不死の王
黄昏林檎
不死の王
「入れ」
国から支給される素朴な甲冑に身を包んだ衛兵に短く促され、金髪の少女は大きな扉の向こうへと歩みを進める。
中は薄暗く、どこまでも下りの階段が続いている。
壁には頼りない光を放つ石が等間隔に埋め込まれているだけで、先を確認することは出来そうにない。
衛兵は、少女が奥に向かったのを確認し、何も言わずに扉を閉めた。
外から入ってきていた光が閉ざされ、かろうじて見える足元に注意しながら、一歩一歩覚悟を決めるようにゆっくりと前進する。
この先に何があるのか、少女は知らない。
知っているのは、いつ始まったのかも、何が原因だったのかも分からない、国同士の戦争を終わらせることが出来る重要な何かがあるということ。
若い女の生贄が必要だということ。
ーーそして、その生贄が自分であるということ。
少女は、幼い頃に貴族であった両親を戦争で無くした孤児だ。
その後は孤児院で暮らし、慎ましくも自分なりに満足のいく生活を送っていた。
そんな彼女に生贄を探していた国の目が留まった。
奴隷を生贄にするのは不敬だとして貴族堕ちの彼女が抜擢されたのだ。
生贄というからには自分は死ぬのだろうかーーと、少女は思う。
場合によっては慰み者として、身を委ねなければならないかもしれない。
何にせよ、ロクなことにはならないだろう。
まだやり残したことはたくさんある。
今まで面倒を見てくれた孤児院にも恩を返していない。
この戦争を終わらせたくて必死に勉強したことも無駄になってしまった。
もう十六歳だというのに恋の一つも出来ていない。
どうして私が……どうして私ばかりがこんな……っ!!
そこまで考えて、いけないと、自分の両頬を叩く。
押し寄せる感情に心が折れてしまいそうになったからだ。
心を強く保ち、ただただ階段を下りていく。
段々と暗闇が晴れていき、やがて少し広い部屋に出た。
「部屋の中央に青い光が……あれが、戦争を終わらせることの出来る何か?」
淡く光る粒子のようなものが一か所に集まっており、質量を持っているのか何重にも鎖が巻かれ、二本の杭によって繋ぎ止められていた。
不思議とその幻想的な光に惹きつけられ目が離せない。
もっと近くで見たいと思い、一歩近づこうとした。
ーーその時。
突如、光が急激な収束をはじめ、光量を増していく。
虹彩が痛むほどの眩しさに思わず目を閉じる。
暫く目を瞑っていると次第に光は収まっていった。
ゆっくりと瞼を開けるが、チカチカと明滅し視界がぼやけている。
何度か瞬きを繰り返し、焦点を合わせる。
一体なにが起こったのか、確認しようと中央を見ると裸形の男があぐらをかいて鎖に拘束されていた。
歳は三十代くらいで若くもなければ年老いてもいないがっしりとした体格の男だった。
裸の男に若い女の生贄、これが意味することはそういうことなのだろう。
覚悟はしていたが、いざとなると怖気づいてしまう。
半ば自棄になりながら自分の服に手をかけーー。
「いやいや、お前何しようとしてんの? あれか、小柄で純粋そうな顔して実は淫乱とかそういうやつなのか?」
…………。
ちょっとなにを言われたのか理解が出来ないですね。
落ち着けと自分に言い聞かせ、思考を巡らせる。
私は国からの命令で強制されてここに来た。
そこに拒否権は無かったし、今の判断は間違っていなかったはず。
私が淫乱? まさか、生贄として仕方なく脱ごうとしただけで私が望んだわけではないはずだ。
よし、大丈夫。大丈夫。
「そもそもなんで俺は拘束されてるんだよ? そういうプレイなの? 用意周到だな、おい。だが、俺に幼女趣味はないんだ。すまないがお引き取り願おう。」
フラれました。
初恋もまだなのにフラれる経験をしました。
体型が小柄なのはまあ、認めましょう。
拘束したの私じゃないんですが!
私まだ一言も喋ってないんですが!
私が一体どんな気持ちでここに来たか!
「おい、黙って聞いてれば好き勝手に言っーー」
「とりあえず服くれよ、ここ地下だろ? 寒いんだよ、風邪ひいちゃうよ。どうせ戦争終結のための生贄とか言われて来たんだろ? いや、生贄とか必要ねえし。すらっとしたお姉さんとかなら俺も吝かではないんだけどよ」
…………。
ダメだ、話を聞かない系のクズ人間だ。
一応、生贄の必要はなさそうなので安心はしましたが。
どういう訳かこちらの事情は知っているようですけど、もうこの人はここに放置しておいた方がよっぽど国のためになるのではないか。
服がどうとか言ってましたけど私、そんなの持ってきてないですし。
なんか怒りがメーターを振り切って逆に冷静になってきました。
「なんかもうどうでもよくなったので帰らせてもらいますね。服もないですし。
そのままここで朽ち果ててください!」
「お前クソの役にも立たねぇな! 分かったよ、良いよ自分で出るから」
男は不貞腐れるように声を荒げ立ち上がると、鎖が繋がれている杭に手をかけ、無造作に引っこ抜いた。
あまりにも簡単に抜かれた様子をみて思わず唖然としてしまう。
「な、なんでそんな簡単に、その鎖で拘束していた筈じゃーー! 杭じゃなくて剣?」
引き抜かれた杭の先をよく見ると、きらきらと光に反射して輝く刃があった。
どれだけの時間かは分からないが、地中に埋まっていたはずのそれは僅かにも錆びている様子はなく、鋼鉄でも易々と斬れてしまいそうな印象を受けた。
突然の凶器の出現に驚きつつも身構え、距離をとる。
「攻撃するつもりはないから安心しろよ。これは俺の愛剣なんだ」
そう言って男は、身に絡まっていた鎖を自分の持ちやすいように肩にかけ、剣を手放した。
……あっ。
「え、ええと。どうやら自分で出られるようなので私はいきますね」
と、逃げるようにして背中を向け歩き出す。
平静を装おうとしたが、顔に血が上り少し上ずった声になってしまった。
「おいおい、攻撃しないとは言ったがすぐに背中を向けるのは無警戒にも程があるぞ。それにどうせだから一緒に行こうぜ?」
「いや、その。さっきまでは鎖で隠れていたのですが、あの、前が……ですね」
「……ウブか」
「悪いですか!!」
ーーーーーーーーーー
「これはこれはご復活おめでとうございます。お加減のほどは如何でしょうか」
階段を上ると、扉を通るときにもいた衛兵が出迎えをしてくれた。
先程までの厳格な態度を崩し、恭しく挨拶をしている。
「おう、調子は悪くないな。それはそうと、こんな格好だしなにか隠せるものをくれ。あ、鎧は動きにくいから勘弁な」
「畏まりました、すぐに持って参ります。時に、そちらの方の処遇はどういたしますか?」
そちらの方とはもしかしなくても私の事だろう。
このろくでなし男とは早く離れたいのでここは自分から……。
「ああ、こいつな。俺と一緒に居たいみたいだから連れてくよ」
「左様でしたか、これはつかぬことを伺いました。ご無礼をお許しください」
衛兵は一礼すると、服を取りにこの場を後にした。
この男、人の嫌がることをわざとやっている気がする。
余計なことは言わないで黙っていてほしい。
出会ってからまだそこまで時間も経っていないのにここまで人を不快にさせるとかもはや才能じゃないだろうか。
「おい、淫乱ロリ。危なかったな、あのまま俺の元を離れていたら口封じに処刑されていたぞ、何度か経験あるから間違いない」
「淫乱ロリは止めてください。って、今なんて言いました?」
処刑される。そう言ったのでしょうか。
口封じ、何のために?
