最期の日に僕は

Sin Guilty

最期の日に僕は

 に感謝を伝えようと思う。


 夏。


 真っ白な積乱雲と、抜けるような青空。


 今日は夏休み初日。


 そして地球最後の日。


 見慣れた夏空を切り裂くようにして落ち来る彗星――符号では「C/2018 O1」、最初に発見したJAXAの赤外線衛星ASTRO-Kの愛称に由来してつけられた名称は「まほろば」――はもうすぐ地球に衝突する。


「おぉ……」


 思わず声が出る。


 誰もいない学校の屋上から夏空を見上げる僕の頭上を通過し、ものすごい速度で地平線を遮る生駒山の向こう側へと突き抜けてゆく。


 パニック物のハリウッド大作でも、こんなものすごい映像は見たことが無い。


 文字通り天空を割るようにして地球にたどりついた彗星に度肝を抜かれている数秒で、それは本当に地球に衝突した。


 轟音。


 スケールが日常とは違い過ぎて、どのあたりの高度を通過して行ったのか、世界地図でいえばどこに墜ちたのかはさっぱりわからない。


 わかっているのは、これで地球はお終いだということだけ。


 結局、総力を挙げた人類の英知は宇宙を旅する巨大質量に一切通用しなかったということだ。

 

 そもそも「C/2018 O1」に関しては、それまで人類が「彗星」と見做していたものとは全く異なる存在らしい。

 まあそんな事を言われても、ただの高校生に難しいことはよくわからない。

 

 「C/2018 O1」の正体が何であれ、それが地球に衝突する軌道を取っていること、そして衝突すればこの星が砕けるということを理解できていれば十分だろう。


 そして今それは、僕の眼前で進行中。


 地平線を隠している生駒山が嘘みたいに砕け、その向こうにあったはずの大阪や神戸の街を巻き上げながら地表が津波のようになってこちらに向かってくる。


 それを追いかけるように、見たこともない光が全てを飲み込もうとしている。


 終りの景色。


 二年前に告げられた、地球の最後が進行している。



 夏。

 

 真っ白な積乱雲と、抜けるような青空。


 その真ん中に、最近話題になっている巨大彗星「まほろば」の白い影が浮かんでいる。

 

 どこか遠くに聞こえる蝉の声と部活動の声。

 澄んで響く、金属バットが白球を捉える音。

 

 かすかに届く笑いさざめく声や、吹奏楽部が練習している楽器の音。

 

 今日は夏休み初日。

 午前の早い時間帯のため、まだ本格的な暑さにはなっていないとはいえ充分に「夏の日」だ。

 

 部室棟は夏休みに入っても、いや入ってからのほうが活況を呈している。

 一方で一般教室棟はそれらの音を遠く聴きながら、静けさに包まれている。

 

 全くの無音よりも、今みたいな状況のほうがより強く「静寂」を感じさせるのは不思議だな、と教室に一人佇みながら何とはなしに考える。

 

 一年三組。

 ここは僕が一学期間通っていた、僕の教室だ。


 一応は。

 

 残念ながらいい思い出はあまり無い。

 いやもっとはっきり言えば吐き気がするような記憶しか無い。

 

 中学の頃は目立たないまでも、ごく普通に生活できていたと思う。

 陰で何かを言われることはあったかもしれないが、少なくとも自分の生活に具体的な影響を与えられるようなことはなかった。

 数こそ多くは無いが、気のあった友人たちと穏やかな中学生活をおくれていたというのが正直なところだ。

 

「教室」という単位で言えば脇役にさえもなれていないかもしれなかったが、それで充分だった。

 

 高校に入ってそれが一変した。

 

 理由はいまだによくわからない。

 

 たまたま同じ中学からのクラスメイトが居なかったせいかもしれない。

 たまたま性質の悪い集団がいるクラスになってしまったのが悪かったのかもしれない。

 たまたま担任がまだ大学を出てすぐの女教師で、に慣れていない、というよりも見てみない振りをする性格だったのが状況の悪化に拍車をかけたのかもしれない。

 

