今年の夏は暑いから、ランプの魔神をエアコンにしてみた。

餅から

第1話

 今年の夏は猛暑だ。

 もう、しょうがねぇなーなんてくだらないギャグを思いついてしまうくらいには頭が茹で上がってきてる。

 それなのに家に備え付けてあったエアコンは、電源を入れた途端に無慈悲な鳴き声をあげてお亡くなりになられた。キュイーって言ってた。キュイーって。ちょっと可愛いじゃねぇか。


「──というわけだ。新しいエアコンが欲しいので案内してくれ。」


 俺は近所の電器屋に行くと、手近に居た女性店員を捕まえてそう伝えた。

 彼女はニッコリと素敵な笑顔で頷く。


「ありません。」


 そのまま振り返って去っていこうとする店員の肩を慌てて掴む。


「待て待て待て待て! おかしいだろ! エアコンだぞ。無いわけないだろう。おかしいのか? おかしいのは俺か? ここは電器屋だよな?」

「ええ、確かにここは電器屋ですし、私は店員。本当であればお客様をエアコン売り場へとお連れするのが役割ではございます。ですが……」


 肩越しに店員が俺を睨みつけてくる。


「開店早々『黒髪ぱっつんロングのジト目クール美少女型エアコンを所望する』なんて言われては無理です。理解不能なんてものを通り越して恐怖しかありません。今こうして話しているだけでも脚が震えています。」

「……確かに。生まれたての子鹿のようにプルプルしているな。」

「そういうわけなので、手を離してください。あと恥ずかしいのであまり脚を凝視しないでください。」

「断る。」

「叫びますよ?」

「オーケーわかった。手を引こう。だから思いとどまってくれ。」


 俺は両手を上にあげて降伏の意思を示す。

 今日は休日。周りには家族連れや暇そうなおっさんや暇そうな兄ちゃんがたくさん居る。ここで彼女に叫ばれたら、俺に一切の非が無かったとしても社会的に殺されてしまうことだろう。

 今後のことを考えるなら捕まるわけにはいかない。

 幸いだったのは黒髪ぱっつんロングのジト目クール美少女型エアコンがまだ存在していない事実がわかったことだ。それなら、起死回生のチャンスはある。


 俺は、ため息をつきながらこちらに向き直ってくれた女性店員に対して、最大限の敬意を込めて言葉を綴った。


「ゆるふわ金髪ツンデレ美少女型のエアコンをくれないか。あ、性格はお嬢様タイプで直径は百五十センチくらいが良い。」

「店長ぉぉぉぉ!!! てんちょぉぉぉぉー!!」

「なぜだっ!?」


 女性店員が悲鳴をあげながら猛ダッシュで店の奥へと走り出したので、俺も全力で店から逃げ出した。

 すぐに背後から電器屋の制服を身に着けた巨漢が俺を追いかけてくる。恐らく店長だ。「よくもウチの店員を泣かせたなぁ!」と地獄の鬼も泣き出すような低音ボイスで怒っている。多分今まで戦った敵の中でも最強クラスの戦闘力だろう。


 俺と店長のデッドヒートは二時間にも及んだ。最初こそ近隣の地形を把握している俺が優勢だったのだが、店長は驚異的なスタミナと粘り強さを見せて俺をジワジワと追い込んできた。

 このままでは追いつかれてしまう。そう考えた俺は一計を案じた。


 俺は路地へと駆け込むと、しばらく進んでから足に力を込めて地面に足跡をつけた。そして、その足跡をうまく踏みながら数歩下がり、すかさず横へと飛ぶ。

 そう。これは動物が追跡を撒くために利用する野生の知恵。『バックトラック』だ。

 ここは都市部。俺は横の家の塀を乗り越えて、そのまま反対側へと隠れた。


「どこ行きやがった!!」


 店長が走ってきた。ちょうど塀を挟んだ向こう側で立ち止まったようだ。


「ぬぅん? これは……」


(どうやら足跡に気がついたようだな。そのまま野生の力に翻弄されてしまえ!)


「これは……」


 店長が困惑した様子で言った。


「…………なぜ、ここだけ足跡があるんだ?」


(し、しまったぁぁ!!)