この人の存在は公に出来ないんですかね。
だとすると、生贄というのは建前?
自分でも言っていたように、この男に生贄が必要とは思えない。
危険を冒したくないから手ごろな人を送り、無事に戻ってきたら口封じに処刑する。
無茶苦茶ですが辻褄は合いますね……。
この男は何を知っているのだろう。
戦争の状況も知っていたし、何度か経験があるとは一体どういうことなのか。
知りたい。この人は一体……。
「……アリーヤ・ネイブ・ノーブル、周りからはアリィと呼ばれていました。後で色々訊かせてもらいますからね」
「察しが良くて助かる。俺はフェイルだ。ところでアリィ、家名があるってことはもしかしなくても貴族なのか?」
「ええ、元ですけどね」
と、急に憐れむような目を向けてくる。
私としてはそこまで気にしてませんし孤児院での暮らしは楽しかった。
同情なんてされる謂れはない。
「そうか、淫乱ロリ貴族だったのか……」
「ホイホイと変な属性増やさないでください!」
私普段怒ったりしないんですが何故でしょう、気持ちが逸ります。
言い争っていると、衛兵が戻ってきてフェイルに服を渡した。
まだ怒りは収まらないですがここは大人の余裕を見せます。
「とりあえずこの国の王に挨拶したいんだが、どこ行ったら会える?」
フェイルさんが衛兵に質問する。
そんな気軽にするような質問ではないのだが、この人は恐れを知らないのか堂々と聞いている。
「それでしたらこの先の部屋であなた様のために食事を用意して待っておられます、案内役を請け負っておりますのでこのまま私についてきてください」
衛兵が歩き出し、それに私とフェイルさんがついていく。
あれっ、私って行っていいんですかね?
明らかに場違いなんですが、大丈夫なんでしょうか。
隣を見るとフェイルさんが親指を立てて『安心しろ』とサインを送ってくる。
なんだか余計に心配になってきました。
そんなことを考えているうちに部屋の前についてしまった。
フェイルさんの武器を衛兵が預かり、扉を開ける。
中には五メートルはありそうな長テーブルの上にぎっしりと食事が並べられ、二十席もの椅子が囲んでいた。
テーブルを取り囲む護衛の数は三十を超え、警備の厳重さがにじみ出ている。
部屋の奥には一際大きくて豪華な椅子に座る王。
その隣には侍女らしき女性が慇懃に佇んでいた。
私達を引率していた衛兵が跪き、私も遅ればせながら慣れない動作で跪く。
「待っておったぞフェイルよ。そなたの復活、我は嬉しく思う。この料理はそなたのために作らせたものだ寛容な心で待っておる故、まずはその腹を満たすがよい」
「おう、寛大な配慮に言葉もねぇよ。んじゃ、遠慮なく頂かせてもらうぜ。ほら、アリィも頭なんか下げてないで食えって」
「え、ちょっ陛下の御前ですよ! 無礼ですって!」
王に聞こえないように小声で叫ぶ。
しかしフェイルさんはそんなのお構いなしに私の腕をつかんで引っ張ってくる。
何とか踏ん張って耐えようとするが、力の差があるため、ずるずると引きずられていく。
抵抗空しく椅子まで持っていかれ、ドカッと座らされてしまった。
王は少し驚いたように目を見開き、体に力が籠っていくのが見て取れた。
本格的にやってくれましたこの男。
王の顔がみるみるうちに赤くなっていますよ。
護衛の方々もなんだか剣呑な雰囲気です。
今からでも逃げた方が、いやでもこの護衛を掻い潜るなんて出来ないです。
私今日何回覚悟を決めなければならないんですかね。
フェイルさんに振り回されてばっかりです。
こうなったらイチかバチか……。
「ふはははははは! どうやらそなたは余程贄を気に入ったようだな。よいぞ、その方も食すが良い、更なる寛容な心をもって我が赦そうぞ!」
王が言及したことで場の雰囲気も収まり、護衛たちも神妙になった。
フェイルさんの方を見ると親指を立てて『大丈夫だっただろ?』とでも言いたげにサインを送ってきた。
いや、そもそも危なくなったのもフェイルさんが原因なんですが。
自分のことは棚に上げて満足そうに笑みを浮かべると、おもむろに食事に手を付け、はしたなく音を立てて食べだした。
なんかもういちいち気にするのがバカらしく思えてきますね。
王に食べていいと言われて食べないのも不敬なので食べますが。
作法なんて分からないし、かといってフェイルさんのようにガツガツとはいけない。
緊張で味なんてわかりません。きっと孤児院でみんなとゆっくり食べたら最高なんでしょうけど。
結局、ほとんど味が分からないまま一皿完食させて食事は終了した。
「ふー食った食った。あ、ごちそーさん。飯美味かったぞ」
「結構。よい食べっぷりであったぞ。では早速だが本題に入るとしよう」
王は立ち上がると、フェイルの元へと近づいて言った。
「我が国は度重なる戦争において徐々に劣勢を強いられておる。このままでは戦争に負け、民が苦しむ末路が待っておる。最早そなただけが頼りなのだ。率直に言う、助けて欲しい」
居丈高な態度がなくなり、頭を下げて誠意を見せた王に私はもちろん衛兵や侍女までもがギョッとした様子でフェイルを見やる。
「頭を上げてくれ、俺は王様なんかが頭を下げて良い人間じゃねぇ。心配しなくても戦争は俺が何とかしてやる。だが、そのために腕のいい魔術師が一人必要だ。そこの、俺らを案内してくれた衛兵を借りても良いか?」
「えっ、貴方。魔術師だったんですか!? 魔術師ってこう、ローブとか羽織っているイメージがありました」
「失礼な! 魔術師が鍛えにくい防御面をカバーするのは当然です! そんなことより僕……ですか?」
ビックリして思わず声が出てしまいました。
衛兵さんにとっても予想外だったのか素が出てしまっている。
「そなたの頼みであればよかろう。その方は魔術師長であり、人を導く立場にあるが調整は我が行っておく。厭うことなくフェイルに仕えよ」
「ハッ! 謹んで拝命いたします」
しかも魔術師長とか、すごい人じゃないですか!
