第672話 大日本合藩帝国建国

 大日本合藩帝国の骨子・・・・・・官位官職はこのまま継続使用で良いだろう。


大きな変更点は織田信長を皇帝と改めること、そして『帝』を『神職聖長』と改める。


王の意味を持つ『皇』『帝』『王』『君』を『象徴天皇』に使わない。


朝廷の公家は神事を保佐する者と定義づける。


政治体制は、しばらくは幕府を頂点とした封建政治の形を取る。


議会制民主主義に移行は国家としての形が盤石に安定してからだ。


いろいろな物作りを幕府や俺が指示してやっているので、共産制と言って良いのかもしれないが、幕府主体の封建政治で平和を作り上げてから後世の人々の手で変わっていくようにするのが良いだろう。


そうなるように俺の子ども達に代々受け継いでいく教育をしないとな。


そして、法で『首都・安土』『聖都・京都』『副首都・常陸』を明文化する。


それを織田信長に見せると、


「うむ、早いほうが良かろう。儂も年だからな。京都は十二門を閉めさせ異義を申す公家どもは捉えて島流しとする。少々強引だが事を進めるぞ。安土の信忠にすぐに命じる」


と、言って織田信長は安土に使者を向かわせた。


焼け野原となっていた京都の再整備に作った平安京十二門、平安京大内裏、御所の外郭の12の門。

東面の陽明門・待賢門・郁芳門・南面の美福門・朱雀門・皇嘉門、西面の談天門・藻壁門・殷富門、北面の安嘉門・偉鑒門・達智門。十二門はこの様なときに活躍する物だった。


後に聞くと、織田信忠はすぐに大軍で門を封鎖し反発した公家屋敷数軒をアームストロング砲で撃ち灰燼にしたことで一週間で朝廷はその申し出を受け入れる道しかなかったそうだ。


少々手荒だが、大きくなりすぎた国をまとめ安定した物にするのには仕方がないことだ。


『朝廷』『帝』と言うお飾りはしばらく外しておくのが良い。




1611年 元旦


大日本合藩帝国建国宣言が急遽ジブラルタル城で行われた。


同盟各国はそれを承認し、織田信長は皇帝として名実ともに国のトップとなった。


そして、織田信忠が左大臣征夷大将軍から関白征夷大将軍になると、俺は右大臣から左大臣へと昇進した。




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