ハッピーバースデイ

秋月漕

第1話 25回目

「私はあなたが好き」

「でも俺は君を忘れてしまっていた」

「ずっとそばに居たのに」

「ずっとそばに居てくれたのに」

 眼下に広がる街の明かりをぼんやりと眺めている。

「子供のころは私が来るのを楽しみにしてくれてたよね」

「君が好きだったから。君に会える日が楽しみでずっと待っていたから。その日のためならどんなに大変なことでも頑張れたくらいに」

「よく頑張ってたよね。あのころは君だけじゃなくてみんな私のことを好きでいてくれたんだよ」

「君が来た日にはみんなでお祝いしてたね」

「あなたのお父さんやお母さんもとても歓迎してくれた。まるで自分のことみたいに」



「あのときの俺は本当は君のことを好きだったわけではないかもしれないって思うんだ」

「どうして?」

「君からのプレゼントが好きだったから」

 彼女は静かに笑った。――― 22 : 25 ―――

「私はそれでも良かったの。あなたに喜んでもらえるのなら」

「毎回一生懸命に考えてくれてたんだよね。ありがとう」

「どういたしまして」

「でもひどいなあ。昔はいっぱいプレゼントをくれたのに、年をとる毎に段々と少なくなっていった。最近はひとつもない」

「ごめんなさい。でも仕方がないの」

そう、分かっている。仕方ないんだ。

「みんな君を忘れてしまったから」





――― 22 : 32 ―――

「私があなたに出逢ったのは病院の中だったんだよ」

「その話はよく聞いてるよ」

「あのときあなたは泣いていたの。あれはどうして?」

「覚えてないな。どうしてだろう」

 考えたところで思い出せることではない。ただゆっくりと時が流れていく。

「私はあなたを見つけることができて嬉しかった。ずっとあなたを待っていた。あなたに逢えるときを」

「今となっては複雑な気持ちだな」

「それでも私はあの日のことをずっと覚えているわ。そして死ぬまで忘れないの」

「忘れることができないんだろう?」

「そうね。そのほうが正しいかもしれない」

 彼女がその日を忘れることができないことは良く分かっていた。その日は彼女自身のことであり、それを忘れることは僕がいなくなることであったから。

「とても良い天気の日だったわ。前日はとっても寒くて雪も降ったりしてたんだけど、その日は雲ひとつない青空だったの。外を往く人たちはコートを羽織ったりセーターを着たりしてたけど、急ぎ足で流れていく色はカラフルでとても綺麗だったわ。みんなあなたを待ってそわそわしてたのかも」

「そんなことないよ。僕がいつ外に出られるかなんて誰にも分からなかったんだから。ただ、たまたまその日だっただけだよ」

 ベランダに立つ彼女の髪が夜風に揺れる。一月の夜は肌寒く、部屋の中にいた僕には彼女の表情を読み取ることはできなかった。

「あなたに会うのはすごく緊張したし、なによりも怖かったわ」

「どうして?」

「あなたが天使か悪魔か分からなかったから。みんなあなたを天使だって言ってたけど、成長してどうなるかなんて誰にも分からないじゃない」

「俺は人だよ。ただの人間の子供だった」

「いいえ、あなたは天使だったわ。顔を見たときは本当に天から降ってきたのかと思った」

「でも今となっては天使でもなんでもないからやっぱりただの人間だったんだよ」

「そうかもしれないけど、私はあなたがどんな人なのかを知っているわ。真面目で、優しくて、負けず嫌い。ちょっと怠け癖があるみたいだけど」

 僕はクローゼットからセーターを取り出し、彼女の立つベランダに出た。

「あの時、あなたは私に初めてプレゼントをくれたの」

「そうだっけ」

「そのことも忘れてしまったの?あの日からずっと身につけているのに」

 ああ、

「ネックレスのことか」

「正しくはネックレスの『石』なんだけどね」

「今ではすっかりくすんでしまっているけど」

「最近はあなたにも会うことがなかったから手入れできていないのよ」

 彼女は首もとのネックレスを手にとって見つめた。遠く、その石の内側を見るように。

「それはもう素敵な色だったの。火のように紅くて、でも静かに落ち着いていて。言葉では言い表せないけどずっと見ていたいくらいに」





「俺が12歳のころを覚えているかい」

「もちろん」

「あの日も君に会ったのは病院だった。足を折って入院してたから」

「ベッドの上で足を吊ってたものね。見たときはビックリしたけど、可笑しくってちょっと笑っちゃった」

 当時の光景を思い出したのか、彼女はまた笑っている。そんなに不恰好だったのだろうか。――― 22 : 46 ―――

「君が来てくれて嬉しかったよ。もう君に会えないんじゃないかって心配してたから」

「大袈裟ね」

「しばらく誰にも会ってなかったんだ。病院のベッドっていうのは退屈で、とても寂しい場所だった」

「だから私は会いに行ったの。何もなくても行くつもりだったけど、あなたをいつも以上に驚かせようっていろいろな人に声を掛けてお見舞いに行ったの」

「あの日は雨が降ってて寒かったはずなのに多くの人が来てくれた。父さん、母さん、クラスの友達と先生、そして君が」

「あのときのプレゼントは喜んでくれた?」

「花束と手紙と漫画の全巻セットだったね。すぐに退院するつもりだったから読みきれないと思ってたけど結局二回も読み直したよ。すごく元気が出た」

「それは良かった。あなたの趣味に口を出すつもりではないけど、病院でアンデルセン童話はあんまり良くないと思うわ。憂鬱になっちゃう」

 そう言われればその通りだ。あのときの自分は思ったより弱っていたのだろう。

「お気遣いありがとうございました」

「どういたしまして」





 僕は部屋にもどり、キッチンでワインボトルを空け、二つのグラスに注いだ。今日のために買っておいたわけではない。スーパーで安くなっていたものを買ってから、今日まで空けなかっただけだ。