今の王の発言はその任を解くと言っているのと同じですけど。
フェイルさんはきっと意図していなくても他人を振り回してしまう、そういう星の元に生まれたに違いない。
「まずは作戦を立てたいから一つ部屋を貸してくれ、そしてその部屋には俺たち三人以外は誰も入れないようにしてくれるとありがたい」
「承知した。情けない話だが、命運はそなたに託す」
ーーーーーーーーーー
用意された部屋にて、私と衛兵さん、そしてフェイルさんの三人で作戦会議という名の情報交換が開かれた。
「とりあえず、僕の名前はキャストと申します。以後お見知りおきを」
私とフェイルさんも同じように自己紹介を済まし、地下でフェイルさんと出会ってからの経緯を軽く話して、本題に入る。
「と、その前にキャスト、この部屋に盗聴防止の魔法をかけてくれないか?」
「分かりました『
片腕を空に掲げ、キャストが叫ぶのと同時部屋全体を薄い膜のようなものが覆う。
空気が少し変わり、無音の圧迫感のようなものが皮膚を伝って感じられた。
「ありがとう、それじゃあまずは俺が何者かから話すぞ」
あ、自分から話すんですか。
こっちとしても異論はないしそれでいいですけど。
「俺は五千年以上前にこの国に仕えていた兵士長だ」
「「へ、へえ」」
「お前ら、普通もっと驚くだろそこは」
「急に五千年とか言われてもピンとこないんですよ」
五千年。ピンとはこないが普通の人間がそんな長い時を生きていられるはずがない。
なんだかんだでこの男は得体が知れない。
話を素直に信じてもいいのでしょうか。
「続けるぞ。その頃はまだ戦争などしておらず、平和な日々を過ごしながら剣の稽古に明け暮れていた時だ、声が聞こえたんだよ。神からのな」
「神? そんなの実在するんですか? にわかには信じ難い話ですね」
「まあ、今は聞いてくれ。その声は俺だけじゃない。世界中の全ての人間が聞こえていた。内容は『一週間後の満月の夜この世の最強を争う大会を執り行う。優勝した者には褒美として不死の力を与える。出場を希望する者は当日にその意を心に念じよ』と」
何でしょうか、その出鱈目な話は。それが本当だとしたら途轍もない規模の大会になります。
それに不死なんてものがあるならどんな数の軍隊でも、どんなに強い一騎当千の相手も敵わない、それこそ無敵の人間が誕生してしまうことになる。
そんな人がいるなら今起きているこの戦争だって簡単に終わらせることができてしまう。
まさか、本当にフェイルさんがその人だと?
いや、断定するには早い……ですね。
ーーもう少し。話を聞いてみましょう。
「その日、世界中の国で会議が開かれた。不死なんてものがあればこれ以上ない戦力だからな。そして、なんとしてでも優勝するために、俺を含めた少数精鋭の小隊が組まれたんだ。その時、不思議とこの話が嘘だとは誰も思わなかった。聞こえた声には根拠のない説得力があったんだ。今思うとそういう魔法か何かをかけられていたんだろうな」
私もそうですが、キャストさんは話を吟味するように無言で聞いている。
今のところ話に信憑性は無いですが、嘘をついているようにもみえない。
今フェイルさんが言ったような魔法を使われている可能性もありますが、魔術師長のキャストさんが反応していないのでなにもないと思っておきましょう。
あっ、元、魔術師長でしたね。
「大会当日。言われたように心に念じると、一瞬で視界が切り替わり、俺は見覚えのないただただ広い荒野の真ん中にいた。周りには見知らぬ人が大勢いて次々と人を殺していた。平穏な日々を過ごしていた俺は恐怖し、やらなければ自分もああなる。その一心で、襲い掛かってくる人を殺していった」
「……何人殺したんですか?」
「十人殺したあたりから何も考えられなくなってあまりハッキリとは覚えてないが、少なくとも一万以上、だな」
一万人。今の国の総戦力が二十万人だと言われているから、その二十分の一を殺したことになる。
今の話が本当なら、頼もしいと同時に恐怖も感じる。
一応ずっと警戒していたつもりではありますが、私を殺すことくらい簡単だったでしょう。
考えれば考えるほど肌が粟立ち背筋に寒気がはしる。
まるで全身が氷漬けにされてしまったかのように動かない。
飄々としていて、捉えどころのない人だとは思っていましたが、素性を知れば知るほど、恐ろしく感じる。
こんな怖いをするよりは、さっきまでのフェイルさんでいて欲しい。
短い付き合いですがフェイルさんとの言い争いも少し、ほんの少し楽しくて……。
「心配すんなって言っても無理だろうけど今は誰も殺す気はないよ。もう人殺しはうんざりだからな……まあ、この話も必要だったから話しただけで、怖がられるのも慣れてるから俺は大丈夫だ」
大丈夫、何が大丈夫なのでしょうか。
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。
それに、何より。
ーーフェイルさんの声が震えていた。
フェイルさんは国に言われて大会に参加しただけで、そこにフェイルさんの意思はない。
私も生贄になれと国から言われた時は辛かったじゃないか。
今思えば私は、地下でフェイルさんに会ってなにもされないと分かった時から、何度も声を上げた。
それは、フェイルさんの発言に腹が立ったのもあったが、単純に心の底から安堵していたからだ。
フェイルさんも同じで、何気ない日常に安堵していたとしたら?