 でも結局は自分が一年三組の中で最も「いじめ」の対象になり得るような存在であり、「いじめ」を呼吸のようにする連中がクラスメイトの中にいたことが全てを決定付けたというだけの話だ。

 

 何をしたからという訳でもなく、一方的にそういう立場に追い込まれた。

 あっという間に。

 

 そうなってしまえば誰も助けてはくれない。

 もとより付き合いがあった訳でもない、本当の意味で名ばかりのクラスメイトが手を差し伸べてくれるわけもない。

 

 ドラマや漫画ではないのだ。

 

「いじめ」をする集団よりよほど圧倒的な何かを持たない限り、いや持っていたとしても。

 ただの正義感で、付き合いが深い訳でもない冴えない自分に手を差し伸べるのはリスクばかり高くてメリットなんかない。

 

 それを責める気にはなれなかった。

 自分だってクラスメイト達の立場であれば、見て見ぬふりをするだろうと思うからだ。

 

 だけど「いじめ」の現場を見てしまったクラスメイト達が僕に向ける、後ろめたさと、憐れみと、自分でなくてよかったという安堵の入り混じった視線は耐え難かった。

 

「いじめ」というには表現では生易しい、一方的に加えられる暴力による痛みよりも。

 死んでしまいたくなるほどに。

 

 そしてそれよりも「いじめ」に屈し、抵抗もできずみっともなく好きなようにされる僕自身がなにより嫌だった。

 

 頭ではわかる。

 

 勝てないにしても全力で抵抗すれば、奴らは対象を自分から別に変えるだろう。

 逆らわれたことに逆上して、今より過激な暴力に出るかもしれないが、そうなってしまえば学校や警察の介入もある。

 奴らの悪意はそこまの「覚悟」をもってはいない。

 抵抗しない相手を選んで、ちょっとした憂さ晴らしをしているだけなのだ。

 

 別にこの高校は地域で一番程度の低い学校というわけではない。

 地方都市とはいえ県庁所在地の中では、上から数えたほうが良いくらいの高校なのだ。

 

 奴らもこの学校の一年生ヒエラルキーの中で最上位とはとても言えない。

 それどころか真ん中よりも下と言えるだろう。

 その証拠に、他のクラスメイトに「いじめ」の現場を見られたときは、あわてて「悪ふざけ」の態を取る。

 

 自分たちより上の人間の介入や、教師の介入を恐れている証左だ。

 

 そこまで頭では解っていてなお、僕は奴らに好きなようにされる。

 みっともなく「やめてくれよ」と、「洒落になってないよ」と、自らも「悪ふざけ」の態を取ることで惨めさを薄めようとして、その夜に自己嫌悪で吐きそうになる。

 

 だけど抵抗できない。

 暴力の前に体が、いや心が竦むのだ。

 

 頭では解っている「必要な抵抗」がまるでできない。


 してもしなくても暴力にさらされるなら、一矢報いてしかるべきだ。

 他人事なら自分もそういうだろう。

 

 なのにへらへらと、限度を超えた「暴力」を我が身に受け続ける日々は一学期の間中続いた。

 

 終業式である昨日は情けないけれど正直ほっとしていた。

 これで夏休みの間は、惨めな思いをしなくて済むと。

 

 でも二学期は確実にやってくる。

 そうなればまた同じ日々が続くのだ。

 

 ふと、死のうと思った。

 

 僕は簡単な筈の抵抗すら出来ない人間だという事は、一学期の間にいやというほど理解できた。

 クラスメイトなどの他人の救いも期待できないことも、一学期の間に十分理解できた。

 ダメもとで相談した担任も、よくあるテンプレの回答でお茶を濁して介入はしてくれそうもない。

 兄弟はいないし、母親ははやくに亡くしている。

 父親は忙しく働いていて、自分の息子がいじめられているなんて想像もしていないだろう。

 

 父親は強い人間だ。

 相談しても我が子の惰弱さの方を理解できないだろう。

 

