私と私と私と私と私と私と私と私と私と私

邸 和歌

第1話 私と私

 その日は最悪だった。

 仕事はミスして怒られ残業。遅れていった夕食デートでは別れを告げられる。帰りの電車では酔っ払いに絡まれ、もう泣けばよいのか怒ればよいのか笑えばよいのか分からなくなってしまった。

 最寄りの駅に着いたのは午後10時。結局夕食は食べてない。仕方なくコンビニでスパークリングの日本酒と弁当を買って、徒歩15分の家までタクシーを使った。もう考えたくなかったし疲れたくなかった。

 そのあとのことはあんまり覚えてないけど、部屋の電気もつけず、お笑い番組見ながら酒飲んで弁当食べて、PCつけてブログ書いてたと思う。日本酒飲んでるのにそんなに酔えなくて、でもなぜかクラっときちゃったんだ。



 多分少し寝てしまってた。スマホを見ようとするもスマホがない。そうだ、タクシーの中で使ったっきりポケットにしまった記憶がない。最悪だ。

 テレビのチャンネルを変えると「23:45」の表示があった。やばい、もう寝ないと。まずはお風呂入って洗濯機回して……。

 ふと、部屋の暗がりに人の気配を感じた。いるはずもない人数の気配だ。いっぱいいる。普通はビビるところなのだろうけど、なんか色々感覚が麻痺してたせいかどうでもよくなってたせいか、その状況をすんなり受け入れてしまった。なんだコイツらは。

 一人、いそいそと私の近くまでやってきた。なんだか見覚えのある顔だ。



 そうだ、私の顔だ。



 今の私とは違ってお肌ピチピチで綺麗だなと思ってしまった。

「あのー、お話ししてもよい感じですか?」

 幻覚見えちゃったな位に思っていたら幻聴まで聞こえてきた。私はなかなかにやられているらしい。いや、ここまできたら夢だろう。

 とりあえず飲み残していたスパークリング日本酒をあおってみる。ぬるいけど美味い。ちょっと酔った実感。うん、夢じゃない。

「あのぉ……」

 ピチピチな私が困ってる。私も幻覚幻聴で困ってる。ならば話し合って消えてもらうしかない。

「うん、何?」

「あ、大丈夫ですかー?」

 少し安堵した様子だ。その間もピチピチの背後から私を見つめている複数人の私っぽい奴ら。ただの怖い話だった。

「あのさ、あなたたちって幻ってことで良いんだよね?」

 幻に幻かと訊くことに意味があるのか分からないがここはもう訊くしかないのだ。私には明日も朝から仕事があり、このあと急いでお風呂入って洗濯機を回して寝る必要があるのだ。さっさと消えて欲しいのだ。

「うーん、そうなのかな? でも、いや、あー、違うような……。えーっと、とりあえず、私たちみんな、あなた……私? あれ? なんて言えばいいんだろ……えーっと……」

 こいつ、私のくせにやけに下手から来るし、まどろっこしいな。よそいきというか、初めましての対応に慣れてない感じ。

 こうやって客観的に見るとめんどくさいな、この私。

「呼び方は“あなた”で良いでしょ。それで、あなたたちは何?」

「あ、そうですね、私たちは現在の? 最新の? “私”が書いた日記が擬人化しちゃったみたいなんですよねー。それで、私はブログで初めて書いた記事の擬人化ですー。ハジメって呼んでも良いですよ?」

 ……あー、なるほど、わかった。この下手でまどろっこしくてよそよそしくて、でも「ハジメって呼んでください」とか言っちゃう感じ、ブログの最初の記事ってこんなんだったわ。

 もうかれこれ7年前とかになるブログ記事なんて普通思い出さないし、というかブログ記事の擬人化ってなんだよ。唐突過ぎて意味が分からないでしょ。

「いやいやいや、訳分からないでしょそれ……」

「でもそうなんですもん、じゃないとこんなに“私”が沢山いるのも説明つかないじゃないですかー。それで、ひとつお願いがあるんですけどー」

 勝手に話を進めるハジメ。語尾を伸ばすところに当時のキャラづくりの頑張りが見え隠れしていて、聞いているとムズムズしてしまう。

「お願い?」

「はい、なんかー、他の私たちは、自分がどのブログ記事の擬人化なのか分かってないみたいでー、なのでー、最新の私に記憶を辿ってもらってどのブログ記事か教えて欲しいんですよー」

「分かった。とりあえず分かったから、まずはその語尾を伸ばすのやめてくれない? 聞いててムズムズしてくる。それと、」

「もう寝ようよぉ~」

 ハジメの背後から急に私の言葉を代弁してくれた“私”が現れた。その姿を見た瞬間、私はそいつがいつのブログ記事の擬人化か分かった。というか、マジか、正直こいつには居ないでほしかった。語尾が黒歴史のハジメよりたちが悪いぞ……。

 しかし、認めねばなるまい、他に心当たりなんてあるわけがないのだ。というかその見た目はこれまでの人生の内でその一時期しかなかったのだから。


 そいつは、食っちゃ寝を繰り返していた大学3年生の頃のデブな私だった。


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