私と何も変わらないじゃないか。
そう思った途端、体の震えが収まった。
都合の良い解釈かもしれない。けど、今はそれで良かった。
それ以上のことはこれからゆっくりと考えればいい。
「私も、大丈夫なようです。私の知らないフェイルさんのことは関係ありません」
「ありがとよ、お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいよ」
まだ声は震えたままだったが、その声音は弾んでいるようにも聞こえた。
ひやひやしましたが、どうやら本当に問題ない気がします。
私達と同じ人間、それがフェイルさんの正体。
「話が脱線しちまったが、結論から言うと俺は戦いに勝利した。一人となった俺の前に神とその従者二人が現れた。そいつらはボロボロになっていた俺の剣を治すと、不死の力を与えて元いた国へと戻した、問題はそのあとだ」
「その剣ってもしかしてこれの事ですか?」
王と面会するときにキャストさんが預かっていた鎖付きの二対の剣。
そういえばキャストさんが預かったままでしたね。
見た感じ、十メートルはありそうな鎖ですけど、どうやって扱うんでしょうか。
「その通りだ。治してくれたついでに、壊れたり錆びたりしないようにしてくれた五千年間愛用の剣だ」
とんでもない物でした。
五千年もの間壊れも錆びもしないなんて。
愛剣ってそういうことでしたか。
それにしても、一騎当千ならぬ一騎当万で不死になったフェイルさんが問題というほどのことって。
「何があったんですか?」
「今の戦争の発端とも呼べる出来事だ。国に戻ると、なぜか人々は俺が不死の力を得たことを知っていた。不死という戦力に危機を感じた国々は、大規模な同盟を組んで攻めてきたんだ」
「国が同盟!? そんな簡単に同盟なんて組めるものなんですか?」
「普通は無理だ。だが、同盟には神の従者が関わっていた。権力者を操って、上手いこと従わせたのだろう。俺たちはそれらの国すべてを相手にしなければならなくなったんだ」
神の従者が裏で操って同盟を操作していた。
でも、なんでそんなことをする必要があったのだろうか。
それに、フェイルさんが本当に不死の力を得ているのであればどれだけの戦力があろうとも相手にはならないはず。
そこまで大きな問題にはならない気がしますが、一体どうなっているんでしょうか。
「致命傷を負っても気絶することはおろか死ぬことも出来ず、癒えるわけでもない痛みに耐え続けなければならなかった。とうとう体に火矢を受け、全身を炎が包み灰になるまで燃え続けた。目が覚めると最初にアリィと出会った場所にいて、死んだ日から百年の月日が流れていた。ーー俺が与えられたのは、不自由な死の力だったんだ」
酷すぎる……そんな話があるんですか。
せっかく生きて戻ることが出来たのに休む暇もなく戦わなければならないなんて。
どうやら、体が消滅すると意識が途切れるようですが目覚めるのは百年後。
知人や友人は既に亡くなり、一人だけになった世界で再び死を迎えなくてはならないだろう。
フェイルさんが裸だったのもそういうことなんですね。
不死という単語に気を取られていましたが、冷静に考えれば痛みが消えるわけではない。
不死というくらいだから死ぬようなダメージを負うと治るものだと考えていましたが、まさか痛みに耐え続けなくてはならないとは。
常に拷問を受けているようなものですね。
フェイルさんが三十代前後の容姿をしていることから、おそらく歳もとらないのでしょう。
寿命で死ぬことも出来ず、どれだけ絶望しても戦い続けなくてはならない。
そんな日々を五千年間永遠と続けてきたことになる。
私だったらきっと耐えられずに廃人と化してしまうでしょう。
しかしフェイルさんはそうやって生きてきたのだ。並みの精神力ではない。
不死の力が万能ではないから敗北してしまった、それはわかりました。
でも、余計に分からなくなりました。
「どうして、神はそんなことをする必要があったのですか? 何一つ良いことなんてないように思えますけど」
「必要なんてものはない。理由を付けるとすれば奴らの娯楽のためだ。わかるか? 俺たちは手のひらの上で踊らされているんだよ」
「そんな! それじゃ……それじゃあ私の両親や、孤児院のみんなの家族。今まで戦争で死んでいった人々は、神とやらの遊びに付き合わされただけだと?」
「なにか大義名分があるとでも思ったか? そうやって俺の復活する地を巡って何度も国が入れ替わり、途切れることなく戦争が続けられてきたんだ」
恐らくこの話は、フェイルさん以外もう誰も知らないのだろう。
最初は書類などが残っていたのかもしれないが、国が変わればそんなものは簡単に消失する。
戦争の発端も理由も分からなかったのはそういう訳ですか。
まさか五千年も続いているとは思いませんでしたけど。
それが神によって工作されていたと知るとやるせない。
フェイルさんに出会わなければそんなこと考えもしなかった。
でも、そうなると人手不足や食料不足になるのではないか。
女性や子供は基本的に戦力にはならないし全員に配給できるだけの食料があるとも思えない。
とはいえ、食料不足や飢えの話なんて聞いたことがない。
「当然、戦争が続けばいろいろなものが不足するよな。それでも、そんな話は出てこない。なぜか」
問いかけられ悩んでいると、キャストさんがハッとしたように、それでいてそんなはずはないと何かを否定するように、答えた。
「単純に、人間がもう残されていないから……ですか?」
「その通りだ」
嘘でしょう? もしそれが本当だとしたら、私達の国の人口が約七十万、敵国の人口が約八十万。合わせて百五十万人しかいない計算になる。
そんなに減っているなら誰かが気づいてもおかしくはないはず。
いや、そうか。国の外へ出ようとする理由がない。
国に嫌気がさして逃げようとした人はいるだろう。
だが、足となる馬は全て戦争で使ってしまっているため、そう遠くへは行けない。
近くに人がいないことに気づいたとしても、まさか世界から人がいなくなっているとは思わないだろう。
世界中が敵なのだから貿易なんて出来るはずもない。
足りない食料は無人になった場所に自生しているものを持ってくれば良い。
人口の事や、食料のことを知っている人はいないので、きっとその食料を持ってきているのも神の従者とかなんでしょうけど。
「と、ここまで長々と話したが、この戦争を終わらせるには神とその従者を倒すしかないんだ。俺は何度か神の従者とは戦ったことがあるが、少人数では話にならなかった。人手が要るんだ、信用してくれとまでは言わないが協力してくれないか」
そう言って手を差し出すフェイルさん。