 僕自身ですらそう思うのだから、無理もない。


 たぶん僕は出来損ないなのだろう。


 中学の頃は運よくそれが露呈していなかっただけで、こういう状況に陥ると顕著にそれが現れる。

 

 それにもう、僕の立ち位置は取り返しがつかないことになっている。


 奴らに好きなようにいじめられ、抵抗もできずにへらへらしている蔑みの対象。


 悪いのはいじめているやつらだと思うのだが、抵抗もできない僕に対してそういった評価が下されているのは伝わる。

 なにより僕自身でもそう思ってしまう。

 

「やっぱり死んだ方が楽だな」

 

 教室まで来て、奴らの机に何か残してやろうかとも思ったけど何も思いつかなかった。

 そういう事が出来る人間なら、一学期の間に抵抗もできたのだろう。

 結局本人たちが居なくても、何もできない。

 

 どうやらそれが僕の正体なのだ。

 

 だけど心は痛む。


 抵抗もできず、へらへらといじめられ、クラスメイトから侮蔑の視線を向けられれば心は血を流すのだ。

 

 他人は「死ぬほどの事か?」というだろう。

 だけど僕は思ってしまったのだ。

 

 死んだ方が楽だと。

 

 望むのは復讐でも、今更受け入れてもらうことでもない。

 これからも毎日続く、僕にとって地獄のような日々から解放されるなら、それでいいのだ。

 

 なにもいい思い出もなく、死を思いとどまらせる要素の一切ない教室を後にする。

 しんとした廊下を歩き、階段を上って屋上へ上がる。

 

 そこから飛び降りればすべてが楽になるだろう。


 来世が玉葱でもタイヤでも知ったことではない。

 一緒に跳ぶと言ってくれる人も、来世でもまた会いたいと思う人もいはしないのだ。

 

 死ぬ瞬間の痛みは相当なものなのだろうが、おかげさまで痛みには慣れている。

 それにそれが永遠に続くわけでもなく、一度で終わると来た。

 

 楽なものだ。

 

 楽になりさえすれば後はもうどうでもいい。

 どうでもいいのだ。



 一応付いてはいるが、いつからかわからないほど昔から壊されている鍵を外し、屋上への扉を開ける。

 

 その瞬間、遠く聞こえていた蝉の声や部活動の喧騒が強く聞こえる。

 目に入ってくる、抜けるような空の蒼と、純白の積乱雲。

 強い強い、夏の日差し。

 強烈な暑さにあっという間に身体が汗を噴き出すが、緩やかに吹いている風のおかげでそれほど不快ではない。

 

 生命感あふれる、夏の日の一日。

 

 そのまっただ中で死のうとしている自分に妙なおかしみを覚える。

 

 誰が見ている訳でもない、狂言で死ぬふりをする必要もない状況だ。

 その瞬間には翻るのかもしれないが、今は間違いなく「死ぬ覚悟」が出来ているつもりだ。

 

 にも拘らず、死に際しておかしみを感じる人間の心というのは不思議なものだと思う。

 

 ここまで来てもったいぶるつもりは僕にはなかった。

 フェンスを乗り越えてひょいと飛べばすべてが済む。

 

 遺書だなんだとしたためる気も、もはやない。

 

 フェンスを乗り越えるのは苦でもなかった。

 その瞬間にはもっと怖気づくものかと想像していたが、意外とそうでもない。

 ちょっと怖いなというくらいだ。

 

 さて逝くか。

 

 こんなにあっさり死を実行できる自分が、たかがあの程度の暴力に抵抗できず、究極の終わりである死を選ぶ。

 それもちょっとおかしいなと思いながら、言うほどの抵抗もなく飛ぼうとした瞬間――



 携帯が、聞いた事のない着信音でけたたましく鳴る。



 緊急速報。

 

