いちばんすてきなおと

@vewoi12

いちばんすてきなおと

 目を開くと、とてもなんというか、なんとも言えないような世界がありました。僕には形容出来そうもありませんから、この世界の説明は置いておくことにします。

 手を動かしたり足を動かしたり、ということでも無く僕は歩き回ってみることにしました。それが正しく無いのなら動き回ってみるでも構いません。とにかく僕はなんだか誰かに会いたいと思ってしまったので、見て回ろうと思ったのです。


 誰かを探すのはそう難しい話ではありませんでした。訳の分からない言葉の羅列をとにかく大声で喚く方がいたからです。彼を見つけてから周囲を見渡すと、他にも多くの方がいました。けれど誰しもが彼に近付こうとはしません。彼を見る方の多くは迷惑そうに、少しは興味深そうに見ていました。

 僕は意を決して彼に話しかけることにしました。何故彼に話しかけようとしたのかと言われると、もしかすると僕は仲間だと思ったのかも知れません。彼も僕も独りでしたから。

「すみません、どうして叫んでいるの?」

 そう問うと、彼は黙ってこちらを向きました。

「あぁ?」

 不機嫌そうに彼は僕を見下すと、それから言葉にしたくもないようなひどい言葉を並べ立てました。するどくて、耳元でずうっと響いているような、ふゆかいな手触りの言葉です。僕は悲しくて、泣きました。でも僕は彼の言葉が、僕を泣かせる為のものであるとは不思議と思いませんでした。

「そうしていたって、楽しくは無いだろう?」

 後ろで、声が聞こえました。僕を味方してくれているのかなと思いました。彼の言葉の矛先は誰かに向かいました。僕は不安で誰かを見ましたが、誰かは特に気にする素振りはありませんでした。僕の後ろめたい気持ちがちょっとだけ引っ込みました。

 僕はそれから、誰かに肘を引かれて、歩かされました。なので大声の彼とはそうしてお別れをしました。


 僕がいつまでも泣いていると、誰かは僕を優しく抱きしめてくれました。誰かは僕が泣き止むまでそうして抱きしめてくれていて、僕はこうして欲しくて歩き出したのかも知れないと思いました。

「ああいうのには近付いちゃいけないよ」

  僕が泣き止むと、彼はそう言いました。

「ああいうの?」

「暴言のことさ」

 先程の大声の彼は、暴言さんというらしいのでした。

「どうして?」

「それは、こうして悲しい思いをするからだよ。良いかい、ここにはただ関わり合うだけで人を不幸にする人もいるんだ」

「彼は、ひどいの?」

「うん、そう。ひどい。けれど、分かりやすいという点ではマシだと言えるかも知れない。ここにはね、私のように如何にも君の味方というふうで、それなのに暴言のように君を傷つける奴だっているんだ」

「そうなんだ」

 あまりよく理解できませんでした。

「そう、だから気を付けることだね」

 彼はそう言うと、歩き出しました。お別れをするのだろうと思いました。

「あの、名前は?」

 そう問うと、彼は振り返って笑顔を浮かべました。

「忠言さ」


 忠言さんがいなくなってまた独りでいると、誰かが僕に近付いてきました。

「誰?」

「僕は甘言さ。見ていたよ、ずいぶんと暴言にひどいことを言われたようだね」

「うん」

「悲しかったろう」

「うん」

「辛かったろう」

「うん」

 僕は甘言さんと話しているうちに暴言さんと、その時の悲しいことを思い出してまた悲しい気持ちになりました。

「でも大丈夫。僕が君を助けるよ、ほら君がもう傷つかないようにしてあげるよ。だからついておいで」

 彼の言葉は、とても良い言葉でした。僕も、もう傷つかないと良いなと思いました。

 でも、彼は忠言さんとは少し違いました。やさしさだけならきっと忠言さんより彼は優しいです。でも忠言さんがやさしくなかったのは、良い言葉だけじゃなくてあまり聞き心地の良くないことを言ったのはそれはたぶんとても、なんというか、大切なことだったのだと思います。だから、やさしくないからって彼がひどいということでは無いのだと思います。

 だから、たぶん、甘言さんには何かが足りなくて、それで僕はちょっと不安になりました。僕なんて足りないものばかりなのに、不安になりました。それはきっと、忠言さんの言葉を僕がちゃんと覚えていたからです。

「ごめんなさい」

 僕はそう言って立ち去りました。

 そうやって立ち去っても結局、僕は僕が合っているのか分かりませんでした。甘言さんが良いのかひどいのかよく分かりませんでした。


「僕は妄言って言うんだけど」

 とにかく話したいという様子で、妄言さんは僕に自己紹介をしました。

「生きる意味について考えたことはあるかい?  実のところ、そんなものはどこにもありはしないんだけどね。もしも君に生きる意味があるとすれば、それは勘違いってやつさ」