私は、フェイルさんを信じると決めた。
それにきっとこれを断ってしまったら戦争になにも関わることが出来ないまま犬死してしまう気がする。
どうせ生産性の無い未来なら何もしないで死んでいくよりも騙されて死んでやる。
どうやら敵討ちにもなりそうですし。
迷う理由なんてないですね。
「信用はしましたし覚悟も決まりました。たとえ騙されたとしても後悔はないです」
そう言って手を重ねると、フェイルさんは驚きつつも笑顔で「ありがとう」と一言いった。
あとはキャストさんだ。
王に仕えろと命じられた以上、キャストさんは見極めなければならない立場なのだろう。
私のように楽観的な判断ができるような話の内容ではない。
そう考えていると、あっさりと同じように手を重ねてきて言った。
「僕は、陛下にフェイルさんに仕えよと命じられました。あのお方は普段民衆の前に出ることはないですが、誰よりも国のため、民のためを考え続ける良き王です。そしてそれは、僕の誇りでもあります。最初から信用するつもりでした、協力させてください」
あ、だから殆ど喋らず黙っていたんですね。
どんな結果になろうと主の決定を信じて従う。
何も考えていないようにもみえるが、良い主従関係がなければなかなかこの判断は出来ないだろう。
私にもなにか没頭できるものはないでしょうか。少し羨ましいです。
「お前ら、俺が今までこの話をした奴らはもう少し考えて選択したぞ……」
「良いじゃないですか、儘よ。です」
「僕も同意見です」
本当に大丈夫かよ……と、胡乱な目を向けてくるフェイルさん。
こちらとしてはフェイルさんの方が心配なんですが。
「あー、まあとりあえず作戦を発表するぞ」
ーーーーーーーーーー
荒れ狂う大地、緑は枯れ果て、地平線の彼方までただただ土色が広がっている。
怒号、吶喊、号哭。毛色の違う叫び声が絶え間なく聞こえ、その度に人が倒れていく。
中でも敵味方が入り乱れ、混乱の坩堝にある最前線。
そこに私たちはいた。
目の前で一人、また一人と意識を奪われ地に伏していく。
「何やってるんですか! 今倒したの味方ですよ、それも分隊長! 敵味方の区別が付かないからってむやみに気絶させないで下さい!」
そう、戦場を混乱させているのはこの男フェイルさんだ。
圧倒的な技術力で、接近してきた者には剣の柄を首筋に当てて気絶させる。
遠距離からの攻撃や、傍観している者には剣を投げる。
鎖がついているので、当たった敵を中心に遠心力で拘束、接近。
もう片方の剣で同じように首筋に剣の柄を当てて気絶させている。
鎖は十メートル以上あるのにそれをフェイルさんは手足のように操る。
ちょっと理不尽。
「作戦は伝えたはずだ! 目立つことさえできれば敵味方は関係ないんだよ! アリィはキャストの傍を離れるなよ」
「『
第一の作戦はフェイルさんが兵を気絶させてキャストさんが拘束の魔法で手足を縛り、動けなくすること。
これを大々的に行うことで兵士の視線をフェイルさんに集中させるという寸法だ。
本来なら戦場で目立つのは自殺行為ですが、フェイルさんはそんなことはお構いなしとでもいうように次々と気絶させている。
キャストさんはキャストさんで、元魔術師長の力を遺憾なく発揮し、捕縛した数は既に百を超えている。
普通の魔術師ならこうはいかない。
魔力切れを起こして疲労困憊になってしまうからだ。
キャストさんはまだまだ余裕がありそうで、息切れすらしていない。流石です。
「僕って、こんなことするために魔法の鍛錬をしてきた訳じゃないんですが……っ!」
まあ、本人は不本意なようですけど。
私? お荷物です。
国にいると何をされるか分からない。
そんな理由でなぜか戦場に連れてこられました。
居た堪れないです。怖いです。
私、戦闘能力皆無なんですが。戦場の方が危険でしょう!?
フェイルさんが目立っているので、キャストさんの傍を離れなければ、安全といえば安全……ですけど……。
こんな状況だというのにフェイルさんの嫌がらせか何かを疑う位には怖いです。
「くそっ、なんだこいつ! 強すぎる!」
「おい、またやられたぞ! 一旦引いて体制を……う、うわあああああ!!」
兵士たちはフェイルさんから視線を離せなくなっている。
気絶なんてさせられたらいつ命を奪われるか分からない。
気が気ではないだろう。
そろそろ、第二の作戦に移りそうです。
「キャスト! 作戦通りに頼む!」
「了解。『
魔法を唱えると、フェイルさんを中心に轟音とともに地面が盛り上がる。
あっという間に十メートルほどの急な坂が出来上がり、何事かと戦っていた人たちも手をとめて注視している。
「この不毛な戦いを終わらせたいと思っているやつ、よく聞け! このままではその願いは叶わない! 裏で戦争を操っている奴らがいるからだ! それでも運命に逆らおうとする我儘なやつは俺についてこい! ちったぁマシな未来に連れてってやる」
声を拡散させる魔法で戦場すべてに聞こえるほどの声をだすフェイルさん。
それを聞いた兵士は、どうしていいか分からなくなりあたふたしている。
きっと思うところがあるのだろう。
精神的に疲労しているときに人聞きのいい言葉を投げかけられれば縋りたくなるのは人間の性だろう。
しかし、その相手は少し前まで敵味方関係なく攻撃していた狂人。
おいそれと信じることができないのも無理はない。
ーーだから、フェイルさんの狙いは別にある。
「道を開けろ」
「こういうことされると統率が乱れるからやめてほしいんですよぉ」
両陣営の後方から出てきた二人の男。
片方は背中に戦斧を携えた、筋骨隆々のしっかりとした体躯の益荒男。
もう片方は槍を背中に携えた、細身で肌が白く、骸骨のような印象の男。
彼らこそ国の最重要戦力ーー兵士長だ。
「魅力的な話よな。だが立場というものがあるのだ、簡単に認めることはできぬ」
「拙も同意見ですよ、後は分かりますねぇ?」
二人が出てきたことでフェイルさんが坂を降りた。
きっと兵士長たちも自分たちが誘き出されたと分かっているのではないか。
正直私にはこの作戦が上手くいくとは思ってませんでしたが、そこは男の矜持というものなのでしょう。
要するに、力を誇示して従うに足る人物かを証明しろということだ。
「お前らまとめてかかって来いよ、一騎打ちじゃ話にならねえ」
「なめるなよ、と言いたいがお主は強そうだ」
「そうですねぇ、敵国の将と共闘とは不服ですが遠慮なくぅ」
「「「いざ!!」」」
三人が同時に駆ける。
周りの兵士たちは自分たちの将が戦闘を始めたことで静かに傍観している。
彼らの戦いの結果によって今後の行動が決まるのだ。
気がかりに思うのは当然だろう。