 最近話題になっている巨大彗星「まほろば」が、地球に衝突する軌道を取っていることが発表され、大地震の警報のように全ての携帯に配信されたのだ。



 地球の「終わり」を告げるその警報が、僕の「終わり」を止めた。


 二年後に衝突するというのなら。

 二年後に誰も彼も、一緒くたに終わるというのなら。


 自分だけ急いで今終わることが、バカバカしくなった。


 そして終わりを告げるだけではなく。

 この星に住む者全てが総力を結集してその未来に抗うという意志表明。


 その過程と結果を見てみたいとも、確かに思ったのだ。


 「C/2018 O1 まほろば」


 計測史上最大の彗星。

 それが地球に衝突することを発表した各国首脳部の思惑は未だ明確にはなっていない。


 普通に考えれば隠す。


 そして特権階級、選ばれた者たちだけが救われるシナリオを水面下で進めるというのがこれまでいくつも創作されてきた地球滅亡クライシス系では定番と言っていいだろう。


 だが現実では、衝突が確実視されてからほぼ最短と言っていい準備期間だけを置いて全世界に向けてあらゆる手段で発表された。


 その骨子は「諦観」ではなく「抵抗」


 どうしようもないと思われる規模の彗星の衝突に対して、現在の人類が持つあらゆる力を結集して生き延びることを目指すことが発表されたのだ。


 国家の枠を超えた協力。

 人が人である限りなくなることは無いとまで言われた、戦争をはじめとした人類同士による殺し合いの完全停止。


 まずは二年後を生き延びることを前提として、出し惜しみすることなくつぎ込まれる金と技術。


 不可避の死を前にして、人類が見せたものは意外なことに混乱と自棄ではなく、秩序と矜持であったのだ。


 もちろん暴動や無秩序な行動に出る者たちもそれなりの数はいた。


 だが国家は国家としての存在意義を手放すことなく、それらを制御しながら真の意味での国家間協力を実現してみせた。


 一般には隠されていた技術の最先端は、創作の世界よりも一部すすんでいるものすら存在した。


 それらを独占することなく共有し、打てる手の悉くを打ってゆく。

 

 彗星そのものを破壊するゲイ・ボルグ計画。

 彗星を弾くための複数の防御衛星連動によるイージス計画。

 イージス計画に連動して世界中で展開されたシェルター建築を軸としたアガルタ計画。

 地球が破壊されることを想定した、情報を満載した播種船を複数製作するシーズ計画。

 厳選な抽選の結果選ばれた生きた人間と動物たちを宇宙船で逃がす方舟アーク計画。

 

 その他あらゆる「生き残るため」の計画が複数同時に進行し、諦観を蹴り飛ばしたように人々は文字通り死にもの狂いでそれらの計画に取り組んだ。


 発表前から進められていた基礎研究、準備を土台に、真摯に取り組むその状況は絵空事だと思われていた「世界を一つに」が現出していると言ってよかったかもしれない。


 いくらでもやる事があり、その為に富をぶん回す政策は忙しいが豊かな暮らしを生み、たった二年間とはいえ人の多くが充実した、本当の意味で幸せな時間を過ごせたとも言える。


 自分たちが思っていたよりも、ヒトというものはマシな生き物であったらしい。


 死を前にしてやっとそれが形になるというのは、自分たちでもちょっとどうかとも思ったのだろうが。



 大きな視点でそういう変化があれば、人の暮らしという小さな視点でも変化は顕著だ。


 だれもが「生き残る」ことを目指して全力を上げている状況で、虐めだの差別だのといったくだらないことは恥ずべきものとされ、姿を消した。


 二年後を越えて「未来」へ繋がることを信じた人類は大人も子供もなく「その先」でこそ必要な教育には注力し、受験特化の勉強から容易に離れることはできないまでも熱心に行われた。


 そして「命短し恋せよ乙女」ではないが、先延ばしにしている場合ではない若者たちは己の恋の成就に必死になり、思いを遂げられる者も、遂げられない者も後悔だけは無いように行動した。


 弊害というわけではないのだろうが、自棄によるボイコットやテロに走るわけでもないまでも、恋や愛に情熱を向けられない者たちは快楽だけを求めてフリーセックスが一部で支持されたりもした。

