第127話 関東の乱

 俺は春が過ぎ去り蝉が鳴き始めるころになっても、城で隠居のような生活をしていた。


病気そのものは治ったので体力回復の為の生活であるが、織田信長から仕事が回ってくるようなことがない生活。


幕府の奉行の肩書があるのにもかかわらず静かな生活。


そんな中、俺が知らないところで史実通りの、お家後継ぎ騒動が勃発していた。


蘆名盛隆、1584年突如として亡くなった会津黒川城城主の跡を継いでいた、蘆名家第19第当主亀王丸が1586年3歳の若さで疱瘡により死亡した。


若干3歳ではあったが、隆盛の叔父である伊達輝宗が後見人として支えていた。


史実では伊達輝宗は1585年に亡くなっているが、織田信長が天下を掌握したことによって、政宗の強引な領地拡大は行われず畠山義継の輝宗誘拐事件は発生しておらず、縁戚関係で築かれた南奥州の秩序は保たれていた。


そんな中、世継ぎがない蘆名家では世継ぎ問題が勃発。


家中では養子をめぐって二派に分かれた。


伊達家から養子を迎えるか、佐竹家から養子を迎えるかと。


その裁定を下したのは、征夷大将軍である織田信長。


「伊達小次郎政道を養子とせよ」


と、言い渡した。


幕府が家臣となった蘆名家の主を決めるという強い姿勢を見せつけるために。


伊達小次郎政道、そう、俺が伊達輝宗から預かっている小姓。


伊達小次郎政道18歳と佐竹平四郎義広11歳どちらが大名としての後継ぎとして相応しいかは、年齢と、どちらが織田家と親しいかが重要。


政道は、幕府で要職に就いている俺の家臣となれば一目瞭然。


しかし、それに異を唱えた蘆名家家臣達は、佐竹平四郎義広を養子に向かえるという暴挙に出たのだった。


これに猛烈に激怒した織田信長は、奥州探題・伊達政宗、羽州探題・最上義光、相馬小高城城主・相馬義胤・小田原城城主・北条氏政に佐竹家と蘆名家の討伐令を出した。


しかし、強権となりつつあった織田信長に対して反旗を翻した者が現れる。


北条氏政、宿敵だった佐竹義重と手を結び、反織田信長の狼煙を上げた。


北条にはすぐに滝川一益が挙兵し守りに入ったが、沈黙している人物がおり率先して進撃が出来ないでいた。


安土城屋敷留守居役前田慶次からの使者で俺は知ることとなった。


「関東が荒れる、戦乱になる、俺の愛する茨城が火の海になる・・・・・・、茶々、すぐに安土に登城する、支度を」


鬼の形相で言ったのが自分でもわかるが、それにひるまないのが茶々であった。


「はい、すぐに手配を」


「力丸、兵を集めよ、すぐに出陣できるようしたくしてくれ」


「はい、かしこまりました」


と、言うと大津城の登城太鼓は鳴り響いた。




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