 俺は自らの失策に気がついた。

 バックトラックを実施する時、俺は地面へ足跡をつけた。

 だが、さっきも言ったようにここは都市部。すなわち地面はコンクリートで舗装されている。そのため、普通に走っているだけなら足跡が付くはずが無かった。

 そこに気が付かなかった俺は、バックトラックをする直前にだけ足に力を込め、コンクリートに無理やり足跡を作った。そのため地面の上には綺麗に五歩の足跡だけが刻まれていたのだった。


 これではバックトラックは機能しない。

 ただ「道の途中にいきなり足跡が出現して、そして消えた」という怪奇現象が発生するだけだ。


 こうなったら後は塀の裏で息を殺して店長がどこかへ行くのを祈るしかない。


(……どこかへ……? はっ!)


 そこまで考えて俺はさらに重大な事実に気がついた。

 バックトラックのことを店長が知っていたとしたら、獲物はその足跡から横に飛ぶという事実に行き着くだろう。

 横……つまり、俺が居るこの塀の裏だ。


 俺は店長がここに来る前に逃げなくてはいけなかったのだ。

 それなのにバックトラックを完成させたことで満足し、あまつさえ店長が野生の力に翻弄される様子を見たいと思ってしまい、自ら墓穴を掘ったというわけだ。


 今から動いたら間違いなく店長によって補足されてしまうだろう。俺にはもう、息を殺しながら死ぬその瞬間まで祈り続けることしかできないのだ。


 心臓の音がやけに大きく聞こえる。

 そんなはずが無いことはわかっているのに、この音で居場所がバレるのではないかという錯覚にすら陥る。


「足跡……ここだけ……………そうか……!」


 店長の声。もう駄目だ。

 そう思った次の瞬間。


「奴め、ここから空を飛んで逃げたんだな! そうはさせるか! 待てぇぇぇ!!」


 そう言って、店長は今まで以上のスピードで虚空の彼方へと走り去っていった。


「た、助かったのか……間抜けなやつで助かった……」


 というか普通人間は空を飛ばないと思うのだが、あの男は一体何者なのだろうか。

 俺は塀を再び乗り越えて元の道へと着地する。

 店長の足音ももう聞こえないし、どうやら本当に俺を見失ってくれたようだ。


 なんとか深呼吸をして落ち着きを取り戻し、改めて周囲を見渡す。


「どこだここは。逃げるのに夢中で知らない場所に迷い込んじまったな。」


 適当に周辺を歩き回ってみたが、まるっきり見たことがなかった。

 そもそも俺がこの近辺にやってきたのも数日前だ。地形は予め覚えておいたが実際に出歩くことは殆どなかったので景観には疎い。ここが家の近所だと言われても不思議ではないだろう。

 それにせいぜい走って二時間の距離だ。歩いていれば目印になるような建物が見つかるだろうし、駄目でも駅かコンビニを探せばいい。


 そう考えて、とりあえず大通りに出ようと路地を歩き始めたのだが、その途中で視界の端に光る何かを見つけて足を止めた。


「ん?」


 どうやら粗大ゴミ置き場らしい。ソファやら冷蔵庫やらタンスやらがゴチャゴチャと置かれており、その中に埋もれるようにして金色の何かが光っていた。


「ヤカン……? いや、ランプか。本当にこんな形のランプなんてあるんだな……」


 手にとって見ると、それはまるっきりおとぎ話に登場する魔法のランプそっくりであった。お湯も注げそうなフォルムをしているが、口のところに火を灯すのが正解だったはずだ。

 一体誰がこんなものを捨てたのだろうか。薄汚れてはいるが光を反射してキラリと輝いているし、足の部分には小さい宝石らしきものが散りばめられている。売ればそこそこの値段になりそうだ。


「ま、ランプを見つけたらやることは一つだな。」


 俺はランプの腹のあたりをゴシゴシとこすってみた。


「……指が汚れた……」


 ランプには何も起きない。

 そりゃそうだよな、とため息をつきながらランプを元の場所へと置いた。


 別に何かが起こるなんて思ってはいなかったが、それでも何も起きないと少しガッカリしてしまうのは男だからだろうか。男はいつだってロマンを求めるのだ。


 だが、俺がその場から立ち去ろうとした時だった。


「……ん?」


 突然、ランプがカタカタと揺れ出した。


「まさか……」


 最初は気のせいかとも思ったが、すぐにハッキリとした大きな揺れへと変わっていく。

 そして数秒後、ランプが空中に浮かび上がったかと思うと、ランプの口から色とりどりの煙が吹き出した。


 煙はまるで何かに操られるかのように一箇所へと集まっていき、徐々に人の形にまとまっていく。

 そして、気がつけばそこには一人の少女が立っていた。


「ふははは! よくぞ私を呼び出したな若者よ!」


 そう、少女だ。だいたい十二、三歳ほどのぺたーんとした少女が出てきたのだ。燃えるような赤い髪は光の反射でキラキラと輝き神秘性を増しているし、褐色の肌にベリーダンス風の衣装は更にその印象を加速させる。ランプから出てきたところを見ても間違いなくランプの魔神なのだろう。