 意外と「種の危機に晒された状況」としては正しいものとして、割と容認されたのが面白い所と言えるかもしれない。


 一方で「犯罪」に対しては苛烈な取り締まりが徹底され、滅びを前に矜持を放り出して無秩序に陥ることだけは徹底して忌避された。


 軍や警察に身を置く者たちこそ、その矜持が強烈であったことはヒトという種にとって福音であったと言えるだろう。



 そんな中、一度は死を覚悟し、世界の終わりを見てみようとばかりに撤回した彼の意識も大きく変わってゆく。


 大きく変わった世界で足掻き、なんとかして生き延びようとのたうち回る人類の一員として、生きたいと思うようになってゆく。



 だがそれらの積み上げられた抵抗は全てが無に帰した。


 ただ現象として、たまたまその軌道上に地球があっただけの「彗星」は無慈悲に全ての抵抗を打ち砕き、そのまま星も砕こうとしている。



 人類は、敗北したのだ。



 死の瞬間にこれまでの人生を走馬灯のように思い出すというのはどうやら嘘らしい。

 僕の人生に思い返すほどのことが無いということかもしれないが、まったくそういう状況にはならない。


 ちょっと自己嫌悪。

 いや、走馬灯説が嘘であることを支持したい。


 一方、全てがスローモーションになるというのは本当だった。


 見慣れた風景が終わっていくのが、ものすごくゆっくりと確認できる。


 見たこともないような色に変わった空、消し飛んだ積乱雲。

 光と共に冗談のように地表がめくれ上がり、呑まれて溶けながらゆっくりとこちらへ向かってくる。


 僕らの街に海はないけれど、地球中の海が一瞬で干上がったのかもしれない。

 ふふふ、これでみんな奈良県を馬鹿にはできまい。


 終りの風景。

 終末の映像。


 こんな状況では人類の英知を結集した地下シェルターもひとたまりもないだろう。

 一縷の望みをかけてそこへ避難していた人たちも、みんな消えていっているということなのだろう。


 ふと月辺りから今の地球の情景を見たいなと思った。


 この星の表面からたかだか15㎞も掘り進めなかった僕たち人類が、星ごと砕く衝突を生き延びることはやっぱり無理だったわけだ。


 それでも抗ったということが大事な気がする。

 自己欺瞞かもしれないけど、本当の死に臨んでそれは無いと思いたい。


 二年前に「世界の終わり」を先延ばしにした時とは、まるで違うことを考えている。


 あの時は自分が消えれば、世界も消えるのも同義だと思っていた。

 自分視点でしか世界を見なければ、それは一つの正解なのだろう。


 だけど先延ばしにした二年で、どうやら僕は変わったらしい。


 たとえ自分が消えても、誰かが居てくれることを祈っている。

 それがもう無理な状況に至った今でも、なお。


 その祈りが届かないことは残念だけど、地球が消えたって世界は消えたりしない。


 地球を砕く「君」はこれからも宇宙の旅をつづけ、僕らの残骸は君の周りにしばらくは漂うのだろう。


 それはそれでいいような気もするけど、やっぱりできれば死にたくないというのが今の本音だ。


 もはや自分の意志ではどうしようもないけれど。


 ふと、笑う。


 論ずるに値しない理由でも、二年前に本気で死を望んだからこそ思う。


 「死にたくないなあ」と思いながら死んでゆくのは、あるいはとても幸せなことなんじゃなかろうかと。


 少なくとも「死にたい」と思って自ら死ぬよりはずっといいだろう。

 