 質問だったので返事をしようと思いましたが、彼は質問を求めていないようでした。僕は仕方なく、話を聞くことにしました。それが彼の求めていることだからです。

「この後僕らがどこに行くか考えたことはあるかい? 僕はこの後僕らがどこに行くか知っている、どこにも行かないのさ、僕らは」

 僕は意味がよく分かりませんでした。僕はこの後、どこへでも行きます。ですから彼はまちがっていると思いました。なのに彼はとっても自信満々で、それがなんだかおかしくて、僕は彼に疑問をぶつけました。 

「自信満々だって? いやいやまさか。自信なんてあるはずない。この世界には定まった正解なんて無いからね。状況次第で、時代次第で、相手次第で正解っていうものは変わっていくもんさ。だから僕らは掌の中にある正解が正しいか逐一確認しなくちゃあいけないんだよ」

 それはとても当たり前のことのように、彼はそう言いました。

 彼はお別れの前に一言だけ、「いやぁ、しかし、今日も良い天気だねえ」と言いました。それはそれはとても大切なことのように言いました。


 僕はそれから、多くを歩き、多くを知りました。そして、多くの音と言葉に出会いました。なんだかとっても疲れたと思いました。休憩は取っているのですが、なんだか心がとっても疲れたような気がするのです。それは妄言さんの言葉が分かった時からずっとそうなのです。

 僕はずっと、妄言さんは間違っているのだろうと思っていました。けれども彼は間違えてなんていませんでした。彼はただ話が分かりづらいだけだったのです。

 ですから僕は抱えた生きる意味と、これからどこへ行くかについて考えなくてはならなくなりました。それを考えなくても良いはずなのに、なんだかそうしなくてはならないような気がするのです。僕は誰かにそんなこと気にするなとそう言って欲しいのです。

 しばらく歩くと、また誰かに出会いました。誰かに名前を問うと、億劫そうに「逸言だ」と答えました。

 僕は逸言さんに抱え続けた疑問をぶつけることにしました。

「生きる意味? そんなもの、ただの言葉じゃないか。言葉は響くだけの、価値の無いものだよ。そんなもので救われる奴なんていない」

「何処へ行くかって? 何処かに行くんじゃないか? どうでもいいことだけどね。誰にとってもどうでもいいことさ」

 逸言さんはそうして二つの僕が抱え続けた疑問を一蹴しました。

 逸言さんがそうして一蹴すると、僕は今まで考えていたのがなんだが馬鹿らしくなって笑いました。その言葉がぶっきらぼうで何の気遣いも無かったのに、なんだか僕は幸せになりました。

 僕は良い方みたいな風でひどい方がいるのとは逆に、こんなひどい方みたいな風で良い方もいるのだなと思いました。

「君は聞いてばかりだね。そういう奴は大抵中身が無いのさ。まあ、自分のことを話してばかりいる奴は中身しか無いんだがね」

 僕は中身が無いのでしょうか。よく分かりませんでした。


 逸言さんとお別れをしてからしばらく歩くと、僕はなんだか不安になってきました。やっぱり僕にとってあの二つの疑問は、どうでもいいと一蹴できる問題では無かったのです。

 どうにもならなくなって辺りを見回すと、誰かがいました。僕はとにかくその誰かに駆け寄りました。

 僕はどこかおかしくなっていて、とにかく彼に僕の疑問を全てぶつけることにしました。一から十まで、全部教えて欲しかったのです。

「ここはどこ?」

 突然問うたのに、彼は少しも不思議そうな顔をしないで答えました。 

「ここは、音の世界さ。あらゆる音が集められている。その全てに優劣も美醜も無いんだ。酩酊した人の声も名曲の旋律も、君も僕も等しいものなんだ。聞く奴がいないからね」

 それは納得の出来るものでした。今まで出会った音も言葉も、きっと僕が良いひどいと考えるだけで本当はきっと同じなのです。聞く奴がいなくなった世界ではきっと同じなのです。

「僕らはこの後どこに行くの?」

「分からないな。でもすぐに分かるよ。僕らはもういなくなってしまうからね」

 彼は落ち着いた声でそう言いました。でも僕には到底落ち着いていられる言葉ではありませんでした。

「どうして?」

「僕らが残響だからさ。もう響いて響き終わった後にここに来るのさ。だから僕らはもうじき消える、死んでしまうのさ。ほら、今も彼が消える。いなくなるとそれはそれで、寂しいもんだねぇ」

 彼が指さす先で、暴言さんがまるで最初からいなかったみたいに消えてしまいました。そうして僕は最初の場所に戻ってきていたのだと理解しました。僕は彼のように、暴言さんがいなくなってしまっったことを寂しく思いました。

