そんなものだ

三角海域

そんなものだ

 最寄駅から二つ先の町では、毎年七夕の時期に祭りが開催される。結構な人が祭り目当てにやってくるので、その町の駅では臨時で改札を増やしたりもする。

 僕はと言えば、そうした祭り自体は嫌いではないので見に行きたいのだが、あまりの人の多さに電車を出てすぐに反対のホームにまわり、さっさと帰宅してまった過去がある。

 大きな祭りではあるのだけど、毎年張り出されるポスターを見るまで、祭りの存在を忘れてしまっている。あまりに身近過ぎて意識していないのか、人でもみくちゃにされた過去が蓋をしているのかどうかは定かではないけれど、とにかく、今年もポスターを見て祭りの存在を思い出した。

 祭りというのは、非日常だ。

 漫画や映画や小説などで、幻想だったり恋愛だったり、様々なシチュエーションで祭りという状況は描かれている。ハレとケという概念が民俗学や文化人類学のジャンルでは語られることがあるけれど、無意識にその感覚は僕らの中に根付いているように感じる。

 日常で踏み出せない一歩であったり、日常では見えない景色であったり。そうしたものが祭りの中にあって、学術肌の人も感覚で生きてる人も、感じ方は違えどそうしたものを「感じて」いるのだと思う。

 ポスターをちょっとの間見つめていると、学生の集団が僕の横を通り過ぎていった。彼らは「そろそろだね」と言い合いながら遠ざかっていく。それが祭りのことなのかそれ以外のことなのかはわからない。

 そういえば、Suicaにいくら残っていたっけと唐突に思い、自動券売機の方へ向かう。

 背後のおじさんたち(おじいさんとおじさんの間くらいの人たち)が「もうそんな季節? 嫌だなぁ」と言っているのが聞こえる。何が嫌なのかはわからない。祭りのせいで騒がしくなるのが嫌なのか、時間の流れの早さが嫌なのか。

 おじさんたちの話題は、すぐに競輪の話に変わる。駅から、競輪場へ向かうバスが出ている。おじさんたちは当たり前だけど、そのバスに乗った。

 今日はあまり天気が良くない。蒸し暑いわりに、空はどんよりとしていて、雨でも降りだしそうな天気だ。

 なんだか、急にめんどうになってきた。僕は駅近くのシネコンに映画を観に来たのだけど、先ほどまであった映画を観に行こうという気持ちが急激に萎えてくる。

 どうしてだろうと考えながら、駅近くのスーパーに入り、お茶とさけるチーズを買い、ドラッグストア横にあるベンチに腰掛けてチーズをさく。

 さいたチーズをひとまとめにして口に放り込んで、お茶を飲む。

 競輪場へ向かうバスが出発する。先ほどのおじさんたちが一番後ろの席に座り、何かを話しているのが見えた。

 何を話してるんだろう。おそらくレースのことだったり、近況だのだったりするんだろうけど、なんとなく、祭りの話でもしてるんじゃないかなと思った。

 僕の前を、人がどんどん通り過ぎていく。

 学生、主婦、派手な格好の女性、腰の曲がったおばあさん。あちらの道へ、こちらの道へ。みんなどこへむかうんだろうなんて馬鹿げたことを考える。

 時間を確認すると、映画の上映まであと十五分だった。駅からゆっくり歩いてもシネコンまで十分あれば着くので、今からでも余裕で間に合う。

 もうとっくに時間は過ぎていて、映画も終わる時間帯のように感じていたけれど、時間はほとんどすすんんでいなかった。曇っていると、体感している時間の流れも曇っていく気がする。流れゆく時間があいまいで、自分がここにいるという事実にすら薄い靄がかかっているようにぼんやりとしている。

 いっそ、雨でも降ればいいのにと思う。

 チーズの残りを口に放り込んで、お茶を半分くらい飲み、僕は立ち上がる。

 映画の上映まであと十三分。少しだけ速足で行こうか。

 シネコンへ続く道は、ひたすらまっすぐ続いている。

 僕はその道を歩きながら、なんとなく振り返る。

 競輪場行きのバスを待っている列ができていた。さっきのおじさんにそっくりな人がいたけれど、当然別人だ。

 あと二週間と少しで、あの祭りがやってくる。

 この道も人であふれるだろう。

 曇り空に、居酒屋の店先に飾られた彩り豊かな七夕飾りが揺れた。

 映画まであと九分。シネコンが見えてきた。

「兄ちゃん」

 一瞬、それが自分を呼んでいるということに気が付かなかった。

「兄ちゃんよ」

 まわりには僕しかないない。じゃあ、僕なんだろう。あまりにのなれなれしさに驚いた。

「競輪場のバスってどこから出てるか知ってっか?」

 酒臭い。少し酔っているようだ。呂律も怪しい。

「ここから見えますよ」

僕は後ろに見える列を指さす。

「あそこです」

「あんがとあんがと。感謝感謝」

 僕を拝むようにしながら、おじさんは歩き出す。

「僕も一緒に行っていいですか?」

 と、実際には口にせず、言ってみる。

 おじさんに背を向け、僕は再び歩き出す。

 そんなものだ。

 小さく口にする。

 そんなものだ、日常なんて。

 祭りの時期がやってくる。あの時、改札へ向かう人の群れから逃れた僕は、反対のホームから改札へ向かう人々を見つめていた。そのうち喧騒も途絶え、駅は静寂に落ちる。遠くから聞こえる祭囃子が、なんだか物悲しく聞こえていた。

 僕はこの曇った日常の中から、きらびやかな祭りへと出かけていく人たちを見ているのだろう。見ていることしかできないのだろう。

 いや、見ていることしか「しない」のだろう。

 僕は祭りにも行けない。競輪場のおじさんにもなれない。僕は変わらずここにいて、変わらない景色の中で行きかう人々をただ見つめている。

 そんなものだ。

 何が?

 そんなものだよ。

 人生が?

 そんなものだよ、きっと。

 そう、きっと、そんなものだ。

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