第145話 勿来
1586年8月5日
駿河から犬吠埼を目指して出航した南蛮型鉄甲船艦隊は7日には犬吠埼を抜け、常磐沖とも呼ばれる鹿島灘に入った。
陸地を左手に見ながら進んでいる。
織田信長も九鬼喜隆も見たことがない土地、しかし、俺は良く知っている。
利根川河口から長く続く砂浜などは子供のころから見てきた景色だ。
懐かしい、俺の故郷、茨城。
海岸線を見ながら俺が書いた地図と照らし合わせながら北に進む。
流石に建物や海岸線の砂浜の多さは平成とは違うが、海から見える常陸の崖の景色は海釣りを経験している者なら多少は見覚えのある物、大洗あたりになるとごつごつした岩の海岸線が見えていた。
俺はそこで、小高くなっている丘に向かって柏手を打ち神社でお参りをするかのように甲板で頭を下げた。
船中ではツッコミを入れる者はいない。
流石に未来人であることは隠しているが、常陸の国・鹿島出身であることを公言しているため何かしら神聖な場所であるのを感じているのだろう。
「ここって、日本神話に出てくる大巳貴命と少彦名命が御光臨くだされた海岸なんですよ、大洗と酒列の神社が祀られているんですが戦乱で荒廃してしまっているはずで」
「で、あるか、なら戦乱が治まれば寄進せねばな、常陸」
と、信長が少し不思議な言い回しをしていたが、そんな信長も同じく柏手を打ち拝んでいた。
1586年8月8日
切り立った崖が続く海岸の合間にある小さな港へと着岸した。
港は小さく30隻など到底入れず、近くにある港にも分けた。
キング・オブ・ジパング号と5隻が接岸したのは勿来の関のすぐ近くの九面港・そして他は平潟と大津に分けて接岸し、平成で言う北茨城市周辺の海岸線を占領した。
平潟港は実は知る人ぞ知る隠れた歴史の名所で、江戸幕府末期討幕軍が軍船から降りた地なのだ。
俺達は船から降りると、旧関所、三大古関などにも数えられる桜の名所、勿来の関跡の山に布陣している伊達政宗の重臣片倉小十郎景綱に出迎えられた。
勿来の関
数々の歌人が歌に詠む奥州三関で有名な地。
一番有名なのは、源義家が読んだ
『吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな』だろう。
「伊達家家臣、片倉小十郎景綱にございます。お見知りおきを」
と言う挨拶してきた人物は、かっこいい若者、まるで昭和の本御三家芸能人の西郷さんが若かった時のようだ。
「黒坂常陸守真琴にございます。こちらが、織田信長公にごさいます」
と、俺が蘭丸を差し置いて紹介する。
だって、大好きな戦国武将俺ランキング3位の片倉小十郎景綱だもん、興奮は抑えながらも頭の先から足の先までじっくりとがっつりと見る俺に一歩下がる小十郎・・・・・・勘違いされてしまったかな。
「信長公自らの御出馬とは恐れおおいことにございます」
片膝を着いて頭を下げる景綱。
俺のいつもとは違う息遣いを気が付いたのか、蘭丸と力丸とが俺の前に立つ。
邪魔しないでくれ、小十郎と話したいんだよ、と言いたかったがぐっとこらえる。
さらに政道も俺の前に出て、
「小十郎、久しいな、兄上のもとに案内頼む」
と、言う。
俺の小姓伊達小次郎政道は伊達藤次郎政道の弟なのだから当然、小十郎とは顔見知り。
「こちらに馬をよういしてあります」
と、馬が差し出されて俺達はそれに乗り、小高い山に登った。
いよいよ奥州の覇者・独眼竜伊達藤次郎政宗登場?
戦国時代末期人気武将オールスター夢の競演?
あれ?うちの家臣って反伊達多くなかったっけ・・・・・・。
蒲生氏郷は大津城の留守居役として残してきたけど、別の船には東の関ヶ原で上杉方として伊達・最上と戦う前田慶次、大阪冬の陣・夏の陣で豊臣方として戦う真田幸村、俺の重臣なんだが大丈夫なのか?
少し不安になる。
立場が、歴史が違うのだから大丈夫なはずだが極力会わせないようにしておこう。
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