 たぶん。


 そんなんお前だけじゃ! と他のヒトたちには言われるかもしれないけれど、少なくとも僕にとっての僕の死はそれでいいと素直に思った。


 だから。


 地球上のほとんどの人から忌み嫌われ、終わりをもたらすものとして憎まれているであろう君を、少なくとも僕は好きでいようと思う。


 二年前、君のおかげで「終わり」を先延ばしにしてから実はずっとそうだったんだ。


 そして不治の病である厨二病に罹患していた僕は、妄想の中で君に僕だけの名を付け、もしも人だったらなんて想像しながら過ごしていたんだ。


 もしも君に意志があったらさぞきもかろうが、そこは流してくれれば助かる。


 ありがとう。


 君が地球に衝突してくれるから、二年前に僕は消えずに済んだ。


 そして君を想いながら生きたこの二年で、消えたくないと思えるようになったし、消えて欲しくないと思える人もたくさんできた。


 そして僕なりには幸せに、死にたくないなあと思いながら死んでゆける。


 君に殺されると言えるのかもしれないけれど、君が居なければ二年前に僕は自分で「死にたい」と思って死んでいたんだ。


 だからありがとう。


 君がこの星を砕き貫いた後でも、しばらくは君の周りに引っ付けていればいいんだけれど。


 ああ、光が迫ってくる。


 できればここらでスローモーション化を切ってくれればありがたい。

 消えていく自分をゆっくりと体感するのは「それなんて拷問?」と思うから。


 一瞬で済ませてくれるとありがたい。


 僕は僕の最後の瞬間に、君に付けた名を呼び、妄想していた姿に掻き抱かれるイメージをしながら消えてゆく。




 うん、我ながらきもい。



 夏。


 真っ白な積乱雲と、抜けるような青空。


 どこか遠くに聞こえる蝉の声と部活動の声。

 澄んで響く、金属バットが白球を捉える音。

 

 かすかに届く笑いさざめく声や、吹奏楽部が練習している楽器の音。

 

 みながシェルターに避難し、人っ子一人いなかったさっきとはまるで違う、二年前までの普通の夏休みの一日が僕の目の前に在る。


 ただし空には「彗星」はない。


 そして緊急速報が鳴ることもない。


 どうやら二年前の屋上らしいけれど、僕の記憶はついさっきまでと途切れることなく連続している。


 つまり死ぬ気なんて全くない。


 割と記憶力には自信がある僕の、二年前の風景とは決定的に違う点が一つ、目の前に在る。


 僕の妄想が、そのまま形になったような少女がつかみどころのない表情で僕と同じ屋上に立っている。


 着ている服はご丁寧にここ、登美ヶ丘高校の制服だ。


 どうやら君は、僕の妄想通りに擬人化したらしい。


 これが僕が死の間際に見ている最後の妄想でなければ、だけど。



 何がどうなってこうなっているのかは、厨二病に罹患しもう手遅れな僕の脳では、いや「でも」全くわからない。


 でもまあいい。

 世の中、僕にはわからないことの方が多いのは今に始まったことでもない。


 それにその方がいい。

 

 ずっといい。


 死にたくなかった僕が死なないままにここにいて、君が妄想通りの姿で目の前にいるなら文句なんてある筈もない。


 いつだって「現実は小説よりも奇なり」なのだ。


 所在無げに佇む、僕の理想をそのまま形にしたような少女に、微笑みかける。


 たぶん僕は彼女の名前を知っている。

 だけどここはあえて問おう。


「君はだれ?」


「私は――」




 後日談。


 世界はどうやらまるごと二年前というわけではないらしい。


 いや、すくなくとも僕が住むこの地球においては忽然と消滅した彗星の話題で持ちきりだったし、僕の知る二年前の「発表」はなされないままだ。


 だけど僕の感覚では一年前に出発した播種船はしっかり太陽系脱出を目指していることが確認されたらしいし、地球基準ではなく宇宙基準で調べれば今は「衝突」の瞬間――つまり今の地球からすれば二年後の世界とのこと。


 そろそろ太陽系を脱しそうな播種船と全く同じものが現在急ピッチで建造中ともなればそりゃパニックにもなるだろうとは思う。


 もっともそれを知っているのはかなり限られた立場の人間のみらしいが。


 この地球で、衝突の記憶を持っているのは僕と彼女だけ。


 つまり今いるこの世界は、時間が遡ったわけではないということだ。


 彼女が再構築した、寸分たがわぬ「二年前の地球」

 衝突も、それによる消滅もしっかり現実だったというわけだ。


 だけどそこで終わらず、僕らの世界は続く。


 とりあえず。


 擬人化してしまったらしい「彼女」と、高校最初の夏を過ごそう。

             

                                              to be continued?

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