戦斧が大振りに薙ぎ、その直線に入らない箇所を槍が穿つ。
それをフェイルさんは二対の剣で受け止め、流し、反撃する。
兵士長二人も簡単にはやられず、反撃を受け止める。
一進一退の攻防が繰り返され、金属音が静かな戦場にこだまする。
鍛え上げられた肉体による戦斧の一撃は重く、フェイルさんは剣で受ける度に衝撃で押されている。
また、最小限の動きで繰り出される槍の攻撃は手数が多く、捌ききれずに肌をかすり始めている。
戦斧は手数、槍は威力という互いの欠点を埋めるような戦法で、連携を行うたびに動きが最適化されていく。
「アリィ、どうしよう。こいつら思ったより強い! ジリ貧なんだがっ!!」
「格好つけてまとめてかかってこいとか言うからですよ!」
「グァハハ! 我ら二人を相手にして喋る余裕があるか」
「キヒヒ、まったくですねぇ、勘弁してくださいよぉ」
「うるせー! こっちはいっぱいいっぱいだっての! くそっ、やってやんよ」
突然フェイルさんが後退し、距離を取り始めた。
兵士長たちも深追いはせず、警戒するように構えている。
すると、フェイルさんは余分な鎖を体に巻き付け、剣の近くの鎖を手に持ち、グルグルと回し始めた。
「行くぞっ!」
兵士長たちは、剣を振り回しながら接近してくるフェイルさんに何をされても対応できるように構えている。
戦斧と槍の間合い、そのわずか外。
左手の剣を勢いのままに投げ、二人を狙うように横薙ぎする。
兵士長たちも予想していたようで後方へと飛んで回避した。
ーー追撃。それが命を狙った攻撃なら簡単に予想されていただろう。
しかし、右手の剣は槍に向かって飛んでいく。
鎖が絡み、引っ張られて兵士長は槍を強奪される。
「なっ!!」
「ハッ! 二本とも手放してはがら空きだぞ?」
無防備となったフェイルさんのもとに、戦斧が振り上げられる。
だが、フェイルさんは回避するでもなく、体を回転させている。
一体何を?
「喰らえ! ーー!?」
戦斧が振り下ろされる寸前。鎖が巻き付き、動きを封じた。
そうか、最初に横薙ぎを入れた剣! 体を回転させることで勢いを殺さずに戻ってきたんですね。
「あっぶねー、もう少しでやられるところだった」
本人も言っていますが、危なっかしくて冷や冷やしました。
本番はこれからのはずなのですがこの段階で苦戦とか大丈夫なんでしょうか。
「我らの負けか、いいだろう。野郎ども、休戦だ!」
「こちらも休戦ですよぉ! で、拙たちにはなにをお望みでぇ?」
「ああ、さっきも少し言ったが裏で操っている奴らが三人いる。そいつらを倒せばいい。だが、くそ強いうえにどこにいるかがわからねえ」
一応はこれで第二の作戦が完了した。
今のところは順調ですね。
ちなみに、フェイルさんが復活する度に従者は姿を変えているのでどこにいるかはわからないらしい。
フェイルさんの話だと、
『奴らは人々が殺しあうのを見て楽しんでいる。一時的にでも戦争を休戦させられたら黙ってないだろうな』
とのこと。
つまり、ここにその従者を誘き出すという作戦だ。
私、そんな化け物が来ても生き延びられる自信がないんですが。
フェイルさんは状況と作戦を簡潔に話し、兵士長たちが情報を伝達している。
国王や、国のお偉いさんたちに相談しないあたり、この戦争がどれだけ異常を物語っていますね。
そうして、短い時間で事が進んでいく中。
そいつは現れた。
空間に穴が開き、中から人が一人出てくる。
その服装をみて、驚きと同時に国は操られていたのだと確信した。
「やってくれたわね、フェイル!」
言葉を発したのは、王と一緒にいた侍女だった。
そうだ、王はフェイルさんの名前を知っていた。
歴史が残っていないのだとしたら知っているのはおかしい。
きっとこの侍女が王に教えたのだろう。
自国の兵士たちで侍女のことを知っている者は驚いているようだ。
フェイルさんの話の信憑性も増すだろう。
「お前はただあのお方のために、無様に生き死にを繰り返していればいいのよ! こんな面倒を起こして覚悟はできているのでしょうね?」
「覚悟なんてまっぴらだ、寧ろこっちの台詞だぜ」
「ほう、魔法を使うか。確かにこれは厄介だな」
「ですが、この数を相手には些か無謀ではぁ?」
なんというか、皆説明を聞いて相手が神だと分かっているはずですが、士気は高い。
こちらとしてはあまり煽らないでほしいのですが。
暫く無言の睨み合いが続き、一歩ずつ近づきながら互いに出方を窺う。
侍女が何か魔法を放とうと、魔力を練り始めた。その時。
「今だ! キャスト、やれ!!」
「『
侍女の周りを囲むように土の壁が展開される。
キャストさんだけではなく、自国の魔術師総出で入念に、できるだけ高い壁を作っていく。
「矢を放て! 魔法もどんどん打ち込め!!」
「『
敵国の魔術師は、囲まれた土の壁の上から次々と魔法を打ち込み、両国の弓兵が矢を放っている。
不意打ちするんですね。
兵士たちは顔に恐怖を浮かべ、一心不乱に攻撃している。
いや、私も怖いです。足が震えていますけど、ここまでするのもちょっと。
「フェイルさん、これ大丈夫なんですか?」
「やばいわ、これ大真面目にやばいわ。まさかここまで大規模に……」
何か一人でぶつぶつと喋りだしたフェイルさん。
問いただそうとしたその時。
轟音とともに壁が破壊され、中から侍女が出てくる。
ところどころに矢が刺さり、火傷や創傷があちこちにみられ、満身創痍だ。
しかし、その表情は笑っている。
「アハハハハハハ!!!! いい恐怖だわ、もっと怖がりなさい。もっと、もっとよ!」
「奴は、その場にいるだけで人を恐怖に陥れ、自分の力に換えることができるんだ。まさか、ここまで広範囲だとは思っていなかったが」
そういえばフェイルさんは戦ったことがあるんでしたね。
それで兵士たちの様子がおかしかったんですか。
「それでも傷はしっかり負っている。奴の能力は諸刃の剣でもあるんだ、このままだと次の戦闘に差し支える。動ける者全員で畳みかけるぞ!」
フェイルさんが周りに呼びかけ、気づいた人がそれに続く。
どうやら、恐怖に耐性のある人もいるみたいです。兵士長さんたちのような官職のある人は大丈夫そうですね。
もちろん私も……だいじょ……少し、こ、こ、怖いです、ね。
「希望なんて与えないわ! 『
侍女の指先から黒く、暗い闇が迸り、世界を染め上げていく。
恐怖していた兵士たちがさらに深い恐慌に陥り、錯乱する。
それぞれが自分の得物を取り出し、近くにいる兵士といがみ合っている。
彼女の高笑いを聞いているだけでもおかしくなりそうです。
この状況は……フェイルさんの過去の話に似ている。
もしかして、不死の力を賭けた大会の時もこの魔法が使われたのでは?