「僕は誰?」

「君は産声さ。この世に生を受けて初めての声だよ」

 ああそれならば、と僕は思います。それならばもっと生きていたいのに。

「死ぬのは嫌だ。生きる意味も分からないのに死ぬのなんて嫌だ」

「おやおやおかしいな。いや、死ぬことが嫌なのは別におかしくない。僕も嫌だね。もう少し君と話していたいからね。でも生きる意味が分からないというのはおかしい。だって生きる意味というのは子供だけ知っているものじゃないか。大人になってから、そういうものに対して迷子になるものなんだよ。君は産声なのに、どうやらここで少し成長してしまったのかな? それは決して悪いことでは無いんだけどね」

 彼はそう言いました。それなら僕はこの疑問を抱えるよりずっと前に答えを知っていたということなのでしょうか。

「それは、もう見つからないの?」

「さて、ね。それを見つけられる奴と、そうじゃない奴がいる。でも結構単純なものが答えだと思うけどね」

 彼は答えを知っているみたいにそう言いました。

「答えを教えてよ」

「知るだけじゃ駄目なんだ、君が見つけなくてはいけないんだ。ただ知るだけでは価値が無いものなんだ。だから誰もがそれを言わないんだよ。言葉にならないものだから言えないというのもあるかも知れないけどね」

 彼は意地悪なことを言いました。でもそれで彼が酷いんじゃないというのは分かります。忠言さんがそうであるように、彼もきっと良い方なんだと思います。それでも僕はなんだか意地悪の仕返しをしたくなりました。

「答えが分かっても、状況や時代、相手次第って変わってしまうよ。逐一正しいか確認しないと」

「どういうこと? よく分からないな。それは答えが変わったんじゃなくて、回答者が変わったんじゃないのかな」

 とてつもない恥をかきました。あれほど自信満々だっただけに、僕は妄言さんに腹が立ちました。でもあの言葉は確かに僕も正しいと思っていたのでした。

「どんな状況や時代でも、相手でも答えは一つだけさ。心変わりすれば答えが違うものだと思えてしまったり、みんなが2だと言えばそれが正解だと思えてしまうけど、でも答えは一つだけ」

 彼の言葉に、僕はなんだかどちらが正しいのか分からなくなりました。

 僕はふと逸言さんのことを思い出しました。

「あなたのことを話して」

「良いよ。僕は君と話せて良かったと思ってる。君と話していると嬉しいと思ったからね。それはとっても有意義なことだよ。ここで色々な奴と話したけど、どれもこれも個性的だった。僕もね、生きる意味なんていうのは確かに分かっていたはずなのに、今はもう分からなくなってしまっていたんだ。でも、名言って奴がいてね、そいつ生きる意味を聞いたら生きることだって答えたんだ。僕は辞書をひきたかったわけじゃないんだけどね」

「生きる意味は、生きること?」

 なんだかとっても、ああ、でも言葉には出来そうもありません。ですが僕は感慨を覚えました。

「そう。だから僕は生きる理由は何ですか。生きるに足る、生きていて良かったと思えるような大義名分は何ですかと問わなくちゃならなくなったんだ。その時ね、僕は思った。それならあるじゃないかって。だって僕は生まれて良かったと、生きていて良かったと思っているんだ。確たる大義名分も無いままに、心がそう叫んでいるんだ。だからね、僕はしばらく何も言えずに黙ってしまったよ」

 彼はそうして笑顔を浮かべました。

「そうしたら彼はこう言ったんだ。生きることは死ぬことで無価値になるものではない。生きることは死ぬことで生きたことになるだけだってね。僕はどこが名言なんだよ、辞書みたいじゃないかって笑ったよ。本当は彼は笑って欲しかったんだと思う。僕が今君に、笑って欲しいと思うようにね」

 それから彼は少し寂しそうにもう一度笑いました。

「ああ、僕は至言だからね。結局君を笑わせは出来ないのかも知れないけど、それでも君が少しでも僕の言葉に耳を貸してくれてうれしかったよ」

 そうして、まるで最初からそうであったみたいに、彼はいなくなってしまいました。

 甘言さんを思い出して、僕は至言さんを信じても良いのだろうかと思いました。それから、こんなことを言いました。

「さようなら。あなたはまるで、僕はあなたと会う為に生まれてきたのだと思わせるほどすてきな音でした」

 たぶん、もう手遅れでした。

 音の世界はおぼろげです。白っぽくてかすみがかっていて、なんだかとってもあやふやです。それがもっとおぼろげになりました。

 とても悲しいと思いました。そして、どこか嬉しくもありました。僕は至言さんと話せて良かったと思いました。

 僕は最期にさようならの言葉を心の中から探したのですが、何一つ見つかりませんでした。なんだかそれがとっても満足しているみたいで、思わず笑ってしまいました。

「生きていて良かった」

 そんな風な言葉を言いました。生きていて良かったと思える理由はきっと、生きる意味はきっと僕にとっては今見つかったものでした。

 そうして僕は世界からさようならをしたのでした。

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