第二章 新撰組結成への道のり

1 近藤勇の道場


―――


 近藤勇は十六の時に近藤周助に太刀筋を認められ養子になった事は第一章で述べた通りである。


 周助の道場は小石川小日向柳町の坂の上にあった。

 周助は中々の使い手だったが、既に老体で名前も周斎と改め、自ら竹刀を手にする事は無くなっていた。


 道場は稽古場と外に住居がついていて、「試衛館しえいかん」といった。

 流儀は天然理心流といい、武州三多摩に育った剣法である。



 塾頭で師範代を任せられていたのが、奥州白河を脱藩した沖田総司おきたそうじ、まだ二十歳になるかならないかの若者だったが勇の弟弟子で剣法は天才的だったといわれている。


 土方歳三や井上源三郎いのうえげんざぶろうの他に、千葉周作の玄武館で北辰一刀流の目録をもらった藤堂平助とうどうへいすけ、そして他流ではあるが松前を脱藩して江戸にぶらぶらしていた永倉新八ながくらしんぱちや、伊予松山の脱藩者で種田宝蔵院の槍を使う原田佐之助はらださのすけも入り浸っていた。

 山南敬助さんなんけいすけは仙台の脱藩者で、最初は試衛館に立会に来たのだが、勇に竹刀を弾かれそれをきっかけに門人になった。



 勇の性格については、道場で他流試合などがあるとそれに来た浪人たちを手厚くもてなし、無作法な振る舞いをする者もいたがいつもニコニコして腹を立てる様子もなかった。


 その度胸が座ったところや寛容な広い心を持っているところには誰もが一目置いた、と維新政府との戦いで生き延びた永倉新八が自伝で語っている。


 この勇の温厚で柔和な性格が数多くの隊士を集め、そして引っ張っていく事ができた要因の一つであると私は思う。



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