そうすると、今後の展開が容易に予想できる。
やばいですね。
「魔法を発動して調子に乗っている今がチャンスだ! 少人数でもいい。行けっ!」
フェイルさんが最初に突貫し、それに気づいた侍女が高笑いを止めて魔法を唱える。
咄嗟に唱えられた魔法をその身に受けながらも肉薄し、倒れるように刃を突き刺した。
後に続いて、兵士長の槍が肩を穿ち、戦斧が腕を切り落とす。
その後に続いた者は四、五名ほどしかいなかったが、祈るようにそれぞれの得物を突き刺した。
「アハ、私で終わりだと思うな。あのお方には絶対に敵わない。精々足掻くことね……」
「チッ、胸糞悪い。俺は嫌なんだよ、この感触が……」
魔法を発動した侍女が絶命したことで、兵士たちも正気に戻ったようです。
でも、恐怖はそう簡単に消せるものではない。
みんな委縮してしまっている。
あと二人。
それが分かっているからこその絶望。
「フェイルさん。このままじゃ……っ! その怪我はどうしたんですか! 大丈夫なんですか!」
フェイルさんの体には大きな穴が開いていた。
どう見ても致命傷だ。それでも立ち上がっている。
これが不死の力なのでしょうか。
「問題ねえよ、ちょっと、いや、めちゃくちゃ痛いだけだ。それより兵士たちを何とかしなきゃな」
そう言って息を吸い、大声を出そうとした。
「ありゃ、腹がねぇから息が抜けちまう。大声は出せそうにないな」
今もフェイルさんの体には常人では耐えられないほどの痛みが伴っているはずだ。
それでも痛がる素振りすら見せずに振舞っている。
普段は腹の立つことばかり言っているのにこんな時だけ格好つけないで下さいよ。
私だって……役に立ちたいです!
「皆さん! すぐには信じられないかもしれませんが、ここにいるフェイルさんは五千年間に渡ってこの戦争を続けてきました。今回のように必死に足掻いて、絶望だってしたでしょう。ですが、それでもこうして前を向き続けています。皆さんはそれでいいんですか! こんな一時与えられただけのまやかしの恐怖に怯えていていいんですか! 甲斐性を見せて下さいよ!」
我ながら少し恥ずかしいですね。
私の言葉を聞いて立ちあがってくれる人もいるようです。
少ないですけど。
「なかなかの口上であったぞ。このような状況でなければ士気は高まっていたであろうな」
「へ、陛下!! このような場所に、なぜっ!」
キャストさんが近くに駆け寄り、跪く。
現れたのは、国にいるはずの王だった。
「皆の者! すまなかった。どうやら我は神とやらの傀儡にされていたようだ。此度の愚をもって我は王の座を降りる。償いとしてこの戦、我も武を奮おう。そなたらも奮迅するがよい!!」
王様格好良すぎないですか。
堂々としていて、潔くて。
というか、王の座を降りるとか言ってますけど良いんですかね。
というか、私大声出す必要なかったんじゃ……。
うわあ、恥ずかしいです。
王の鼓舞のおかげで、自国の兵士は殆どが復活。
それに感化された敵国の兵士たちも何人かは気を取り直したようです。
活気が戻りつつある戦場。
そんな中、フェイルさんが慌てだした。
「クソッ! こんな状況で連戦か、来るぞ!!」
再び空間に穴が開き、中から二人の人が出てくる。
一人は侍女と似たような格好の女性。間違いなく神の従者だろう。
もう一人は……敵国の、王?
フェイルさんが先手をうつために動く。
疲労も抜けないままに緊張が走る。
「ま、待つのじゃ! この者に戦う意思はもうない! どうか、どうか見逃してはくれぬか!」
発せられた言葉は命乞い。
罠としか思えない発言だった。
フェイルさんも黙ってられず、声を上げる。
「ふざけんな、そいつが今まで何をして来たか、それが許されることではないと分かっていて言ってんのか」
「尤もじゃ、しかし、どうしてもこの者を助けたいのじゃ。地位も、富も捨てて構わない。事情も把握した、戦争も終結させるよう根回ししよう」
「なぜだ、そこまでする理由がねぇ、どうしてそいつを庇う」
「偏に、恋慕……じゃ」
「……は?」
え、それってもしかしなくても恋してしまったってことですか?
神の従者に?
「キヒヒ、拙らの国では有名な話ですよぉ。陛下と侍女が恋仲にあるというのは」
それじゃあ、本当に……?