 窓際に座った彼女にグラスをひとつ渡して、自分のグラスに少し口をつけた。庶民的な味で渋みも少なく飲みやすい。当たりだ。一方彼女はグラスを目の高さに持ち、ゆらゆらと揺れるワインを月明かりに照らしている。

「あなたが18歳のときのことは?」

「かすかに覚えているよ」

「あなたはバイトをしていたわ。友達と海外に旅行に行くんだーって言って。せっかくの休日だったのに」

「あの日は堪えたよ。肉体的にも精神的にも」

「バイト先まで行ってあなたを見ていたから知ってるわ。お昼の繁忙期を乗り越えたかと思うと先輩にこき使われてた」

「しっかり見てたんだな。気付かなかったよ。まったく、君には隠し事はできないな」

「あなたのことならあなたと同じくらい知っているわ」

「でも本当に堪えたのはバイトじゃなくてその後のことだった。君がくれたプレゼント」

「からあげ弁当」

「あれには正直まいったよ。ついに俺もこうなっちゃったんだーって思った。今ではいい笑い話だけどね」

「ごめんね。でもおいしかったでしょう?」

 彼女からのその問いに、僕は笑って目を逸らした。僕は成長するにつれて孤独を増していき、友人にも自分のことを話すことは少なく、自分ですら自分のことを理解できなくなり始めていた。――― 23 : 06 ―――





「いつからだろう。君を忘れてしまったのは」

「23歳から」

「仕事が忙しくなってからか」

 二杯目のワインに口をつける。彼女はまだ一口も飲んでいなかった。

「朝早くに起きてご飯もろくに食べずに家を出て、会社についたらまずオフィスの掃除。あいさつで声が小さけりゃ怒られ、そのまま客先に出向いては相手の顔色をうかがって。オフィスにもどったら夜遅くまで終わりの見えない仕事をしてた。家に帰ってくるころにはもうヘロヘロに疲れきってて、帰っても誰も居ない真っ暗な部屋で明かりをつけては、スーパーの売れ残った半額の惣菜と解凍したご飯ばっか食べてた」

「私じゃなくて仕事が恋人だったんだ」

「あんなにめんどくさくて扱いに困る恋人なんてこっちから御免だ。昨日で縁をきったよ。もしこれからも付き合っていくとしたら恋人どころか変人になる」

 彼女はやっと一口目を飲んだ。――― 23 : 22 ―――

「うーん、20点かな。そのギャグ」

「今日は厳しいですね」

「当たり前。私が来てたことに気付いたのは2時間前で、あと30分しか居れないって分かってる?気付くの遅すぎよ」

「ごめんごめん」

 彼女が怒っているところを見るのは初めてかもしれない。本当に俺はダメで不甲斐ないな。今日も謝ってばかりだ。――― 23 : 32 ―――

「でも、またあなたに会えた。去年は完全にすっぽかすんだもん。もっと怒ってやろうかと思ったけど、あなたの顔を見ていたらそんなことどうでも良くなったわ」

 彼女が先ほど口をつけたグラスの中身はすぐに空になった。空いたグラスにワインを注ぐ。定価五千円のそれは彼女の口にもあったようだ。

「この赤ワイン、綺麗な色ね。あなたがくれたこの石みたいに」

「ご満足いただけましたか」

「まだまだ物足りないな。お酒も、あなたと居る時間も」

 彼女はまたグラスを目の高さに持ち、ワインを月明かりに照らしていた。





 彼女は玄関で靴をはいて立ち上がり、見送りにきた僕の右手を両手でやさしく包んだ。――― 23 : 55 ―――

「今年は頑張らなきゃダメよ。24歳より良くなるように目標を持って、自分に甘えずに。でも体は壊さないこと。周囲の目も気にしないで自分のやりたいことをやって、なりたいものになればいいの。もし誰からも相手にされなくなったとしても私はまたあなたに会いに来るから」

 温かかった。人の優しさとか、帰れる場所とか、自分の忘れてしまっていたものが戻ってきたようだった。――― 23 : 59 ―――

 ドアを開けて彼女は出て行く。引きとめることはできない。一年のうちの今日だけ逢うことができる彼女の後姿を見るのはこれで25、いや23回目なのだろう。24回目に君に会う日、僕は君を忘れてはいないだろうか。今日の自分より僕を好きになっているだろうか。午前00時00分。

「じゃあまた一年後に。ハッピーバースデイ」

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