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 菟田野博士へ。

 竜水さんがどんどん真剣な顔つきになってきています。

 竜水さんは今も、自分から絵を描いています。私がアトリエに入っても気づかないほどに集中して、一心不乱に筆を振っています。

 はっきりいって、こんな竜水さんは見たことがありません。今の竜水さんはなんと、働いている人間と遜色ないのです。

 思い返せば、竜水さんは一人身だし、お金がお姉さんによって振り込まれるのですから、働かなくても生きていけるのです。将来のことさえ考えなければ不安は無いはずなのです。それなのに絵の仕事にはしっかりと取り組んでいます。人はときどき損得以上の何かで動くのです。

 聞くところによると竜水さんは、電子工学系に強いグループ会社の祝辞に献げる作品を製作しています。仕事のなかった竜水さんはまるで水を得た魚のように毎晩遅くまで作業するようになりました。

 絵は、孤独な作業です。どんなに手を変え品を変えたところで、最終的には一人で描くものです。全ての責任が自分に係る。だから、逃げたくなる気持ちもわかります。

 それなのに今、竜水さんはその孤独を忘れています。素晴らしい絵を描くために、途中で休むことを身体がゆるさないのです。

 前回もお話ししたとおり、私には絵のことはさっぱりわかりません。でも、絵を描いている竜水さんは、真剣ですが、自然体です。見ていると私もなんだか安心できます。安心は快です。気持ちよいのです。

 竜水さんは放っておくと物を食べなくなります。食べる時間ももどかしくなるそうなのです。油絵は筆を手に持ち、パレットをもうひとつの手に持っているから、というのが竜水さんの持論ですが、もちろん良くはありません。栄養失調になれば生き物は死にます。どうにか栄養を摂取させたくなったので、サンドイッチをつくったり、流動食を試してみたりもしました。一番効果があったのは香りです。両手がふさがれていては、鼻はふさげません。ほかほかのスープを手にアトリエに入ると竜水さんはやがてこちらを見て腹を抱えて膝から崩れ落ち呻くのです。とても素直な反応です。これまたなかなか、愉快です。

 とにかく竜水さんは頑張っています。しかし、竜水さんがどんなに頑張っても、お金が稼げるほどに絵が売れるとは限りません。これは難しい問題です。

 絵の世界は個性の世界です。単純な順位付けは意味をなしません。必要なのは知名度です。人気です。私にはよくわかりませんが、それはつまり、他の人にその人の絵を買わせようとする意志の、発生源のようなものです。

 竜水さんのいる場所はまさしく戦場と行っていいでしょう。毎日絵を描く。いつまでも描く。よほど好きでないと続かない仕事です。私にはできないでしょう。絵を描くことは竜水さんの一番の特技です。

 私は竜水さんを支えます。支えたいと思っています。

 竜水さんのお姉さん、沙雪さんを目にしたとき、彼女が心の底から笑っているのを見て、憧れました。私もあのようになりたい。実は先日、竜水さんは沙雪さんと一緒に敵情視察に行きました。私は置いて行かれました。留守番をしろとのことでした。私の心は釈然としない澱をもったままでした。

 この気持ちはなんだか調べてみたところ、一番近いのは寂しさだと思いました。もっとも、字面だけでその内容を知るのと実感するのとはわけがちがいます。こんなに不快なものだとは知りませんでした。不快とは、危険の兆候です。だから、さみしがるはよくありません。私はなるべく平静を保つこととします。

 書きたいことがいろいろとあります。でももう今日の分の容量がいっぱいになってしまいました。本当はまだまだ書きたいことがあります。次からは分量を増やしても良いでしょうか。

 良いお返事を。

 それでは。

  EK-00 Name ナユタ

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