7-2
「勘は当たったみたいですよ、菟田野さん」
双眼鏡から目を離して、ナユタが呟くように言った。
「よくわかったね」
双眼鏡を受け取りながら、僕は感心しきっていた。
「竜水さんのことですから、あの家から離れているとも思えませんし」
ナユタは落ち着き払った様子だ。
住宅街から少し外れた小高い丘の上。
ここから竜水の住んでいるアトリエが見下ろせる。
遠目からではわからないが、ヒューマノイドの視力と双眼鏡を組み合わせたら、あの家の中に明らかに二人以上の人間が入り込んでいるのが見えたという。
沙雪さんが教えてくれた、連絡の取れない竜水の件と組み合わせれば、あの家に何らかの異変が起きていることは容易に想像がついた。
「竜水の居場所はわからないけれど、とりあえずはあそこにいる人たちがヒントになりそうだね」
僕はすぐに携帯電話をとりだして警察に繋がる短縮番号を押した。住居不法侵入。捕まえてしまえばそこからあとは警察に事情を説明すれば良い。
通話ボタンを押そうとする僕の腕をナユタが掴んだ。
「私に行かせてください」
「ナユタが?」
「あそこにいる人たちを捕まえます」
「何を言っているんだ」
思わず声が大きくなって、慌てて身をかがめた。トーンを落として続きを話す。
「相手の正体はわからないけれど、危険なことに変わりないんだ。警察にまかせておけばいい」
「それじゃダメなんです」
「どうしてだい」
「それは……私も初めてのことなのですが」
ナユタの視線が、アトリエの方を向く。双眼鏡は無いはずだけれど、その視線はまったくぶれなかった。
「あの人たちを見ていると、心の中が沸き立つんです。むずがゆくなって、身体が熱くなって、叫びたくなって、どうしても動きたくなってしまうんです。これは……何なのでしょうね。初めての気持ちです」
ナユタの目が僕の方に戻ってきた。
鋭い視線が突き刺さる。
「私、ヒューマノイドです。普通の人間や銃弾くらいなら跳ね返せます。人間じゃなくても、ロボット相手でもなんとかなると思います。勘ですけど、私、そういう力がある気がします」
「それは……」
当たっている。戦闘を行うに適した身体でもあるから、と喉の奥まででかかった言葉を飲み込んだ。
「だめだ。危険すぎる」
「竜水さんも危険だと思います」
「だから警察にまかせてくれよ」
「じゃあこうしましょう。菟田野さんは警察を呼んでください。私も一緒にアトリエに向かいます。それなら文句ないでしょう?」
「大いにある。どうして君が行かなきゃなんだ。君は身体は丈夫だけれど、もっと自分を大切にしなきゃ」
「それ以上に、私が行きたいと思っているんです」
ナユタの顔が僕に詰寄ってくる。背丈は私より低いのに、のしかかるようにナユタが近寄ってきていた。
眉間に皺を寄せたその顔は、確かに今まで見たことがない。
「ナユタ、もしかして君は怒っているのか」
「怒っている?」
「怒りを感じているってこと」
「怒り、ですか……辞書で見たことがありますが、なるほど……」
ナユタが真顔になって上を向く。プレッシャーから解放された。
ナユタは、なるほど、と口で繰り返している。
「君がそこまでいうなら」
僕は大きく溜息をついた。
「止めはしない。が、これだけは覚えておいてくれ。まだコンサート会場ではフェイとハンナが待っている。仕事の都合って言い訳してあるし、本当は状況を確認したらすぐ返るつもりだったんだ。君がアトリエに向かうってことは、それだけあの二人を心配させていることなんだ。だから……無理はしないでくれ」
「気をつけます」
そういって、ナユタは自分の耳を触った。
一瞬、その小さな背が震える。
それは僕の知っている機能とは違った。
気がつけば、ナユタの雰囲気が変わっていた。髪の先は逆立って、瞳には赤い光がやどっている。
ナユタの身体には戦闘用の機能が眠っている。それは確かだ。軍に売るにはその機能が必要だった。
機能を起こすにはコードがいる。外部端子を繋いで入力しなければ、それはずっと眠っていたはずだ。間違っても、耳を触っただけで機能するようなお手軽なものではなかった。
「では」
ナユタが勢いよく、文字通り丘の上から飛び立った。
中空を舞う白い姿が火の粉のように月夜の中で輝いている。家々の屋根を蹴って、駆け上がってまた蹴って、そうしてあっという間にアトリエへと肉薄していく。
「変わったな、ナユタ」
自分の頬が引きつっていることにきづいて、慌てて叩いた。じんとする痛みを感じながら微笑みへと無理矢理変えた。
警察へと電話を繋ぐその手はすっかり震えを帯びていた。
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