、操縦桿から右手を離して心臓の上に置く。

 いつもと違う鼓動。気づけば全身が汗だくだ。何ということだろう、自分は緊張していたのか。これでは機体の手が震えるのも頷ける。神経接続は、こうした極度の心理的動揺までもを敏感に察知する。九十九里の初陣で、緊張など振り切ったかと思われたが、これは、そう、緊張ではなく怒りだ。

 無残にも蹂躙された人々の怒り。その無念を、ここで晴らす。

 自分を落ち着けてから、弾倉を交換。再び歩行しながらの速射。確かな手応えを感じ、次の瞬間には黒い機体のひとつが揺らめく。直後に爆発。一機撃破ポップ・ワン

 やれる。

 同じ状況であったのか、自制心の強い有沢琢磨の駆る瑞光も命中弾を放つ。HEAT弾が敵機腕部で信管を作動させて幾重も爆発。劣化した装甲を貫徹して内部弾薬が誘爆。両腕を脱落した敵機は自爆機構を作動させる。

 これでも十八対四。分が悪い。さらには六百メートルほどの、野戦においてはほとんど目と鼻の先といえる距離での砲撃戦。二列横隊で展開している敵部隊の方が有利である。さらには、こちらは敵の頭を抑え込むために撃ちまくるしかない。弾薬の有無も深刻な状況である。盾にしている空港のターミナルもそろそろ限界だ。

 と、MPDで味方機被弾の警報。蒼古の胸部装甲で二発のHEAT弾が炸裂するも、損害無し。純白の新式複合装甲板はこれを耐え忍ぶが、衝撃で蒼古がよろめく。

 さらにもう一発。これは右肩部装甲に直撃。爆発は無いが、激しい火花が散る。蒼古はもんどりうってその場に膝をついた。

「東雲さん!」

<平気よ。でも、同じところにもう一発きたら危ないわね。各機、敵機の仕様弾種がAPFSDSに変更されたわ>

<フム。コンクリートとガラスでは壁にならんか>

<煙幕はどうですか? 火燕のものの使用許可を>

<いや、駄目だ。こちらの射界も限られる。堪えろ>

 そろそろ手詰まりか。そう思われた時、MPD上にアイコンが光った。

 第二二一PG大隊が擁する三十二機の蒼天がようやく位置に着いた。

<こちら二二。側面より攻撃する。敵との距離を開け>

 ジュバ空港滑走路の北端付近まで慎重に接近を図った蒼天の群れが、一斉に一〇五ミリライフル砲を撃ち放つ。発砲炎が夜闇を切り裂き、側面からの砲撃で敵の半数が吹き飛び、爆散。仕様弾種は言うまでもなくAPFSDS弾。側面から装甲の脆弱な部分を狙撃され、敵PGTASは一たまりもなかった。炎上する鉄塊や家屋の炎で煌々と照らされたアフリカの大地に、胸や頭部に巨大な穴を穿たれた巨人が次々と倒れ伏していく。自爆が新たな赤色をアフリカの夜に添えた。

 突然の側面攻撃に、黒い軍隊は即座に後退を開始した。恐らくは、人類がそうして反撃に出ることも織り込み済みであったのだろう。空港北東部の寸前まで迫っていた敵部隊は、真っ直ぐ北へ向けて撤退していく。

 ジュバでの戦いは新たな局面を迎えた。日計洋一は有沢琢磨から、南からの敵部隊追撃の命令を待つ。

 ところが、意外な指示が飛んできた。

<瑞光より〇七各機。弾倉を交換した後に待機。二分後に南へ向け機動を開始する>

「南? どういうことですか。敵とは反対方向へ向かうとは」

<これは陽動であると考えられる>彼は構わずに説明した。<ロシア軍機による要撃があったとはいえ、PGTAS部隊を空港から北東に位置する中洲へと降下させたのは疑問だ。それならば、直接空港に降ろしたほうが効率がいいだろう。敵機は南西から現れた。危険を冒して、より深い防空域で空挺降下を行うなど論外だ>

「しかし、こちらの要撃があったのですから、時間的余裕もなくそうせざるを得なかった可能性もあります」

<否定はしないが、敵キャリアーは直前まで回避行動を取らなかった。これは演出だ。始めから我々をこちらへ誘導する腹づもりだったと考えられる>

 膝の間にあるMPDを見やる。確かに、敵機の赤いアイコンの軌跡を表示させると、彼の説明にも納得がいった。

UNMISS国連南スーダン派遣団基地がジュバ南西にある。ここからおよそ八キロ。一応の予防線を敷いてはいるようだが、重装備の装甲部隊は存在しない。敵が浮遊機フロートや四足が押し寄せたら、戦線は容易く突破されるだろう。なんとしても、ジュバを失う訳にはいかない>

「しかし、本当に来るとお思いですか?」

<玉響。四機の輸送機型のペイロードを正確に把握しているわけではない。他に空挺降下部隊がなかったと何故言い切れる?>

「なるほど。了解しました。申し訳ありません」

<構わないさ。さあ、準備だ。まだ戦いは続くぞ、兜の緒を締めろ>

 己の未熟さにばつの悪さを感じながらも、気持ちを切り替える。一分後に第七PG中隊は移動を開始した。オートドライバーをオンへ。ハバナ・ストリートを南下してA43号線に合流、四機の紫雲はジュバ東部外縁を戦闘速度で走行する。既に住民の避難は完了しているため、心置きなくアクセルを踏むことができた。

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