「……なんか思ってたのと違うな。」

「反応薄くない!?」

「だってランプの魔神だろう? もっとこう、毛むくじゃらでターバン巻いたオッサンとか、青いオッサンとか、オッサンが出てくるのを想像してたんだが……なんか小さくて、『ふははは!』とか高笑いされても威厳が感じられないというか……」

「出てきた瞬間にダメ出しされたのは初めてなんだけど……えっ、何? 女の子よりもオッサンのほうが嬉しかった? 呼んでこようか?」

「呼べるのか……いや、オッサンよりは可愛い女の子のほうが嬉しいからそのままでいいよ。」

「かわっ……!? お、お世辞なんかに屈しないわよ!!」

「そこは別に拾わなくていい。」

「んだよ!」


 魔神の少女が蹴りを入れてくる。痛くはない。


「でもほら、このあとって三つの願い事を叶えてくれるんだろう?」

「当然のように言われるとありがたみが薄れるけど……ま、その通りよ。私の力の及ぶ範囲なら大体の願いなら叶えられるわ。」


 むふん! と少女が得意げに胸を張る。ぺたーん。


「それで、どんな願いが良いの? 誰かを殺す? それとも大金持ちを殺す? 嫌いなやつを殺す?」

「殺す選択肢多いな。」

「よく頼まれるから。」

「物騒な世の中だ。だが、やっぱりその見た目だと半信半疑というか、本当に願いを叶えてくれるのかなーって思うんだけど。」

「叶えられるわよ! 失礼ね!」

「いや、でもほら。例えば俺は今迷子なわけだけど、ここから『家まで送ってくれ』って言ったとして、俺の家とかわかるもんなのか?」


 俺の言葉を聞いた少女がニヤリと笑う。


「……ははぁん。要はアレでしょ。『お前にそんなことできないだろ!』って煽って、私がムキになって願いを叶えたら『あれは勝手にやったことだから願いに含まれませーん!』って言うつもりでしょ。残念だったわね、お見通しよ!」

「そういうのじゃなくて。」

「そういうのじゃなくて!?」

「本当に何かできるのか能力を見せてほしいんだよ。店頭でお試しとかできるだろ? あんな感じで一回見本ってことで家に送ってほしいんだ。」

「え、ちょっと、ええ……? 知的な駆け引きとかないわけ?」

「ないなぁ。頼むよ。」

「そんなこと言われても、そういうのは魔神の法則的には駄目なのよ。」

「そこをなんとか! 俺もこんなに可愛いランプの魔神が出てきて混乱してるってのもあるんだ。ほら、誤差ってことで!」

「だからお世辞なんかに屈しないってば! 仕方ないわね! 本当はルール違反なんだからね? 特別だからね!」


 少女はニヤけるのを隠しきれないまま指をパチンと一回鳴らした。すると、突然視界が歪んだように見え、気がついたときには俺は少女とともに自分の家に居た。


「お、おお! 本当に俺の家だ!」

「どんなもんよ! これで信じてくれたかしら?」

「ああ、バッチリだ! これならなんとかなりそうだ!」



 正直半信半疑ではあったが、こうやって力を見せられたら信じなくてはいけないだろう。

 俺は魔神の少女に向かって右手を差し出す。


「俺の名前は瑞星ミズホシハルマだ。」

「ご丁寧にどうも。私はランプの魔神、プランよ。」


 魔神の少女改め、プランも右手を出して握手に応じてくれた。


「よし、プラン。それなら最初の頼みがある。」

「さっそくね。どんな願いでも叶えてあげるわ。」


 その言葉を聞いて俺は嬉しくなる。

 プランこそ、この不快でクソ暑い夏を打破してくれる鍵になる存在なのだ。


「それじゃプラン。お前には──」


 そして俺は、この願いが叶う事実に心底感謝しながらその言葉を口にした。


「──今日からエアコンになってもらう!」

「………………は?」


 長い沈黙の後、プランはその一言だけを発した。

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