仮に本当だとしても、フェイルさんが長年苦しみ続けていたことには変わりない。
とても許容できる話ではないだろう。
「おい、従者。お前はどうなんだ」
「私は、許されるのなら陛下と一緒に居たいです。ですが、そんな資格なんてない。私は、陛下の慕う民を苦しませ、虐げてきたのです。覚悟はーーとうに決まっております」
侍女の言葉は、弱弱しかった。
私達が戦って倒した従者、その片割れとは思えないほどに。
人間らしい考え、素直にそう思いました。
「……お前は殺せねえ、ズリぃよ、お前を殺したら俺は人間ではなくなってしまう。その代わり、神の居場所を吐いてもらう、いいな」
「ーー! もちろんです、あのお方ならきっとわかってくださる!」
どうやら、和解できたとみて良さそうですね。
淡い期待かもしれませんが、神とも、話せばわかってくれるかもしれませんね。
フェイルさんはまだ葛藤が残っているようですけど、取り敢えずは一安心していいのでしょうか。
ーーあれっ、今何かが光ったような?
「しっかりするのじゃ! 何があったのじゃ、誰が、どうしてこんなっ!」
ぐったりと倒れている侍女。
心臓部に焼け焦げたような跡があった。
大量の血が流れ、動く気配がない。
「朕が裏切りを看過するわけが無かろう、興で見逃しておれば調子に乗りおって。時にフェイルよ、朕を斃したいとな? よかろう、蛮勇を称え明日の正午この地で待つ。汝も精々興を削がぬよう足掻きたもれ」
「待ちやがれ、今ここでやってやる! くそっ!! くそっ!!!!」
一瞬の出来事だった。
勝手に振舞い、勝手に帰っていった感じです。
許せない。
誰もが陰鬱とした気分になる中、フェイルさんだけがずっと叫び声をあげていた。
ーーーーーーーーーー
「アリィ、少しいいか?」
「何ですか?」
「あいつを倒すことができたら、お前がみんなをまとめてくれ」
「私が? 無理ですよ、もっと適任がいます、なんならフェイルさんでもいいじゃないですか」
「俺はお前に頼みたいんだ、お前には人を導く才能がある。さっきの口上で確信した」
「いやいや、それなら王の方がより多くの人を奮い立たせてましたし、それにさっきの口上も自分で出来ていないことを言ってしまいました。」
「それで?」
「それで……って」
「勘違いしているようだが、別に多くの人の心に届く言葉を言うことが良い口上とは限らないぞ?」
「え?」
「大事なのは自分が正しいと思ったことをそのまま伝えることだ。なかなかできることじゃねえよ、少なくとも俺には無理だ」
「そんな! そんな綺麗事なんかで……」
「良いじゃねえか、現にお前はその綺麗事で動揺してるだろ?」
「ーー!」
「まあ、あれだ。簡単に言うとどれだけイタいことを臆面なく言えるかだ、お前はそれが出来る」
「それ、褒めてるんですか? あんまり嬉しくないんですが!」
ーーーーーーーーーー
目が覚めると、暗い地下にいた。
もう、ここで目覚めるのは何度目になるのか、覚えていない。
前回は……何があったんだったか。
どうも目が覚めてすぐは記憶が曖昧になるな。
目の前にいるのは今回の生贄だろうか。
小柄で金髪の、あどけなさが残る少女だった。
状況を確認しようと周りを見渡すと、自分が愛剣の鎖によって拘束されていることに気が付いた。
しかも裸で。
取り敢えず服を要求しようとすると、少女は自分の服に手をかけ始めた。
「いやいや、お前何しようとしてんの? あれか、小柄で純粋そうな顔して実は淫乱とかそういうやつなのか?」
俺の言葉に動きを止める少女。
どうせだし、少しからかってやるか。
「そもそもなんで俺は拘束されてるんだよ? そういうプレイなの? 用意周到だな、おい。だが、俺に幼女趣味はないんだ。すまないがお引き取り願おう。」
少女の顔が朱色に染まっていく。
怒ってる怒ってる。面白いな。
……あれ? なんだか前にも似たようなことを言った気が。
気のせいか?
「あはは! 冗談ですよ。服を持ってきているので着てください」
……怒ってない? 笑いを堪えていただけ?
それに服を持ってきているとか随分用意が良いな。
まあ、いいか。
出された服を着て、愛剣を抜き取り、持ちやすいように鎖を肩にかける。
それを確認した少女は、「ついてきてください」と言って階段を上っていく。
追随するように自分も階段を上る。
暫く上っていたが、なかなか外に着く気配がない。
「なぁ、この階段ってこんなに長かったか?」
「増築したんですよ。できるだけ高いところから見て欲しいので」
見る? なにを?
戦場の様子を……か?
もしそうなら悪趣味にもほどがあるぞ?
目覚めてから疑問が尽きない。
こんなに状況が掴めないのは久しぶりだ。
一体、百年の間に何が?
「さぁ、つきましたよ。フェイルさんの手で扉を開けて下さい!」
どうして、俺の名前を知っているんだ。
訝しみながらも扉を開ける。
眩いまでの太陽光が一気に差し込み、目を細める。
暗いところにいたせいか目が慣れない。
「邪神を滅ぼせし我らが英雄。王の復活に、敬礼!!」
王? 敬礼?
なんだ、何が……。
瞬きを繰り返し、やっと視界が戻る。
俺が今いるのは、城の高台か?
見下ろすと、民衆や兵が敬礼をしていた。
数は百万や二百万を超え、見渡せる距離すべてに人が密集している。
その群衆の最前列の顔触れには見覚えがある。
段々思い出してきた。
あれは、キャストに兵士長。両国の国王だ。
そうなると、生贄は。
「アリィ!」
そう叫ぶと、少女は少し困ったような顔をした。
「アリーヤは私の祖母です。フェイルさんのーーいえ、陛下の言い付けを守り立派に民をまとめ上げましたよ」
マジかよ、まとめろとは言ったが国を作っちゃったか。
そうだ、俺は神との戦いで鎖を使って拘束し、俺もろとも魔法を撃たせて心中したんだった。
ってか、さっきからちょくちょく言われてるけど、英雄とか、王とか、陛下とかなんなんだ?
もしかしなくてもそういうことか?
少女に尋ねる。
「はい。『散々からかってくれたお返しです』だそうです」
そういって、少女はアリィによく似た顔で笑った。
そういや、あいつの笑顔を見たの初めてだったな。
なんだ、雨か? 頬から水が垂れてきやがる。
まあ、その。なんだ。
生きてて、良かった……かな。
不死の王 黄昏林檎 @pommu8610
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます